今ここにいるということ
視
界
が
歪
む
息
が
で
き
な
い
自分は
今
どこに
いる?
わかるのは
ただ
襲ってくる
死。
死。
死。
死。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
誰かが叫んでいる。自分の喉が震えている。ああそうか。これは自分の声なんだ。
気が付いたら走り出していた。足が勝手に化け物へと吸い寄せられている。腕が独りでに剣を握り、その切っ先を振り上げる。恐怖を払うかのように。身体の奥で本能が叫んでいる。殺さねば殺されると。顕現した死の権化を断罪せしめなければならないと。
化け物の顔が迫ってくる。いや、自分が迫っているのか。ギラリと剣先が光った。銀の軌跡を描き、その
衝撃。みぞおち。
次いで痛み。今までに経験したことのないくらい。
ミシミシと内臓がきしむ音が聞こえた。
「おぇ……」
弾丸のように弾き飛ばされた。
背中に受ける風の圧力が凄まじい。目の端に移る景色が幾本にも並んだ線のように流れていく。空気の動く轟音以外何も聞こえない。
グシャリと酷い音が響く。
「レスト!!!!!!!!!!」
リリィが叫ぶ。勢いよく飛ばされたレストはあっという間にみんなの目の前を通過していき、山肌に強かににぶつかった。その衝撃で脆い土が幾らかボロボロと崩れた。
ドサリと地面に倒れ伏すレストに、急ぎリリィは飛び寄った。
エリは化け物が現れてから、虚ろを見つめ恐怖で地面にうずくまっている。
ゴブリンたちも意識はあるものの、膝をつき身体中に冷や汗を浮かばせて竦みあがっている。
反射的にレストの下へ向かったリリィを除けば、その場で正気を失わずに立っていられたのはゴブリンの長と、ライムだけだ。
「しっかりせぬかっ」
芯の通ったオークの長の声。
その声に我に返ったようにゴブリンたちがピクリと身体を揺らすと、竦む身体を何とか起き上がらせる。それぞれに首を振ったり頬を叩いたりと精神を集中しなおした。
「急ぎレスト殿のもとへ向かい治癒するのだ!」
「はい!」
オークの長が魔術師のゴブリンに命令を下すと、魔術師のゴブリンは急ぎレストの下へ走り出した。
その鼻先に、鎌。
化け物の腕が一瞬で伸び、走り出した魔術師ゴブリンの首を掻き切らんとその鎌を振りかざす。
火花が飛び散った。
次いで、金属と金属が軋み合う音。
オークの長が、幅の広い長剣を振るい鎌を受け止めている。しっかりとその足を大地に食い込ませ踏ん張っているのに、その顔はとびきり苦い丸薬を噛んだように苦しそうな表情をしていた。両の手で剣を握っているはずが、それでもじりじりと押されていた。相手は片腕を軽く振るっただけだというのに。
自分の身に何が起ころうとしたのか、ようやく状況を呑み込んだ魔術師のゴブリンが青ざめてひぇぇ、と細い声をだす。
「狼狽えるな!」
ゴブリンの長が吠えた。
「早く行け!レスト殿を回復して差し上げるのだ!」
「は、はいぃ!」
よたよたとよろけながら魔術師のゴブリンが走り出す。その姿を見送ると、ゴブリンの長は再び声を張り上げた。
「おまえら!準備は良いか!?」
「ばっちりダ!!」
「おらもいつでもいけるぞ!」
長の呼びかけに残りの仲間のゴブリンたちが答える。各々に武器を構え毅然と立っていた。
「かかれ!」
その合図とともにゴブリンの長は思いっきり長剣を振るい上げた。
弾かれるように化け物の腕が宙へと上がる。一瞬だけ隙が生まれたのをゴブリンたちは見逃さない。
シュババッと影のように素早く動き化け物の懐へと飛びこんだ。一方は大きな棍棒を、もう一方は鋭く研いだ鉤爪を、全霊の力を以て化け物へと叩きこむ。
その攻撃は、空を斬った。
シュルルと滑らかな動きで化け物は身体を捩らせると、そのままあらぬ方向へと身体を折ったまま、これまたあらぬ方向へと移動する。
一瞬の出来事にゴブリンたちは何が起こったか分からない。
「何ダァ!?」
「おらたちの攻撃がすり抜けただよ!」
化け物はまたシュルルルと滑るように地面を移動している。なんの予備動作もなしに、ただゆらゆらと長く伸びた下半身をくねらせて音もなく移動している。それはまるで、本物の蛇のようだ。ゴブリンたちと距離を取ると、化け物は余裕の表情で蜷局を巻く。腹から伸びた無数の蜘蛛の脚が、嘲笑うかのようにカサカサと動く。
その後ろに、小さな影が現れた。
「これでもくらえええええええええええ」
ライムがいつの間にか化け物の後ろを取り、勢いよく飛び掛かる。
渾身の力を込めた頭突きは化け物の不意をついた。その威力は空から流星が降ってきたかの如く、一直線に化け物へと直撃する。
バキバキバキと化け物の中の何かが砕けるような音がして、背中がありえない方向へと曲がった。
一瞬動きが止まって無防備を晒した化け物の隙をつき、再びゴブリンたちは攻撃を仕掛けた。今度は、長も一緒だ。
それぞれの攻撃が被弾して、化け物は木々の間へと吹き飛ばされる。高い鳥の声のような奇声が聞こえてきた。
「やったか!?」
「まだダ!」
ガサガサと茂みが揺れたかと思うと、勢いよく化け物が飛び出してきた。鎌を振り上げ一直線に向かってくる。
オークの長が長剣をかざしそれを受け止めて、そのまま身体を回転させ勢いを受け流しながら化け物を投げ飛ばす。
化け物は空中で身体を捩って体制を立て直し、ズシンと地面に着地した。
「レスト!レスト!」
リリィが叫んでいる。レストの肩を掴み、がくがくと揺らす。レストの反応はない。
それが焦りを加速させて益々強くレストを揺らそうとするのを、魔術師のゴブリンが制した。
「大丈夫です、死んではいません。傷を回復すれば目を覚ますでしょう」
「じゃあ早く!お願い!」
「精霊殿、心配する気持ちは分かりますが、急いては事を仕損ずると言います故」
化け物に怯えていた時とは打って変わったように落ち着きはらい、魔術師のゴブリンは杖を一振、円を描くように揺らすと、右の掌をレストの胸に当てる。そのまま目を閉じ静かに何かを呟くとその掌から淡い光が生まれた。
静かな森のような緑色が、直接術を掛けられているわけではないリリィの心までもを落ち着かせてくれる。
数秒後に、レストの目が見開かれた。
「レスト!」
残像が見える程の勢いでリリィがレストに飛びつく。それを受け止めながら、レストは魔術師のゴブリンに視線を向けた。
「……死んだかと思いました」
その言葉は、直接的な傷を負ったことだけに対する言葉ではない。それを理解している魔術師のゴブリンが頷く。
「化け物の威圧に心を乱されてしまったのでしょう。人間には、少し厳しかったようです」
何せ我々までもが立ち竦んでしまったのですからと、悔しそうに魔術師のゴブリンが言った。
「回復、本当にありがとうございました」
「いえ、こんなことくらいお安い御用ですよ」
「リリィもごめんよ、また心配かけてしまったね」
「ううん、生きてたからいいの。それより」
そう言ってリリィは視線を遠くに向ける。それに釣られるように顔を向けると、そこには暴れまわる化け物とそれに縋り付く様に奮戦しているゴブリンたちとライムがいる。
その脇に座り込んだままぴくりともしない人影が一つ。
「エリ!」
エリは虚空を見つめてじっと座ったまま動かない。
動けない、と言った方が正しいだろう。エリもまた、魔術師のゴブリンが言ったように化け物の威圧に耐え切れず精神がシャットアウトしてしまっているのだ。
化け物がエリに手を出そうとすると、ライムやゴブリンたちが必死でそれを止めてくれているが、それを続けていられるのも時間の問題だ。早く加勢してエリを起こさなければならない。
レスト達は一気に駆け出す。先ほど化け物に吹き飛ばされた道を、今度は自分の足で駆け戻っていく。
キシャアアアアアアア
奇声を上げる化け物。その声が山の木々を震わせて、振動で幾らかの葉が落ちる。化け物が影のように動いて鎌を怪しく光らせる。その先端がエリの首をはね落とす寸前だった。
「させるかあああああああ!!!」
レストは踵に力を入れ、思い切り大地を蹴った。空中を駆けるように跳ぶ。剣を抜き、エリと化け物の間に割って入る。
剣と鎌がぶつかり、化け物の鎌を弾き返す。火花が散るほどに甲高い音が響いた。化け物が仰け反り、振動が手に伝わってくる。
「レスト!」
「レスト殿!」
狂気から復帰したレストの姿にライムとゴブリンたちが安堵したように声を出した。
「エリ、エリ!しっかり!」
ぺしぺしと軽くエリの頬を叩いて呼びかけると、エリの目には次第に光が戻ってきた。その瞳がしっかりとレストを捉える。
「レスト……君……?」
「気をしっかり保って!恐怖に負けちゃだめだ!」
化け物の気配が背後に迫ってくるのを感じる。瞬間、ライムとゴブリンたちがその前に立ちふさがり攻撃を阻止する。
「エリ、立つんだ!化け物を一緒に倒すんだ!」
その後ろに、影。
我に返ったようにエリの表情が戻った。
「レスト君、危ない!」
そう叫ぶとエリはレストに抱き着き、全身の力を乗せて横へと身体を倒した。ごろごろと
「ありがとう、エリ」
「こちらこそです。おかげで戻ってこられました!」
勢いよく立ち上がり、エリは腰のベルトから短剣を引き抜いた。
「ライムちゃんたちもありがとう!もう戦える!」
ライムたちは一つ頷くと、再び化け物に向かって前進する。
化け物が身を振らわせた。奇声を上げながら、その腕を猛烈に振るう。その攻撃をうまく避けて、エリが短剣で化け物の身体を切り裂こうとするが、化け物は素早く身をくねらせ躱した。その体制のまま蛇の尾を槍のように尖らせて、勢いよく突きを放つ。ゴブリンの長が剣で受け止め受け流す。
生まれた隙にレスト達が駆け込む。
「エリ!」
「分かってる!」
レストが剣を振るう。エリが短剣を走らせる。両方向から挟むように、化け物の身体に切りつける。
キィィィヤアアアアア
化け物の表情が歪んだ。人間のようで、人間のものではないその顔が痛みと苦痛に
「まだ、だああ!」
レストは剣に魔力を込めた。放つのは灼熱の炎。剣が紅く染まり、高熱を帯びる。その切っ先から無数の炎の弾丸が放たれた。
ゼロ距離からの攻撃に化け物は再び叫び声をあげる。レストを振り払おうと身体を捩り、その場を崩す勢いで暴れはじめる。
攻撃を食らう前にレストは後ろに飛び退き距離を取る。
「効いてるぞ!」
「うん!」
化け物はシュルルと身体を滑らせて後ずさった。荒く肩を揺らしこちらをじっと見つめている。
そしてまた、にやりと笑う。
「何か来るダ!」
「気を付けろ!」
ゴブリンたちが言い終える前に、化け物は体勢を変え始めていた。蜷局を巻く蛇の胴体を解き、しゅるしゅると樹上に登っていく。幹から幹へと、自分の身体を橋のように使って、レスト達の上を取る。木々の葉の合間に潜み、姿を消し、存在を隠す。
「何だ……」
「何をしてるんだ……?」
その時だった。
ボトッ
と奇妙な音を立てて木々の隙間から何かが落ちてくる。それは大きく丸みを帯びていて、少し黄色がかっている。衝撃から守るかのようにしっとりと粘液で湿っている。それがドクン、ドクン、と脈打つように揺れていた。
大きさこそ異常ではあるが、その形状に、そこにいる誰もが心当たりがあった。
「おいおい……」
「これってまさか!」
ボトボトボトボト!
同じものが次々と落ちてくる。
地面に隙間なく並んだそれを、夢でも見るかのような気持ちで、しかし不吉な予感ともに皆が眺めていた。
数刻も絶たないうちに、その丸い物体に亀裂が走った。まるで不吉な予感を真実とするかのように。
「まずいっ!みんな、急いであれを破壊するんだ!」
我に返ったレストが急いで叫ぶも、既に遅い。丸い物体に走った亀裂はみるみるうちに広がっていき、そしてぱっくりと半分に割れた。その中に納まっていた、不気味な怪物の顔を露にしながら。
全ての丸い物体で、同じことが起こっている。
それは怪物の幼生。生まれたばかりの、怪物の
「あれは卵だ……!怪物の卵だ!」
怪物たちが産声を上げるかのように奇声を発した。何体もの奇声が折り重なって共鳴して、びりびりと空気を震わせている。
「つまり、こういうことだったのだな、"巣"というのは!」
魔術師のゴブリンが、奇声の波に押し負けないように、声を荒げながら叫んだ。
「ああ、おそらくさっきまで戦っていたデカいのが女王なんだろう!それが仲間を産んで増やしていたんだ!」
負けじと声を張り上げて、ライムが叫ぶ。
これこそが巣の正体だった。
"女王"のような存在の化け物がこの山の至るところにいて、それらが怪物を生んで増やし、テリトリーを広げる。そのためにいくら怪物を討伐しようとその数が減ることがなかったのだ。
「どうするんダ!?こんな数は相手にできないダ!」
「狼狽えるな、数は問題ではない」
戦士のゴブリンが焦りを浮かべて言い、それを窘める様にゴブリンの長が答えた。
「長さんの言う通りです。確かに怪物は脅威だ、だけど……!」
レストが走り出す。今しがた生まれたばかりの怪物に向かって、その剣を振り下ろす。不意をつかれた怪物の幼生は、短い断末魔を上げながら息絶えた。
「完全に成長してしまう前なら、普通の魔物とさして変わらない!焦らなければ必ず勝機はある!」
そう言ったレストの後ろに複数の影が迫った。同胞が殺され焦燥にかられたのだろうか、怪物の幼生たちが複数体で一気に襲いかかってくる。
レストは剣の腹を指でなぞった。指の動きを追いかけるように炎が生じていき、一瞬の間に剣を包む。
振り向きざまに一閃。炎を纏った剣が空気を斬りさく。
襲い掛かってきた怪物たちは二つに分かれ、その断面から燃えていく。炎はあっという間に怪物たちの残骸を包み、それが燃え尽きるとふっと陽炎のように消えた。
「レスト君だけに任せてはいられません!」
そう叫んでエリが飛び出した。エリは影となり一気に怪物との距離を縮めると、短剣で切り裂き、怪物の首を落とした。すぐに踵を返し、別の怪物へと向かっていく。
「我らも続くぞ!」
「おう!」
ゴブリンたちもそれぞれに駆け出していく。ライムも、そしてリリィも、それぞれの全力を以て卵から孵った怪物たちを屠っていく。
時間が経つにつれて一体、また一体と確実に数は減っていき、その分、死体の数が増えていく。血と、何かの液体と、死体から溢れた臓物ようなものが、山の中の狭い一角に塵のように積み重なっていく。
それはまるで何かの業を積み重ねるが如く光景であった。
剣を握る自分の手が震えていることに、レストは気が付いた。汗が流れて止まらない。これは冷や汗なのだろうか。生まれてきたばかりの生命に手をかけることへの、せめてもの罪悪感の為す震えなのだろうか。
足がガクガクと震え始めてきている。体力も底をつきそうだ。
それでもレストは気力を振り絞り、剣を振り続けた。まだここで止まってはいけない。あの化け物を倒すまで、止まってはいけない!
「レスト君!」
エリが叫ぶ。それと同時に自分に飛び掛かってくる怪物の姿が目に映った。この怪物が最後の一体だ。レストは剣を構えた。
その刹那、別の影が怪物の背後に迫る。
「っ!!!」
あまりの殺気に身の危険を感じ、レストは後ろに飛び退いた。
怪物の後ろに現れたのは、化け物だ。今まで樹上に隠れて姿を現さなかった化け物だ。巨大な塊が降り注ぐように落ちてきて一気に視界を占める。
それが、怪物を食べた。
既に身体の上半身は人の
ばきばきと呑み込まれた怪物の骨が砕かれる音が響く。一瞬の間もしないうちに怪物を平らげると、化け物はにやりと笑った。
ゴウッと突風を引き起こしながら化け物が動く。
「ッ!?」
化け物の向かう先は、レストたちが殺めた怪物たちの死骸だ。それを掬いあげるように、呑む。呑む。
転がっている死した怪物たちを、なんの躊躇いもなく食らいつくしている。自身の身から生まれた子供たちを、その身へと集めなおしている。
「何を……してるんだ……」
どくん、と心臓が強く脈打った。瞬間、レストは見えた。見えてしまった。周囲に漂っていた醜悪なマナの流れが一気に収束していくのを。淀み穢れた赤黒いマナが、一気に化け物へと集まっていくのを。化け物はマナを吸い込むようにどんどんと吸収していく。それに伴い今までに負った傷は癒え、身体が大きくなり、その姿はより一層禍々しいものへと変貌する。
「仲間の魔力を糧にしたのか……?」
化け物がその腕を振りかざした。薙ぎ払い。慌ててレストは飛んで避けるが、目の端にもう一つ黒い影が迫ってきているのが見えた。
「しまっ……」
ドカッと衝撃が走る。迫ってきていたのは化け物の尾。それがレストの脇腹に直撃する。ミシミシと身体の中で骨が悲鳴を上げているのが分かった。
再びレストは弾き飛ばされる。山肌に露出していた大岩に激突して破壊する。
仲間の呼び声が聞こえる。身体に力が入らない。意識が遠のきそうだ。ここで負けるのだろうか。ここで終わってしまうのだろうか。
──忘れないで
その時、頭の中で声が響いた。
聞き覚えのある優しく深い声。たゆたう海の蒼い声。
そうだ、約束したじゃないか。言われたじゃないか、忘れないでと。その記憶を見た意味を。その記憶を託された意味を。
──神器を託された、意味を!
「僕はまだ……あきらめないぞ……!」
レストの周囲には旋風が巻き起こるように、光る障壁が展開されている。その手には、小さな天球儀。海の遺跡の神『ケートス』から認められた証。
キィィィィィィィィィィ
化け物は神器の力を感じ取ったのか、焦った様子でレストに向かってくる。レストは狼狽えない。何をするべきか、既に分かっているから。
手を前に伸ばす。顎を引き、真っすぐに化け物を見据える。
『ケートス』の神器は、護る力。護るとは即ち、受け入れる力。
深く広がる海のように、その身の中に相手を受け入れ、そして呑み込む。何事をもその身に内包してしまう、雄大な力。
レストが伸ばした腕に力を入れる。瞬間、レストを中心に円環を描く様に空気が変わっていく。山の木々は消え、空気は暗く、遠く星々が輝く。
まるで海水が広がるように、静かで穏やかな空の向こうの宙の景色が広がっていく。
化け物の攻撃がレストに当たった。が、レストにダメージはない。
不可思議な空間が消えて、化け物は困惑した様子で後ずさりをした。
その時レストの胸元が光りはじめた。どくんと、先ほどと同じように心臓が鼓動を響かせている。神器に反応するかのように、どくんどくんと脈を打ち熱を帯び始める。
それは、護符。遺跡の調査を請け負った際に、ヒヨリから受け取った遺跡の遺物。その護符に記された『アルファリカ』の文字が輝き光を放っている。
「それは……!!!」
ライムが驚いたように声を上げた。
その護符を、自分はどこかで見たことがあると、確かにそれを知っていると、ライムの脳の中にある記憶の引き出しが、ガタガタと揺れ動いて主張しはじめた。
ライムは記憶の引き出しをそっと、開けた。
封じられていた記憶が奔流となって甦ってくる。今まさに、忘れていた全ての記憶が蘇ってくる。
自分の生まれた意味。誰と出会ったのか。何を成したのか。何をすべきなのか。
その記憶の全てにちらつくのは、とある人物の顔。
自分に名を与え、自分に使命を与え、自分の友としてあり続けた、その人物の顔。
その顔は──
「レスト!!!!!!」
ライムが叫ぶ。
名を呼ばれたレストは化け物の攻撃を飛んで躱し、ライムの下へと駆けてきた。
「その護符は化け物を浄化するための護符だ!」
「化け物を浄化だって?」
「ああ、その護符はかつての俺の友が造りだしたもので──」
化け物が腕を伸ばす。
襲い来る鎌を剣で払い除け、レスト達は相手を攪乱するために走り出す。
「詳しい説明は後だ!とにかく隙を見てその護符を化け物に貼り付けろ!その護符はまだ生きている!」
「分かった!」
頷いて、レストは護符を持つ手に力を込める。熱い感触が伝わってきた。
「これでもくらえやああああああああああ」
ライムが化け物に突進する。化け物は一瞬バランスを崩すが、すぐに体制を立て直し尾を使い薙ぎ払う。ライムはそれを飛んで避けるが、その隙を付いて化け物の鎌が襲い掛かった。
ガキンと音がした。
「くらうかよ……お前らみたいにただ造られただけの存在によ……!」
化け物の鎌を、ライムは自身の牙で受け止めている。
その口から放たれた言葉を、レストはしっかりと耳にした。
──造られた存在、だって!?
あの化け物は自然に生まれた存在ではないのか。やつらに流れるマナが滅茶苦茶なのもそれが原因なのか。
ライムは、その答えを知っているのか。
だがしかし、今はそんなことに気を取られている暇はない。
レストの神器は相手の攻撃を防ぐだけだ。それではいつまでたっても決着はつけられない。
ライムは化け物の倒し方を知っている。だったら今はそれを信じて行動するだけだ。
全ての答えを聞くのは、この化け物を倒し終わってからだ!
化け物の攻撃が飛んでくる。神器が発動してその攻撃を弾くが、相手の動きを止めるには至らない。
それを為し、隙をつくるためには、何とかしてこちらの攻撃を当てなければならない。
「私たちにまかせて!」
リリィの声だ。ひゅんとレストの横を飛び出していく。それに続いて、エリと、ゴブリンたち。
「我らが一斉に飛び掛かり相手動きを封じる!レスト殿はその隙に!」
ゴブリンの長が長剣を振り下ろした。
化け物が身体を捩りそれを躱す。それを読み、一歩踏み込んでいたゴブリンの長が剣を薙ぎ払う。その切っ先がズバリと化け物の身体を切り裂く。
たまらずに化け物は方向を変えて退避しようとするが、その向かう先には魔術師のゴブリンとリリィが待ち構えている。
「精霊殿!いきますぞ!」
「おっけー、まかせて!」
魔術師のゴブリンが杖を揺らす。その先端が青色に染まっていく。リリィは魔術師のゴブリンの後ろに付いて両の手を伸ばしている。自らの魔力を分け与えて、魔法の威力を上乗せするのだ。
化け物が二人の目の前に来た瞬間を見計らって、リリィと魔術師のゴブリンは魔法を解き放つ。
「「『合議・ライトブリザード!!!!』」」
杖の先端から無数の氷の礫が打ち出された。氷で造り出された鋭利な刃が嵐のように化け物に襲い掛かる。光の魔法の加護を受けきらきらと眩しく輝き、化け物の視界を奪い、化け物の皮膚を穿つ。
キシャアアアアアアア
悲痛な叫びをあげ、グラグラとバランスを失った化け物に飛びつく三つの影。エリと、二匹のゴブリンたち。
「行きますよ!戦士ちゃん!鉤爪ちゃん!」
「おう!」
「やってやるダ!」
戦士のゴブリンが棍棒で化け物の頭を打ち砕く。大きく仰け反った化け物に追い打ちをかける様に、エリと鉤爪のゴブリンが連撃を与える。
化け物は最早叫び声も上げられずに、よろよろとその場で
「レスト!」
「レスト殿!」
「レスト君!」
レストは走る。皆が繋いでくれたこのチャンスを絶対に逃すわけにはいかない。
剣を握りしめる。呼吸を整える。
初めは一人だった。でも女神様に出会って、リリィに出会った。それから徐々に仲間が増えてきた。
一人だったら、独りだったら、自分はここまで来ることはできなかった。沢山の人たちに支えられて僕は今、ここにいるんだ。
自分もいずれは誰かの支えになりたい。誰かに夢と憧れを与えられる探究者になりたい。そして、必ず世界の謎を解き明かすんだ。
それまでは止まるわけでにいかないんだ。こんなところで立ち止まるわけにはいかないんだ。
だから、今、勝つんだ!
ここで!!!
剣は紅く燃えている。沸々と蒸発しそうな勢いで、熱く、熱く燃えている。護符が共鳴するように輝きを強くする。
レストは踵に力を込め、思い切り大地を蹴る。身体が宙に浮く。
溢れた光が剣を纏い、新たな力を与えた。
それは、浄化の力。化け物の呪縛を取り払い、もとの魂へと還す解呪の力。
レストは剣を掲げる。最大の力を込めて
化け物の顔が目に映る。その表情は、苦しみに歪んだような、悲しみに泣いているような、そんな表情をしていた。
レストは何を唱えれば良いか既に分かっていた。
「『アルファリカ』」
レストの剣が強く輝きを放つ。浄化の光を纏った炎の渦が、包み込むように化け物を焼き尽くしている。まるで新しい太陽が生まれたように、強く、眩しく、されど優しさに溢れた強烈な光がその場を白く白く染め上げる。
眩い光の中で、化け物の表情がふっと和らいだように思えた。
「……千年も経っちまったが、ようやく約束を果たせるぜ」
ライムが小さく呟くのを、その場で聞くことのできた者はいない。
バッと高く飛び上がり、ライムはちらりとレストの方を向く。
「よくやった!後は任せろ!!!」
そう叫んで、ライムはぱっくりと大きくその口を開けた。
ライムの身体がみるみるうちに大きくなっていく。皆はその光景に驚いている。同時にレストは、ライムのその姿をどこか懐かしくも感じていた。
そして、ぱくりと、巨大化したライムは太陽のように輝きを放っていた化け物を飲み下す。
光が消える。
しばらくして、風がふいた。
ざわざわと小気味よく木々が鳴っている。時折、小鳥たちの
辺りにはようやく静寂が訪れていた。
ブラッド・フォール ─探究者たち─ 天野 うずめ @qoo_lumiere
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