そして出会う

「怪物たちの巣だって……!?」


 ライムが唸るように呟いた。

 

「そうよ。それがこの山のあちこちにあるから、結果的にこの山全体のマナの流れを乱すことになっていたのね」


 まだ考察にしかすぎないが、ほぼそれで間違いないと見て良いだろう。ライムがマナの流れを"視る"ことができなかったら、この結論には至らなかった。


「なんてことだ……」


 見ればルクスは険しい顔で虚空を見つめている。


「いくら倒してもきりがないはずだ……やつらは遺跡から出てきたのではなく巣から生まれているのだから……」


 ぶつぶつと悔やむように呟いていたが、やがて「こうしてはいられない」と弾かれたように顔を上げる。


「レスト君、仲間たちと一緒に、ここから最も近い怪物たちの巣に急いでくれるかい」

「そ、それは構わないですが、ルクスさんは?」

「俺っちはギルドキャンプに戻ってこの事態を報告しなければ」


 ルクスは『剣聖』としての責務を果たさなければならないのだ。ギルドキャンプに報告をすれば、遺跡調査に集まってくれた全ての探究者たちに通達をして怪物の巣の一掃のために向かわせることができる。

 しかしその間にも怪物の脅威は増え続けている。事情を知っていて、尚且つすぐに動けるレスト達が、一つでも早く巣を叩くことができれば、その分だけ後の脅威が少なくなる。


「すまない、一緒に行ってあげることができなくて。それにこんな無茶なことを押しつけてるようなことを」

「大丈夫です。ルクスさんはルクスさんの為すべきことをしてください」

「ありがとう。できる限り早く俺っちもレスト君たちに合流できるように努めるよ」


 分かりましたとレストが返して、ルクスが頷く。


「ライム君、巣のある場所を全て教えてくれるかい。その情報を俺っちがギルドキャンプまで持って帰るから」

「おうよ!」

「ちょ、ちょっと待って!」


 突然エリが叫ぶ。その顔は青く引きつっている。


「レスト君……私たちだけで行くって、本気ですか?私たちだけじゃ一匹倒すのにも大変だったのに……それが巣の中に行くだなんて……一体何が待ってるかも分からないんですよ?」

「……そうだね」


 エリの言っていることは最もだ。レスト達が向かったところで何をすることもできずに無残に殺されてしまうだけかもしれない。


「それでも、僕は向かおうと思う。何もできなくても、何もしないよりは絶対にいいから」


 そう言ってレストはエリに向き合う。自分の気持ちをまっすぐに彼女にぶつける。


「僕は誓ったんだ。この行く道がどんなに険しくても、それがこの世界の謎を解き明かすことに繋がるなら、僕は行くんだって。自分が納得できるように、精一杯を、いつでも生きていこうって」


 もちろんこれは僕のエゴに過ぎない、とレストは続けた。


「そのエゴのせいで他の人に迷惑をかけてしまいたくはない。だからエリ、君やここにいる誰をも強制的に連れていくことはしない。ルクスさんに頼めば安全にギルドキャンプまで送ってもらえると思う」

「俺は向かうぜ」


 ライムはその四本の足でぴょこんと歩き、レストの隣に立ち並ぶ。


「俺は今まで何のために生まれたのか分からなかった。だけどレストと会ってな、俺は今日この時のために存在していたような気がするんだ。だから、俺は俺の使命を果たす」

「レストが行くっていうなら、当然私もついていくわ」


 そう言ってリリィがつい、とレストの頭の上に座る。いつもの定位置だ。


「だってレストを導いて助けるのが私の役目なんだもの。ね?」


 ありがとう、とレストは二人に感謝を伝える。


「それじゃあ出発しよう。ライム、ここから一番近い奴らの巣への案内を頼めるかい?」

「任せろ、ばっちり連れてってやる」


 そう言ってレスト達は歩きだす。その背中を見ながら、エリは自分の拳が震えているのに気が付いた。


 ──私は怖いのか?


 当たり前だ、怖いに決まってる。

 レスト君はどうしてそんなに真っすぐに進むことができるんだろう。どうして少しも躊躇しないのだろう。彼だって、怖いはずなのに。

 ううん、違う。怖いから止まらないんだ。怖くて怖くてたまらないから、動くんだ。忍び寄る恐怖に足を掴まれないように、必死で前に進んでいるんだ。闇の先にある光だけを見つめて、その不安定で小さな光だけを原動力に進んでいるんだ。

 だから私も分かっている。一番怖いのは、レスト君自身も言っていたこと。

 何もできずに終わってしまうこと。

 ならば私にできることは。私がしたいことは。

 暗闇を一人で進むレスト君の隣に立って、一人じゃないよって教えてあげること。


「ま、待ってください!」


 再びエリが叫ぶ。レスト達はくるりと振り返ってエリを見る。


「私も行きます」

「でも──」

「安心してください。行かなければならない雰囲気だったからだとか、そういうのじゃありません」


 レストの言葉を遮って、エリが強く声を上げる。


「私だって何となくで探究者になったんじゃないんです。私だってこの世界の闇を払う存在になりたいと思って探究者になったんです」


 ちらりとルクス──『剣聖』を見る。


「世界の謎を解くために、その身を投げ打ってでも道を示してくれている人がいるのを知っています。そしてその覚悟なら、私もとうにできている!」


 強い意志。エリの言葉に嘘はない。拳を固く握り、その視線は真っすぐにレストの目を射抜いている。

 ふいに、その表情に笑みが浮かんだ。


「それに、私がいなかったらレスト君、折角の必殺技を打てないじゃないですか」


 ふふふと笑い声が聞こえた。それはルクスから漏れた笑みだ。


「レスト君、君は良い仲間を見つけたね」


 そう言ってルクスはエリに視線を移す。


「エリさん、君のその勇気は一生の宝物だよ。いつか誰かが、君のその勇気に、助けられる日が絶対に来るだろう」


 ニコリと一瞬だけ微笑んで、ルクスは再び真剣な戻る。


「君たちならきっと大丈夫だと信じている。だから思う存分やっておいで。なに、本当に危なくなったら俺っちが──この『剣聖』が駆けつけるから」

「……はい!」

「はい!」

「はーい!」

「おう!」


 それぞれに返事をしたのを聞き届けると、『剣聖』は突風を残し、その場からいなくなった。一瞬だった。


「……それじゃあ僕たちもいこう」


 そう言うとレスト達は山の中を走り出した。





 ガサガサと音が聞こえる。周りに気配はない。これは自分たちの駆ける音だ。ライムの先導で一同は山の中を一迅の風になって走る、走る。

 木々の細かい木々や葉が擦って顔や手に小さな傷を作っていくが、それも厭わずに前へと足を進めていく。余計な怪物たちに見つかる前に、いち早く奴らへの巣へとたどり着くために。

 ふと、視界の端に何かが映った。

 それは小さな洞窟。その洞窟に、さっと小さな影が入っていくのに気が付いた。


「みんなちょっと待って!」


 思わず叫び声をあげる。

 ずざざざと音を立てながら、先導していたライムがブレーキをかける。後ろからレストに付いてきていたエリは、急に足を止めたレストに思わずぶつかりそうになり、「きゃっ」と短く声を上げる。


「どうしたんだ、何か見つけたのか?」


 ライムが不思議そうに問いかける。


「うん、見つけた」

「なんだって!?」


 まさか本当に何かを見つけたとは思っていなかったのか、ライムは驚いたような声を上げた。


「あそこに小さな洞窟があるんだ」


 レストは先ほど自分が発見したその場所を指し示した。切り出された山の崖の壁に、ぽっかりと小さく入り口が口を開けている。


「確かにあるが……あの洞窟がどうかしたのか?今は細かなことに構っている時間はないんだぞ」

「それはそうなんだけど、あの洞窟に誰かが入っていったような気がしたんだ。それも、子供のように小さな人影が」

「まさか!」


 驚いてライムは鼻を鳴らす。エリやリリィも信じられないというように訝し気な顔をしている。


「こんなところに子供がいるわけがないだろう!見間違いじゃないのか?」

「僕もそう思うんだけど……万が一ってこともあるかもしれない。もし本当に子どもだったら、こんな怪物だらけのところに放っておくわけにはいかないよ!ちょっと確かめてくる!」


 そういうとレストは既に洞窟に向けて走り出していた。


「あ、ちょっとレスト!待ちなさい!」


 リリィはすぐにレストを追って行ってしまう。


 残されたライムとエリはむむむと唸って顔を合わせた。


「どうしますか?」

「決まってるだろう」

「ですよね!」


 そう言って、二人もレストの後を追いかけていった。




 洞窟の中は別にどこに繋がっているというわけでもなく、それなりに広い空間が手を広げるように出迎えているだけだ。

 きょろきょろと辺りを見回してみても、誰かがいるような気配もない。


「誰もいないね?」


 リリィがレストの考えを代弁する。


「やっぱり見間違いだったのかな?」


 見間違いだったのならそれで良い。傷ついて心細い思いをしている子供はいなかったということだから。


「戻ってライムに謝ろう──」


 その時だった。

 バッと何かが動く音がして、複数の影が天井から降ってくる。


「っく!?」


 とっさに剣を抜いて攻撃を受けとめる。ガキンと鈍い音。手に伝わってくる感触は、固い鈍器で殴られたものだった。


 後ろに気配。

 レストは身体を捻って剣を払う。

 ざっと影が飛び上がって天井へと消える。

 レストは入り口に近い方へと距離をとって影たちの出方を伺う。

 再び影が襲ってきて、レストに向かって鈍器を振りかぶる。それを横に飛んで躱す。と、視界の端が一瞬明るく光った。


「!?」


 ボゥッと空気が震える音がして、横っ腹に熱と衝撃を感じた。


「ぐあっ!!」


 飛んできたものは魔法。炎の弾だ。

 吹き飛ばされて、ゴロゴロと地面を転がる。


「レスト!」

「大丈夫!」


 レストはすぐに飛び上がって再び剣を構えなおした。


「レスト君!どうしたの!?」


 洞窟の入り口から声がする。エリだ。

 レストの後を追って洞窟に来たエリとライムが、心配そうにこちらをみていた。


「こっちに来たらだめだ、何かが居る!」

「なんだって!?」


 ライムの返答が洞窟に潜む影たちにも聞こえたのだろうか、一瞬ぴりっと空気が振動する気配がした。


「チクショウ、また来やがったのか!!この怪物めが!!」

「おらたちの住処を奪いやがって!!」

「やっとこさ身を隠す場所を見つけたってのにこんなところまで追ってくるんか!」


 言葉を話している!

 洞窟中に響き渡る怒声。それは確かに、意味の乗った声だった。この洞窟に潜む影たちには、会話をできる程の知能があるのだ!


 レストは急いで剣を腰に納め、影たちに話しかける。


「待ってくれ!僕たちは怪物じゃない!君たちを襲うつもりはないんだ!」


 一瞬静かになって、そのすぐ後にまた声が聞こえてくる。


「おらたちは信じねえぞ!きっと怪物たちを連れてきたんだ!」

「そうだそうだ!そしてまたオデたちの住処を奪うんダ!」


 声にははっきりと怯えの色が伺える。


 影たちは「怪物」と言った。それはレスト達の知っている怪物と同義だろう。彼らはきっとこの山に元々住んでいて、しかし怪物に襲われたのでこの洞窟に逃げてきたのだ。


「僕たちはその怪物をやっつけに来たんだ!君たちに危害は加えない!」

「ならば何故この洞窟に来た!」


 だめだ、会話をしようとしても突っぱねられ聞く耳を持ってくれない。どうすれば話をしてもらえるのだろう。


 ふいに服の袖が引っ張られる感触がした。

 見るとエリが近くまで来ていて、レストの後ろに立っている。


「レスト君、こちらの姿を見せてあげたらいいんじゃないですか?ほら、この洞窟って暗いし、あちらもこちらも姿が見えないまま会話してる状態ですし」


 お互いに姿を見せたらきっと恐怖も薄れるだろうとエリは言う。


「確かにその通りかも。でも灯りなんてどうやって……僕の炎の魔法は相手を刺激してしまうかもしれない」


 そういう意図がなくとも、攻撃したとられてしまう可能性もある。


「私に任せて!」


 そう言ったのはリリィだ。


「リリィ?リリィは灯りを灯せるの?」

「私を誰だと思ってるの?森の精霊ならこのくらい、へっちゃらよ!」


 言いながら、リリィはくるくると回転し空中へと飛び上がる。羽根がきらきらと光り出し、細かい光の粒子を降らす。それから手を組み祈るようなポーズをとると、唄うように呟いた。


「『エンライト』」


 リリィを中心に、洞窟に光が広がっていく。まるで暗い夜の闇を払う朝の太陽が昇るみたいに、洞窟はみるみるうちに明るくなった。


「すごい……」

「これは見事なもんだ」


 幻想的な風景に思わずエリが声を漏らし、ライムも感心したように呟いている。


「なんだ、何が起こった!」

「急に明るくなったダ!」

「魔法か!?」


 三者三様の声。

 洞窟の影が払われ、声たちの正体が明らかになる。

 レストの腰ほどまでしかない小さな体躯。しかしその頭はアンバランスに大きく、ぎょろりとした目と尖った耳が目を引く。肌は緑がかりしっとりとしていて、しかしところどころ傷ついているのが伺えた。

 その姿を見た瞬間、レストの脳内にはその生物を表す言葉が浮かんでくる。

 ゴブリン。

 それが三体、こちらを驚いた顔で見つめてきている。それぞれに特徴がある。真ん中にいるのは比較的ふっくらとした戦士のような風貌で、棍棒を手に持っている。レストに殴り掛かってきたのはこのゴブリンだろう。その右にいるのが、ひょろりと背が高く灰の髪を長く伸ばしていて、瞳はその髪に隠れていて見えない。木でつくった杖を持っているので、魔法を放ってきたのはこのゴブリンだ。一番左にいるのが、三体の中で一番小さく、その代わりに自分の背丈と同じくらいの鉤爪を装着している。


「人間……」

「精霊を連れているダ」

「怪物ではないのか!?」


 左から順番に声を発して、茫然と立ちすくんでいる。レストはハッと思い出したように彼らに語り掛けた。


「あなた方の隠れ家に突然押し入ってしまいすみません。危害を加えるつもりは決してなかったんです」


 ゴブリンたちはキーキーと鳴いてから目を合わせる。それから何かの判断を仰ぐように、彼らの後ろへと振り返った。

 そしてレスト達は気が付く。今までその存在に、自分たちが気付いていなかったことに。

 洞窟の奥。岩であしらった玉座にどっしりと座りこちらをじっと観察しているその存在。その体躯はレストよりも大きく、雄大な髭を蓄え、穏やかな目をしている。

 それはゴブリンの長。

 ゴブリンの長は三体のゴブリンたちにゆっくりと頷くと、穏やかな動作で立ち上がり、レスト達の前へと一歩進む。ずしん、と洞窟が振動した。


「レスト君……」


 小さくエリが呟く。大丈夫とレストも小さく返して、一歩前へと進み出る。


「お客人よ。我が仲間達が非礼、お詫び申し上げる。しかし彼らの瞳も怯えという闇に暗く閉ざされておったのだ。許してやって欲しい」


 疑心暗鬼。猜疑の心は、暗闇の中に潜むすべてをたちまち鬼へと変えてしまう。

 話し合おうと、彼は言っている。何故レスト達がこの場所に来たのかを問うている。


「改めて、こちらの無礼もお詫びします。この洞窟に、あなたの仲間のお一人が入っていくのが見えました。それを人の子供が怪物に襲われ逃げ入ったのかと思ったのです」


 怪物、という言葉にゴブリンたちはピクリと身体を震わせた。


「暗きに光を灯したお客人の言葉を信じよう。幼き子を救うため。その心意気や、よし。して、お客人型は何故この付近を散策しておったのか」

「怪物の巣へと向かっていたのでございます」


 素直に言うと、ゴブリンの長は「ほう」と眉を上げた。


「怪物の巣、とな?」

「はい。奇妙な怪物たちが急に現れだしたのは、山に遺跡が出現したためだと思われます」


 レストは話す。遺跡のこと。そこから大量に出てきた怪物のこと。自分たちはその怪物が山の全域に巣を作っていて、そこから増殖を繰り返しているのではないかと考察したこと。その巣を叩くため、それらの一つに急ぎ向かっていたこと。

 ゴブリンの長はレストの話を聞くと、しばらく目を閉じて思案していた。それから相分かった、と短く呟いた。


「我らは彼の怪物に住処を追われた」

「はい」


 突然の出来事だった、とゴブリンの長は言った。


「まるで草葉の蔭から現れるかのように、彼奴等は大群で押し寄せてきた。初めは対抗していた我らだったが、倒しても倒してもきりがない。気が付けば我らが仲間も数を減らし、この山に存在するゴブリンは、今この場にいるだけになってしまった」


 そう言ってゴブリンの長は仲間のゴブリンたちへと視線を向ける。情愛のこもった優しい目だった。


「あなたは最後に残った仲間を生かすため、こうして隠れて暮らしているのですね」「その通りだ」


 わかりました、とレストは頷くとそのまま深く一礼した。


「会話の場を設けてくださったこと、感謝いたします」


 むぅとゴブリンの長は唸る。


「我らはあなたたちの平穏を乱すつもりはありません。この場所のことを誰かに漏らすつもりもありません。さればここに深く留まる理由もありませんのでこのまま失礼させていただきます」


 それから踵を返し、洞窟の外へと向かって歩き出す。ゴブリンたちがあわあわと道を空けた。


 行こう、と小さく言うと、エリ達が慌てたようについてくる。


「レスト、もう話はいいのか?」


 ライムが聞く。視線は前を向いたままうん、と声だけで答える。


「待ち給え、お客人」


 すると後ろで声がする。レスト達は立ち止まり振り返った。ゴブリンの長とゴブリンたちが、まっすぐこちらを見ていた。


「お客人らはこれから、怪物の巣とやらを叩きに行くのだろう?」


 そうですとレストが答えると、ゴブリンの長が続けて問う。


「その巣を叩けば怪物どもは存在しなくなるというお客人の言葉は、信じるに値するか」

「断定はできません。それでも、そう信じた道を僕は──僕たちは進むだけです。何もしなければ、何も変えることはできませんから」

「ふぅむ」

「今まさに、そう信じる大勢の探究者たちが、怪物たちの巣へと向かっているはずです。この世界の謎を解き明かすため、自身の全霊をかけて」

「最後まで戦い抜く、と申すか」


 レストは頷く。それが例え間違いでも、試してみなければ分からない。ならばそれが間違いかどうか一つずつ確かめていくのが、探究者だ。

 むふふとオークの長は静かに笑った。


「お客人よ、名を教えてもらっても構わんか」

「レストと言います」


 そうかと頷いて、もっと早く出会いたかったと長は言う。


「世界の謎などは、我らにはどうでもよいことよ。されど我らが故郷を取り戻すことをあきらめてしまうは、死んでいった仲間達に合わす顔がないというもの」


 オークの長がレスト達の前に進み出る。続くように、仲間のゴブリンたちも立ち並ぶ。


「我らゴブリン族一同、レスト殿に力を貸すことを誓おう」


 その表情は闘気に満ちている。


「本当ですか!?」

「我らは嘘をつかぬ」

「今度こそ怪物をぶっ倒してやるダ!」

「それでおらたちの住処を取り戻すんだ!」

「よろしく頼む!レスト殿!」


 それぞれに意気込むゴブリンたち。それを見て、レストの仲間たちもわぁ、と表情を明るくさせる。

 彼らの加勢はとてもありがたかった。ゴブリンたちは、強い。人間に比べて力もあれば、知恵も働く。その長までもが仲間になってくれるというのだ。これで怪物たちに対する対抗する術がぐっと増える。ともすれば、互角以上に彼らと渡り合えるかもしれない。


「ありがとうございます!」

「礼は全てが終わるまで取っておくがよい」

「……はい!」


 こうして心強い味方が加わった一行は先へと急ぐ。





「止まれ!!」


 ライムの声が響いた。


「!!!!」


 レスト達はざざざ、と足を止める。


「着いたのかい!?」

「ああ、間違いない!ここだ!」


 確信に満ちたライムの声。しかしそこは先程とは変わらない山の景色が続いているだけだ。右を向いても左を向いても、青々と育った木々が乱立しているだけ。想像していたような"巣"のような光景は一つも広がっていない。

 しかしライムとリリィの様子がここがその場所であるということを如実に伝えてくる。


「なに……ここ……遺跡のドロドロとした空気を凝縮したみたいな雰囲気……キモチワルイ」

「あぁ、マナの循環が乱れに乱れまくってる。濁りまくった泉みたいな乱れ具合だ」

「でも何も見えないですよ?巣という割には……ひっ」


 そこまで言ってエリは言葉を失うように絶句した。みるみるうちに顔が青ざめていく。


「エリ?どうかした?何か見えたの?」


 問いかけるがエリに返事はない。その代わりにワナワナと震える手で虚空を指し示す。指されたその方向を見るが、レストは何も見つけられない。


「何かあるの?エリには何が見えているの?」

「レ……スト……君……ほんとに……わからない……の?」


 分からないの、と含みのある言い方をしている。エリの気が狂っているわけではない。彼女は確実に何かを認識している。

 レストはもう一度よく景色を見ている。目を細めて、木々の間を注視する。しかしやはり何も見えない。

 隣でライムが唸っているのが聞こえた。


「はは……これはすごい……」


 どうやら彼も何かを見つけたらしい。

 ゴブリンたちもそれぞれ、青ざめていたり険しい顔で目の間を凝視していたりする。


「レスト。少し視野を広くしてみなさい。細かい一部じゃなくて、大きく、全体を見るの」


 リリィがちょい、と軽くレストの頭を後ろに引っ張った。

 それで分かった。

 視えなかったのではない。それはずっとのだ。

 けれどそれはあまりにも大きくて、あまりにも景色に馴染みすぎていて、山の一部だと思っていた。大きな岩か何かだと思っていた。

 それがぐにょりと一度揺れたかと思うと、細かに震えだす。しっとりと湿った身体がゆっくりと反転し始める。そこにあったのは牙。丸く開いた口にびっしりと綺麗に並び、それに捕らえられた獲物をごりごりと削り細かくするための。

 目や鼻はないのに、その顔がしっかりとこちらを捉えている。認識している。

 ぞくりと寒気が走った。

 それはひるだ。

 巨大な蛭だ。


「……あぁ」


 絞り出すような声しか出ない。

 なんだこれは。こんなものが存在してもいいのか。こんなものが成り立つのか。


「こいつが元凶ですかい」


 髪の長い魔術師のゴブリンが強気に訪ねる。


「おそらくな。この場所が巣だとしたら、あいつは"繭"と言ったところだな」


 ライムが鼻を鳴らしながら答える。相当興奮している様子だ。


「繭だって?」

「あん中にな、"視える"んだよ。相当にデカいやつがな」

「視える、ってそういえばお前さん特殊な能力を持ってるんだったか」

「そんな話は後ダ!あれが元凶なら速攻で叩けば良いダ!」


 叫ぶなり、棍棒を振り上げながら戦士のゴブリンが突進する。


「あ、待て!」


 ライムが慌てて止めるが既に遅い。

 蛭が奇声を上げる。するとその身体から幾本もの触手が飛び出し、一本一本が鋭利な棘となって戦士のゴブリンに襲いかかる。

 戦士のゴブリンは走りながら、棍棒でそれ叩き落とす。足元に食らいつく触手を飛んで躱し、勢いを止めない。


「これでも食らうダ!!!」


 大きく振りかぶる。渾身の力を込めて棍棒を振り下ろす。

 ドカッと鈍い音がして、その衝撃が波紋となって空気を伝い、びりびりと肌を震わせる。

 蛭はびくともしない。水分を潤沢に含んだ身体がダメージを全て吸収してしまっている。


「チィッ」


 舌打ち。手応えがなかったといった様子だ。

 

 キシャアアアアア


 蛭が叫んだ。長い身体をその場で回転させ、しなる尾が戦士のゴブリンに直撃した。


「ぐはっ」


 いとも容易く吹き飛ばされて、戦士のゴブリンは地面を転がった。勢いは止まらずに、そのまま木の幹に強かに身体をうちつけて、ずるずると滑り落ちた。


「戦士ちゃん!!」

「駄目だ!」


 エリが思わず駆けだそうとするが、その腕を慌てて鉤爪のゴブリンが止める。エリがまさに一歩踏み出そうとしたその空間を、蛭の触手が勢いよく通過していった。


 それを視認すると、エリは「ひっ」と短く声を上げた。


「あいつは大丈夫だ、あれくらいで死ぬゴブリンじゃねぇ。それよりも目の前の敵に集中しろ!」

「は、はい!」


 鉤爪のゴブリンの言う通り、戦士のゴブリンは立ち上がって軽く首を振っている。


「まずはあの触手をどうやって突破するかだね」


 リリィが言う。


「そうだな、と言っても触手をどうこうしたところで、どうにかなるとも思えないがが」


 そう魔術師のゴブリンが言う視線の先で、大蛭は触手を再び身体の中に仕舞い、もとのでっぷりとした体形に戻っていた。ぐるりと首を回し、じっとこちらを観察している。


「いや、そうだな。一つだけ手はあるかもしれないぞ」


 鼻をひくつかせながら大蛭を観察していたライムが言った。


「本当か!」

「ああ」

「それは如何様にすれば良いのだ?」


 ゴブリンの長が問いに、ライムはふごふごと鼻を鳴らした。


「触手を伸ばすとき、あいつの意識は全て一つに集中している」

「どういうこと?」

「あの大蛭は、まだ複数の出来事に対する処理ができないってことさね」


 攻撃をする時、敵の攻撃に対処する時、その一つ一つの動作に、全ての触手が割り当てられている。

 一対一の対面であれば、それは脅威であるだろう。しかし言い換えれば、複数人で挑めば確実に勝機があるということだ。


「つまり誰かが囮になって、その隙に別の誰かが攻撃を当てればいいのね!」

「しかし体よくいったとしても、奴の身体を穿てるかは別の話ぞ」


 戦士のゴブリンが渾身の力で振り下ろした棍棒でさえも、いとも容易くはじき返したのだ。並み大抵の攻撃では無駄骨を折るだけだろう。


「ここにいる全員分の力を合わせなければならない」

「でもそうすると囮を誰がやるかっていうことになるけど」

「それなら私が──」

「僕がやろう」


 エリの声を遮って、レストが言った。


「でも、私の方が適任じゃないですか!」

「囮が一人だということは、全ての攻撃が集中するということだ。いくらエリが素早さに自信があっても、全てを捌ききるのは難しい」

「それを言うならレスト君だって──」


 レストはフルフルと首を振った。

 レストには心当たりがあった。視覚のない魔物が、何で敵を感知するのか。どうやって世界を見ているのか。


「それに、僕は自分自身が囮になるなんて一言も言っていないさ」

「え?どういうことですか?」

「つまりね──」


 レストのアイディアを聴いたみんなが感心したように目を見開く。


「なるほどな!それができたら全員で攻撃を叩きこめそうだぜ!」

「よく思いついたなぁ、びっくりだ」

「それじゃあそれでやってみましょう。ダメだったら別の考えを試せばいいのよ」

「そうだね、それじゃあ……」

「いくぞ!!!」


 全員がパッとレストから離れる。レストは剣を握る手に力を込めた。集中して息を深く吸い込む。想像するのは紅い紅い炎。それを丸めて、凝縮して、身体の中心で滾らせる。その力を、熱を、剣へと移動させる。

 鋼が紅く染まり始める。熱が空気を揺らしている。

 その熱を、一気に空へと開放する!


「『フレアブリッツ・大連弾』!!!!!!!!!!!!!」


 空へと放たれた大きな火球が爆発して、まるで花を描くように開き散る。無数の炎の弾が青い空を夕焼けのように紅く染め上げる。


 キシャアアアアアアアアアア


大蛭が奇声を上げる。身体を震わせて無数の触手が飛び出してくる。それらは全てレストが放った炎へと一斉に襲い掛かる。


「食いついた!!!」

「今だああああああああああああああああ」


 全員が走り出す。剣を、鉤爪を、棍棒を、腕を、身体を、魔法を、持てる全力を以て無防備を晒した大蛭にぶつける。


 グシャアッ


 潰れるような音がする。

 大蛭の身体は地面に叩きつけられ、「く」の字を描くかのように綺麗に折り曲がった。

 バタンと倒れて動かなくなる。ピクリともしない。辺りは静寂に包まれた。


「……やった」


 誰かがぼそりとそう呟いた。


「やった!やった!」

「倒したぞ!」


 湧き上がる歓声。

 レストは胸に達成感が込み上げてくる。

 やったんだ、怪物を生み出す元凶を倒したんだ!そう思って、笑顔を仲間に向けようとした時。


 ずりゅり。


 何かが這い出てくる音。

 分厚い大蛭の皮を剥ぎ棄てて、恐怖が中から這い出てくる。


 、とレストはそう思った。


 空気が震えた。違う、叫んでいる。高い周波数のようなものが脳に直接響いて不快感を催す。身体が細胞レベルで恐怖を訴えている。ガタガタと震える身体を抑えることができない。

 蛭から出てきたのはカマキリ、いや、蛇、違う、人間、そうじゃない、蜘蛛、否、


 化け物。


 圧。


 押し潰されそうだ。空気の重さだけでぺしゃんこになってしまう。


。生物としての次元が違う。


 立っていることができない。


 息を吸い込むことができない。


 直視する事さえ憚られる。


 襲ってくるのはただ純粋で暴力的なまでの、

 

 圧。


 圧。


 圧。


 圧。


 圧。


 化け物が、人の表情かおで笑った。


 絶望の鐘が鳴るのを感じた。

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