九話 動かない奴は札束で叩けばいい

 気が付けば俺はあの白い部屋にいた。

 だが、しばらく放心状態で動けなかった。


「何が起きたんだ」

「敵に殺されたキュイ」


 青いイルカが興味のなさそうな声で答える。


 敵か、流れから察するに妖魔なのだろうが、人間の可能性も捨てきれない。

 確実なのは俺や詩織を一撃で仕留めるような相手だということ。隠密性の優れた攻撃力の高い相手だと判断できる。


「ロードは俺の記憶や経験までやり直すことになるのか?」

「通常のゲームならそうなるキュイ。でもこのゲームは特殊なルールが採用されてて、ロード後の肉体に知識、経験、技術、身体能力が反映されるキュイ。死ねば死ぬだけ強くなれるシステムだキュイ」

「そう言うことか。だから俺が詩織と引き分けることができたんだな」

「察しが良くてありがたいキュイ」


 だからといって死んでもいいと言う事には繋がらないがな。

 俺はできれば死なずにクリアしたいと思っている。これは精神衛生上の問題だ。人間というのは生き返ることを前提に存在していない。死んだらそれで終わりなのが人間という種だ。それを強引に生き返らせて普通でいられるわけがない。これは予想だが、俺は死ぬ度に少しずつ変っている様な気がする。

 実際、死ぬことへの忌諱感が薄れている感覚があるのだ。これは良くない兆候だと思われる。


 脳裏に詩織の死ぬ間際の顔が浮かぶ。

 それだけで絶望的になり心がかき乱される。


「くっ、二日の夜に戻るぞ」

「対策は立てなくていいキュイ?」

「どう対策を立てろというのだ! 姿すら見ていないというのに!」

「それもそうキュイね」


 俺はロードして四月二日の19:00へと舞い戻る。





 ――意識が覚醒、目を開けると自室が映る。


 時計を確認。時刻は19:00だ。

 俺は急いで一階に降り、詩織が生きているかどうか確認する。


「どうしたのかず君、なんだか慌ててる」

「いや、気にしないでくれ」


 詩織は先ほどと全く変らない姿で玄関にいた。

 俺は安堵して一気に力が抜けた。


 良かった。生きててくれて。


 思わず涙腺が緩みかけて焦ってしまう。

 危ない危ない、この俺が人前で泣くなどあってはいけないことだ。

 目の前で死んだことでがらにもなく取り乱してしまったようだ。


「準備は終わった?」

「ああ、行くとしよう」


 俺は初めてのような顔で詩織と一緒に夜回りへと出る。





 それまでの道中、俺は詩織と同じような会話を行い同じような返事をした。

 どこで襲われるかはすでに把握している。二度は失敗しない。


「私ね、お父さんもお母さんも妖魔に殺されたの。だからかな、こんな気持ちを味わって欲しくないって思うの。みんなが幸せな人生を送ってくれたらって」

「だから自分を犠牲にしてまで戦うのか」

「うん。あ、でも自分が幸せになることだって願ってるよ。誰かと平凡で良いから優しくて幸せな家庭を持ちたいって考えてる」


 ちらりと俺を見てから顔を赤くしてうつむいた。

 その姿を見て死んだ詩織が脳裏によぎる。


 絶対に詩織は殺させやしない。


 自分でもなぜそのような感情が湧いているのかよく理解していなかった。

 漠然と目の前で人が殺されたことへの怒りだと思っていたのだ。


「かず君!」


 詩織の警戒が飛ぶ。

 俺は瞬時に抜刀、背後へと刃を走らせた。


「ぎゃうっ!?」


 大きな人影を袈裟斬りにする。血しぶきが舞った。

 そいつは一瞬ひるんだものの後方へと跳躍、距離を取ると威嚇のつもりなのか姿勢を低くして唸る。


「ぐるるる」


 ソレは全身に茶色い毛に覆われた人型の狼だった。

 身の丈は二メートルを超え太い手足に鋭い牙と爪が人外であることを教える。


 これが妖魔。滅魔師の敵でありひとならざるもの。


「ありがとうかず君。今のは危なかった」

「ああ、その通りだ」


 詩織も抜刀、二人で武器を構える。

 対する妖魔は動こうとしない。


「あれはなんなんだ」

「多分、犬神だよ。それも本格的な」

「狐憑きみたいなものか」

「そうだね。そう考えてもらえると分かりやすいかも」


 だとすればあれは人間なのか。

 この場合どうすれば良いのか分からん。

 ただの敵なら倒せば済むのだが。


「俺はどうすればいい。指示をくれ」

「かず君はアレが逃げないように動いて。捕獲は私がする」

「もし捕まえられない場合は?」

「残念だけど取り憑かれている人ごと斬るしかない」


 人を斬ると聞いて俺は戸惑う。

 詩織はすでにその覚悟があるのだろうか。

 こんな世界で生きてきた彼女は俺とは何もかもが違う。

 エリートとしてぬくぬくと成長してきた俺とは。


「駄目、逃げる!」


 犬神が逃走を開始した。

 軽々と塀を乗り越え建物の屋根へと飛び移る。


 俺と詩織は一度別れ二手で奴を追った。


 犬神の走る速度は常人を遙かに超える。その脚力は屋根から屋根へと跳躍することを可能とし、夜風を切るようにして移動を続けていた。

 少しばかり体力に自信がある高校生が追いつける相手ではない。


 どうにかして足止めしなければ。


 ガバメントを抜き、奴の脚へ狙いを付ける。

 撃ち放った弾丸は誤差はあるもののぎりぎり脚へとヒットし、犬神は屋根から勢いよく転げ落ちていった。


 当たったのはこの世界の銀条和也が身につけた技術のおかげだろう。元の俺ではこうも上手く命中させることはできなかったはずだ。

 もしかするとこの世界の俺は剣ではなく銃に適正があったのかもしれないな。


 奴が落下しただろう場所へと向かう。


「炎魔斬!」


 炎の斬撃が道を駆け抜ける。

 犬神はたやすく躱し詩織へと肉薄した。


「あがっ!?」

「ぐるるる」


 奴は詩織の首を掴み軽々と持ち上げる。


「詩織!」

「だめ、きちゃ……にげて……」


 彼女の白く細い首に太い指が食い込んで行く。

 それは俺の頭に血を上らせるには充分な光景だった。


 ぼきっ。


 嫌な音が響き詩織が地面に落とされる。

 彼女はぐったりとしたまま動かなかった。


「しお、り……」


 一瞬で目の前に来た犬神は俺の胴体を一突きにした。

 大量の血液が口から漏れ出し呼吸が上手くできかった。

 腹部は焼けるように熱く意識が朦朧とする。


 腕が引き抜かれると同時に俺は地面に両膝を突いた。


 くそ……またか……。


 意識が途絶えた。



 【YOU DIED】



 ◇◇◇



 それから俺は四月一日の夜へと戻り、翌日に詩織と合流しないまま学校へと急いだ。

 このままでは犬神に勝てないと判断したからだ。


 図書室に入り手当たり次第に本を漁る。


 どこかにないか犬神を倒す方法。

 見つけるんだ。このままじゃ詩織を助けられない。


 一心不乱にページをめくり犬神の文字を探す。

 だがそれらしい情報は一切なかった。

 あるのはせいぜい大雑把な紹介くらいだ。


「悩んでるの?」


 不意に風花が声をかけてきた。

 内心いたのかと少し驚いたが、それだけ俺が周りを見ていない状態だったのだろう。

 エリートらしくない焦りに気が付き冷静になる。


「犬神の倒し方を知らないか」

「それならデビルハンターに聞けばいい」

「なんだそれは」

「知らない? 滅魔師のくせに?」


 きょとんとした表情で小首を傾げる風花に居心地が悪くなる。

 常識を知らないなどと評されるのは俺には大変不名誉で不本意なことだ。だがしかし、今はそんなことを言っていられる状況でもない。藁にもすがりたい気分だった。


「そのデビルハンターというのはなんだ」

「西洋の滅魔師。欧州ではかなりの数が活動してる」

「要するに同業者ってことか」

「そう」


 しかしなぜデビルハンターに聞く必要がある。

 敵は妖怪である犬神だぞ。

 それともヨーロッパにも妖怪がいるのか。


「向こうでも悪魔の一種として犬神が存在している。ヴァンパイアの天敵として有名」

「もしかして人狼か」

「正解。デビルハンターに聞けば倒すことも可能」


 ふむ、確かに言われてみれば犬神と人狼は似ていなくもない。

 本質的に同じものだとすれば弱点も同じ可能性は高い。

 どちらにしろ今の俺には詩織を助ける手段がない、風花の言葉を信じるしか今は手がないんだ。


「どこに行けばそのデビルハンターに会える」

「探さなくてもすぐ近くにいる」

「近くだと?」

「角倉岬」


 俺は彼女の発した名前に目眩がした。


 そうか、そう繋がってくるのか。

 だから武器を所持していた。彼女もまた人外と戦う存在なのだ。


 だがしかしなぜ正体を隠すのだろうか。同業者ならそうと言えば済む話なのに。

 なにか言い出せない大きな理由があるというのか。


「助言感謝する。助かった」

「どういたしまして」


 風花はダブルピースを胸の前でクロスさせる。

 それから手を俺に差し出した。


「ジュース」

「そうだった有料だったな……ん?」


 違和感を抱いた。

 なぜこの子はさも当たり前のように情報提供料を貰おうとしているんだ。

 助言者としての取引はまだしていないことになっているはずだ。


「俺と約束したことを覚えているのか?」

「……なんのこと?」


 小首を傾げる少女は無表情だ。

 そこから何を考えているのかは読み取れない。


 もしかすると俺の思い過ごしかもしれない。


「今から買ってくる。なにがいいんだ」

「鉄骨飲料」

「よく知っているなそんな古い飲み物。できれば学校の自販機で買えるものを言ってくれ」

「仕方がない、じゃあアクエリアスレモン」

「まったく譲歩できてないぞ。今の時代にレモン味があるわけないだろ」

「適当に甘い飲み物を買ってきて」

「いきなり雑になるな」


 俺は渋々自販機へと向かった。



 ◇◇◇



 放課後、岬を校舎裏の自販機へと呼び出した。

 思い起こすのは二度目の死を迎えたあの日、岬がまともだと信じていた俺は見事に脳天に弾丸を撃ち込まれた。

 今思えばあの時の俺は愚かだった。片方のヒロインだけまともなんてあり得るわけがないのだ。


「で、何の話」

「その前に飲み物でも買おう」


 二人分の飲み物を購入し片方を岬に渡す。

 もちろんココアだ。俺はブラックコーヒー。


「ぶはっ、疲れが吹っ飛ぶわね!」

「ココアをビールみたいに飲むなよ」


 しかしこうして改めて見ると、岬は空気を一変させるだけの雰囲気を持っている。

 さすがはクラスのムードメーカーでありアイドルといったところか。とげとげしい気持ちが幾分か和らいだ気がする。


「頼みがある」

「言ってみなよ、聞くかどうかは分かんないけど」

「人狼の倒し方を教えてくれ」


 次の瞬間、俺の左こめかみに堅い物が当てられた。


「アタシをデビルハンターだと気づいて言ってるのよね?」

「ああ、知ってる」


 俺と彼女の間にしばしの沈黙が横たわった。

 数分が数時間のようにも感じられる。握る手には汗がじっとりと噴き出していた。

 長引けば長引くほど死の恐怖がかきたてられ内心で震える。


 こめかみから感触が消えた。


「ま、どうせいつかはバレるだろうと思ってたし、知られた相手が銀条ならまだマシか」

「すまない」

「謝らなくていいわよ。隠してる方が悪いんだから」


 中指で眼鏡を上げつつ謝罪を口にする。

 だが岬はあっけらかんとした表情だった。


(なんとか切り抜けた。ひとまず話ができそうだな)


 そんなことを考えた矢先、岬は思わぬ発言をする。


「相談にはのらないことにした」

「な、なぜ!?」


 俺は手に持っていた缶コーヒーを落とす。


「あんた本当にアタシをライバル業者だと分かって言ってんの。なんで大事な情報を無償で教えてあげなきゃいけないのよ。馬鹿も休み休み言えっつーの」

「だったら相応の金を払う。いくらだ」

「あー、気分悪くなったから帰る。ココアごちそうさま」


 彼女はベンチを立ち上がりゴミ箱に缶を捨てた。

 長い金髪を揺らして去って行ってしまう。


 ……気分を害してしまったか。


 確かにライバルである同業者から無償で情報を得ようとする行為は愚かだった。じゃあ報酬を支払えばいいかといえばそんな単純な話でもない。他社の極秘情報を売れと言っているような明確なルール違反。通常なら避けるべき禁じ手だ。


 俺は岬に無理な相談をしていた。

 もう少しこのことに早く気が付いていれば。


 いや、待て。まだ岬は完全に拒否はしていない。


 報酬の話を明確に断りはしなかった。

 それはつまり迷っている……と判断していいのではないだろうか。

 押せば折れる可能性はまだある。いけるかもしれない。


 現金を目の前に出せば気が変るはず。

 俺は急いで帰宅して通帳と印鑑を持ち出した。

 そして、その足で銀行へと行き五百万円を下ろす。


 動かない奴は札束で頬を叩けばいいんだ。


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