十三話 究極のカレー降臨

 四月六日(土)

 放課後、俺はいつものようにスーパー武田へと立ち寄る。

 ごく最近オープンした店らしく、まだ真新しい内装が清潔感を感じさせた。


 品揃えはかなりいい。ポイントを押さえていて、欲しいと思った物は大体ここにあったりするのだ。それに珍しい食材も仕入れているようで、立ち寄る度に興味を引かれてしまう。この前の山菜もまさにそうだった。


 俺は籠を持って店内を散策する。


 夕食と明日の弁当の計画はすでにできている。

 だが、ついつい興味がそそられ目的以外の商品も見てしまう。

 今は牛タンを見ながら頭を悩ませていた。


(ビールと一緒に食べれば美味いだろうな。どうする、買うか、買わないか。中身は成人だし、ここはゲームの中だ、別に飲んでも構わないよな)


 悶々と考えつつそっと牛タンを籠の中へ。

 それからお酒コーナーへ来てビールを手に取る。


(しまった。よく考えたら今は制服だから買えないじゃないか。しょうがない、一度帰宅して改めて買いに来るか)


 銀色の缶を棚に戻ししばしの別れを告げる。

 成人にとって未成年の世界はなんとも不自由で狭い。

 おかげでAV一本借りられないではないか。


 店内を見るとちらほら武器を所持した戦闘服姿の人を見かける。


 少し前から思っていたのだが、この町は滅魔師が異様に多くはないだろうか。もちろん他の町や市を比べてそう言っている訳ではなく、主観的にそう感じるのだ。日に何度も見かければこの町の住人の大部分がそうじゃないかと考えてしまう。

 おまけに紙無高校も滅魔師の教育機関ときているのだ。この町自体が対妖魔を想定して造られている気がしてならない。


「旦那さん、少尉に出世されたらしいわね。羨ましいわぁ」

「いえいえウチなんてまだまだですよ。そう言えば息子さんが全滅連の支部長になられたってお聞きしましたよ」

「親としては嬉しいことなんだけど、実力がどうも追いついてなくてこの前も現場で危うく死にかけたのよ。アタシが現役の頃はそんなヘマしなかったのに」

「奥さん有名ですものね。私が現役の頃もよく耳にしましたわ」

「いやぁね、恥ずかしいわ。今じゃキレもなくて霊術だよりなのに」


 二人の主婦の会話を盗み聞きする。


 この町では主婦すらも滅魔師であり戦闘経験者なのか。

 だから町中で武器を所持していることに慌てることはないし、すぐに不測の事態にも対応できる。合点がいった。


「かず君」


 声をかけられ振り返る。

 そこには籠を持った詩織がいた。


「かず君も夕食の買い物?」

「ああ」

「じゃあ一緒に回ろうよ」

「お、おい……」


 詩織に腕を掴まれ引っ張られた。

 思わぬ異性との買い物にドキドキしてしまう。


「とりあえずニンジンとジャガイモ、それからタマネギに牛肉と」

「ビーフシチューでも作るつもりか」

「違うよ、カレーだよ」

「ではビーフカレーだな」

「ううん、普通のカレー」

「いや、牛肉なのだからビーフだろ」

「違うよ。牛肉の入ってるのが普通のカレー、豚肉の入っているのがポークカレーだよ」

「馬鹿な! 何を言っているんだ!?」


 こいつは常識がないのか。豚肉が入ったカレーが基本、牛肉が入った物はビーフカレーと呼ばれているのは誰でも知っていることだろう。それともこの世界では違うと言うのか。ならば俺が正してやろう。それは間違っていると。


「カレーとは豚肉だ」

「どうしてそんなこと言うかな。牛肉こそが最高の組み合わせなんだよ?」

「あくまでも間違いを認めないつもりか」

「間違ってるのはかず君だよ」


 互いに籠を投げ捨て柄に手を伸ばす。

 強情な奴め。わざわざ常識を教えてやっているというのに。


「じゃあ白黒はっきりつけよう。料理で」

「いいだろう。お互いに主張する物を作って、どちらが本当のカレーなのか決めてやろうじゃないか」

「会場はかず君の家だね」

「問題ない」


 俺達は籠を持って材料購入に走った。


 豚肉を籠に入れながら顔が赤くなるのが分かる。かつてないほど緊張して恥ずかしかった。なにせ詩織が俺の家で料理をするのだ。二十八年独身の男にとって初めて体験するだろう出来事だ。


(台所はちゃんと掃除していたと思うが……心配だ。少し早く帰宅するべきか。だがフライングのようで卑怯ではないだろうか。くっ、どうして俺は勢いに負けて余計なことを言ってしまったんだ。落ち着け、落ち着くんだ銀条和也!)


 深呼吸して中指で眼鏡を上げる。


 よし、レジに行くぞ。


「あ、かず君」


 レジにはすでに詩織がいた。

 心なしか彼女は恥ずかしそうにしていて俺をチラチラ見ている。


 おい、さっきの勢いはどこに行った。お前が恥ずかしそうにしていると俺までよけいに恥ずかしくなるだろう。


 レジの女性は生暖かい目で俺達を見ていた。


 会計を終えて外で待つ詩織の元へ行く。

 彼女はピンクに染めた顔でうつむいていた。


「行くか」

「うん」


 気まずい帰り道。

 言葉数も少なくなぜかお互いに腕が擦れるほど近い距離を歩く。


「し、詩織」

「ひゃい! なに!?」


 声をかけると詩織がビクンと身体を硬直させた。

 少しでもリラックスさせようと声をかけたつもりなのだが、余計に緊張させてしまったらしい。


「そう言えば今日した約束覚えているか」

「訓練して欲しいって話……だよね?」

「できれば今夜から俺を厳しく指導してもらいたいんだ」

「構わないけどかなり苦しいと思うよ」

「大丈夫だ。耐えてみせる」


 もう犬神の時のような失態は犯さない。

 どのような敵が現われようが詩織を殺させやしない。

 俺が、銀条和也が、彼女を守るのだ。


 ふと気が付く。左側を歩く詩織が袋を左手で握っていることに。俺は右手で袋を握っていて、それとなく手をつなげる状態だった。

 問題があるとすれば俺の精神的な壁が立ち塞がっていることくらい。


(手を繋ぐべきだろうか)


 友人以上恋人未満なのだから別に構わないよな。

 行け、俺の左手よ。


 だが、意志とは反して動かない。


 心臓の鼓動は早まり呼吸が浅く速くなる。

 この瞬間、俺はかつてない困難が立ち塞がっていることを知る。

 俺の前には塔のように高いハードルがそびえ立っていた。


 たかが手を繋ぐだけだろ、俺もそう思っていた昨日まで。

 だがしかしどうだ、異性と手を繋ごうとするだけで清水の舞台から飛び降りる覚悟が必要だった。否、今の俺からすればスカイツリーから飛び降りるくらいの気持ちが必要だ。全身に汗をかいて心臓発作を起こしそうな気分である。


(勝手に手を繋ぐのは失礼。ここはきちんと同意を得るべきだ)


 なんとか頭を整理してやるべきことを考える。

 そうだ、異性がいきなり手を繋ぐのはよろしくない。

 良かった。ぎりぎりで常識的な判断ができて。

 危うくセクハラ行為をするところだった。


「しお……岬?」


 角倉家の前で袋を持った岬を見つける。

 彼女はちょうど門を開けている最中だった。


「あ、銀条。詩織も一緒なんだ」

「うん。岬ちゃんは今帰り?」

「まぁね」

「おばさんもおじさんも今日は遅いみたいだね」

「ウチは生活厳しいから」


 詩織が彼女の袋の中をのぞき込む。


「む~、またコンビニ」

「しょうがないじゃん。アタシ料理苦手だし」

「だったら一緒に食べようよ」

「詩織の家で?」

「ちがうよ、かず君の家で」

「銀条の家!?」


 ばさっ、岬は袋を地面に落とす。拾い上げた詩織は岬の腕に腕を絡めた。

 まるで『捕まえたぞ』と言わんばかりの笑みを浮かべて。


「岬ちゃんを連行する」

「ぬぇ!? アタシ捕まったの!?」

「うん。もう逃げられないよ」


 詩織は俺を見てにっこり微笑む。

 まぁいいか。カレーを余らせないためにも人数が多い方がいい。それにどちらが真の王道カレーなのか岬にも聞かねばなるまい。

 断固としてカレーは豚肉だ。これは確定事項である。


 詩織も同様の事を考えたのか俺と視線で火花を散らす。


 二人を連れて帰宅。さっそく台所の明かりを点けた。

 とりあえず袋をダイニングのテーブルに置いて詩織と顔を合わせた。


「どちらが先に作る?」

「一緒でいいんじゃないかな。コンロは二つあるよね」

「アタシはのんびり待ってるわ」


 岬は勝手に冷蔵庫を開けてコーラを取り出す。それからリビングのソファに座ってTVの電源を入れた。

 他人の家でよくもあれだけ勝手ができるものだ。だが不思議と悪い気はしない。岬はそういうものだという認識がすでにできているからだろう。それに他人がリラックスしている姿を見るのは嫌いじゃない。


 そして、俺と詩織はカレーを完成させた。


「名付けて詩織カレーのできあがり」

「おい、これシーフードじゃないのか」

「そうだけど?」

「牛肉はどこ行った」


 詩織は冷蔵庫を開けて中に収められている牛肉を見せた。


「これは別の日に使おうかなって。というか駄目だよかず君、まずは冷凍庫にある残り物から使わないと。沢山余っててぎゅうぎゅう詰めだったよ」


 ぷんぷんと詩織は腰に手を当てて怒っている。

 どうやら冷凍庫に入れてあったシーフードミックスをあえて使ったようだ。確かにあれは開封してからかなり経っているようだった。いずれピラフでも作ろうかと考えていたのだが、詩織が気を利かせて使ってくれたらしい。


「ご飯はこのくらいでいいわね」


 岬はすでにご飯を盛り付けていた。

 しかもさりげなく三人分用意してくれている。


「まずは銀条のをいただくわ」

「俺は詩織のカレーをいただこう」

「私はかず君のを」


 ダイニングで三人揃って食事を始める。

 俺のカレーを口にした詩織と岬は目を見開く。


「「美味しいっ!」」


 当然だ。なにせこのエリートである俺が作ったんだぞ。

 そして認めろ。豚肉こそが王道カレーであると。 


「やるじゃない銀条。見直したわ」

「かず君ってやっぱり料理上手だよね」

「まぁな」


 さて、俺も詩織のカレーを食べるとしよう。

 予定とは違ったが、シーフードも倒すべき敵には違いない。

 豚肉こそが最高峰なのだと教えてやる。


「んんっ!?」


 口に入れた瞬間、俺はシーフードの宇宙を垣間見た。

 濃厚な海のエキスがカレーに溶け込み、完璧とも言える形でご飯と混ざり合う。これはカレー界のビッグバン。旨味が閃光となって俺の身体を突き抜けて行く。

 気が付けば皿を舐めている自分がいた。


「あ、あんた大丈夫?」

「問題ない。それよりもこれは危険だ」

「危険って……普通のカレーでしょ」

「今までのカレーの概念を破壊されてしまう」


 つぅぅと俺の頬を涙が伝う。

 これほどのカレーを口にしたことがあっただろうか。ありとあらゆる記憶のカレー達が粉砕され忘却の彼方へと破棄される。後に残るのはたった一つの至高のカレー。詩織カレーだけだ。

 かつて西洋では香辛料を金と同等に扱い取引したという。俺は思う、このカレーも同等の重さの金で取引すべきだと。それだけの価値があると断言しよう。否、国宝にするべきではないだろうか。そのレシピを永久に保存するべきなのだ。未来永劫受け継がれていかなければならない究極の料理なのである。


「おいしいよ、おいしいよ」


 岬も詩織カレーに夢中だ。

 だが肝心の詩織は俺のカレーで満面の笑みを浮かべていた。


「かず君のカレー、えへぇ」


 俺のカレーなど足下にも及ばない。詩織カレーの前では取るに足らない存在だ。しかしそれでも喜んでもらえるなら光栄である。我がカレーに一片の悔いなし。


 結局三人とも満腹になるまで食べてしまい動けなくなってしまった。

 これでは訓練はできないとのことなので本日はお開きとなる。


 そして、詩織は俺のカレーを鍋ごと持って帰ってしまった。


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