二十話 黒夢童子
逢魔山には『黒魔神社』と呼ばれる神社が存在する。
設立は平安時代。魑魅魍魎が跋扈し、いくつもの死体がうち捨てられ、怨嗟が列島を飲み込もうとしていた地獄のような時代。黒夢童子は遙か大陸の西からこの島国へとやってきた。
目的は不明。数千の犠牲を出してここ逢魔山へと封印された。
黒夢童子は吸血鬼の王の一つである。
その能力は一般的な吸血鬼のそれとは一線を画し、無数に存在する妖魔の中でも最強クラスの怪異だ。振るう拳は山を砕き、その強力な妖気は空を割り、偉大な王として膨大な眷属を従える。人外の美しさを備えたヴァンパイアの頂点である。
故に人は恐れおののき二度と目覚めさせてはならないと頑強に縛り上げて封じた。だがしかし、その恐ろしき怪異は目覚めてしまった。
「黒夢童子の守護は国家防衛にも組み込まれてるの。もし目覚めれば日本が滅びてしまうから」
「そこまで凶悪な妖魔なのか」
「平安を悲惨な時代に変えた要因の一つ」
町を走りながら俺と詩織は会話を続けていた。
道では精神力の弱い人々が気絶している。この異常な状況を作り出しているのが逢魔山の山頂にいる黒夢童子。
「もうすぐ山の入り口が見えてくるよ」
「あれか」
山へと続く道路。だがそっちを使えば遠回りになる。
俺と詩織は山頂まで最短距離で登ることができる小道を使うことにした。
今の俺なら十分とかからず山頂まで行ける。
体上術を発動し、高い跳躍力で長い階段を飛び越えた。
「かず君、どんな攻撃が飛んでくるか分からないから鋼躰法を使って!」
「その通りだな。了解した」
もう間もなく山頂だ。
神社への入り口ではすでに黒い装甲車が何台も停車している。
俺達より一足早く駆けつけた滅魔師だろう。
山頂の大きな石の鳥居に到着すると、惨状に俺は言葉を失う。
「殺さないで、おねがいします……!」
黒の長髪の男に滅魔師の一人が、胸ぐらを掴まれ持ち上げられていた。
男は命乞いなどに興味はないとばかりに首筋に噛みつき、そのまますさまじい勢いで血液を吸い尽くす。
地面に落とされた死体はミイラのように干からびていた。
「成人した男の血は好かん」
鴉色の艶のある長髪。身に纏う薄汚れた白衣は
やけに目をひく額の二本角と紅い瞳。そして、鋭い犬歯。
それらが奴が吸血鬼であることを教えてくれた。
「和也、なぜ来た!」
「桂木!?」
俺と詩織の前にクラスメイトである桂木が守るようにして奴から遮る。
周囲には未だ複数の滅魔師が黒夢童子に武器を構えていた。
「俺も滅魔師の端くれだ。祖国の危機とあれば駆けつけるのは当然だろう」
「それはそうだが……」
「親友が死んでは目覚めも悪い」
「馬鹿野郎! 俺が死ぬかよ!」
黒い戦闘服に身を包んだ桂木は目玉が飛び出るほど驚愕する。
が、すぐに彼は笑みを浮かべて拳を突き出した。
「なんだ?」
「こういう時は拳を当てるんだよ」
「ああ、海外でよく見る挨拶か」
俺は桂木の拳に拳を当てた。
互いに生き延びることを誓う。
「我が名はリュート・バレンシュタイン。この国では黒夢童子と呼ばれているヴァンパイアの王だ。抵抗など無駄なことはせず、大人しく頭を垂れて我に血を捧げよ」
「ふざけるな!」
滅魔師の一人が斬りかかる。
しかし、黒夢童子は斬魔刀を寸前で躱し、その者の背後から首筋へ噛みつく。
この場所にもう一つミイラが作り出された。
「一人でかかるな! 仲間と連携し複数で攻撃しろ!」
桂木は指示を出していた。
名家の麒麟児というのは本当のことらしい。
次々に滅魔師の斬魔刀に力が出現。
炎、風、水、土、雷。通常ではあり得ない現象が刀から発生し、異様な光景を作り出していた。
対する黒夢童子も闇を凝縮させ一本の刀を創り出す。
「かず君、私達も行くよ!」
「ああ」
先制攻撃は俺からだ。
コルトガバメントを抜いて銀の弾丸を撃つ。
「ほぉ、この地にもようやくヴァンパイアハンターが来たのか」
銀の銃弾は黒夢童子の左肩を貫く。
だが、瞬時に傷口は塞がった。
馬鹿な。銀の銃弾が効かないだと。
「見慣れぬ異質な武器。どれほど眠っていたのかは知らぬが、今の時代はそのような物があるのだな。なかなか面白い」
滅魔師の攻撃が開始される。
奴は見えない速度で斬撃を躱し次々に切り伏せていく。
恐ろしく強い。俺から見ても拙い技術だというのに、それを驚異的な身体能力で余りあるほど補っている。
俺と詩織は二方向に分かれ挟み込むようにして攻勢をかけた。
「てぇい!」
詩織の一閃は危なげなく躱される。
だが俺は奴が来るだろう場所へ刃を振るっていた。
「っつ!?」
俺の刀が奴の頬を切る。
予想通りの回避パターンだ。
このまま追い詰める。
「
詩織の刀から炎が吹き出る。
包まれた黒夢童子はなんとかそこから飛び出した。
体から漂う白い煙。白い肌には火傷のような跡があった。
「我を傷つけるとはな。通常の霊術とは違うようだ」
「封鎖縛!」
桂木の創り出した見えない鎖が黒夢童子を縛り付ける。
すかさず俺と詩織で斬りかかった。
「このようなもの! ぬぐぅううう!」
ぶちり。鎖は引きちぎられ、奴から紫雷が放出される。
俺達は弾き飛ばされ、神社の社へと背中から突っ込んだ。
くそっ、あんな力まで使うのか。
そうだ詩織は。
「うう……かず君」
「詩織!」
彼女は無事だった。
だがダメージが大きかったのか体を起こすこともできないようだ。
恐らく俺よりも近い位置にいたからだろう。モロに喰らってしまったらしい。
「ここは」
社の中はボロボロだった。だがそれは俺達がしたことじゃない。
床には大きな穴が空き、その下の地面にも深い穴ができている。
まるで何かが中から飛び出したようなそんな跡だ。ここから黒夢童子が出てきたのだろうか。
「ぎゃぁぁああああああ!」
「桂木!」
桂木の悲鳴が響き俺は社の外へと出る。
そこでは首筋に噛みつかれた親友がいた。
「にげろ……ぎんじょう……」
「そんなことできるか! すぐに助けてやるからな!」
「はは、昔からお前は……いうことをきかない馬鹿だよな……」
どさり。桂木の死体が地面に落とされた。
「これだけ吸ってまだ半分にも満たぬとはな。永く封印された影響か」
「浄化の白を持って不浄なる魂を救済せん。この弾丸によって汝が主の御許へと導かれることを願う。ブレイクブラスト!」
銃口から白い閃光が発射される。
岬の使っていた魔術を模倣したのだ。
「防御障壁! くっ、人間のくせに我を押すだと!?」
奴は俺の魔術を見えない壁で防ぐ。
だが、ずりずりと足下が後ろへと滑っていた。
親友を殺した罪は重いぞ。俺はお前を許しはしない。
「ならば夢の中で死ね」
奴の目が輝き俺の視界が歪む。
力が入らず両膝を地面に突いてしまった。
これは……幻惑の術か…………。
俺は黒い水たまりで目が覚める。
周囲には真っ白い街並みがあった。
白い子供が目の前を走り抜ける。
ここはどこだ。俺は誰だ。
「さっさと立ち上がるキュイ」
「黙れ。そして、失せろ」
ハッとする。目の前にいる青いイルカを見た瞬間、俺は全てを思い出した。
ここは黒夢童子が創り出した幻惑の世界のようだ。
「道案内を頼めるか」
「任すキュイ」
俺はイルカに導かれ町を歩き続ける。
家の中に入ったと思えば、いくつもの扉が並んだ狭い通路に出る。そこから子供が通るような穴を通り抜け、その先にある白い森を抜け、人気のない小屋にある桶の中に入り、その先にある雪山を越え、白い草原を越え、白い砂漠を越えた先にある海辺の洞窟の中へと入った。
洞窟の奥には白い扉がありイルカはそこで動きを止める。
「到着キュイ」
「ありがとうトリトン」
「当然だキュイ。オイラはヘルプキャラクターだキュイ」
「そうだったな」
意識が戻り目を開ける。
「あぐっ……かず君は……死なせない……」
「諦めるがいい。この者が我が夢から出てくることはない。我が名はリュート・バレンシュタインにして黒夢童子、永遠の眠りをもたらす王である」
がぶり。奴は詩織の首筋に噛みついた。
俺は突然光景に動けず呆然としてしまう。
そして、詩織だった何かが地面に落とされた。
「よくも! よくもぉおおおおおお!!」
「五月蠅い」
「あぐっ!?」
「我が夢から出てくるとは驚いたぞ。だが所詮は人、ここまでだ」
奴の腕が俺の胸を貫いていた。
大量の血液が口から吐き出され視界がちかちか明滅する。
胸が熱く、鉄の味が口の中で広がった。
「しお……り……」
倒れた俺は干からびた詩織に手を伸ばす。
必ず、必ず助けるから。
【YOU DIED】
◇◇◇
白い部屋で座り込んだまま動くことができないでいた。
惨敗だ。完膚なきまでに負けた。
――黒夢童子に挑戦した回数計三十五回。負けた回数三十五回。
全戦全敗。三十五回詩織と桂木の死を目撃した。
何度やっても奴の稲妻と幻惑で隙を突かれてしまう。
それに動きについて行けていないのだ。基礎能力が違い過ぎる。
黒夢童子は今の俺に手に負える相手じゃない。
このままぶつかり続けても勝つことは難しいだろう。
それをはっきりと理解した。
何か秘策が必要だ。それに対等に戦えるだけの力が。
立ち上がって眼鏡を上げる。
考えろ。アレに勝つ方法を。
まだ自暴自棄にならなくていい。勝てる見込みは充分にある。
俺の攻撃が全く効かなかったわけではないんだ。
必死で頭をフル回転させヒントを探る。
『桂木家は霊術を得意とし、その強力な退魔によって妖魔を封じる。言わば結界のエキスパート。中でも桂木家三男桂木馬之助は才覚に恵まれ、桂木家の麒麟児とまで呼ばれている』
風花の言葉を思い出した。
そうだ、一度封印できたのだからもう一度封印すればいいのだ。もしそれが叶わなくとも、動きを封じることができれば勝つ見込みはある。実際、桂木は術で動きを止めて見せたじゃないか。
目標は定まった。桂木に助力を仰ごう。
俺は岬を助けた翌日の四月八日へと飛んだ。
◇◇◇
四月九日(火)
目を覚ました俺は時間を確認する。
まだ朝の六時だ。
スマホを取り出して桂木へ電話を掛けた。
『ふわぁ、こんな朝っぱらから何の用だよ』
「今からそっちへ行く」
『はぁ? 俺んち?』
「折り入って頼みがあるんだ」
『よく分からねぇけど、和也の頼みってんならしょうがねぇな』
「ありがとう」
礼を言って通話を切る。
桂木は良い奴だ。何も聞かず応じてくれた。
戦闘服を着込み身支度を調える。
地下ホームでバイクに乗ると、桂木家のある鶴見町を目指して出発した。
桂木家は予想を超えた大邸宅だった。
格式高い門構えに風格のある純和風のお屋敷。
敷地には立派な松の木と灯籠があり、池には錦鯉が優雅に泳いでいた。
俺は日の差し込む明るい縁側の廊下を通され、使用人らしき女性にとある部屋を案内される。
これほどの建物に入るのは初めてだ。ああ見えて桂木は金持ちだったのだな。いつも雑な弁当を食べているので少々勘違いしていた。
「どうぞ」
扉が開けられ入室する。
そこには着流しを着た桂木がいた。
いつもと違う雰囲気に少し飲まれる。
俺は机を挟んだ正面の座布団へ腰を下ろした。
「なんだよ頼みって」
「俺に霊術を教えてくれ」
僅かに後ろへ下がり床へ頭を下げた。
これが俺の誠意だ。
「理由を聞いてもいいか」
「それは言えない」
「おいおい、事情も教えずに霊術だけ教わろうなんて虫が良すぎないか。桂木家も俺も暇じゃないんだぜ」
「重々承知した上での頼みだ」
桂木は大きな溜め息を吐いた。
「まだ登校まで時間はあるな……なずなさん、お茶持ってきてくれる?」
「はい若様」
扉の向こうで若い女性の声がした。
学校では飄々としている彼だが、ここでの彼は普段では感じられない重みがあった。三大十二小家の一つである桂木家の子息としての姿なのだろう。
「その話、受けてやるよ」
「!?」
顔を上げると桂木はニンマリとしていた。
「ただしボロボロになるまでしごいてやるからな」
「そのつもりだ」
彼の突き出した拳に、俺は拳を軽くぶつけた。
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