【後日談】ショートヘアになった理由 (『成巌寺せんねん食堂』)

『成巌寺せんねん食堂 おいしい料理と食えないお坊さん』(KADOKAWAメディアワークス文庫)の後日談。

盛大に本編のネタばらしをしています。


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 水曜日の夕方、本を返しに成巌寺へ行った。


 千束ちづかが東京から戻ってきて一週間。

 四月も終盤に差しかかろうとしていた。

 春の遅い地方だ。山門へ続く石段の脇には、まだ八重桜が咲いている。

 伽藍は黒を基調としたシックなものだが、常になにかの花が咲いて境内に彩りを添えていた。

 石段を登り、山門を抜けて。

 いつもどおりに檀信徒会館の図書室に行くと、先客があった。

 墨染の衣に絡子をつけた隆道たかみち、そして小学校低学年と思しき子どもたち。

 そういえば水曜日はお寺の書道教室の日だった、と気づく。


「こんにちは」


 千束が言うと、六人の小学生たちは口々に挨拶を返す。

 人懐っこそうなポニーテールの女の子が、好奇心をむき出しにして訊いた。


「だれですか」


 そのストレートさに千束は苦笑する。


「せんねん食堂の千束です。ヒロくんのお姉さんで、隆道りゅうどう先生の同級生」


 ここで生まれ育った千束にはよくわかる。

 参詣客は毎日のようにやってくるが、田舎の常で、生活空間に知らない人がいることなんてめったにないのだ。


「知ってる! 赤ちゃん産んだんでしょ」

「それはヒロくんのお嫁さんのサリちゃんね」

「何歳?」

「わたし? 三十二歳」

「赤ちゃん見にいっていい?」

「どうかな。サリちゃんに訊いてみるね」


 子どもたちは、好き勝手に話しかけてくる。

 脈絡がないうえ、順番を待つということをしないものだから、ふだん子どもに接しない千束は面食らってしまう。

 隆道は、我関せずといった様子で、子ども向けの本をめくっている。

 さっきのポニーテールの女の子が千束のスカートをそっとひっぱった。千束の顔を見上げて、うっとりと言う。


「お姉さん、きれいだね」

「ありがと」


 千束は笑顔を返した。

 さすがに自分が美女じゃないことくらい、理解している。

 彼女の見ているのは、「記号」のようなものだ。

 巻いた長い髪に、襟ぐりの開いたニットや、フューシャピンクのスカート。田舎ではふだんからこういう格好をしている人間がいないので、それだけで錯覚してしまう。


「うんすごい美人!」

「女優さんみたい」


 我先にとお世辞を言い始める女の子たち。


「ふふふ、もっと言っていいよ!」


 千束が気を良くしていると、男子小学生がひねくれた顔でつぶやいた。


「おばさんじゃん」


 千束は即座に彼の後ろ襟をつかみあげる。


「お姉さん聞こえなかったから、もう一度言ってくれるかな?」


 男の子が怯えた顔をして、隆道が苦々しげに口を開く。


「やめろ、大人げない」


 千束をたしなめてから、彼は部屋の隅に目をやった。

 はしゃぐ子どもたちから離れたところで、三つ編みの女の子がもじもじしていた。


「エミ」


 名前を呼ばれ、彼女は隆道のもとに駆け寄った。

 隆道が身をかがめ、本を開いて何ごとか話していた。

 頬を紅潮させて何度もうなずいていた彼女は、貸し出しノートに名前とタイトルを書きはじめる。


「さようなら」

「さようなら」


 習字道具のバッグと手提げ袋を手にして、子どもたちが帰っていく。

 大事そうに本を抱えたエミという女の子を見て、千束は思う。

 性格はともかく、顔と声はいい大人の男。その彼が自分のために毎回本を選んでくれるのだ。自分が小学生だったら絶対好きになってしまう。


  □■□


 本棚に、なつかしい本を見つけた。

 「アリーテ」という女の子を主人公にした冒険ファンタジーシリーズの新装版だった。

 すでに隆道から、観光地のマーケティングに関する本五冊を借りている。

 隆道が家まで運んでくれるというので、さらに『アリーテ』シリーズも全巻借りていくことにする。


 山門からは、街並みと暮れなずむ空が一望できた。

 藍から薄紫、淡いピンクへとグラデーションを作る美しい西の空。


「ファンタジー、なんでだか読まなくなっちゃったけど、小学校のときはすごく好きだったんだよね」


 石段を降りながら。千束は言った。

 『アリーテ』シリーズは確か、隆道に勧められた本だった。小学五年生の夏休み、夢中になって全十巻を読破した。


「同じ髪型にしてたな」

「ああ、そうだった、そうだった。アリーテの真似してたの」


 隆道の言葉に応じながら、ちょっと恥ずかしくなる。

 今は髪を胸下まで伸ばしているが、小学校五年生から高校三年生まで、千束はずっと髪を短くしていた。

 おかげで、小中学生のころ、男子からは「ヅカ」と呼ばれていた。

 「ちづか」の「づか」でもあるが、宝塚歌劇団の「づか」でもある。ものを知らない田舎の男子どものことだ。「男役も女がやる」→「男みたいな女」という図式だったのだろう。

 しかし、千束はまったく気にしていなかった。

 最初に髪を切ったとき、隆道が「アリーテに似ている」と言ったのだ。当時は彼のことを何とも思っていなかったのだが、素直にうれしかった。

 どうやら隆道はショートヘアが好きらしかった。

 中高生時代も、髪を切ったときには必ず気づいて褒めてくれた。彼が千束を褒めるのは、そのときだけだった。

 だから髪を短くしていたのだ。

 なんという乙女心よ……!

 今となっては、恥ずかしさに身もだえしたくなってしまう。


「じゃあ、また明日の夜、ミーティングで。ありがとう」


 せんねん食堂の裏、遠藤家の玄関前まで来て、千束は手を出した。


「千束」


 本の入った紙袋を差し出し、おもむろに隆道が名前を呼んだ。


「前にお前が着ていた虎の服はよかったな」

「は? 虎?」

「うちに家出してきたときに着ていた」

「家出……? あ、サリちゃんのやつね」


 リアルな虎がプリントされた黒のスウェット。元ヤンキーの義妹から借りたものだ。

 自分では絶対買わないし着ないけど、確かに着心地はよくて楽だった。

 しかし、あれは人に褒められるような服だろうか……?

 釈然としない千束にかまわず、隆道が続けた。


「昔の短い髪も似合ってた」


 まっすぐに目を見て、真顔で言う。


「あ、ありがと」


 うろたえつつ、千束は答えた。

 十四歳のころ、優しくされて好きになってしまった。そのときのときめきがよみがえりそうになった。

 危なかった。 

 うっかり、相手がストーカー男だということを忘れるところだった。


   □■□


 千束が髪を伸ばしはじめたのは、高校三年生の秋。

 ある事実に気づいたのがきっかけだった。


 小中学校時代の同級生に、きれいな女の子がいた。

 ユウカという名前の、おとなしく無口な女の子だった。

 濃いまつげの落とす陰や、量の多いボブヘアからのぞくうなじに、たびたび見惚れた。

 ところが、不思議なことに、彼女を美人だという同級生はいなかった。

 当時、男子のマドンナだったのは、マユナという女の子だった。

 ストレートの長い髪をハーフアップにして、髪の上のほうをいつもきれいな編み込みにしていた。

 男子たちは本人の前では決して言わなかったものの、陰では「可愛い」「美人」と絶賛していた。

 女の子たちは「あの子、別にそんなに可愛くないよね」と言っていたけれど、それを言わせたのは100%の悪意というより、不可解だったと思う。

 マユナは確かに笑顔の優しそうな、可愛らしい女の子だった。でも、顔立ちそのものが、すばらしく整っているわけではなかったのだ。


 圧倒的な美少女や美男子なら話は別だが、人は顔立ちを単独で見ているわけじゃない。

 髪型だったり、服装だったり、話し方だったり。「美人の記号」「美男子の記号」のようなものがいくつかあり、その組み合わせで人は美人かどうか、美男子かどうかを判断しているようなのだった。

 保守的な田舎だったので、その傾向は特に強かったのだろう。

 それに気付いたのは、高校三年生の秋。

 なるほどなあ、と思った。

 もうすぐ大学生になることだし、と試しに髪を伸ばしはじめた。

 隆道が「髪を切らないのか」とたびたび言ってきたが、無視。

 彼のことを嫌いになったわけじゃないけれど、自分と彼が恋仲にならないだろうことは理解していた。もう彼のショート好きに合わせる必要もなかった。

 そして、結果は案の定。

「可愛げがない」と言われ続けた性格に変わりはなかったのに、大学に入ると、男性からの扱いが明らかにそれまでとは違っていた。

 恋人も早々にできた。隆道には「ゴリラ」と評されたが。


□■□


 『アリーテ』シリーズ三冊を読破して迎えた翌日。

 店の休憩時間、千束は買い物に出かけた。

 祖父と父の晩酌用の日本酒がなくなったので、買ってきてくれと頼まれたのだ。

 お酒を買うのは、安藤酒店。

 これはもう、千束が子どものころから決まっている。同級生の家だ。商店街の中の義理のようなものである。


「せんねん食堂の千束ですけど」


 名乗ると、店先で商品の入れ替えをしていた同級生はきょとんとした。


「……えっ、ヅカ? マジで?」


 十年ぶりに会う千束を見て、目を丸くする。


「ヅカって呼ぶな。いつものちょうだい」


 両腕を組み、千束は言った。

 「いつもの」が何か千束は知らないのだが、店にはこれで通じる。


「お前、本当に女だったんだな……」


 酒屋の跡取り息子は、会計を済ませてから、まじまじと千束を見てくる。

 今日はウエストをしぼったグリーンのワンピースを着て、ヒールの高いパンプスを履いていた。


「ケンカ売ってる?」

「いや、売ってません。美人だったんだな、って言ってんの」


 三十を超えると、そういうお世辞も言えるらしい。

 小中学生のときには絶対に言わなかったのに。


「アリガト。美人なら半額にしてもいいと思うけど?」


 無感動な千束の謝辞に、同級生が苦笑する。


「性格は変わんないのな……。ああ、でも隆道が正しかったのか……」

「何それ?」

「小学校のときの話だよ」


 彼は語った。

 小学校五年生の宿泊学習のとき。

 こういうイベントのお約束で、夜、男の子たちは「女子の中でだれが可愛いか」という話をしていた。

 風呂から戻ってきた隆道に訊いたところ、彼はしばらく考えるようにしてから答えた。


「ユウカ。性格抜きにしたら千束」


 それまで満場一致で「マユナ」だったので、「隆道はしゅみが悪い」ということになった。

 隆道はあれっという顔をしたものの、特に反論はせず。それ以降も、同じ問いを投げかけられるたび「ユウカ」と答え続けた。

 なぜか千束の名前はそれ以降一度も出てこなかった。


「お前の名前が出たのは一回きりだったけどさ、よく覚えてるよ。めちゃくちゃ意外だったから」


 同級生の彼は無邪気に言った。


「いやー、隆道は見る目があったんだなー。ユウカも、同窓会で会ったとき、すげえ美人になってたしさー」

「……小五の宿泊学習って何月だった?」


 千束は声を低くして尋ねた。


「えー? よく覚えてないけど、夏休みに入る前じゃなかった? 六月の終わりとか、七月とかさ」

「……」


“そうそう、ユウカは美人だったよね!”


 とか


“性格抜きにしたら、って何だよ!”

 

とか、思うことはいくつかあるが、それどころじゃない。

 恐ろしいことに気づいてしまった。


 『アリーテ』シリーズを隆道が薦めてきたのは、宿泊学習の直後だった。


 彼はショートヘアが好きだったわけじゃない。

 小学校五年生の時点で「記号」の存在に気づいただけだ。


   □■□


 寺で飼われている猫たちが、寺務所前に集合していた。

 黒、ブチ、キジトラ、三毛。方々で竹筒に入った餌を食べている。

 作務衣を着た隆道は、むしろに座り、膝にのった三毛猫のブラッシングをしていた。猫は嫌がりもせず、目を閉じて身を任せている。

 石段を登ってきた千束は、つかつかと近寄り、口を開いた。


「あ、あんた、わたしがモテないように仕組んでたでしょ! 小学五年生のときから!! しかも、現在進行形でまた同じことやろうとしたね!? ヤンキースウェット着せて!」


 興奮のあまり声が上ずる。

 隆道は千束を見上げ、眉をひそめた。


「何の話か知らんが、モテないことを人のせいにするな。見苦しい」

「いや、あんたはやるよね? わたしが東京の大学行ったのも、リノベーションの

会社に入ったのも、こっちに戻ってくることになったのもあんたの誘導じゃないの!」


 褒められて喜んでいた自分が恥ずかしい。

 こいつがわたしを褒める時点で、おかしいと気づくべきだったのに!


「どうして小細工するのよ! わたしのことが好きだってひとこと言えば済む話でしょ!?」

「妄想を事実みたいに話すな」


 隆道はしらばっくれているが、千束はもう知っている。

 彼は昔から自分のことが好きだし、今だって自分に新しい恋人ができるのは我慢ならないのだ(付き合うつもりはないくせに!)。

 恋なんて可愛らしいものじゃなく、もはや妄執。

 だいたい、好きなら何をしてもいいわけじゃないだろう。


「何でもかんでも自分の思い通りにしようとして! 仏教の出発点って、一切皆苦いっさいかいくでしょ。この世のすべては思い通りにならない、ってことでしょ! 何かを思い通りにしようって考えがよくない、っていうのがお釈迦さまの教えなんじゃないの!?」


 千束がまくしたてると、ふいに隆道が立ち上がった。

 

「そんなことは俺も知っている」


 猫を抱えたまま、距離を詰めてくる。

 たじろいだ千束を見下ろし、口を開いた。


「お前が本当に俺の思い通りになったことなんかないだろ。ミステリーおたくのこともそうだし、バス通学のことも」


 まるで世界の真理を告げるような口調で、重々しく、彼は言った。

 目をまっすぐのぞきこまれて、気おされてしまった。

 隆道が背中を向ける。

 ――数秒後、千束は我に返った。逃げられた。

 遠ざかる背中に向かって反射的に声を張り上げる。


「なに開き直ってるのよ!……え、ミステリーおたくって?」

「……」

「バス通学って何!? あんた、わたしに何したの?」

「……」

「ちょっと、やめてよ、わたしの人生コントロールするの! 怖いから!!」


 怖がらせておもしろがっているのだと、わかっているのに訊かずにはいられない。

 半泣きだった。


〈了〉

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