十七話 血を啜る鬼

 隙間から雑草が生えた石畳。

 廃工場の敷地を俺と吸血鬼Aは駆ける。


 コルトガバメントからいくつのもの弾丸を発射、奴は人外らしい並外れた動きで全てを躱し反撃する。強靱な拳はコンクリートを容易に粉砕し、繰り出す蹴りは大木すらもへし折った。

 恐ろしいことに風を発生させる妙な力まで使う。これが詩織の言っていた妖術と言う奴だろう。


 なんとか対等に戦えているのは事前に教わっていた『体上術』と『鋼躰法』のおかげだ。


 術と戦闘服によってダメージを抑え、致命的な攻撃は向上した身体能力で回避することができる。さらに詩織との戦闘によって得た経験によって、次の攻撃を素早く予測することができた。

 だが、戦いは苦戦を強いられている。それほどまでに吸血鬼は強いのだ。


「うがぁぁあ!」

「っつ!」


 振られた爪を地面を転がることでギリギリで避ける。

 背後にあったコンクリート製の建物の壁はえぐれてしまった。

 まるで人間サイズの熊と戦っているようだ。


 起き上がりと同時に左手に持った拳銃を発砲する。


 吸血鬼Aは高く跳躍、空中にいるところ狙って撃つも、風の妖術の力で落下の軌道を変化させ難なく地面に着地する。

 なんてやりづらい相手。空中にいても弾が当たらないなんて反則じゃないか。


「思ったよりもやるな日本のハンター。侮っていたよ」

「俺は滅魔師だ」

「そうなのか。デビルイレイザーを持っているから勘違いしたよ」


 デビルイレイザー?

 もしやこの拳銃のことを言っているのだろうか?


「でもお前は弱い。それを使いこなせていない。それどころかその刀だって持て余している。デビルハンターとしても滅魔師としても三流以下だ」

「なかなか気に障ることを言ってくれる」


 こっちは数週間前までただのエリートサラリーマンだったんだぞ。

 むしろこの短期間でよくぞここまで成長したと評価してもらいたいくらいだ。

 事情を知らない化け物ごときに蔑まれるなど不愉快極まりない。


「一つ聞かせてくれ。お前は何の目的で岬を攫ったんだ」

「何も知らないまま死ぬのも辛いだろうからな。特別に教えてやろう」


 俺と奴は距離を取りつつ構えは解かない。


「この地にはあの御方が封じられている。だがその封印は強力、たとえ我らでも容易には破ることはできない。そこで注目したのが角倉岬だ。あの娘は豊富な魔力を有したデビルハンター、その力があれば封印を破ることも可能だ」

「なぜそう言い切れる。岬でもできないかもしれないぞ」

「優秀なデビルハンターは結界を破ることに長けているのだ。すでにほころびが生じ始めた今の封印結界ならば、角倉岬の力で一気に壊すことができる」


 そうか、そう言うことだったのか。

 こいつの言うあの御方とやらを復活させる為に岬の協力が不可欠だった。

 だが気の強い彼女が果たして素直に言うことを聞くだろうか。


「そして、俺は噛んだ相手を操る能力がある」

「!?」


 直後に背後から岬に抱きつかれ腕ごと締め上げられる。

 人間とは思えない力に息ができないほどだ。


「さて、邪魔をしてくれたお礼をしようか」


 吸血鬼Aの強烈なパンチが俺の腹部にめり込む。

 内臓をかき回すようなダメージは筆舌に尽くしがたい苦しさを生み出す。

 さらに何度も顔面を殴られサングラスが地面に落ちる。


「うぶっ、げほっげほっ!」


 血液が口から吐き出された。

 今までで一番キツい。意識が朦朧とする。


「そろそろ前言通り一滴も残さず血を吸い尽くしてやる」

「岬は……」

「まだ意識があったか」

「岬は、お洒落なパンツをよく着けている」


 岬の腕が僅かに緩む。

 操られていてもまだ意識はどこかにあるはずだ。

 そう信じて話を続ける。


「彼女は俺の部屋からよく見える位置によく下着を干している」

「う、うううう」

「しかもその下着はその日はいていた物だ。岬はよく俺の前でスカートがめくれるような動作をする。そのおかげでどんなパンツをはいているか知っている」

「ううううううううっ!」

「おかしいと思わないか。まるで昼間にパンツを確認させ、その夜にとらせようとしているみたいだ。俺がパンツ好きになったのは岬が原因に違いない」

「うあああああああっ!!」


 突然に拘束が解けた。

 岬はしゃがみ込んで両手で顔を押さえている。

 たぶん恥ずかしさに耐えられなくなったのだろう。

 馬鹿め。自業自得だ。


「何をしている角倉岬! 拘束を解いていいとは命令していないぞ!?」

「無駄だ。岬はしばらくは動けない」

「くっ、ならば実力で始末するだけだ!」

「もう遅い」


 射出機構を起動、放たれたワイヤーが吸血鬼Aを瞬時に縛る。


「あがぁ!? 力が抜ける!」

「これは先ほどの礼だ」


 ワイヤーの繋がった左手でガバメントを撃つ。

 二発の弾丸は奴の大腿部を貫通、あっさりと地面に両膝を突いた。


「待て、待ってくれ! 大人しく手を引くから今回だけは許してくれ!」

「ここまでされて無償で見逃せと?」

「金でも女でも好きなだけやる、こう見えてそれなりに社会的地位はあるんだ! 頼む! 見逃してくれ!」

「往生際が悪いぞ」


 右手の刀を奴の首に走らせた。

 噴き出した血しぶきが俺の顔を濡らし、地面に頭部がバウンドする。


 俺は刀を振るい鞘に収めた。

 ボタンを押すとワイヤーが一瞬で巻き取られ収納される。

 念のためガバメントは右手に持ち替え警戒を継続させることにした。


「大丈夫か岬」

「……あれ、ここは?」


 意識が戻った彼女は目に光を取り戻す。

 元に戻るか不安だったが、奴を殺したことで洗脳状態は解消されたようだ。


 俺はサングラスを拾い上げて顔に着ける。


「ぶふっ、なにそのサングラス! 似合わない!」

「馬鹿な。格好良くないだと」

「銀条はいつもの眼鏡の方が良いと思うよ」

「ふむ、それは一理あるな」


 俺の手を取って岬は立ち上がる。

 心なしか恥ずかしそうにしていた。


「助けて……くれたんだよね?」

「まぁな。自信があるのは分かるが油断するなよ」

「うん、少し反省した」

「ちゃんと反省しろ。危うく死んでいたんだぞ」

「うん」


 岬を連れて倉庫に入る。

 懐中電灯を回収し、落ちていた拳銃を彼女に返した。


「アタシのグロック」

「弾は抜かれてないようだ」

「そうみたい。じゃあきちんと始末しておくわ」

「?」


 彼女は吸血鬼Aの死体に近づき銃を構える。


「浄化の白を持って不浄なる魂を救済せん。この弾丸によって汝が主の御許へと導かれることを願う。ブレイクブラスト」


 白色の閃光が死体の心臓を貫く。

 大穴が空いた吸血鬼だったものは砂のようにさらさらと崩れ始めた。


「今のは……」

「魔力を込めて撃ったのよ」

「どういうことだ?」

「滅魔師に霊力があるようにデビルハンターには魔力が存在しているの。アタシ達は魔力を使うことでデビルと――妖魔と対等に渡り合ってるのよ」


 岬は銃を腰のホルスターに収めてニンマリとする。


 なるほど。デビルハンターは滅魔師と似たような力も有しているのか。

 確かに考えてみれば、普通の人間が吸血鬼とまともにやり合うには力が足りなさすぎる。霊術のような『体上術』や『鋼躰法』などがなければ厳しいだろう。


「そうだ、岬の両親をそのままにしていた」

「お父様お母様!」


 倉庫の裏側にある林に二人は横になっていた。

 睡眠剤でも飲まされたのかもしれない。身体的異常は見られないがずいぶんと眠りが深いように思う。

 岬は二人の顔を見てほっとした様子だった。


「実はアタシ、養子で引き取られた子なんだ。だから二人にはすごく感謝してるしいつか恩返ししたいと思ってる」

「デビルハンターだってことは?」

「知ってる。むしろそっちが引き取った理由なんだ。角倉家って今でこそ普通の家だけど、昔は三大十二小家に名を連ねるくらい優秀な滅魔師の家系だったんだ。その頃は三大十三小家って呼ばれてたらしいの」


 俺は岬の話を黙って聞いた。


「角倉家の本家は没落したことをすごく気にしててね。外から優秀な退魔の血を取り入れようとしたらしいの。でも上手く行かなくて、そこで思いついたのがデビルハンターの家系から強力な力を取り込むことだったの」


 岬は涙を浮かべて俺を見た。

 それは怒りと悲しみと憧れが混じった目だ。


「アタシ失敗作なんだ。デビルハンターとしては優秀だけど、滅魔師としてはぜんぜん駄目。霊力がないの。これじゃあ角倉家の望む滅魔師としての復権には届かない」

「魔力と霊力は同じものではないのか」

「違う。似てはいるけど別物。デビルハンターと滅魔師が子供を作れないのはそれが理由。性質が違うの」


 彼女は「でも……」と続けた。


「銀条は霊力も魔力も受け継いだ。滅魔師の父とデビルハンターの母を持った奇跡の組み合わせで銀条和也は生まれた。アタシとは違って紛れもない完成品なんだ」

「ちょっと待て。俺は霊力も魔力も有しているのか?」

「そう、あんたは滅魔師なのに魔術だって使える。恐らくこの世界で唯一の存在。アタシはずっと憧れてた。お父様やお母様や本家が求めている力を持っているあんたに」


 俺は頭が痛くなってきた。

 いくらなんでも設定を作り込み過ぎやしないか。

 たかがゲームだぞ。たった一ヶ月をリアルに過ごすだけの。

 それとも俺はなにか大きな勘違いしているのだろうか。


 実はこの世界が本当の現実で、俺はゲームをしているという妄想をしているとか。


 落ち着け。冷静になれ。俺が俺なのは変らないんだ。

 クリアすればこの世界がなんなのかはっきりする。


「今までひどいこと言ったりして、ごめんなさい」

「謝る必要はない」

「でも……」

「岬と一緒にいることは楽しい。辛いと思ったことなんて一度もない。だから俺に謝る必要なんてないんだ。今までもこれからも俺の近くにいてくれ」


 岬はハッとした様子で俺を見上げた。

 次第に顔が赤くなって行き耳まで染まる。


「ま、まだだめなんだから!」

「なんのことだ」


 恥ずかしそうにする岬に首を傾げる。

 よくわからんやつだ。非常に理解に苦しむ。


 俺は詩織に電話をした。


『もしもし』

「詩織か。悪いが車を手配してくれないか。岬とその両親が吸血鬼に攫われて、今ようやく救い出したところなんだ」

『え!? 吸血鬼!?? かず君は大丈夫なの!?』

「問題ない。吸血鬼はすでに倒した」

『ふぇぇぇえええええっ!?』

「それで手配はできそうなのか」

『だ、大丈夫だよ! 全滅連に連絡したら出してくれると思う!』

「じゃあ頼んだぞ。場所はメールで送る」


 通話を切りメールで居場所を記載して送る。

 これでその全滅連とやらが迎えに来て、岬の両親を連れて行ってくれるだろう。

 吸血鬼に噛まれたと言えば念のために検査もしてくれるかもしれない。


「岬もその車に乗って帰った方がいいだろう」

「そっか、アタシ噛まれたものね」

「そういうことだ」


 二十分後、無事に廃工場に黒いハイエースが到着する。

 下りてきた男性滅魔師達は、ほどほどに事情を聞いてから岬達を車に乗せた。


「任務ご苦労様でした。後日書類の提出をお願いいたします」

「了解しました」


 指揮官らしき滅魔師は敬礼する。


 書類というのはたぶん今夜に関する報告書のことだ。

 優遇されている代わりに負うべき義務と責任はきちんと全うしなければならない。それが滅魔師という役目なのだろう。

 しかし一介の高校生が死線をくぐり抜けなければならないなんて、この世界はあまりにも過酷すぎではないだろうか。ため息も出てしまう。


「帰るとするか」


 俺はバイクにまたがりヘルメットをかぶる。

 エンジンを鳴らすと一気に加速した。


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