十五話 大いなる闇の眷属
四月六日(土)
自室からスタートした俺は刺激的な香辛料の香りに鼻を鳴らす。
腕時計に目を向け時間を確認した。
「時刻は……二十一時。詩織達が帰った後だったな」
カーテンを少し開けて窓から角倉家を覗く。
二階の岬の自室には明かりが灯っていた。
どうやらこの時点ではまだ何かに巻き込まれている様子はない。
ブルーのカーテンの隙間から岬が見えた。
彼女は制服を脱ぐと下着姿となる。
やはりスタイルがいい。駄目だと分かっていても目が離せない。
岬が俺を見つけ、顔を真っ赤にしてカーテンを閉めた。
「俺としたことが覗き魔のようなことをしてしまうとはな……岬にはきちんと謝っておくか」
中指で眼鏡を上げる。
◇◇◇
四月七日(日)
リビングの窓から隣を覗く。
「動きはないか」
時刻は午後一時。朝から角倉家をずっと見張っているが、休日ということもあってどこかに出かける様子は見られない。
親子団らんで過ごしているのだろうか。
(ん?)
父親らしき男性がスーツ姿で出てくる。
後から母親と岬が出てきて見送る。
そこで強い違和感を覚える。父親は髪が黒く岬と全く似ていないのだ。
「……もしかして血が繋がっていないのか?」
思い返せば岬は母親を『お母様』と呼んでいた。
実母に対して妙に堅苦しい感じがしていたが、血が繋がっていないのなら納得も行く。もしかすると岬は養子なのかもしれない。むしろその方がしっくりくる。
岬は母親と笑顔で会話をしてから家の中へ。
家族関係は良好のようだな。その点は安心した。
ソファに戻ってコーヒーを味わった。
午後九時。岬に動きが見られた。
戦闘服を身につけ慌てた様子で家を出て行く。
なんとなく外に出るだろう予感があり、あらかじめ装備を身につけて待っていた。
岬を追いかけて家を出る。
「どこ!? どこなの!?」
夜の道で岬が何かを探していた。
俺は数十メートル後方から身を潜めて様子を窺う。
彼女が角を曲がった瞬間、悲鳴が聞こえた。
「岬!」
急いで角を曲がる。
だが、そこには岬の姿はなかった。
(まだ近くにいるはずだ)
俺は付近を捜索、夜の町を走り続ける。
しかし、手がかりが一向に見つからない。
ひとまず岬が消えた場所に戻ることにした。
(どこにでもあるT字路……ここからどうやって岬は消えた?)
状況から推測するに彼女は何者かに攫われたと考えるべきだろう。だがしかし問題はその方法だ。いかなる手段を用いれば、この短時間で消えることができるのか。
腕を組んでぐるぐる回る。
そこでふと、マンホールがあることに気が付く。
「そうか! 下水道か!」
マンホールの縁にごく最近付けられた靴跡が残っていた。
しかも半分ほどで途切れていて明らかに不自然。
何者かがここから出てきて待ち伏せしていたに違いない。
俺は懐中電灯を点灯させ下水道へと下りる。
鼻を突く悪臭に顔をしかめながら岬を攫った相手を追いかける。
幸いなことに靴跡はくっきりと残っており、どちらへ向かったのかは一目瞭然。
コルトガバメントを右手に持ちつつ警戒を途切れさせない。
懐中電灯を口にくわえスマホを取り出す。
地図アプリを起動させると現在位置が確認できた。
どうも山の方へと向かっているようだ。
この五鳥市の中心には『逢魔山』と呼ばれる山がある。
山頂には神社があり古くからこの地を守護しているのだとか。
しかし、逢魔とはなんとも不気味な呼び名だ。
靴跡がとある場所で消える。
上を見ればマンホールがあった。
ここでその人物は地上に上がったようだな。
同様に俺も梯子を昇り、蓋を少しずらして周囲を窺った。
(気配がない。この辺りには誰もいないようだ)
マンホールから出て深呼吸をする。すがすがしいほど地上の空気は美味しかった。
ここは山のすぐ麓にある道のようだ。道路には例の靴跡があり、やはり山の方へと続いている。
岬を攫った狙いは何だ?
何を目的としている?
渦巻く疑問を頭に抱えながら、俺は山の方へと静かに足を進めた。
道は山を上がるほどに次第に狭まり、木々は鬱蒼と茂り風に揺られて不気味な葉音を響かせる。
どこからか妖魔が飛び出してきそうな雰囲気だ。
(建物?)
靴跡は山の中腹にある廃墟に続いていた。
かつてここには工場があったのだろう。古びた倉庫のような建物が闇に浮かぶようにぼんやりとそこに存在していた。
俺はライトを消して夜目で進むことにする。
倉庫の扉は俺が半身で通り抜けられるくらいに開いており、中はゾッとするほど暗く何も見えない。
それでも中へと入り奥へと進む。
(何かを踏んだ)
堅い物を踏んだ感触があった。
拾ってみるとそれは拳銃だった。
触った感じから予想するに恐らくこれはグロック17。
何度か見たから覚えている。
これは岬が使っていた拳銃だ。
すぐ近くで今度は柔らかい物を踏みつける。
俺はしゃがんで手探りで確認した。
布……それも伸縮性の高い物だ……だがしかし、やけに膨らんでいるな……おまけに恐ろしく柔らかい……ずっと揉んでいたくなる。
「ん……」
声が聞こえて思わず手を引っ込める。
誰かいるようだ。
岬かどうか確認しておかなければならない。
意を決して懐中電灯を点けた。
照らされた先には岬とその両親がいた。
三人は床で横になっていて外傷らしきものは見当たらない。
俺は安堵して一気に警戒を解いてしまう。
不意に襲う背後からの強烈な衝撃。
俺は床に倒れ懐中電灯を落としてしまう。
意識が途切れる寸前、光に浮かび上がった敵を見た。
青白い肌に額から突き出た二本の角。
――鬼だ。
【YOU DIED】
◇◇◇
タイトル画面に戻った俺は、ロードは行わずしばし考えを巡らせていた。
あの外見、鬼と呼んで差し支えないだろう。
黒短髪にスーツ姿の比較的若い男性、死体かと思うほど肌は青白く目は血のように紅い、額には鬼の証とも言える二本の角があった。
岬を攫ったのは妖魔で間違いなさそうだ。
だが、なぜ岬を狙ったのかが不明だ。なぜ奴は彼女の両親を巻き込んだ。
まさか両親を餌に彼女をおびき出したのだろうか。それでもやはり疑問が残る。岬を標的にする理由が思い当たらないからだ。
もしかしてデビルハンターだからか?
奴が連続殺人事件の真犯人?
岬は独自に連続殺人事件を追っていた節がある。しつこく追いかけ回す彼女を邪魔に思いとうとう排除することに決めた……のかもしれない。
いや、岬だけを狙う理由になっていないか。それなら警察や滅魔師だって対象になるはずだ。面倒な真似をしてまで攫う説明にはなっていない。
一度整理しよう。
前々から岬は連続殺人事件を追っていた。
四月七日から九日の間に何かがあり岬は学校を欠席していた。
十日の夜に岬が死んで俺はタイトル画面に戻った。
このことから得られる情報はこうだ。
奴は岬を生きたまま捕らえる必要があった。
だから両親を攫っておびき出さなければならなかった。
七日から十日の夜まで岬は生きていた。
岬の両親がどの時点で攫われたのかは不明ではあるが、七日の日中はいつもと変らず過ごしていたということだ。
これらを踏まえて俺はどう動くべきか。
「……まずは情報収集か」
鬼について調べなければならないだろう。
相手を知らなければその対抗手段も見えては来ない。
ひとまず風花か詩織に相談してみるべきだな。
俺は立ち上がって四月五日(金)の夜へと飛んだ。
◇◇◇
四月六日(土)
いつもと同じ時間に家を出る。
「かず君、おはよう」
「おはよう」
家の前では詩織が待っていた。
眩い朝日に照らされて彼女は輝いている。エリートである俺でも思わずドキッとしてしまうような微笑みを浮かべていた。
「行ってきます!」
「車には気をつけなさい」
「はい、お母様!」
岬も家を出る。彼女は俺達を見つけるとほんの一瞬だけ、悲しそうな表情を浮かべてから大輪の花のような笑顔を見せた。
その姿に俺は焦りのような感情を抱く。
(絶対に助けてやるからな)
岬は良い子だ。減らず口は叩くがなんだかんだ言って話に乗ってくれる。
俺自身も彼女のことは嫌いではない。学友であり、お隣さんであり、詩織の友人であり、同業者であり、ヒロインである彼女は詩織と同じくらい特別だ。ゲームがどうとか、クリアがどうとか関係なく見捨てることができない。
俺は岬を必ず救ってみせる。
「あんまりじっと見ないでよ。それともアタシに惚れた?」
「馬鹿を言うな。俺はエリートだぞ、そう簡単に人に好意など寄せはしない」
「ふーん」
「だが、もう一枚パンツを売ってくれるというのなら、そういった感情も芽生えるかもしれないな。もちろん脱ぎたてだぞ」
「ば、ばかじゃないの!」
岬は顔を真っ赤にして走り去って行く。
アホめ。エリートである俺をからかうとこうなるのだ。
「かず君」
「ん?」
詩織が顔を真っ赤にしながらピンクのパンツを俺に差し出していた。
「待て、今のは冗談であって!」
「か、かず君の為ならこれくらい恥ずかしくないよ……受け取って」
「普段は羞恥心だけで斬りかかってくるくせに、どうしてこんな時だけ思い切りがいいんだ! あ、こら!」
詩織は俺のポケットにパンツをねじ込んで走って行く。
引っ張り出した可愛らしい下着はまだ温かった。
……もらっておくか。
昼食を終えた俺は図書室へと向かう。
もちろん風花に相談する為だ。
「いない?」
風花が図書室にいないことに首を傾げる。
ここに住んでいる訳ではないのだから不在なことだってあるだろう。しかしながら彼女のいない図書室は、なんともピースの足りないパズルのごとく不完全のように思えた。
「何の用。先輩」
「うわっ!?」
背後から突然声をかけられて俺は飛び退いた。
そこには歩宮風花がいた。
「まるで軽自動車にひかれたホッキョクグマのような顔」
「イメージしにくいたとえを出すな」
風花はいつもの場所で腰を下ろし置いていた本を開く。
さりげなく机に置いた飲み物を見て俺はかつてない衝撃を受けた。
「鉄骨飲料だと!?」
「何事も行う前から諦めてしまうのは勿体ないと私は思う。もしかしたらそこには解決の糸口があるかもしれない」
「つまり俺を探す前から諦めていた愚か者と言いたいのか」
「違う。だってこれは本当にもう売ってない」
そう言いつつ彼女は蓋を開けて飲む。
いやいや、実際目の前にあるじゃないか。
「これは私の水筒。再販したペットボトルタイプを再利用している」
「物持ち良すぎないか」
俺は椅子に腰掛けて溜め息を吐く。相変わらず一癖も二癖もある後輩だ。
どうせ俺をからかって楽しんでいるのだろう。性根が腐っている。
「もしかして角倉岬に何かあった?」
「まだない。だが近いうちに妖魔に攫われるようだ」
「やっぱりそう動いたか」
風花は顔を窓に向けて呟く。
岬が攫われた理由を知っているのだろうか。
「……相手は鬼?」
「ああ」
「肌が青白くて目が紅い」
「ああ」
彼女は手に持った本を閉じて俺と視線を合わす。
「恐らくそれは吸血鬼。大陸の西からやってきた鬼の一族の一匹」
「ヴァンパイアもいるのか……」
「鬼と言ってもその種類は多い。ピンからキリまである。吸血鬼の一族はその中でも最大級にまで生息域と支配域を広げている難敵。この土地にも定期的に刺客を送り込み陥落を狙っている」
「それはつまり吸血鬼が現われるのは初めてじゃないということか」
ふむ、あれは吸血鬼だったのか。
思い出してみればやけに犬歯が鋭かったような気もする。
岬を狙ったのも血を吸うためだろうか。
「だがなぜこの町に来る。もしかして滅魔師の拠点だからか」
「それもあるけど少し違う。あれは奪われた物を取り返そうとしているだけ、けどそれが私達にとって致命的な結果を招く」
「きちんと説明してくれ」
「無理。私からは言うことはできない」
「なぜだ。なぜ言えない」
「それは先輩がDクラスの滅魔師だから」
ようするに俺は知る立場にないといいたいのか。
じゃあなぜお前は知っている。知ることができる。
俺とお前の何が違うと言うんだ。
「その代わり、倒す方法を提供する」
「!?」
風花は表情を変えず俺を見つめていた。
この際、彼女が何者かは気にしないことにした。
俺は結果を出さなければならない。結果を出せるなら他のことはどうだっていいんだ。
岬を助けられるならどんな相手に力を借りたって構いやしない。
「吸血鬼は弱点が多いイメージがあると思うけどあれは誤り。実際はニンニクも十字架も聖水も蹄鉄も火にも弱くはない。心臓を杭で打っても死なない。でも事実も存在する。鏡には映らないし日光と銀には弱い」
「日光というのは当たったら灰になるというあれか?」
「そこまで劇的なダメージは与えない。せいぜい弱体化させるくらい、でも退治をする際にはかなり有効な手段ではある」
鏡に映らない。日光に弱い。銀に弱い。
犬神に比べると弱点は多い。けれどそれを余って補うくらいにあれらは強いのだろう。
油断していたとは言え、訓練を積んだ俺をあんなにもいともたやすく不意打ちしたのだ。強敵であることはすでに明白。
「注意してもらいたいのは吸血鬼は化けるのが得意。見知らぬ相手が馴れ馴れしく接近してこようとしたら警戒すべき」
「もし噛まれたらどうなる。仲間になるのか」
「その点については確実なことは言えない。吸血鬼の能力は個体によって違っていて、眷属を作れる者もいれば作れない者もいる。劣化的な噛んだ相手を操る個体もいるくらいだから、単純に語るのは難しい」
吸血鬼と言っても能力はまちまちなのか。
しかし、それでも強力な存在であることは変わりがない。
もしアレが連続殺人事件の真犯人だとしたら見つけられなかった理由も説明できる。
他の妖魔を囮に使い、自身は人の振りをして町に溶け込んでいたんだ。それにまんまと警察も滅魔師も引っかかってしまった。
吸血鬼とは人外の力を持ちながら人のようなずる賢さを持った妖魔ということか。
「ありがとう。参考になったよ」
「どういたしまして」
風花はダブルピースをクロスさせた。
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