十九話 告白
四月二十四日(水)
俺はいつものように教室で授業を受ける。
「――ふむ、なるほど。そういったものもいるのか」
本を読みながら中指で眼鏡を上げる。
現在読んでいるのは妖魔に関する書物である。この学校は滅魔師になることを推奨している少々特殊な学校だ。故に図書室でもそれに関する本が多く収められている。日数が僅かとなった現在でも念には念を入れて様々な情報を集め続けていた。
ここで多くの者はなぜ授業中にもかかわらず教科書を読まないのかと疑問に思うだろうが、それは単純に授業内容がつまらないからである。
かつて学年成績連続トップだった俺にとってこの時間は非常に苦痛だ。新しい知識を披露してくれるならまだしも、学んだこととほぼ同じ内容ではさすがに俺も不真面目になる。時間は有限だ。無駄な時間を過ごすことはできない。
しかしながらこの本はなかなか面白い。
なにせ妖魔の歴史についても書かれているのだ。室町時代、安土桃山時代、江戸時代などに猛威を振るった代表的妖魔について記載されている。それら多くの退治を困難とした凶悪な怪異は滅魔師の前身である退魔霊師によって各地に封印されたそうだ。
この退魔霊師とは天気や暦を占う言わば陰陽師的な存在だったようだ。彼らは妖魔退治の専門家として次々に日本各地の厄災を収め列島に安寧をもたらした。
今日の日本があるのは彼らがいたからこそなのである。
だが、偉大なる先人である彼らも完璧な術師とは言えなかった。
施した封印には期限が存在したのだ。凶悪な怪異を永遠に封じ続けることはできない。故に現代でもその後継となる滅魔師が封印を管理し、新たな封印を施そうと研究を続けているそうだ。
「やはり設定を盛り込みすぎてないだろうか。とても一ヶ月の為に作った背景とは思えない。いや、そんなことより一刻も早く現実に復帰せねば。クリアはもう目前だ」
すでに詩織の好感度は百八十%に達している。
地道に関わり続けた結果だ。攻略するのも時間の問題だろう。
これが現在の好感度である。
飛村詩織 [180/200%]
角倉岬 [72/100%]
歩宮風花 [0/100%]
桂木馬之助[30/100%]
詩織と岬の数値をみるとついニヤリとしてしまう。
このシステムが現実世界にもあれば、とついつい思ってしまうのは仕方のないことだろう。これさえあれば効率的な人間関係を形成できるのだから。加えて日々数値が上がって行くことにも快感を覚える。はっきり言おう、俺は数字が好きだ。
ぽとん。机に小さな紙を包んだ物が置かれた。
それは左の席にいる女子生徒からもたらされた物だ。
包みは難解に折りたたまれていてまるで折り紙のようである。
左前方を見れば詩織が小さく手を振っていた。
紙を開いて中を確認する。
どうやら生徒を経由して渡された詩織からの手紙らしい。
経験のなかったことなので少し驚いた。
手紙の内容は『放課後、買い物に行きたいから付き合って欲しい』だそうだ。
今日は特に用事もない。詩織の好感度を考えればこれはチャンスだ。
青いイルカによればキスは好感度が八十を越さなければ行うことはできないらしい。それ以下で行えば好感度が一気に下がるとか。すでに詩織は達している、クリアを目指すならばここで一気に勝負に出るしかない。
手紙に返事を書いて隣に渡す。
受け取った詩織は笑顔で手を振った。
……可愛いな。なぜ彼女は俺の現実にいないのだろうか。
悲しさを覚えた俺は眼鏡をそっと上げた。
◇◇◇
放課後、詩織と合流する前に図書室による。
だがそこに風花はいなかった。
「どこへ行ったんだ……」
あれ以来、歩宮風花は図書室に姿を現わしていない。
それどころか学校にも来ていないのだ。
考えられるのは封印のほころびの件。彼女が何者なのかは不明であるが、俺よりも真実に近い位置にいることは確かだ。
まだまだ聞きたいことがあったのだがな。仕方がない。
図書室を後にして教室へと向かう。
「和也!」
廊下の先から岬が笑顔で駆け寄ってくる。
金の髪の毛を揺らし短めのスカートがめくれた。
ほう、今日のパンツは青と白のストライプか。なかなか健康的でいい。
岬は俺の左腕を掴んで胸で挟む。
その感触に思わず顔が緩みそうになった。
「買い物に付き合ってよ」
「悪いが今日は先約があるんだ」
「え~、もしかして詩織?」
「ああ」
頬を膨らませた岬は「もういい!」と怒って帰ってしまう。
なぜ不機嫌になったのだろうか。日を改めればいいだけなのに。
やはり俺には岬の考えがよく分からない。
五鳥市鶴見町には大型ショッピングモールが存在する。
鶴見町は紙無町の隣の地域になり、比較的近いことから多くの学生がここを訪れていた。
「かず君、とこうして来るのって初めてだね」
「買い物ならスーパーでもしていただろ」
「あれとこれとじゃ違うよ」
「そうなのか」
眉間に皺を寄せて首を傾げる。
正直、俺としてはスーパーもショッピングモールもさほど変らない。
せいぜい商品が豊富で買う物に困らないといったところだ。
詩織はとある雑貨屋によって品定めする。
「今日は何を買いに来たんだ」
「お姉ちゃんの誕生日プレゼント。何がいいか分からなくて、かず君にアドバイスしてもらおうかなって考えてたの」
詩織の姉の誕生日か……未だに会ったことすらないのだがな。
しかし、贈り物ということならすでに候補は絞り込まれていることだろう。なぁに、焦ることはない。俺は候補の中から最も適した物を選び、彼女の背中を押してやればいいのだ。ただそれだけのこと。
「これなんかどうかな」
詩織は可愛らしいウサギのマグカップを選ぶ。
無難ではある。高すぎず安すぎず、日常的に使え、可愛らしい絵柄を見ながら一時の安らぎを得ることができる。いい選択だ。
よし、ここで背中を押すか。
「これもいいよね」
洗練されたシルバーデザインのコーヒーメーカーだ。
淹れ立てのコーヒーは香りが良く疲れた心を癒やしてくれる。特にコーヒー中毒者にとって朝に飲むブラックは格別だ。どうやら姉はコーヒー好きのようだな。
よし、こっちを押すべきか。
「これなんか喜びそう」
人を駄目する大型クッション。
これに座ったらその柔らかさに心は蕩け一瞬でリラックスモードに突入する。ついついやるべきことことを忘れ、気が付けば数時間座っていたなんてこともしばしば。その柔らかさと居心地の良さは殺人級だ。
「――ってちょっとまてぇい!」
「え、急にどうしたの」
驚く詩織に俺はもの申す。
「候補を絞って来ているんじゃなかったのか!?」
「そんなこと言ってないよ?」
「馬鹿な! 話が違うじゃないか!」
俺は絞られた選択肢の中から良さそうなのを選ぶだけだとばかり思っていた。
まさかこれだけの膨大な商品の中から贈り物を一から選出するのか。なんて非効率。こういうのは事前に調査して数点のみに絞り込み、その上で聞くのがスジだろうが。無計画に選び始めたら二十四時間あっても終わらんわ。
俺は眼鏡を上げて興奮を抑える。
「だったら三つとも買えばいい」
「ああ! そうだよね! このセットならきっとお姉ちゃん喜ぶ!」
詩織は急いで財布の中を確認する。
だが、悲しそうな顔をして俺を見た。
「あうぅ……おかねがない」
「俺と詩織の共同プレゼントということにすればいい」
財布から諭吉を数枚出す。
どうせ現実の金ではないのだ。ケチる必要もない。
「ふぇ!? いいの!?」
「早く買ってこい」
「うん」
戻ってきた詩織はニコニコ笑顔でクッションと紙袋を抱えていた。
俺は紙袋を取り上げ代わりに持ってやる。
「お姉ちゃんが喜ぶの楽しみだなぁ」
「詩織は姉が好きなんだな」
「うん。私の家って両親いないし、ずっとお姉ちゃんが一人で面倒見てくれてるんだ。だからこんな時くらいはいつもありがとうって言いたいの」
モールの中を歩きつつ言葉を交わす。
その横顔は寂しそうだった。
「両親はどうして?」
「幼い時に妖魔に殺されちゃった。お父さんもお母さんもすごく強い滅魔師でね、私はいつも憧れてたんだ」
「…………」
「もういなくなった人達のことを追いかけるなんて無駄だと分かってる。でもやっぱりお父さんやお母さんみたいになりたいって思っちゃうんだ。いつか会えるような気がして」
俺は知らなかった。詩織が滅魔師でいつづける理由を。
勝手にそういうものだと納得していた。詩織が滅魔師なのは当然と思っていた。
ここはゲームかもしれない、けれど彼女はちゃんと生きている人間なんだ。
俺は立ち止まる。
「詩織」
「ん?」
振り返った彼女は微笑む。
青空によく合う彼女は一輪の花のようで慎ましくも美しい。
「俺と付き合ってくれないか」
彼女はクッションを落とした。
もう一度だけ、もう一度だけ俺から告白する。
たぶん俺は詩織のことが好きだ。
ゲームだと理解していても心は引き寄せられてしまう。
自分で言うのもアレだが、俺は免疫がない分チョロい奴だ。
だから彼女に好意を抱いても仕方がない。
「…………うん」
詩織がこくりと頷いた。
その瞬間、感覚がクリアになった気がした。
世界を満たす色が、匂いが、音が全てが鮮やかになる。
俺に、ようやくこの俺に恋人が……。
嬉しさがこみ上げてきた。
気が付かないうちに緊張で足が震えていた。
ズンッ。
大きな振動が地面を揺らす。
俺も詩織もふらつく。
周囲では人々の悲鳴が響いていた。
「何が起きた!」
「なにあれ!?」
詩織が指さす方角には逢魔山がある。
その山頂に光の柱が出現していた。
山頂から黒い空間が広がり一気に町を飲み込んだ。
突然の夜の訪れ。
空には満月が輝き夜の闇に満ちている。
異様な気配が漂い、悪寒で全身の毛穴という毛穴が収縮した。
町全体を殺意が覆っているのだ。
「これはなんだ!?」
「妖魔の作り出した空間だよきっと! 」
空間を作り出すだと!?
そんなことができるのか!??
状況を飲み込めない俺は額を押さえる。
脳裏によぎるのは吸血鬼Aの言葉と風花の取り乱しようだ。
もしや例のあの御方の封印が解かれたということか。
「はい、すぐに向かいます!」
詩織はスマホで誰かとやりとりをしていた。
恐らく滅魔師の組織からだろう。
この状況への対応を指示されたに違いない。
「かず君、私はこれから逢魔山に向かう。緊急招集がかけられたの」
「あそこに何がいる」
「それは……」
詩織が言いよどんでいると、さらに強烈な空気の波のような物が町を走り抜ける。
直後に人々はばたばたと倒れ気絶してしまった。
「なんて妖気。一瞬でこれだけの人を」
「教えろ。あそこにはなにが封印されていたんだ」
彼女の肩を掴んで問い詰める。
この惨事を前にしてまだ秘密にしなければならないのか。
「鬼が封印されていたの」
「鬼?」
「かつてこの列島にやってきた恐ろしい鬼。厄災。吸血鬼の王の一つ。それは多くの犠牲を払って退魔霊師によって封じられた。この五鳥市はその封印を維持し続けるためだけに作られた巨大結界都市なの」
「じゃあ滅魔師が異常なまでに多いのも」
「この町に封じられている『黒夢童子』を解き放たないため」
びりびりと地面が震動する。
のしかかる空気は重く冷たい。
……つまり化け物の親玉があそこにいるのか。
「俺も連れて行け」
「駄目だよ! かず君が行ったら死んじゃう!」
「死ぬのは怖くない。詩織を失うことことの方が俺には恐ろしいんだ」
「かず……君……」
詩織は背中に腕を回し抱きしめた。
彼女のぬくもりはまるで極寒の地で灯すマッチの火のようだった。
小さくか弱い温かさ。抱きしめれば潰れてしまう、そんな予感をさせる。
守らないと。この俺が守らないといけない。
もう彼女の死は見たくない。
俺は死んでも彼女が死ぬことは断じて許容しない。
「覚悟はできてる? きっと熾烈な戦いになるよ?」
「誰に言っている。俺はエリートだぞ」
眼鏡を中指で上げてニヤリとした。
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