第41話1.41 アズキの過去

 優しいキスの後、トモマサ様は直ぐに眠りに落ちていきました。

 その向こうでは、ルリも同じように眠っています。

「また、こんな穏やかな朝を迎えられる日が来るなんて思いもしませんでした」

 私はトモマサ様の腕に頭を乗せ、目の前で眠るトモマサ様の顔を眺めつつ思い出します。

 かつて幸せだった頃を。


―――


「父様、おはようございます」

 父様が食堂に入ってきました。

 昨日も仕事で遅かったのか今日も眠そうです。

 父様は王都イチジマの隣町、ヒガシナカの街の領主です。

 爵位も高く公爵と王族に次ぐ権力を持っており毎日忙しく働いています。

 最近は特に帰りが遅くて心配ですが、

「大丈夫よ。父さんの体調は私がちゃんと見ているからね」

 と、母様は全く心配してないようです。

 そして、どんなに遅く帰ってきても朝は、私と一緒にご飯を食べてくれる優しい父様です。


「アズキ、おはよう。今日も朝ごはん作ってくれたのかい?」

「はい、今日も母様と一緒に作りました。いっぱい食べて下さい」

 私が胸を張って答えると、父様は大きな手で頭を撫でてくれます。

 とても大きくて暖かい父様の手が私は大好きです。

 もちろん手以外の他の部分も大好きですよ。私が一人、言い訳していると声が聞こえます。


「さあ、いつまでもアズキを撫でてないでご飯にしましょう」

 母様に急かされて父様が席に着きます。

 手が離れて行って少し残念ですが、私も席に着きます。

「「「いただきます」」」

 3人で手を合わせ食べ始めます。

 食事中の父様と私はいつもたくさんお話をします。

 昨日はどんな勉強をしたとか、何して遊んだとか、何が楽しかったとかたわいの無い話ですが、私はこの朝の時間が大好きです。

 だって、この時間しか父様とお話しする事が出来ないんですもの。

 話すぎて、

「そろそろ終わりにしなさい」

 と、母様に叱られるのが日常となっているぐらいです。


 朝ご飯の後は、父様が仕事に出かけるのをお見送りに向かいます。

 食器洗いとか後片付けはメイドさんがしてくれます。

 本当は朝ご飯も専属の料理人が作ってくれるのですが、無理を言って母様と私で作っています。

 執事さんに言わせると公爵の奥様が料理などする必要は無いと言われるのですが、母様は全く気にせず作ります。

 母様は元々、普通の平民だったのに父様と結婚したために貴族となったそうで、今でも「貴族は慣れないわ」と言いながら料理したり掃除したりしています。

 執事さんも口では「奥様、それは貴族のなさる事では御座いません」と言っているものの、あくまでもポーズで実際には自由にさせているのが実情のようです。

 前に婆やから聞きました。


 そんな貴族らしく無い母様ですから父様との結婚の際には、お祖父様からかなり反対があったらしいです。

 平民でしかも犬獣人だった母様と貴族で人族だった父様。

 身分も種族も違う2人を何としてでも別れさせようとしたらしいのですが、最後には父様の駆け落ち宣言を受けて渋々結婚を許したそうです。

 私には、とても優しいお祖父様なので簡単には信じられないのですが。

 それでも、自由な母様を見るとつい雷を落としてしまうという理由で別宅に移り住んだそうですから、母様を認めたという事だと婆やは言っていました。

「「行ってらっしゃいませ」」

 父様を見送った後は、私はお勉強の時間です。

 家庭教師の先生に国語、算数、社会について教えてもらったり、母様に柔術の稽古をつけてもらったりしています。

 実は母様、柔術の達人です。

 有名な柔術家であるトモエ ジゴロウ様の直系で幼い頃から柔術を習い、今では敵う者無しと言われるほどだとか。

 母様はいつも「私はそれほどでは無いわよ」と言っていますが、一度も勝てていない私の1番の目標であることには違いありません。


 そんな何気ない家族の日常。

 いつまでも続くと思っていた幸せ。

 それは本当に簡単に失われました……。



 ある日、私は揺れを感じて目を覚ましました。

「婆や?」

「アズキお嬢様、起こしてしまいましたか? 申し訳ありません」

 私が気付くと婆やに背負われている状態でした。辺りはまだ薄暗い時間です。

 何が申し訳ないかよく分からない私が目を凝らすとそこは森の中でした。

「ここはどこ? どうして森の中にいるの?」

 鬱蒼とした森の中で佇む婆やに声を掛けます。

「お嬢様、落ち着いてお聞きください。お屋敷で魔虫が発生しました。街は大混乱です。私は、奥様の指示のもとヒガシナカの街を脱出しイチジマの街を目指しています」

「お屋敷で魔虫? 何かの間違いではないの?」

 私は婆やの言葉が信じられませんでした。

 魔虫が発生するという事は、禁忌とされている科学の研究をしていたということです。

「父様か母様が禁忌を犯したというの?」

「残念ながら詳しい事は分かりません」

 私の問いに、婆やはただ力無く首を振るだけでした。


「今はただ少しでも早くイチジマの街に行く事です。奥様はただ、それだけを願ってお嬢様を送り出したのです」

「母様は、どうされたのですか?」

「奥様は残られました。住民の避難の指揮を取るとおっしゃって」

 母様は残られたのね。

 いつも民を思っている母様なら当然の選択ですね。

「分かりました。それなら急いでイチジマの街に向かいましょう。私も歩きます」

 早くイチジマの街に行って救援を呼ばないと、もうすでに出ているとは思うけど。

 私は急いで歩こうとするのだけど方向が分かりません。

 迷っていると婆やが困った顔をしています。


「婆や、どうしましたか? どちらに向かうか教えてください」

「お嬢様、お待ちください。今は、ここを動けません。迎えが来るのを待っていますので」

 迎え? と不思議に思いましたが、確かに婆やが自分からこんな森の奥に入って来るはずがありません。

 何か理由があるのだろうと納得することにしました。

 理由は全く分かりませんが……。

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