十八話 幻惑の世界

 四月八日(月)

 岬とその両親を救出した次の日、角倉岬はいつもと変らず登校した。


 いつもと変らない笑顔にいつもと変らない口調。

 昨夜の出来事はまるで俺の夢だったようにすら思えてしまう。

 だがアレはあったんだ。確実に。


「ふわぁ」

「かず君、なんだか眠そうだね」

「報告書を書いてたら朝になったんだ。ここ最近あまり寝てなかったからそろそろ限界かもしれない」

「そっか、昨日は大変だったもんね」


 昼食を前にしてあくびをしてしまった。

 緊張が解けたせいでどっと疲れが押し寄せたというか。

 今すぐにでも帰宅して熟睡したい。


 目の前にはいつもの昼食メンバー詩織、岬、桂木の三人がいる。


「あの、あのさ、これ今日作ってきたから食べてよ」

「え」


 対面にいる岬がブルーの包みを俺の方へ差し出す。

 形状から察するに弁当だろうか。

 そこで俺はハッとする。そう言えば今日弁当作るの忘れてた。

 いやいや、そんなことはどうでもいい。あの岬が弁当を持ってきたことに驚かなければ。


 彼女の手を見れば絆創膏がいくつも貼られていた。

 まさか自分で作ったと言うのか。


「もしかして岬ちゃんが作ったの!?」

「う、うん……」

「すごいすごい! あの不器用な岬チャンが!」

「あれ、これってすごく馬鹿にされる?」


 不満顔で岬は顔をしかめる。

 詩織の気持ちは俺にもよく分かる。岬は恐ろしく不器用なのだ。

 かつて編み物を教わった彼女は、その気の長い作業にぶち切れて布を引きちぎったそうだ。まったくもって長期の細かい作業に向いていない性格なのである。


 その彼女が弁当を作ってきたというのは、教室をざわつかせるくらいには大ニュースだった。いくつもの視線が俺の元にある弁当に注がれる。


「なぁ、はやく岬ちゃんの手作り弁当見ようぜ」

「開けるからくっついてくるな」


 桂木を押しやり包みを解く。

 出てきたのは黄色の小さな二段式の弁当箱。


 小さいと言うのは俺から見た印象だ。女子からすればいたって普通サイズ。しかしながら男子に弁当を作るならもう少し量を考えてもらいたい。育ち盛りの俺にこのサイズは不適当だと言わざるを得ないだろう。

 こう見えて重箱弁当くらいはペロリと食べられるのだからな。


 眼鏡を中指で上げる。


 さて、どのような弁当か見せてもらおう。


「これは!?」


 開けた瞬間、教室中から強い視線が集まった。

 クラスのアイドル的存在がどのような弁当を作るのか、誰もが気になって仕方がない様子だ。


 黒ずんだ野菜、焦げ臭いミートボール、真っ黒なタコウィンナーその他諸々黒い。弁当が発する黒いオーラに俺は思わず身を引いた。


「お、おいしそうだね……」

「俺、母ちゃんの弁当でいいや」

「ちょっとなんなのその反応!?」


 視線が一気に散る。同時に俺には哀れみが向けられていた。

 女子生徒達は「救急車呼んでおいた方がいいかな」「まだ早いよ」とまるで俺が倒れてしまう前提で会話をしている。

 だが気持ちはありがたい。確かに入院は覚悟しておくべきだろう。


 上段を外し下を見る。


 敷き詰められたご飯の上に桜でんぶでハートが描かれていた。

 岬を見ると太ももの上で拳を握りしめぷるぷる震えている。

 顔は茹で上がったタコの様に赤く、恥ずかしさに必死で耐えているように見えた。


 彼女なりの感謝の印なのだろう。

 ありがたく食べさせてもらう事にしよう。

 タコウィンナーを口に入れる。


(なんとか食べられそうだな)


 焦げた味はするがそれだけで食べられないわけではない。

 完食は問題なくできそうだ。


「ごちそうさま」

「どうだった!? 味は!?」


 身を乗り出した岬が感想を求める。

 俺はしばし考え答える。


「世辞にも美味いとは言えない」

「そうよね……」

「だが、気持ちは伝わった。それに誰だって失敗はある。大切なのは一度のつまずきで諦めないことだ。いつか岬にだって素晴らしい弁当を作れる日がくるはずだ」

「そう、そうよね! さすが和也だわ!」


 立ち上がった岬は「うぉおおおお! やるわアタシ!」と両手を上に掲げた。


 ふぅ、なんとかフォローできたようだな。

 これで岬を傷つけることなく万事解決した。


「かず君、たぶん岬ちゃん明日も作ってくるよ」

「なんだとっ!?」

「俺もそう思うぜ。励ましすぎたな」

「ぬがっ!」


 馬鹿な選択ミスだと。

 これは非常に不味いことになった。

 なんとかしなければ。


「あ、明日はちゃんと弁当を持ってくるとしよう。うん、岬の弁当は食べられないかもしれない」

「大丈夫よ! 和也男だから沢山食べれるでしょ!」

「計算外の展開だ……」

「それなら私もかず君のお弁当作ってくるよ。このサイズのお弁当なら二つあっても逆に少ないよね」

「そうか、その手があったな」


 詩織の提案は素晴らしいものだった。

 俺は今後弁当を作らず、詩織と岬が持ってきた弁当をいただけばいいのだ。

 朝の労力が減り効率が良い。これ以上にない名案だ。


「じゃあ詩織と勝負ね」

「別に戦うつもりはないけど……岬ちゃんがそのつもりなら構わないよ」

「ふん、すぐにぎゃふんと言わせてやるんだから」

「そっかぁ明日は一緒に作ろうと思ってたんだけど」

「いいわねそれ! やりましょ!」


 岬は猫のように詩織に甘える。

 先ほどのライバル心はどこへ行った。


 だが仲が良いのはいいことだ。俺が入院する確率もぐっと減ることだろう。

 頼むぞ詩織。お前の指導力にかかっているんだ。



 ◇◇◇



 学校裏の自販機に行った後、俺は図書室へと足を運ぶ。

 そこではいつものように歩宮風花が静かに本を読んでいた。


「ふぅ、先輩の顔を見たから今日は雪が降るかな」

「少しずつ俺の心は傷ついている」


 缶コーヒーを置いて俺は椅子に座る。


 いつ来ても変らない奴だ。つかみ所がなく掴もうとしてもぬるりと抜ける捉えどころのない女。これが可愛い後輩だというのだから世も末だ。こいつが好きになる男など想像もできない。きっとよほどの傑物かよほどのアホのどちらかだろうな。


「このコーヒーは?」

「助言をもらった礼だ。助かったよ」

「なんのこと?」

「岬に気をつけろって言ってただろ。その通りだった」


 彼女は「あ~」と納得した様子だ。

 事前に警告をもらっていたのに有効に使えなかった、そんな申し訳なさからの謝罪の品でもある。結果的には解決したが、本来であれば岬は死んでいた。俺は助言を無駄にしたのだ。

 もちろん吸血鬼について教えてもらったお礼という意味も含まれている。


「なにか欲しいものがあるなら言ってくれ。できるだけのお礼をしたい」

「不要。私はアドバイス以上のことはしてないし、このコーヒーで充分。でも次からはコーヒーは止めて欲しい。苦いのはあまり得意じゃない」

「そうだったのか悪いことをしたな」

「別にいい。このくらいなら飲めるから」


 彼女は本に目を落としたままぱらりとめくる。


 窓から生ぬるい風が入りカーテンが揺れていた。

 ここは良い場所だ。ずいぶんと落ち着く。

 この子がここに入り浸るのも分かる気がする。


「吸血鬼があの御方と呼んでいた者について聞きたいのだが」

「教えることはできない」

「俺が知る立場にないからか?」

「そう」


 ぱらりと本がめくれる。


「それはどこの極秘情報だ。国か、軍か、滅魔師か」

「その全て。だから先輩に教えることはできない。もし知りたいのならクラスを最低でもAにしなければならない」


 Aクラス……詩織のランクだったな。

 逆に言えば風花はそれよりも上にいると言うことだ。

 もしくはそれに近い位置にいる存在。


 何者なんだこの娘。


「話を少し変えよう。あの吸血鬼は封印にほころびが生じていると言っていた。それについては対策はできているのか」

「ほころび……?」


 ここで初めて風花は目を見開いて驚いた表情を見せる。

 まったくの予想外だったのだろうか。ずいぶんと動揺した様子だ。


「どこに!?」

「詳しくは聞いていない。だがあいつは自分が手を出すまでもなく、あの御方が復活すると言っていた。岬を攫ったのは時期を早める為とかなんとか」

「急がないと!」

「お、おい」


 風花は走り出す。

 が、入り口の前で止まり振り返った。


「感謝します先輩。この情報は非常に重要な物でした」

「恩を返せたのならいい」

「むしろ貸しができたほどです。それでは」


 丁寧な口調と所作で感謝を述べてから彼女は図書室を出て行った。


 どうやらあの御方というのはかなりヤバい相手のようだ。

 あの風花の態度を改めさせるくらいなのだから相当だろう。


 しかし、その御方とは何者だろうか。やはり妖魔だろうか。


 膨らむ疑問に頭を悩ませつつ俺も図書室を後にする。



 ◇◇◇



 四月九日(火)

 本日より詩織との訓練が再開された。


 とはいってもこの時間軸では初めての指導だ。

 岬の救出の為にずっと詩織を待たせていた形になっている。

 なので今日教わるのは『体上術』と『鋼躰法』である。


「えぇぇっ!? かず君いつのまにマスターしてたの!?」

「ちゃんとできているのか」

「もう実践で使えるレベルだよ!」


 ふむ、吸血鬼Aとの戦いで使用し続けたのが良い経験になったようだ。

 実際あの時は必死だったからな。使わないと即死してしまうような相手だった。


「じゃあ今日教えるのは『幻惑破り』と『封縛術』を教えるね」


 詩織から一通りの説明があった。


 幻惑破り――妖術や霊術によって引き起こされる幻惑に抵抗し破る技だそうだ。ただ、これを習得できるかどうかは個人の資質に左右され、習得しても必ずしも全ての幻惑を破れるわけではないらしい。やはりここも個人の資質によるのだとか。


 封縛術――簡単に言えば詩織が犬神に使用したお札のことだ。霊力を込めた札を対象に貼ることによって動きを封じ込めることができるそうだ。比較的お手軽な弱い霊術なので、強い妖魔にはほとんど効果がないとか。それでも覚えておいて損はないらしい。


「封縛術はそこまで難しいものじゃないから後回しにするね。先に幻惑破りを会得しようか」

「具体的にどうすればいい」

「とりあえず座ってくれるかな」


 指示通り地面にあぐらをかく。

 正面にしゃがんだ詩織はじっと俺の顔を見つめる。


「詩織?」

「ひゃ、ひゃい!」


 ビクンと体を震わせる。

 なぜそんなにも緊張しているのだ?


「今から私がかず君に幻惑をかけるから、かず君はそれに耐えながら出口を探してくれるかな」

「少しわかりにくいな」

「幻惑の術というのは言うなれば精神を包み込む迷路みたいなものなの。抜け出すには脱出ルートを見つけないといけない。強力な術ほど出口が巧みに隠されていて厄介なんだ」


 なるほど。今のは分かりやすかった。

 幻惑破りが個人の資質に左右されるというのも納得できる。迷路が得意な人間ほどこの術はかかりにくいと言う事なのだろう。しかも幻惑と言うくらいだ、出口へ向かう者に対し様々な邪魔が入るに違いない。精神力も試される技のようだな。


「じゃあ行くよ」

「ああ」


 彼女は霊符を取り出し霊言を唱える。直後に霊符は燃え散った。


 ぐにゃりと視界がゆがむ。

 これが幻惑の術か。興味深い。


 意識が暗闇の中を落ちて行く。





「貴方、おはよう」


 優しい声に目を覚ます。

 風で揺れる白いカーテンと微笑みながら見下ろす妻の詩織。


 窓からは青空が見え、優しい風が吹いていた。


 そうか、今までの全ては夢だったんだな。全て悪い夢。

 本当の俺はエリートサラリーマンとして幸せな生活を送っている。


「パパ」


 娘がベッドに上がって抱きつく。可愛い俺の娘に顔は緩んでしまう。

 俺は人生のゴールキックを決めたのだ。そうに違いない。


「ちょっと白すぎる家だキュイ。目が痛いキュイ」

「…………」


 おかしいな。なぜか視界に青いイルカがいるぞ。

 ここは現実のはず。あんなものがいるわけがない。


「海の近くの家なんて理想を重ねすぎてるキュイ。現実はそんなに良い場所じゃないキュイ。というかこの状況で仕事どうしてるキュイ」

「黙れ! 今すぐ失せろ!」

「ひどいキュイ。でも消えないキュイ」


 この青い物体め! よくも俺の理想を汚したな!

 いいだろう、今すぐ表へ出ろ! ボコボコにしてやる!


「待てよ……そうか、ここは幻惑の世界か」


 唐突に置かれている状況を理解した。

 癪ではあるが青いイルカによって現実に引き戻されたようだ。


「貴方、どこへ行くの」

「パパ」


 二人を無視して俺は家の中を歩く。

 確かに目が痛くなるほどの白い内装だな。


 これは恐らく俺が結婚生活というものをよく理解していないからだろう。


 ふん、どうでもいいことだな。所詮はかりそめの世界。実物ではなく張りぼてだ。

 俺は現実主義者だ。この手にはっきりと握られる物以外は興味がない。いくらここが居心地が良かろうと、俺には何の価値も見いだすことはできない。


「おい、イルカ。出口は分かるか」

「こっちだキュイ」


 青いイルカは玄関へと向かう。

 白いドアを開けると視界は真っ白に染まった。


「すごい……たった一秒で破られた……」

「そこまで時間は経過しないのか」


 目を開ければ目の前に詩織がいた。

 もちろん戦闘服に身を包んだ現在の詩織である。


「オイラに礼を言うキュイ」

「くっ、ありがとう……ございます……」

「また役に立ってやるキュイ」

「失せろ」


 やはり青いイルカは腹が立つ。


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