第10話 山に火をつけてはいけません

調査というのはやめどきが難しい。

調査で得られる情報というしろものには独自の魅力と毒があって、気がつけば目的を失い手段に過ぎない情報収集が目的化することもしばしばである。


「で?どこまで調べるの?」


苛立ったヒマリの声にはっと意識を戻せば、かなりの数の論文に目を通しており、相応に時間が経っていた。PCを閉じて部屋を出る頃合いだ。


「そうだね。杉花粉の問題についてはいくつかのアイディアを思いついた気がする。もちろん、今後の作戦についてもね」


「ふうん。それで?とりあえずこの辛気くさい穴蔵から出ない?」


穴蔵…まあ、図書館の自習室はヒマリにとってみれば穴蔵か。

でも俺は、この穴蔵がだいぶ好きだし、大学生になってかなりの時間をこの”穴蔵”で過ごしてきたのだ。


「信じられない。そのうち穴蔵で冬眠する、とか言い出すんじゃないかしら」


「できるなら図書館で冬眠してみたいものだね」


冬は図書館で冬眠し、春になったら杉花粉のない土地で過ごすのが理想だ。

南の島、例えば沖縄あたりなら杉花粉に苦しめられることはないのだろうか?


「そうね。杉花粉がない土地がいいわよね。そのうち焼きはらってやるから!」


「物騒なこと言うなよ」


ヒマリをなだめつつ、図書館で得た情報を整理するためヒマリの希望で(俺の基準では)ブルジョワジーの通う学外のカフェに行くことになった。

学食とコンビニ以外でコーヒーを飲むなんて大学に入ってから絶えてなかったことだ。


◇ ◇ ◇ ◇


大学から移動すること十数分。


これがリア充の集う外資系のプレミアムコーヒーカフェか。などと他人事のように思えたのは始めのうちだけ。


落ち着いた雰囲気の家具が配置された店内に戸惑い、呪文の如き注文に困惑するという一連の儀式を済ませて席に着く頃には、俺はすっかりと資本主義とリア充の醸し出すエネルギーと毒に参っていた。


「ここは俺の居場所じゃない」


ガヤガヤと陽のお洒落エネルギーを発する人間達の間にやられて俺は自分がいるべき場所でない場所にいるという追放者<エグザイル>の気分を味わっていた。

ところ同じ追放者って名前の踊っている人達、あれどう見ても追放される側じゃなくて追放する側の陽キャだよね。


「なにを陰キャなこと言ってるのよ。これでもあなたに合わせて譲歩したんだから」


「譲歩?」


「そうよ。普通ならホテルのカフェに行くところよ。だけど静かすぎるところだとかえって話も議論もできないでしょ?誰にでも聞かれていい話をするわけじゃないんだし。防諜の基本よ」


「防諜」


「そう。盗聴とスパイ対策は計画の基本よ!」


なんだろう。この女のすっかりと板に付いた自然なテロリストムーブは。

そのうち「店で席を取るときは壁を背にして店内を見渡せる場所にしろ」とか言い出すんじゃなかろうか。


「ヒマリ・・・前科とかないよな?」


「失礼ね!そんな失敗する訳ないでしょ!」


ヒマリの怒りはポイントが違った。

そんなことだから不安になるのだが。


◇ ◇ ◇ ◇


「まず、我々SZZ団に有利な点が幾つかある、と思う」


「いいじゃない。前向きな結論は好きよ」


ヒマリの性格的にそうだろうと思うから、最初に良い点から話すのだ。

俺はコミュニケーション能力に自信はないが、それだけに相手の性格は結構読める。

第一、ヒマリはものすごくわかりやすい。


「杉花粉については、多くの人が問題だと思ってる。杉花粉のアレルギー症状は国民の半分以上がかかっている、という調査もあるしね。若年層、特に子供のアレルギーも増えている、という調査もある。


つまり、杉花粉への対策は国民的なイシューだ。杉花粉アレルギーは国民全員が関係者であり、被害者とこれから被害者になる人しかいないとも言える。俺は不思議だよ。どうしてどこの政党も杉花粉アレルギー対策を第一の公約にかかげないのか。


増税や憲法のように国民の声が割れる心配はない。老若男女、全員が利害関係なく団結できる唯一のテーマ、と言ってもいいんだから」


「つまり、あたし達のシンパは多い、というわけね!」


「合法的に活動する限りはね。仮に山に放火でもしたら、さすがに警察が動くと思うよ」


「それはそうよ。第一、春の山は山火事になりにくいもの。やるなら秋か冬ね」


即答するヒマリ。

この女のことだから一度は検討したことがあるに違いない。


「やるなよ?絶対にやるなよ!」


「そういうお約束の動画を見たことあるわ」


「お約束じゃないから!」


ヒマリに突っ込みをいれつつ、店選びについてはヒマリが正しかったことに賛同せざるを得なかった。

たしかに、こんな会話を人が聞き耳を立てているような静かな場所ではできない。

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