第231話 黒い鉄のレースに赤い屋根の大きな屋敷

「…何かおかしい。ゆっくり休めた筈なのに何故おれはこんなに疲れているのか…」


「主殿…。大丈夫か…?」


 妙に疲れた表情でフラフラとダリアスヒルの街中を歩いているのはプレス。その横でティアが心配そうにそう呟く。プレスはいつものごとく冒険者風の装いで腰に長剣を差して木箱を背負っている。ティアも魔導士風のローブを纏ってフードを深めに下ろしていた。既に太陽は落ちかけて街は夕闇に閉ざされ始める。



『ゆっくり休もう』


 その言葉の通りゆっくり休んだプレスは太陽が随分と高く昇ってからベッドを離れた。そこまでは快調だったのだが孤児院であてがってもらった部屋を出て食堂に下りてきてすぐ子供たちに捕まってしまったのだ。


 当然の如くと言えるのか…、子供たちの要求は絵本であった。どうやら前回が大変好評だったらしい。黒い翼を持ち銀の槍を携えたレーヴェ神国の騎士を題材にした英雄譚。人族と魔族の血を引く一人の男が騎士を目指し、周囲からの助けもあって立派な騎士へと成長し、レーヴェ神国に降りかかる様々な厄災を退けたという人気の物語である。


 再びプレスは冒険者らしくその絵本に様々なエピソードを加えて壮大な物語を語ってみせることになり午後の大半を費やすことになったのだった。


「ふぅ…」

「ふふふ…、しかし主殿!子供たちは喜んでいたではないか。主殿はあの笑顔がすきなのであろう?」

「ああ。あの笑顔には癒された。子供たちはこの国の宝だからね…。でもちょっと疲れたかな…」


 そんな話をしながら目当ての別邸を目指すプレスとティア。昨夜、マルコが言っていたように騎士団から住民への説明があったのだろう人影は殆どない。これがいつもの日常であればもっとこの界隈は人通りが多いはずなのだ。


 そんな街の様子を確認しながらしばらく歩き二人は孤児院の反対側となる地区へと差し掛かる。ダリアスヒルは丘を中心に同心円状に造られた街であった。太陽は完全に落ち周囲は随分と薄暗い。すると視界に大きな屋敷が二人の視界へと飛び込んでくる。プレスはティアを連れて横道となる路地へと移動すると身を潜めるようにして建物を観察する。


「これが黒い鉄のレースに赤い屋根の大きな屋敷、アズグレイ商会の別邸ってやつ…?」


「うむ…」


「ここにあの黒い魔物がね…。それにしても人の気配がないな…」


 プレスの言葉にティアが同意を示す。


 それは高い塀に囲まれていた。閉ざされた門の向こうに赤い屋根の立派な別邸を見ることができる。鉄のレースの装飾は見事なものであり腕利きの職人が十分な期間をかけて制作したものであることが伺えた。この場所からは使用人たちの姿は見えないが庭木もよく手入れされているようだ。これだけの別邸を建てているということはアズグレイ商会がそれなりの利益を上げているということだろう。


「主殿、どうやってこの建物を調べるのだ?」


 ティアがそう聞いてくる。


「今のおれはしがない冒険者だからね…。金に困ってこの別邸に侵入した狼藉物ってことにしようかなと思ってる」


「大丈夫なのか?」


「何かあれば全力で脱出するさ…」


 少しだけプレスの笑顔が黒い気がするティアである。


「レイラさんにあんなことをした連中だからね…。命をもてあそぶ行為は許せない…。だけど…」


「この別邸…、アズグレイ商会の者達が関わっているかは現時点で不明のままだ。それを忘れないでくれ」


 プレスの言葉に先回りしたティアに頷いてみせたプレスは続ける。


「分かっているよ。ティアはどこか見やすい所…、あそこの建物の上からでも屋敷を見張っていてくれ。念話は悟られる可能性があるかな…。基本的にはおれが屋敷内で探知できないことを確認してからティア宛てにしか使わないことにしようか…」


「うむ、それで問題ない」


「ただ外部から黒い魔物や厄介そうなものが入ってくるのを見たら躊躇しないで念話を飛ばしてもらって構わない。あいつらの隠蔽の能力は高い。十分注意してくれ」


「承知した!」


「では行動開始としようか…」


「心得た…」


 ティアの姿が瞬時に消える。それを見届けたプレスは十分に周囲を警戒しつつゆっくりと別邸の裏手へと移動した。周囲の気配を感じ取る索敵能力に関しては自信のあるプレスである。依然として周囲に人の気配は感じられない。夜の空は厚い雲に覆われており月明かりもなかった。夜の闇に紛れたプレスは一息に高い塀を飛び越えると音もなく別邸の敷地内へと侵入を果たすのだった。

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