【後日談】織衣、部屋を片づける。 (『C.S.T.』)
『C.S.T. 情報通信保安庁警備部』1~3巻(KADOKAWAメディアワークス文庫)の後日談。
盛大に本編のネタばらしをしています。
***********************
隊長室は副隊長の
結婚が決まったときには、彼女の部下である女の子が
「有機系のごみはないから、大丈夫です!
聞けば、彼女ともうひとりの寮暮らしの部下が、二週間に一回、交代で自発的に寮の織衣の部屋を片づけていたのだという。織衣からは、お礼に使わないデバイスをもらっていたらしい。
「だって、シルクのワンピースとか麻のスカートがジャンクの上で地層になってるんですよ! ああああ! って思いません!? それに、あんなにきれいな顔で、部屋がめちゃくちゃなの、なんか、キュンって……」
胸に手をあてて熱弁をふるっていた彼女を思い出し、部屋の入口で御崎はつぶやいた。
「なるほど」
仕事部屋がほしい、という織衣の希望で、家族寮ではなく部屋数の多い一般のマンションを借りた。
引っ越しの当日、彼女の荷物は服とマシン関係、あとは身の回りの品がわずか、といった具合だった。
ところがどうだ。入居してまだ二週間。なのに八畳の仕事部屋は、半分が箱で覆いつくされ、工具やらマザーボードやら、作りかけのPCやらが散乱している。そして、箱やPCの間に、美しい刺繍のワンピースや花柄のブラウスが引っかかっていた。よく見ると、ネックレスや髪飾りまで。
まず、どうしてここに服があるのか不明だ。クローゼットは寝室にあるのに。
まだ織衣は帰ってこない。
部屋を見渡し、御崎は眉を寄せる。
「おかしいな、全然キュンとしない」
◇◆◇
翌日、勤務中にトイレで用を足していると、副隊長の
オールバックに撫でつけた髪に、細身ながら鍛えているのがわかる長身。
四十を越えているはずだが、殴り合っても勝てるかどうかわからない。
「お疲れ様です」
挨拶しながらも、緊張する。
そんなことはないとわかっているのだが、ヤクザ映画なら横から無言で発砲されて殺されている場面だ。
重々しい口調で、副隊長は言った。
「冬でも暖房が効いてるから油断できん。そろそろなんとかしろ」
そんなわけで、昼休憩を半分で切り上げることになった。
後輩の
約束の時刻に七分遅れて、
長い付き合いだ。当然、御崎は浅井が二十分遅れてくることを想定して時間を伝えていた。
「やっほー! 緊急の用件って何? もー、あと一軒、シュークリームも買いたかったのに並んでる途中で抜けてこなきゃいけなくなったじゃん!」
半休を取っていた彼は、洋菓子店のものらしき紙袋をあちこちにぶつけ、文句を言いながら、自班の島へやってくる。
フリーアドレス制のはずなのに、御崎たち第五班だけ席が固定になっていた。
もちろん、片づけない浅井のせいだ。机の上がごみの山になっている。
今に始まったことではないが、秋に黒いあの虫が出てから、相模と丸山は神経質になっていた。
「やっほーじゃねえよ! 今日こそ片づけさせるからな! 終わるまで帰れないと思え!」
御崎が言うと、浅井が思いきり顔をしかめた。
「ええええ~。そんなことのために呼びだされたの? ごみくらいで人は死なないよー!」
不満を表明したいのはこっちのほうだった。
能力があるのはわかるが使いこなせない、というのが歴代の上官たちの浅井に対する悩みだった。浅井をコントロールしているというだけで自分の評価は底上げされている。
しかし、「ごみを片づけなさい!」と言うのは同僚の仕事ではないのではないか。
職場での挨拶は「やっほー!」じゃないとか、勤務中に大量の菓子を食うなとか、上官には敬語を使えとか、他人のスペースにまでごみを積むなとか。
注意しなければならないことが多すぎて、逐一細かいことを言うのが面倒くさくなっている。だめな子育てのようになっていた。
「これなんか、明らかなごみじゃないですか。ここに溜めておく必要ないですよね? どうせ捨てるんだから、その場でやればいいのに!」
チョコレートの包み紙を指さして、丸山が憤然と言う。
職場で最も根気強く浅井に注意しているのは彼だ。
黒い虫騒動のあと、彼はこれ見よがしに浅井の席のすぐ脇に巨大なダストボックスを取りつけた。効果はまったくなかったが。
浅井は腕を組み、もっともらしい顔を作って言った。
「うーん、デスクからダストボックスまでのこの距離ね。ささいなようで、積み重なると結構な労力になるんだよねえ。でもこうやってある程度溜めてから捨てると、『面倒だなあ』が一度で済むでしょ。僕はバッチ処理を実生活で再現してるわけ」
「何がバッチだ! それだけ菓子食ってたらエネルギーありあまってるだろ。へりくつ言ってねえでさっさとやれ!」
萩谷のスペースにまでクッキーの箱がはみ出している。
御崎がそれを浅井に向かって投げつけると、浅井がふてくされた。
「わかったよ、もう」
浅井の手が丸山からごみ袋を奪って広げ、一気にごみの山を覆う。
「ああっ、ぼくのフィギュアまで!」
「あれっ!? それ、この前、
萩谷が騒ぎ出し、丸山がごみ袋から自己啓発本を救出しようとして、ひと悶着。
御崎はため息をついた。
身近に汚部屋製造者がふたりもいる。
浅井も織衣も、無駄の一切ない美しいコードを書くのに。
少なくとも自己啓発本のタイトルは嘘だった。
◇◆◇
毎晩、二十一時にホームマネージャーとのミーティングを設定している。
東京都の明日の天気、公共交通機関の遅延状況、近々やってくる各種の締め切りの予定。
老執事を思わせる渋い音声が、それらをアナウンスしたあとで、買い物のプランを伝達しはじめる。
〈冷蔵庫内の牛乳の在庫が残り1になりました。卵の残りは2。洗濯用洗剤の残りは136ml。ストアに発注します。他にご入用のものは?〉
風呂上りにソファに腰かけ、オットマンに足を置いていた御崎は、しばし考えてから口を開いた。
「缶ビール三本。前回と同じやつ」
バスルームのほうで続いていたヘアドライヤーの音が止まり、織衣の声がする。
「小豆缶一つ。前回と同じもの」
ホームマネージャーが銘柄を確認し、発注手続きしたことを告げる。
「俺、明日は帰り遅いよ」
リビングにやってきた織衣に言った。
明日はぜんざいを作ってやれないよ、の意味だった。
入居物件を決める際、彼女は「料理はできないし、するつもりもない」と言って、キッチンスペースをつぶそうとした。自炊できる御崎が止めなければ、キッチンはマシンの陳列棚になっていただろう。
「自分で作る」
クッションを御崎の腿の左に置き、織衣が言う。
彼女は、青いベルベットでできたナイトウエアを着ていた。
「え、大丈夫か?」
不安になって訊いた。
生活必需品の管理・発注をしてくれるマネージメントシステムを購入したのも彼女。御崎が止めなければ、家政婦を雇っていたと思う。
彼女は、不得手なことは全部金で解決すればいいと考えている節がある。
当然、引っ越してきてから、一度も料理をしたことがない。
「大丈夫。この前作ってもらったときに、手順を記憶ファイルに残したから。その通りにやる」
「電気鍋使えよ。危ないから」
「うん」
素直に返事をして、織衣が御崎の左腿に頭を置いた。
毛布にくるまり、そのままロボット工学の本を開いて読みはじめる。
乾かしたばかりの薄茶の髪を、御崎は指ですいた。
髪は温かくて、指の間をなめらかにすべった。
男の膝枕は気持ちがいいのだろうか。ほとんど筋肉だし、硬いばかりだと思うのだが。
謎だったが、クッションで高さ調整してまで毎晩頭を載せてくる。
自分から甘えたりくっついてきたりすることがまれなので、うれしくはある。
髪から頬、首筋へ手をすべらせる。
ナイトウエアの襟ぐりに手を入れようとしたら即座に手を叩かれたが、怒っている様子はない。
「仕事部屋、片づけるの手伝おうか?」
それとなく、話を振った。
織衣が本に指をはさみ、目を上げた。
「どうして?」
「邪魔だろ、あんなに段ボールあったら。中身入ってないし、捨てれば?」
「まったく気にならない」
あっさり言われてしまった。
再び本に目を落としてから、織衣が付けたす。
「……でも、御崎が気になるから片づける」
意向を尊重してもらえるのはうれしいことだった。
基本的に散らかっているのは仕事部屋だけだし、彼女なりに気をつかってはいるのだろう。
「じゃあ、明後日、帰ってきてからやるか」
「明日、自分で何とかする。休みだし」
手伝いなしで片づけられないようでは、習慣として定着しない。継続できるシステムをつくらなければ。
そんなようなことを織衣は言った。
さすが、出世頭は言うことがちがう。
感動した。
◇◆◇
感動した――のだが。
翌日、遅くに帰ってきた御崎が見たのは、箱で半分覆われた仕事部屋の入口だった。
「あのー……箱、増えてない?」
ぜんざいを夜食にしながら、御崎は横目で仕事部屋を見る。
「たいしたことじゃない。大事の前では些末なことだ」
口の端を上げて、織衣が言う。
「食べ終わったら、見てほしい」
テーブルの向かい側で、彼女は声を弾ませる。
心なしか、頬が上気していた。
情保学校からの付き合いだ。この時点ですでに予感していた。
ふだん表情の薄い彼女のこういう顔を、何回か見たことがある。
演習中、自作のマルウェアで既存のウイルス対策ソフトを全部無効化したときとか、迎撃ソフトを作って浅井のマルウェアを返り討ちにしたときとか……。
「……ひどくなってないか……?」
仕事部屋に入った御崎は、もう一度訊く。
織衣の返答は変わらず、「たいしたことじゃない」。
箱が二倍に増え、ビニールシートの上に電子カラムや基盤、工具が散乱している。
なぜか部屋を三等分した中央の部分だけがぽっかりと空いていた。そこだけ丁寧に防音マットが敷かれている。
左右の壁際に一台ずつスタンドが設置されていて、車両型のロボットらしきものがあった。充電中なのか、小さなランプが点滅している。
「まずこれは、デフォルトのフォークリフトタイプ。設定した範囲の物体を回収して一か所に集めてくれる」
箱にプリントされた写真を指さして、織衣が嬉々として説明を始めた。
ロボット作成のキットだ。パーツもプログラムもカスタマイズできるのが売りだった。
結局買わずじまいだったが、御崎も発売当時は心が動いた。いくら苦手だと言っても一般人に比べればプログラミングはできるし、単純に工作が好きだからだ。
「デフォルトのパーツだと、下にパレットを敷いたものじゃないとフォークを刺して運べない。フォークをこのちりとり状のプレートに替えて、床から直接すくいあげる形にした」
織衣が耳につけたビーンズで指示を出したらしい。左側の壁に置かれていたロボットが動きだす。
床に放置されていた段ボール箱にぶつかると、プレートが箱を押して進む。右側の壁とプレートに挟まれて浮いたのか、ようやく箱がプレートの上に載る。
箱を持ち上げたロボットは後退して方向転換し、再び左側の壁へ。箱の積まれたエリアにやってくると、カラムを伸ばしプレートを傾けて箱を重ねる。
「本体が小さい分、高さが出ると不安定だな。二段積みが限界だ」
御崎は言った。ちょっとわくわくしてしまった。
「うん。長いカラムに替えてみたけど、三段積みできる高さにすると、ひっくり返ってしまう。本体のサイズを大きくすると、圧迫感が出るし……。パレットなしだと箱を持ち上げるのに手間取るのも難点だ。ここは改良の余地がある」
「……パレット敷くくらいなら手で片づけろって話だしな」
言いながら、御崎はカッターナイフで段ボール箱を解体し、次々に畳んでいった。
あっという間に五つの箱を畳めた。
たぶん、この部屋の段ボール箱を全部つぶしたとしても、十五分はかからないのだ。服を片づけるのも十五分。パーツ類の片づけは手がかかるかもしれないが、それでも三十分といったところだろう。
「服の片づけのほうが進んだ。これで部屋にある服は一掃できる」
織衣が言うと、右側の壁にスタンバイしていたロボットが動き出した。
横から見ると「6」の字を左右ひっくり返したような形をしていて、前方へマジックハンドのような形状のアームが伸びている。段ボール箱エリアに向かって進行すると、箱の上にひっかかっていた水色のワンピースをつまみ上げる。そして、ワンピースを吊り下げたまま部屋を横断し、壁際に設置されたバスケットの中に服を落とした。
「ビーンズの視覚データを使って服の色柄を登録しておくんだ。認識した服をアームにひっかけて運べる」
御崎の顔を見上げ、織衣は目を輝かせた。
「収納まで自動でやれるようにしたい。ハンガーに服をかける作業は複雑だから難しいだろうが、服の数もそこまで多いわけじゃない。形状を登録しておけばやれるようになると思う」
御崎はまじまじと織衣の顔を見た。
驚いていた。
そこまでして自分で片づけたくないのか……!!
◇◆◇
「おはようございまーす!」
三日後の朝、御崎は廊下で山上みちると出会った。
ゆるやかに波打った栗色の髪に、目鼻立ちのはっきりした華やかな顔立ち。
彼女はいつもどおり朗らかに挨拶しながら、愛想を振りまいている。
「おす」
「よっ」
同期の気安さで短く挨拶を交わし合う。
「……」
「……」
ふいに訪れた沈黙に、山上が眉をひそめた。
「……やだ、どうしたの? 息するみたいに吐いてたセクハラは?」
「俺も既婚者になったから自重してるんだよ」
山上の憐みの目。
「あんた、マジでセクハラ以外に会話のネタがないのね……」
「うるせえな……今日、帰り遅いか?」
「予定では残業なしだけど」
「飲みに行こうぜ。浅井と三人で」
歯切れ悪く、御崎は誘った。
「ちょっと相談したいことがあるんだよ」
「なんの話?」
「いや、俺の奥さんの話だけど」
織衣の「片づけ」熱はどんどん上がっていった。
ロボットは自動で段ボール箱を見つけ出して運び、部屋の隅に積み上げる。服を部屋の中から探しだし、つまみあげ、バスケットに回収する。
服をハンガーにかけるのがやはり難しいらしい。
既存のパーツではうまくいかないようで、専門外なのもあって苦戦しているようだ。
織衣は改良に夢中だった。
仕事から帰ってくると仕事部屋にこもり、風呂上がりの膝枕も当然なし。御崎が「もう寝ろ!」と寝室に強制連行するまでPCに張りついている。
一時間で済むことが、ものすごい大がかりなことになっていた。
このままだと、家の中がロボットだらけになる。織衣も、夫である自分よりPCやロボットと仲良し。なんとかしなければならなかった。
しかし、山上は「お手上げ」のポーズをして言った。
「新婚のノロケなんてお金もらっても聞きたくないわ~! それにほら、お誘いがね、あるかもしれないし……」
「どうせマゾ隊長だろ。おい、デキてるって部長にチクるぞ。配置換えされろ!」
言うと、いきなり山上の手に首をつかまれた。
笑顔のまま喉仏をつぶそうとしてくる。
「あたしにだって幸せになる権利があるわ」
微笑んでいるが、彼女が言うと冗談に聞こえない。
男運の悪い女に幸あれ。
◇◆◇
「あんた、なんでそんなに弱気なのよ。チンピラみたいな服着てるくせに」
仕事帰りの居酒屋。
黒地に風神雷神がプリントされた御崎のシャツに目をやり、山上があきれたように言う。
「服は関係ねえだろ……」
「単純に、お前のやり方はアホだって言えばいいじゃない」
「無理」
「なんでよ」
「……ロボット作ってるの可愛いから」
「あたしもう帰っていい?」
枝豆をつまみながら、山上が肩をすくめた。
「まあ、素直に『うん』って言っただけマシじゃないの。あの子、あたしが部屋片づけろって言ったとき、『ほかに優先すべきことがある』で済ませたからね」
基本的に織衣は山上に対して従順だから、よほど片づけしたくないのだろう。
「えー? えー? おかしくない?」
居酒屋で真っ先にチョコレートパフェを頼む男・浅井が口を開く。
「
浅井にしてはまともなことを言う。
「そうなんだよな……。それはわかってるんだよ。でも、片づけろって言ったら、普通、手でやるだろ。ロボット作りはじめるとは思わねえよ……」
御崎は頭を抱えた。
御崎の要望に応えてのロボットなのだ。
たしかに「手伝いなしで継続できるシステム」なのだ。
しかも、彼女はめちゃくちゃはりきっている。
「いいじゃん、ロボット。ヴィータ社のカスタムキットでしょ。僕もやってみたい。急にお菓子食べたくなったときとかさあ。電子マネーで先払いできたとしても、すぐに食べたかったら商品そのものは自分で取りに行かなきゃいけないじゃない。ドローン配送も結局定着しなかったし。受け取りだけなら、自作ロボットでもできると思うんだよねえ」
口の周りにクリームをつけながら夢見るように浅井が語る。
山上が御崎に顔を向けた。
「織衣も同じようなこと言うからね! 『手段に指定はなかった』とか言うから! コストの問題で攻めないとダメよ」
◇◆◇
「ただいま」
織衣が帰ってきた。
ふわふわしたベージュのニットワンピースに白いコートを重ねて着ていて、汚部屋出身にはとても見えない。
「おかえり」
織衣は洗面所で手洗いうがいをしている。
リビングにいた御崎は、仕事部屋に直行しようとした彼女を、押しとどめた。
「先に風呂入って」
「? わかった」
いぶかしげな顔をしつつも、彼女は素直にしたがった。
織衣が脱衣所に入って三十秒数え、御崎は戸を開けた。
「あのさ、」
「!」
ワンピースを脱ぎかけていた織衣がぎょっとした。とっさに戸を閉めてくる。
「痛い痛い痛い! 手挟んでる! 開けて!」
「いやだ! いやらしいことしようとしてる!」
「いや、あの、俺たち結婚してますよね?」
「許されるなら通報したい」
「そこまで!?」
手を引き抜くと、ぴったり戸を閉められてしまう。
「……」
「……」
御崎は無言で待った。
五秒くらいして、そろりと内側から戸が開く。
織衣が左半分だけ顔を出して、御崎を見た。
御崎が右手で「開けろ」の仕草をすると、そろそろと戸が開く。
「ビーンズ外して」
御崎に言われて、織衣が左耳につけていた端末を外す。
「はい、ここ。次は髪のやつ」
壁のフックに端末と髪飾りをかけさせる。
「ワンピース脱いで。見ないから」
背中を向けて言う。
「脱いだらそこのハンガーにかける」
金属のぶつかり合う音がした。
「服かけるのに何秒かかった?」
「……五秒くらい」
「ロボットいらなくない? 風呂出るときに、持ってクローゼットにかければいいし。お前が忘れたら、俺が運ぶし」
「……」
しばらく観察していてわかったが、彼女は物の置き場所を決めておらず、その場に何も考えずに置いている。「ここに置いておくのはよくないな」と思ってたまに服やアクセサリーを脱衣所から運びだすのだが、クローゼットには持っていかない。ハンガーにかけるのが面倒くさいのだろう。全部仕事部屋に放り込んでいた。
「段ボール箱をすぐ畳む」はややハードルが高いが、「脱いだ服をハンガーにかける」という行為は五秒で終わる。それだけでロボット一台の出番はなくなるのだ。
ちらりと後ろを見ると、織衣はスリップの上からバスタオルを巻いていた。腕の外側から巻いているので、てるてる坊主みたいになっている。
向き直った御崎を見て、彼女は口をへの字にしていた。
彼女が理論武装を始める前に、御崎は言った。
「何でもかんでも金と技術で解決しようとするの、よくないと思うぞ」
織衣がむっとした。
「金銭と技術以外に何があるんだ」
「……あ、愛」
「……?」
織衣は目を瞬かせて、御崎を見た。
本気でぽかんとされてしまった。
「服は五秒で解決。段ボールも、畳むとこまで入れても十五秒だろ。ロボットもプログラミングもいらない。浮いた時間は俺に構って!」
そこまで言うと、ようやく織衣は気まずそうな顔をした。
この一週間、PCに張りついてまともに会話していないことに思い至ったらしい。
それに彼女は、コストパフォーマンスの悪さを指摘されれば反論できないのだ。
「……わかった。ロボットはあきらめる」
声を落として、織衣は答えた。
あんまりにもしょんぼりしているので、胸が痛んだ。
実質的に、友人関係からいろいろとすっとばして結婚したようなものなので、衝突もすれ違いも倦怠も経験していない。
生活の仕方も価値観も、すり合わせていくのはこれからだった。
髪を乾かす音がしたあと、リビングに織衣が戻ってきた。
黙って、御崎の腿の左にクッションを置く。
腿に頭を載せて、毛布にくるまってから言う。
「……一週間、毎日服をハンガーにかけたら、あんまんを買ってほしい」
御崎は乾かしたばかりの薄茶の髪を撫でた。
「饅頭も最中も買ってやるよ」
彼女はあんまんくらい、自分でいくらでも買えるのだ。これも甘えなのだろう。
続けて織衣は小さくつぶやいた。
「ロボット作りたかっただけかもしれない」
素直さに胸を打たれてしまった。
「うーん……」
しばらく考えたあと、御崎は思いついて言った。
「じゃあ、フォークリフトの方、あれは俺にくれ。ちょっと改造してから」
◇◆◇
「あああ、ぼくのチョコレートは? クッキーは? 今日食べようと思って残しておいたのに……!」
出勤した浅井が机の上を見て悲愴な声を上げる。
「朝五時でリセットするって言っただろ」
御崎が冷淡に言い、丸山が笑った。
「ロボットは遠慮しませんからね」
壁際のスタンドで、ロボットは充電中。
御崎か丸山が帰りにロボットを机の上に上げておく。
午前五時にロボットは、取り付けられたちりとり状のプレートで机の上にあるものをすくい上げて運び、テーブルの一辺から下のダストボックスへ落とすのだ。
センサーが正常に機能しないとロボット自体が机から落ちて壊れるが、今のところ無事である。
丸山が勝手に片付けると文句を言う浅井だが、ロボットの機械的な動きには何も言えない。
ダストボックスの中にちらばった菓子の残骸を見て、浅井が涙目になる。
恨みがましい目で御崎を見た。
「ひどい……金と技術で解決した……! 織衣にはよくないって言ったくせに」
御崎は言う。
「お前と俺の間に愛はないからな」
〈了〉
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