遭遇と邂逅

  四足獣。

 四つの足で地面を踏みしめ、荒い息を弾ませている。

 顔は豚だが尾は蛇だ。身体には黒い線が幾本も走っており背中には蝙蝠のような小さな翼が生えていて、それを目一杯に広げて威嚇している。こちらを睨み姿勢を低くし、いつでも飛び掛かってこれるように身構えていた。

 しかしその身体は、魔物にしては小さく、小型の飼い犬程度の大きさしかない。


「な……っ!?」


 突如現れたその素っ頓狂な見た目の生物に驚きと疑問の入り混じった声を上げ、ゴウダンは思わずガクリとその場に崩れ落ちそうになる。

 レストも驚きを隠せずに口をあんぐり開ける。レストの懐に隠れていたリリィが少しだけ顔を出し、「あらかわいい」とのんびりした声を上げた。

 そう、可愛かったのだ。レスト達の目の前に現れた生物は小さくコミカルで、デフォルメされたようなその体を見ていると思わず力が抜ける。よく見れば、こちらを睨みつけるその目には涙が溜まっている。


「こ、これが新種の魔物……?」

「こんなのが馬車をやったってのかよ!」


 そうだ。目の前に現れたこの生物がいくら可愛かろうと、周囲の血みどろの光景がある以上、油断を怠ってはいけない。この生物がどれほど強くて凶悪かもわからないのだ。

 レストは気を引き締めて剣を握りなおす。いつでもアクションを起こせるように踵に力を入れて大地を踏みしめる。

 目の前の生物は依然として姿勢を低くしたまま動かない。

 時が凍ったように緊張して張り詰めた空気が続く。

 変化があったのは、数秒後だった。

 プギッ

 とその生物が鳴いて肩に力を入れる。


 「来た……っ」


 呟いてレストは剣を抜こうとする。

 その時だった。


「お前ら後ろぉぉぉぉ!!危ないぞぉぉぉぉぉ!!」


 目の前の謎の生物が甲高い声で叫ぶ。


「っ!?」

「くっ!」


 弾かれたようにレストとゴウダンが前に飛び退いて、ごろんと受け身をとる。瞬間、二人が身を隠していた茂みがバッサリと一瞬で消滅した。刈り取られたのだ。

 絶句。

 ゴウダンは青い顔になってワナワナと震えている。レストは冷や汗が自分の背中を垂れていくのを感じていた。

 そこにいたのは、怪物。

 怪物という以上になんと形容したらいいだろうか。

 背の高い人間ほどの大きさ。その手はカマキリのように巨大な鎌になっていて、顔はドロドロに溶けている液状の何かだ。身体は蛇のように長く伸びて足はない。とぐろを巻いて姿勢をとり、こちらを観察している。いや、顔も何もないのだから、どうやってこちらを認識しているのかも分からない。

 死の象徴のような存在がそこにはあった。


「これは……なんだ……?」

「魔物……?いや、生物と言ってもいいのか、あれは?」


 ドロドロと流れ動いている顔からぷしっと幾らか液体が零れ落ちて、地面を汚す。そこにあった草は一瞬で溶けもうもうと煙を上げ始めた。

 その液状の顔の一部に突如ぽっかりと穴が開き、ぐるりと彷徨うように動いたあと、それが半月を横たえた形に変化する。

 笑っている。


「ひっ……」


 その笑みはレスト達を死の国へと導くものだ。

 恐怖の風が身体を竦み上がらせた。

 レストは確信した。勝てない。戦えすらもしない。

 背筋が凍り付くのを感じていた。それはゆっくりとこちらへと近づいてくる。

 レストは動けない。ゴウダンも動けない。

 怪物が距離を縮めてくる。

 ゆっくりとゆっくりと。

 着実に確実に。

 死ぬ。殺される。

 馬車をやったのもこいつだ。

 同じように自分も殺される。意味もなく、意味も持てず。

 死が近づいてくる。

 終わった。

 レストは目を閉じる。


「させるかあああああああああああああああ」


 甲高い声が響いた。

 ビュンと突風が吹いた。

 それが死の風を振り払う。再び目を開く力を与える。

 弾丸のような勢いで、自身の横を突き抜けていく何かをレストは見た。

 それは先ほどの生物。レスト達の目の前に現れた四足獣。

 その謎の生物がしろがねの弾丸となって怪物に突っ込んでいく。

 鈍い音が響いて怪物が咆哮を上げる。謎の生物の渾身の体当たりが怪物のバランスを崩して地面に伏せた。


「さっさとねやああああああああああああああ」


 素早く起き上がった怪物に対して、すかさず謎の生物は体当たりを続ける。怪物が鎌を振り対抗するが、素早く動いてその間を縫い、怪物を攪乱かくらんする。


「どうやらあいつは敵というわけではないようだな」


 その声に横を見ると、肩で息をするゴウダンが目に入る。それでレストも、自身が何とか動けることに気が付いた。


「僕たちはあいつに助けられたのか……」


 あの生物が現れなかったら、自分たちは怪物の存在にすら気が付かず命を落としていただろう。レスト達が茂みに身を隠している間も、じわりじわりと侵食するように奴は背後まで近づいてきてたのだ。

 ぞくりとする。


「あいつは何なんだ?なんで俺たちを助けてくれたんだ?それに、あの訳の分からんデカいのは何だ!?」


 今まで声を発せなかった分、ゴウダンは勢いよく捲し立てる。


「分かんない、でも……」


 ふと思い出す。自分たちの前に現れた時、あの生物も涙を浮かべてなかったか。もしかしたら、あいつも怖い思いをしていたのではないか。

 それなのにあいつは勇気を振り絞って自分たちの前に現れてくれたのか。

 あいつは身を挺して自分たちに危険を教えてくれた。

「あぁっ」


 プキーーーーーーーと悲鳴に近い声がする。

 謎の生物が怪物の鎌に捕らえられていた。

 

──やっぱりあいつでもあの怪物に勝てないんだ!


「ゴウダンさん」


 急いで剣を引き抜き、隣にいるゴウダンへと声かけた。

 見ると、彼も頷いて背中に背負っていた斧を握る。

 あの謎の生物が自分たちを助けてくれたのなら、今度は自分たちの番だ。

 今度は自分たちが、あいつを助ける!


「『フレアブリッツ』!!」


 レストの剣が紅に光り、炎の弾が発射される。怪物に当たって爆発すると、その上半身がぐらりと揺れて後ずさる。


「どっせいいいいいいいいいい」


 その隙をついてゴウダンが突進する。大きな斧を振りあげて勢いよく叩きつける。

 ぐしゃりと怪物の頭をつぶしながら地面に叩き伏せると、怪物の手が緩み、謎の生物が転がるようにそこから逃れた。


「死ぬかと思った!」


 謎の生物は水から上がった時のようにぷはっと息をはきながら、急いで怪物から離れていく。どうやら無事のようだ。


「おまえたち!助かったぞ!」

「こちらこそ!」


 叫びながら返事をしてレストは走り出す。

 ゆらりと地面から起き上がる怪物は怒ったように両手の鎌を振り上げている。その懐めがけてレストは飛び込んだ。


 地面を蹴る。鎌が迫ってくる。空中で身体をひねりそれを躱し剣を抜く。

 一閃。

 鉄を打つような音がして、レストの身体が地面へと着地する。

 一瞬の時間が流れた後、ずるりと滑るように怪物の身体が二つに分かれ崩れ落ちた。


「やった!」


 ゴウダンが歓声を上げ、謎の生物も飛び上がって喜ぶ。


「おまえすげえな!!」


 嬉々とした表情で一人と一匹が近づいてくる。これで脅威は去っただろう。

 早く馬車に戻って無事を報告しなければ。

 レストも剣を腰に差しなおし、安堵の表情でため息をついた。


 ずりゅ。


 背後で音がした。


「っ!!!」


 足がすくむ程濃厚な気配。憎しみだとか、苦しみだとか、そんなネガティブな感情を凝縮して煮詰めたような重い空気が漂ってくる。

 その圧力にレストはパクパクと打ち上げられた魚のように口を開閉させる。呼吸ができない。首が凍り付いて振り向むことができない。ゴウダンと謎の生物の絶望した表情で、自分の背後で何が起こっているのかが理解できた。

 懐がわずかに振動していることに気が付いた。リリィだ。恐怖に打ち震えているのだ。オークにすら立ち向かい啖呵を切ることができた彼女でさえ、森の女神の眷属の精霊である彼女でさえ、何もできずに恐怖に押しつぶされそうになっている。

 そこまでの存在なのか。

 そこまでの脅威なのか。

 此奴は、何なんだ。どこから湧いたんだ。何が目的なんだ。

 その手掛かりさえ掴むことさえできずに自分は死ぬのだ。

 此奴を野放しにしてはダメだ。此奴はいともたやすく人類を蹂躙する。そんなことになったら、千年かけてようやくここまで這い上がって来た人類は、再び闇の底へと落とされる。

 そんなことになっては絶対にダメだ。

 だけど足が動かない。

 拳を握ることすらできない。

 自分が死んだらゴウダンも謎の生物も、今度こそ殺される。

 そしたら此奴は別の人間を襲いに行くだろう。

 今此奴を止められるのは自分しかいないんだ。

 動け、動け、動け、動け!

 心の中で必死に叫ぶ。足を動かせ、剣を握れ、声を張り上げろ!

 でも動かない。恐怖に打ち勝つことができない。

 怖い、怖い、怖い、怖い、怖い!

 ぐわぁっと、空気が動く音がした。

 死の概念が、自分の心臓を鷲掴みにしている。

 レストは短く息を吸って思った。

 人は死んだら、どこに行くのだろうかと。

 案外その先にこそ、この世界の謎の答えがあるのかもしれないと。

 怪物の腕が振り下ろされる。



「よく頑張ったね」


 誰かの声がした。続けて風のような音。耳をくすぐるそよ風が頬を撫でて、自分の身体を通り抜けていく。恐怖と絶望を拭い去りながら。


 キシャアアアアアアアアアアアアアアアアア


 断末魔が聴こえる。誰のだろう。自分の首が動くのに気が付く。レストは恐る恐る振り向いてみた。

 少し前まで恐怖の権化だった存在が、ただの塊となっている。

 電池の切れたおもちゃのように、くたりと力が抜けて地面に転がっている。液状の顔は全てこぼれて蒸発していた。

 その傍らに誰かが立っている。剣を払い付着した血のりを落として、流れるように鞘へと納める。夜空のような色の髪。高い身長。満ちた決意と決して折れることのない意志をたたえた表情。

 知っている。自分はその顔を知っている。

 何故なら憧れだから。この人みたいになりたくて剣の道を選んだから。

 その人物はくるりと振り返り、いつの間にか尻餅をついていたレストに向かって手を差し伸べる。


「よく持ちこたえてくれたね。もう大丈夫」


 その手を取りながら、レストは知らぬうちに声を発していた。


「あなたは……!」



 サザルカン王国、王都。

 伝統的な衣装に身を包む人々で往来が賑わっている。木造建築の家屋がほっとするような安心感を与えてくれて、レストは帰ってきたことを実感する。


「中々良いところじゃねえか」


 ゴウダンがほう、と感心しながら呟いた。


「すっご~い、アルフの街と全然違うね!」


 リリィも歓声を上げながらひらひらと飛びまわっている。


「人々の住む街にきたのは久しぶりだな!」


 そう言ったのはレストの足元にちょこんと陣取っている四足の謎の生物だ。


 山での出来事の後、レスト達は殺された者たちを埋葬し、馬車へと戻った。それからは何事もなく、無事にサザルカンまでたどり着くことができたのだ。


「それにしてもまさか『剣聖』が助けに来てくれるとはな」


 何度目になるのか、ゴウダンは馬車の中でも散々言ったセリフを再び発した。それだけ感動が大きかったのだろう。レストだって同じ気持ちだ。

 そう、倒したと思った怪物が復活し、絶対絶命に陥ったレスト達を救ってくれたのは、サザルカン王国筆頭探究者『剣聖』その人だった。

 彼曰く、あの怪物こそが遺跡から出現した新種の魔物らしい。あっという間に山の全域まで広がってしまった怪物たちを討伐して回っている最中に叫び声が聞こえたので向かってみると、そこにレスト達が居たというわけだ。の怪物を倒した後、『剣聖』は怪物を調べるために、死体を抱えて先に王都へと帰っていった。


 その後サザルカンまでたどり着いたレスト達は同行していた他の探究者二人と別れ、今に至るというわけだ。


「んで、お前はこれからどうするつもりだ、レスト?」

「もちろん、ここに来た目的を果たすさ。ゴウダンだってそのために来たんでしょ?」

「そうだな……未踏遺跡調査。ここに集った探究者は皆そのために来たんだろうしな」

「だけどまずは『剣聖』さんに言われたところに行ってみようと思うよ」


 『剣聖』は去り際、「後でまた会おう」とレストに待ち合わせ場所を告げてきた。ヒヨリからの情報が伝わっていたのだろう。『剣聖』は一目見ただけでレストがレストであることが分かったようだった。


「そうか。俺はとりあえず今夜の宿の確保と、この都市のギルドに顔を出してくることにするよ」

「そっか、ここまで付き合ってくれてありがとう」

「まぁそういうな、ともに死線を乗り超えた仲だろう」


 そうだねとレストは返事をする。最初はただ馬車で乗り合わせただけの相手だったのが、怪物との戦闘を通して二人はすっかり顔見知り以上の仲になっていた。


「それでお前はどうするんだ、ちび助」


 そう言ってゴウダンが視線を落として、依然としてレストの足元にいる謎の生物に声をかけた。

 謎の生物はふごふごと鼻を鳴らして、


「ちび助などと呼ぶではない!俺にはライムという名前がある!」


 怒ったようにその身体を揺らす。

 自らをライムと名乗った謎の生物は、怪物との戦闘後もレスト達についてきた。彼がどこから来たのか、彼の目的は何なのか、それはいくら聞いても教えてくれはしなかったが、助けてくれた恩もあるので特に追及はしなかった。それに、彼も共に視線を潜り抜けた仲だ。レスト達と謎の生物ライムの間には、奇妙な絆が生まれていた。


「分かった分かった。んで、ライムはどうするんだ」

「俺はそうだな。とりあえずレストについていこうと思う」

「えっ」


 レストは短く声を出す。自分に同行するとは思っていなかったからだ。するとライムが眉をひそめて顔を近づけてくる。


「『えっ』とは何だ『えっ』とは!嫌なのか!?」

「い、いや別に嫌じゃないけど!!」

「ならよかろう」


 ふふんと何故か自慢げに胸を張るライム。


「そ、そうだね」


 そういうと、背後に涼しい気配を感じる。慌てて振り向くと、リリィの顔がある。


「レストくぅん?浮気ですかぁ?」


 さっきまでふわふわと遠くの方を飛んでいたはずなのに、いつの間にここまで来たのだろうか。普段とは低めの声で脅しをかけるように言う。


「えぇっ?」


 焦るレスト。顔はにこやかなのに今だけは何故か本気で怒っているトーンのリリィに思わずたじろいでしまう。


「はっはっはっは」


 その光景を見ていたゴウダンが豪快に笑った。笑いながらこれまた豪快にバンバンとレストの背中を叩く。レストは衝撃でゴホゴホと咳をするが、背中はまったく痛くない。きちんと力加減をしてくれているのだ。


「お前は面白いやつだな!レスト」


 そうにこやかな顔で言うゴウダンの視線はレストだけではなく、ライムとリリィをも順に巡っていた。


「えぇ……そう?」

「あぁ、そうだよ」


 そういえば前にも、誰からだったか同じようなセリフを言われた気がする。


「まぁお互いに頑張ろうや」


 そう言ってゴウダンは手を差し出す。


「うん、ありがとう!」


 レストはその手をしっかりと握って、握手を返した。



 ゴウダンと別れた後、レストはライムとリリィを引き連れて、懐かしい故郷の街並みを歩いていた。

 綺麗に舗装された道は歩き易く、木造の店の屋根から掛けられたランプがとろんとした光で照らしている。石畳に広げられたマットの上で、露天商がよくわからないものを沢山売っている。近くの酒場ではゲラゲラと騒がしい笑い声が巻き起こっている。

 山の夜はすぐに暗くなる。薄暗い景観と落ち着いた雰囲気がこの国の当たり前だ。だからこそ、人々は灯りを灯し、自分たちの居場所を確保して、そこで精一杯に騒ぐのだ。夜の闇に呑み込まれてしまわないように。

 その空気感がレストは好きだった。世界が闇に覆われても、人々はきっとその中で灯りを灯し、自分たちの居場所を守るだろうと。どんな闇にもその光を消し去ることはできないだろうと。この国にいるとそう思わせてくれるから。

 だからこそ自分は、その先に行きたいと思った。光を照らして居場所を守る人たちがいてくれるなら、その先に進む存在に自分がなりたかった。闇を払い、前へ突き進み、いつか炎を焚かずとも照らされる明るい世界を取り戻したいと願った。

 だから探究者になろうと国を出た。行く場所はすぐに決まった。全ての謎が渦巻く、原初の地へと。そうしてレストはアルフの街へとやってきたのだ。

 その時は一人だった。しかし今は、傍らに共に歩く存在がいる。それが何だか不思議な気分だ。


「ゴウダンのやつも言ってたけどよ、改めて良いとこだな、ここ」


 ぽてぽてとレストの足元で歩くライムがしみじみと言う。


「そうねー、私もなんだか、身体の調子が良いような気がするわ」


 リリィも賛同する。言葉の通りいつもよりひゅんひゅんと飛ぶ様子が軽やかな気がする。


「故郷をそんな風に言ってくれると嬉しいけど」

「女神様の森にいるみたいな感じだよ!」

「ライムはそういうの分かるの?」

「ん?ああ、そうだな。わかるというか、"視える"というか」

「へぇ、すごいね」


 レストたち探究者もマナを感知する能力には長けてはいるが、ぼんやりと感じる程度ではっきりと見えるわけではない。中には感覚が鋭敏で、マナの存在を手に取るように感知できる者もいるらしいが、ライムはそのような嗅覚が特別優れているのかもしれない。そもそも何の生物かも分からないので人間の常識に当てはめようもないのだが。


「おそらくこの国は全体のマナの流れが良いのだろうな。豊かなだけでなく、その循環に滞りがない」


 山々に囲まれている国なだけに、その恩恵が大きいのかもしれない。アルフの街然り、自然が豊かだということはマナが豊かだという証拠だ。


「しかしだな……」


 と、さっきまでとは打って変わったようにライムは神妙な声色になる。首を、というよりは身体全体を捻りながら唸っている。


「どうしたの?」

「そのマナの流れが、一部狂っているようなんだよな」

「狂っているだって?」

「あぁ。なんというか異様に強い別の"流れ"が侵食してきているというか、この国の流れを奪われているというか」


 ライムもその全体像をつかみ切れていないのかもしれない。断定はせずに云々と眉をひそめている。


「それは興味深い話だね」


 突然レスト達ではない別の声が参入してきた。

 レスト達は驚いて足を止める。目の前には、見覚えのある姿があった。

 それは怪物からレスト達を救ってくれた人物。


「『剣聖』!」


 リリィが声を上げた。

 見ると、レスト達は大きな建物の前に居た。巨大な柱に支えられ、白塗りの壁が重厚な存在感を放っている。入り口の上にはサザルカン王国のシンボルである巨大な狼のレリーフが飾られている。そこはサザルカン王国の守護神とされる山の神を祀った神殿だ。

 いつの間にか待ち合わせの場所に到着していたらしい。『剣聖』はレスト達をわざわざ出迎えに来てくれたようだ。


「やあ、レスト君。そして、リリィちゃん。それと……君は確か山の中でレスト君たちと共にいたね?」


 『剣聖』は屈んで足元の四足獣に視線を合わせる。


「ライムだ!以後お見知りおきを」

「そうか、ライム君。こちらこそよろしく」


 そう丁寧に返すと再び立ち上がってにこやかに微笑んだ。


「よく来てくれたね。さぁ、入って!さっき君たちが話していたことも是非聞かせて欲しい」


 『剣聖』に案内されて神殿の中に入る。王都に住んでいた頃、レストはよくこの神殿に通っていた。レスト自身信心深い性格というわけではなかったが、ここに来るとこの国の歴史や文化を知ることができたので、頻繁に足を運んでいたのだ。風通しの良い雰囲気も艶がかった石の床も記憶にあるままだ。壁には神に捧げる儀式の様子等が描かれていて、それは少しも色褪せることはない。昼間は太陽の光を取り入れて輝くステンドグラスは、今は夜の闇に静かに沈んでいる。

 リリィとライムは目を輝かせたり感心して鼻をならしたりとそれぞれに反応している。

 神殿の中を通り、壁の端の方に建てつけられたドアをくぐると、事務所のような場所に来る。ここに入るのはレストは初めてだ。

 テーブルがあって、向かい合うように二組のソファが置かれている。部屋の奥には作業机と壁には沢山の本棚が並んでいた。


「なんだか隠し部屋みたいだな!」

「同じ神殿の中とは思えないわよね」


 ソファに座るように促されて、レストは腰を下ろした。リリィはレストの頭の上に、ライムはレストの隣に器用に座る。


「改めて、ここまでご足労頂きありがとう。レスト君、そして仲間のお二方」

「いえ、こちらこそこのような場を設けていただきまして……お会いできるのを楽しみにしていました」


 レストが丁寧に頭を下げると、『剣聖』はふふ、と微笑を浮かべた。


「それは嬉しいね。『槍姫』──ヒヨリさんからは話を聞いているよ。あのオークの王を討伐した探究者が、今回の遺跡調査に参加でしてくれることは大変心強い」

「レスト、お前オークを倒したのか!」


 話を聞いていたライムが感心したように前足を振る。


「ま、まあね。でもその時の仲間たちに助けてもらってようやく勝てたくらいだけど」

「謙遜しなくてもいい。オークの件については我々ウェポンズ・ウィルも手を焼いていたのだから。それに──」


 と、『剣聖』は一度話を区切って息を吸い込んだ。ふっ、と彼を纏う空気から力が抜け、柔らかなものになったような気がする。


「同じ武器を扱う者同士、俺っちも胸が高いからね」


 変わった一人称だな、とレストは思った。こっちの方が素の喋り方なのだろう。

 憧れの存在に褒めて貰い、レストは胸が熱くなる。


「そういえば、自己紹介がまだだったね」


 そう言って『剣聖』は自分の手に胸を当て、その称号に恥じない優雅な振る舞いで恭しくお辞儀をする。


「俺っちはルクス・アーノルド。知っての通り、この国サザルカンの筆頭探究者であり称号は『剣聖』。君たちと出会えたことを光栄に思うよ」


「よろしくお願いします」


 レストも頭を下げて返答する。それを見てニコリと笑ってからルクスは頷いた。


「本題に移ろう」


 空気が再び固くなる。

 レストはゴクリと唾を鳴らして神経を集中させた。


「今回発見された遺跡は、この国から北西にしばらく進んだ山合に存在する。山の中に一部だけ開けた場所があるんだが、知っているだろう?」


 レストがこの国の出身だと知っての物言いだ。事実レストにも、その場所に心当たりがあった。レストは頷く。

 その山は深い木々に覆われ立ち入ることが困難でめったに人が入らない。野生生物の天下となっているような山だがその中腹辺りに、何故だかぽっかりと穴が空くかのように更地になっている部分がある。隕石が落ちたのだろうとか旧世紀の人間が儀式のために開墾したのだろとか、様々な憶測が飛び交ってはいるが、その真意は明らかになっていない。ただ、レストの記憶ではそこには更地が広がっているだけで、遺跡らしいものがあったようには思わない。


「しかしあの場所には何もなかったはずです。人も滅多に立ち入りませんし」

「そうだね。君の記憶は間違っていない」


 遺跡がそこに出現したのだと、ルクスは語った。


「出現した、ですか?何もないところに?」

「何もないと思われていたけど、それは確かに存在していたんだ。千年間ずっと、いや、それよりも前から、その遺跡は存在していたんだよ。ただ俺っちたちがそれに気が付かなかっただけで」

「今まで気が付かなかったのに、どうやってその遺跡が見つかったの?」


 レストの頭の上からリリィが尋ねる。


「盛り上がってきたんだ」


 ぱちくりと瞬きを繰り返し、きょとんとするリリィ。おそらくレストも、そしてライムも同じような顔をしていただろう。


「盛り上がってきた……て、地面から?」

「その通り。信じられないかもしれないけれど、本当の話さ」

「そんな、植物じゃあるまいし」

「最初は俺っちもそう思ったけど、でも実際に見たら信じるしかなかった。なにせ……」

「なにせ?」


 促すようにライムが言う。

 ルクスは息を吸って残りの文章を勢いよく終わらせた。


「なにせ盛り上がってきた遺跡が更地だった広場にぴったりと収まったのだから」


 まるでその更地は遺跡のために設けられたものだったかのように。いや、むしろ遺跡が最初なのだろう。何かしらの出来事によって遺跡は地中深くに眠ることになり、その後に更地だけが残った。

 そんなに大きなものだったのか、とレストは思う。そんなに大きな遺跡が地中深くに埋まっていた?今までずっと?

 あまりの情報に頭がその状況を想像しきれていない。そんなことが人間に可能なのか。旧世紀の人類は、そこまで優れた技術を持っていたのか。それとも何か別の存在が、故意に遺跡を隠しでもしたのだろうか。


「遺跡の調査は既に始まっている。いや、始まろうとしていた」


 しかしすぐに難航してしまってね、とルクスは続ける。

 その理由はレストにも分かる。


「新種の魔物ですね」

「そうなんだ。普通の魔物が沢山出てくる程度なら問題はないんだけどね」


 そうしてルクスは眉間に皺を寄せ難しそうな顔をする。


「レスト君も遭遇したあいつだよ。あの奇妙な姿をした怪物だ」


 レストは背筋が凍り付くの感じた。怪物の姿が頭に浮かび上がってきて、言葉を失い、それからせき込むように胸を上下させる。


「本当にあんな強い怪物が沢山出てきたんですか?」

「本当だよ」


 間髪入れず。ルクスは難しい表情のまま肯定した。


「あれに似通った魔物が──もはや魔物と言って良いのか分からないけれど──多数遺跡から溢れ出したんだ。並みの探究者じゃ手も足も出ない。だからこそ今回はウェポンズ・ウィル勅令ちょくれいの依頼になったんだけど……」

「あのレベルの怪物がうじゃうじゃと湧いてしまったら、それこそ災害です!」

「そうだね。幸いにも奴らは遺跡の守護を目的としているようで、ある決まった範囲までしか行動できないようなんだ」


 ほっとすると同時にレストは一つ理解できてしまった。


「それじゃあ僕らの馬車が襲われたのは……」

「運悪くあいつらに行動範囲に入ってしまった、いうことだ」


 見通しが甘かった、とルクスは呟いた。

 さらなる被害を防ぐためにも、各国からサザルカン王国へと渡るルートを絞り直さないといけないだろう。実力ある探究者たちがサザルカンにたどり着く前に襲われてしまったのでは意味がない。


「北西の山っていったよな?」


 今まで話を聞いていたライムが、ふと思い出したように呟いた。


「え、ああ、うん。そうだよ。遺跡が出てきたのは北西の山だって」


 レストが肯定する。


「レスト、さっき俺、マナの流れが一部狂ってるって言っただろ?」


 レストは脳の中の情報を順番に見ていくように、視線を斜め上から下へと移動させる。すぐに思い出した。この神殿までの道のりでライムが話していたことだ。


「うん、そうだね」

「その元凶がな、多分その遺跡だぜ。この土地の元々のマナの流れとは違う流れが生み出されているのが、まさに北西なんだ」

「本当かい?ライム君」


 ルクスが身を乗り出して尋ねる。


「ああ。俺、そういうのちょっと視えるんだよ」

「そうなのか……もしかしたら、君の能力が役に立つかもしれない。君のことを少し聞いてもいいかな?」

「いいぜ」


 そう言ってライムはちょこちょこと机の上に移動する。そうしたほうがラクスと話しやすいからだろう。


「まず君は一体どういう存在なんだい?君のような存在は今までみたことも聞いたこともない」


 そこはレストも気になっていたことだ。突如現れたこの謎の生物は、一体何者なのか。


「うーん、そう言われてもなぁ。俺にも分かんないんだよな」

「分からない?」

「うん。気が付いたら俺はこの世界にいて、それからずっとここら辺の山で暮してきたんだ。それよりも前のことも知らないし、自分自身のことを聞かれても分かんないよ」

「君のその『ライム』という名前は?」

「あぁ、これか?これはな、俺が初めて出会った人間が名付けてくれたんだ。名前がなくちゃ可哀そうだからなって」

「そうか」


 目を細めて懐かしそうにつぶやくライムを、ルクスは優しい目で見つめている。


「ずっと山で暮してたんでしょ?その名付け親の人間ってのも山で出会ったの?」


 リリィが聞く。


「そうだぜ。動物用の罠にかかった俺を助けてくれたんだよなー」

「ライムは山にどれくらい住んでるの?」

「あぁ?うーん、あんまり意識してねえけどよ。うーん。千年とちょっとかなぁ」

「そんなに!?」


 千年。それに加えてちょっと。このは、おそらく数百年の単位の話だろう。つまり彼はリリィたち精霊や森の女神様と同じ程生きているのだ。ライムを名付けた人間も、一体いつの時代の人間やら。

 話を聞きながらルクスはライムをじっと観察している。


「君は面白い身体をしているね。顔は豚のようだけど、身体には黒く線が入っているし。翼もある。おまけに尻尾は蛇の頭だ、奇しくも──」


 見たままに言って、それから少しの間口に出すのを迷ってから、次の言葉を続ける。


「奇しくも、遺跡から出てきた怪物も、君のように継ぎ接ぎのような体を持っているね。何か関係はあるのだろうか?」


 レストは思う。そういえばそうだと。山の中で出会った怪物は、カマキリの鎌のような腕を持っていたし、下半身は蛇の尾のようだった。まるで別々の生き物を切って貼ったような生物。だから奇妙な感覚を覚えたのだ。

 そしてライムもまさに……。レストはごくりと唾を呑んだ。

 しかし彼は自分たちを助けてくれた。となれば彼は悪い存在ではないはずだ。


「そう、それなんだけどよ」


 ライムが思いのほか軽い口調で言った。何か心当たりがあるのだろうか。


「俺も、俺と同じような奴らを初めて見たからよー、最初は話しかけてみたんだよ。何か知ってるかもしれないと思って」

「それで、結果はどうだったんだい?」

「駄目だね。話なんて通じやしねえ。それどころか襲ってきやがった」


 でもよ、とライムは続ける。


「その時俺は思い出したんだ」

「思い出した?何をだい?」

「俺は、やつらを倒さなくちゃいけねえってことを。それが俺の使命だってことを。ま、それ以外のことはボンヤリしてて分かんねえけどな」

「怪物を倒す……使命……」


 レストは深く息を吸った。だからライムはあの時、自分たちを助けてくれたのだ。


「そうか、君は何か特別な存在なのかもしれないな。ありがとう、話を聞けて助かったよ」

「いいってことよ!」


 満足げに胸を張って、ライムは律義にソファに戻ってくる。


「レスト君、改めてお願いしたい」


 ルクスはレストに向き直って視線を合わせる。


「世界を闇から救うために、今回の遺跡調査に手を貸してくれないだろうか。君の、君たちの力が是非とも必要なんだ」


 レストの答えは決まっていた。

 その道が例えあの怪物と再び対峙しなければならない恐怖と繋がっていようとも。この道を乗り越えなければ前には進めないなら、行くしかない。


「もちろんです」


 そうしてまた一歩、自分の目指す自分へと近づいていくのだ。

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