回帰するのは進むため
長いので変わらずヒヨリとお呼びください、と彼女は言った。
「コレット王国......筆頭......!?てか、アルフの街を統括って!?」
「ええ、はい。未熟ながらこのアルフの街を治めさせていただいております」
謙遜した風に言うが、口調自体はハキハキとしていて曇りがない。それがかえって底知れぬ彼女の実力を滲みだしていた。凛とした佇まいには一切のブレはなく、ただ静かに野に咲く花のようにしっかりとした芯の強さを兼ね備えている。
彼女は探究者だった。しかも並大抵のレベルではない。
「筆頭……それってつまり、この街で一番強いってこと?」
レストの考えていることをなぞるかのようにリリィが疑問を口にする。
それを頷きで返してから、レストはごくりと唾を呑んだ。
「それどころか国で一番ってことだよ」
「国で一番……!」
筆頭探究者。その称号は国で一番の実力を持つと認められた証。国の代表や象徴としてとして扱われるだけではなく、政治への参加さえも許されている。
闇に覆われたこの世界で現存する国は九つ。国としての形態を崩さないながらも、各々バラバラの国という認識であるわけではなく、世界全体を一つとして見るために交流を保ち、人類がブラッド・フォールの闇に対抗するために協力体制をとっている。国々を繋ぐ手段の一つとして存在するのが、各国の代表である筆頭探究者たちというわけだ。
「そんなすごい人だったの?ヒヨリちゃんって」
リリィが感心したように溜め息をついた。レストも驚きを隠しきれず、まじまじとヒヨリの姿を見てしまう。小さな体躯。こんなに狭い肩幅に、この街を、国を、世界を背負っているのだ。
筆頭探究者は、君主制や共和制──どの形態をとる国であっても、そこに住まう民たちによって選ばれ決定される。正真正銘、誰からも認められなければなることができない。だからこそ彼らは、探究者がどのような存在であるべきか、人類はこの世界にどう立ち向かっていけばよいのか、それを決めるための最高機関として機能しているのだ。
その一員に選ばれるまでにはどれほどまでの道のりがあったことだろうか。
「ということは、ヒヨリさんにも武器の名前が!?」
「なになに武器?名前?どういうこと?」
半ば興奮したようにレストが聞いて、興味深げにリリィもそれに乗っかる。
筆頭探究者の面々は全員、得意としている武器や戦法が違う。これは昔からの伝統で、そうでなければならない決まりらしい。つまりそれぞれがそれぞれの武器の扱いにおいての最高峰だということだ。
そのため彼らは一人一人、得意武器を冠した名で称される。それが転じたのか、いつの頃からか武器の称号を請け負った筆頭探究者九人は総じて『
説明を聞いたリリィも目を輝かせて、「知りたい知りたい!」とまるで子供のように身体を上下させている。
ヒヨリは二人の勢いに少し困ったように笑うと、遠慮がちにその名を口にした。
「『
ちょっと恥ずかしそうに頬を赤らめる。
「『槍姫』……!」
言えば言うだけ重みが薄れてしまうような気持ちで、レストはその名を復唱した。
その名を知らなかったわけではない。知らないはずがない。だが、その正体がこのような少女であるとは夢にも思っていなかった。
自己紹介の際に自身で口にした通り、ヒヨリが背負うのは月と太陽をシンボルとして掲げるコレット王国だ。世界の国々のほとんどが君主制をとっているが、その例に漏れずコレット王国もまた王を元首とする国家で、小さいながらも保有する探究者のレベルの水準が高く、また王国にしては珍しく変化や改革に柔軟で多くの者に開かれた国との呼び声が高い。
アルフの街はこのコレット王国の名のもとに開拓された街である。それを成せたのも評判に
その国の筆頭探究者であるヒヨリが、この街を統括しているのも頷ける話だ。
ちなみに、レストの生まれはコレット王国ではなく、サザルカンという別の王国だ。ヒヨリのことを知らなかったのもそれが要因の一つであるかもしれない。
レストの国の代表である筆頭探究者のことならばレストも良く知っているし、顔も幾度も見たことがある。無論、一方的にではあるが。
「でも、どうして出会ったときに教えて下さらなかったんですか?」
レストが疑問をぶつける。ヒヨリが海の遺跡や極秘事項であるオークのこと、それらを知っていたのも、彼女が『槍姫』であるならば当然だ。それを明かさずに自分たちと接していたのは何故なのか、レストは不思議だった。
「その……」
うつむき加減にヒヨリが唸る。困ったような微笑を浮かべ、まるでいたずらをした子供を諭すような口調でその答えを紡いだ。
「だって、私の立場を知ったら、皆さん急によそよそしくなるじゃないですか…」
あ、とレストは思った。
ヒヨリは『
筆頭探究者。国に認められ選ばれた代表。つまるところ、全ての探究者の憧れでもある。その上アルフの街をも統治する者となれば、人々から向けられる彼女への視線はそれに相応したものになってしまうだろう。実際、レストもまさにそういう目で彼女を見てしまっていた。探求者の憧れの存在を前にしてレストが興奮で舞い上がるのも無理もないが、まさにその様な扱いがヒヨリはあまり好きではないのだろう。
「仕方ないって分かってるんですけどね。でもなんだか、ちょっと寂しいじゃないですか」
軽く笑う。その気持ちは立場も境遇も無視した、年齢相応の、彼女の等身大の気持ちだ。それが素直に理解できた。できたからレストはペコリと頭を下げる。
「ヒヨリさん、ごめんなさい。僕、少し舞い上がりすぎてました」
「いえ、レストさんが悪いわけでは……!」
「それでもすみません。ヒヨリさんの気持ちは、理解できます」
「ヒヨリちゃんはヒヨリちゃんとしての自分を見てくれた方が嬉しいのね」
リリィが言う。彼女も少し申し訳なさそうだった。
「だから、これからは単純に探究者としての先輩として、ヒヨリさんのことを慕わせてください」
「ええ……はい!」
ニコリとヒヨリが笑う。そこに憂いは無く、花が咲くような笑顔だった。
「それで、レストさんはこの後どうするおつもりですか」
空気を切り替えて、ヒヨリはレストに質問を投げかける。その質問からヒヨリが何かしらの話題を切り出そうとしていることは、レストにも理解できた。
「もちろん、二つ目の神器を見つけにいきます。その神器が祀られている聖域の見当は、まだついていないですが……ああ、でもその前に、女神様に報告に行こうかなと」
「それは結構なことだと思います。誰よりもレストさんの無事を案じているのは、女神様だと思いますから。是非お顔を見せに行ってあげてください」
はい、とレストが返事をすると、ヒヨリは笑って頷く。それから手を組んで顔の前に持っていきながら、ぽつりと漏らすように呟いた。
「実は、レストさんにお願いがあるのです」
「お願い……ですか?」
はい、と今度はヒヨリが返事をして話を続ける。
「先ほど、新しい遺跡が発見されたと言ったのを覚えておいでですか?」
「ええ。新種の魔物が湧いて出たっていう話ですね」
「そうです。実は近々、その遺跡の調査が我々ウェポンズ・ウィルからの正式な依頼として公表されます」
「本当ですか!」
通常、探究者に掲示される依頼は各国や各街のギルドの裁量に委ねられている。所変われば需要の出る依頼もその内容も大きく変わるからだ。しかし『
「それで、その、できればなのですが、レストさんも我がアルフの街の精鋭として、この任務に参加してもらいたいのです。もちろん強制ではありませんが──」
一度言葉を切って、ヒヨリは息を吸いこむ。この続きの言葉こそが、彼女の本当に言いたかったことなのだろうと、予想することができた。
「先ほども言ったかもしれませんが、新たに発見されたこの遺跡と、アンブロシアの件はまったくの無関係だとは思えないのです。直接的ではなかったとしても、何かしら次の神器へのヒントが見つかるかもしれません」
それはレストを丸め込もうとして発せられた言葉ではなく、彼女自身の考えから発せられる本心の言葉だ。
アンブロシアの封印が解けそうになるのと、オークの暴走、そして新たなる遺跡が発見されたタイミングが、あまりにも重なりすぎている。これが偶然ではないのかもしれないということはレストも薄々とながら思っていたことだ。
「それはもちろんです。この世界の謎を解き明かすことは僕の夢でもあります。それに近づくことができるなら、参加しない理由はありません」
「……ありがとうございます!」
ヒヨリが嬉しそうに言う。
「それに、今回の遺跡は、レストさんにとっても縁深い地だと言えるかもしれません」
「縁深い、ですか?それはどういう……」
「新たな遺跡が発見されたのは、レストさんの出身であるサザルカン王国の近くなんですよ」
「そ、そうなんですか!?」
「サザルカン王国の筆頭探究者さんも今回の作戦に参加してくださるそうです」
「ということは……!」
「はい、『
『剣聖』──それこそがサザルカン王国の筆頭探究者であり、その存在こそがレストが探究者の道を歩むきっかけとなった。正義感に溢れ、こと剣の技術において敵う者はいない。いつか彼と肩を並べることこそが、レストの数ある目標の内の一つでもあった。
「あの『剣聖』と同じ場所で……仕事ができる……!」
沸々と上ってくる喜びを抑えきれずに、ワナワナと震えるレスト。さらに続くヒヨリの言葉が、彼に追い打ちをかけた。
「レストさんのことは『剣聖』さんにも伝えておきます。是非とも彼と共に遺跡の調査に臨んでください」
「パッ……!」
絶句。嬉しさの絶頂に言葉を失う。
レストはそのままただの塊のように動かなくなった。
「……パ?」
あまりに長い沈黙だったので待ちかねたようにリリィがレストの顔を伺うと、破顔したまま白目を剥くレストの顔があった。
短い時間の後ハッと意識を戻したように体を震わせると、
「パーティを組ませてもらえるんですか!?『剣聖』と!?」
「えぇ、はい。レスト君はオークの王を見事に討ち果たしました。彼とパーティを組む実力は十二分にあると判断します。それに、同じ武器を扱う者同士、得られるものは多いでしょう」
あ、と短く唸ってレストは自分の腰に手を触れる。いつものベルトに、いつものように剣が収まっている。オーク戦の際にエリに渡された剣。その剣の柄を撫でると、質素な装飾がごつごつとした感触を手に伝えてくる。
ヒヨリは自分のことを想って行動を起こしてくれているのだ。“お願い”として今回の任務を紹介してくれたことも、『剣聖』と組ませてくれたことも。
この先レストにいかなる強敵が待ち受けているか分からない。神器を収集する折、どうしようもない程の強敵に遭遇することもあるだろう。そうした時レストが今のままでは、その試練の突破も難しくなる。そうなればアンブロシアの再封印も遠のいてしまう。
強くなりなさい、とヒヨリは言ってくれているのだ。
その気持ちが嬉しくて、歯痒くて、レストは自然と頭を下げる。
「……ありがとうございます。自分の全力を以て任務に臨みます」
丁寧に頭を言うと、上から控えめな衣擦れの音が聞こえてきた。それでヒヨリが頷いたことが分かった。
「頑張ってきてくださいね。私は今回裏方に徹しなければなりませんが、いつでも応援していますよ」
「はい!」
満足そうに頷いた後、ヒヨリは「あぁそれから」と思い出したように何かを取り出し始めた。
「これをレスト君に託したいと思うんです」
そう言って机の上に乗せたのは、何かの古い紙。端の方はボロボロに崩れてしまっているが、まだかろうじて長方形を留めている。その上に書かれた文字は、レストにも読むことができた。
「『アルファリカ』……?ヒヨリさん、これは一体?」
「例の遺跡から発見された遺物です。何かの護符であるかと思うのですが」
詳しいことは分かっていません、とヒヨリは呟く。
「遺跡が建てられた経緯、そして当時の信仰に関わるものかもしれないと、我々ウェポンズ・ウィルの会議では結論が出たのですが、それ以上のことはまだ判明していません」
「そうですか……」
「ですが、何らかのヒントになるかもしれません」
ヒント、とは神器の件についてだ。
「その護符の謎の究明も含めて、レストさんに託したいのですが、構いませんか?」
「わかりました。謹んでお受けします」
遺跡の謎を解くことができれば、この世界の謎についても近づくことができる。それが
全ては何かに繋がっていて、全ては何かの要因となっている。
結局のところ、一歩ずつ進んでいく以外に道はない。
「あの、ですが」
そう言ったレストにヒヨリは首を傾げる。
「どうしてヒヨリさんはここまでやってくれるんですか?」
最初は面識すらなかった。むしろ勝手に押しかけ、情報をくれとあれこれ聞き出したのは自分の方だ。それでもヒヨリは快く協力してくれただけでなく、自分の身を案じてくれさえもした。
「それはもちろん……」
屈託のない澄んだ声。当然の事を言うかのようにヒヨリの口は淀みなく動く。
「この街の新人探究者を応援するのは、センパイ探究者としての役目ですから」
シシシ、と今度はいたずらっ子っぽく微笑した。だけどもそれは柔らかくレストを包んでくれるような笑み。どこか女神様の笑った顔に似ているな、とレストは思った。
〇
『いちごへび』を出て、街の中心へと向かいゆっくりと歩く。リリィものんびり気ままに飛びながらレストの後をついてくる。
時刻はもう夕方だ。オレンジの光が森の中にまったりと溶けて、寂しいような、恐ろしいような、そんな情景を描き出していた。野菜を売る店、雑貨を売る店、薬を売る店──街の通りに並んだ店々が、今日最後の一押しとばかりに商品を宣伝している。
それらをぼんやりと眺めながら帰路につく。
と、不意に目の前が暗くなる。そのすぐ後に軽めの衝撃。
「うわっ」
「わっ」
と同時に声を出して、目の前を見ると中肉中背で黒髪の、優しい顔をした青年が立っていた。どうやらよそ見をしていた所為でぶつかってしまったらしい。
「す、すみません!」
すぐに謝る。後ろからリリィも慌てて飛び寄ってきた。
「いえ、こちらこそボーっとしてしまって」
そう発せられた声は高めの穏やかな声で、聴いていると安心するような声色だった。
その青年は頭を掻きながらごめんね、と言う。
「もう、何やってるのよ」
レストに追いついたリリィが言うと、青年は「おや」と目を
「君は精霊さんだ?」
「うん、そうよ!リリィっていうの、よろしくね!」
物怖じしないリリィを見て、男性は愉快そうにけらけらと笑う。
「これはご丁寧にどうも。最近は精霊も見なくなってきたからね。久しぶりに会えて嬉しいよ」
「ありがと!」
笑みで返事をした後「ということは君がレスト君か」と今度は視線をレストに向けながら男性は呟いた。
レストは驚いて青年の顔をまじまじとみた。
「あの……どこかでお会いしましたか?」
レストが思い出せる限りでは、この男性と顔を合わせた記憶はなかったはずだ。何かの折に、知らない間に関わっていたのだろうか。
「ああいや、初めましてだよ。でも最近、それなりに噂を聞くからね。精霊を連れた探究者がいるって。それって、君のことでしょ?」
のんびりとした口調の説明に、そういうことかと納得してレストは頷く。
「改めましてレストと言います。先程はぶつかってしまいすみませんでした」
「いやいや、気にしてないから全然大丈夫。僕は……ユーイっていうんだ。よろしくね」
「あ、よろしくお願いします」
差し出された手を握り握手に応じる。太くはないが大きくて、包み込まれるような感触がした。
ユーイと名乗った男性は満足そうに頷き、
「それじゃあ僕はこれで。任務頑張ってね~」
そう言ってひらひらと手を振りながら去っていく。それにお礼を返した後で、レストは若干の違和感を覚えてふと振りかけた手を止める。
なんだろうとしばらく考えて、あ、と顔を上げた。
「任務……」
"任務頑張ってね"と彼は言った。任務とは新規に発見された遺跡調査のことを指しているのだろうか。だとしたら彼が何故そのことを知っているのだろうか。レストはヒヨリから直々に教えてもらったので知っていたけれど、まだ『
「……いや、知ってるわけないか」
探究者なら何かしらの依頼を受けているだろうと踏んだのだろう。
きっとそれだ。そうに違いない。
自分が気負いすぎてピリピリしていただけだ。
そう思い直して再び歩みを進める。リリィと何気ない会話をしながら、今回の聖域での顛末を女神様に報告しに森へと向かうのだった。
〇
未踏遺跡調査作戦。
『
森は変わらずにマナに溢れていて、アンブロシアの影などまるで見えない。しかしそれは女神様の奮闘によるものだとレストは知っている。彼女は渾身の力で、身を削ってまで必死でアンブロシアを封印の扉の向こうに押さえ込んでいるのだ。
今回の遺跡調査の成果によっては、次の神器へと繋がるヒントが見つかるかもしれない。そうすれば少しでも女神様の手助けとなる。そう思うと一層身に力が入る。生まれ故郷であるサザルカン王国へと向かう馬車の中で、レストは熱い想いに燃えていた。
サザルカンは雄大な山々に囲まれた王国だ。自然が造りだした堅牢な城塞がどんな難敵でさえも阻む難攻不落の国とする反面、中から出るのもそれなりに難しい。
馬車から外を見つめると、隆々とした山の峰が走っているのが見える。複雑な山の緑と原色で塗ったような空の青の対比が目に優しい。
レストにとって、それは見慣れた景色だった。
「まさかこんなにも早く戻ってくるなんてなあ」
国を出た時、しばらくは戻ってこない覚悟だった。
原初のブラッド・フォールの発生地を調査するためどれだけの時間がかかろうともアルフの街から動かない心づもりでいた。
それが今、こうして懐かしい故郷の景色をこの目に再び映している。しかもそれは夢破れて戻ってきたのではなく、夢に近づくためだというのだから面白い。
近づくために、離れることもある。人生とは分からないものだ。
「なんだ、兄ちゃんサザルカンの出身なのか」
誰かがレストの独り言を拾う。
「えぇ、そうなんです」
それに返事をしながら、レストは外から馬車の中へと視線を戻した。
馬車の中に乗っているのは数人の探究者たち。レストを除いて、盛り上がった筋肉が逞しい男と、羽根つきの帽子を深く被った痩せ型の男、そして長い金色の紙を縛ってまとめている女の三人だ。その中の筋肉の探究者が人の好さそうな笑みを浮かべて話しかけてきたのだ。
「私、行ったことない!」
長い旅路に退屈したのだろうか、今まで大人しく景色を眺めていたリリィも、話に乗っかってくる。先はまだまだ長い。ずっと黙ってるよりかは会話を楽しむ方が気も紛れるだろう。
「どんなところなの?サザルカンって」
「俺も初めて訪れるんだ。よかったら教えてくれよ」
筋肉の探究者もレストの話に期待して身を乗り出している。他の二人の探究者は興味なさそうに、それぞれ目をつむっていたり変わらず外の景色を眺めていたりする。
「うーん……アルフの街を開拓したコレット王国が開かれた国と称されるなら──」
ちょっと考えてレストは言う。
「サザルカンは反対に閉ざされた国、かな」
「閉ざされた国?」
「そう。伝統と格式を大事にしてて、昔ながらの生活様式を守りながら暮らしているんだ。だから基本的に他人とは距離を置くんだけど、一度顔見知りになっちゃえばむしろすごい仲良くしてくれるよ」
「でもさー?」
リリィが口に指をあてて首を傾げる。
「閉ざされた、っていうくらいなのに、よく今回の遺跡調査に関しては積極的に参加したね?」
国の最高峰である『剣聖』まで出動するのだ。確かに積極的であるとも言えるかもしれない。もちろん『
「まぁ未踏遺跡が自分たちの国の近くだったっていうのもあるんだろうけど……閉ざされた国だからこそ、かな?」
「どういうこと?」
警戒心が強いのだろうな、とレストは思う。サザルカン王国は九つある国の中で唯一、人類の前進ではなく人類の存続を第一に掲げる国でもある。
現状を変えるのではなく、そうなってしまったからには人類の不利にならない程度に魔物達との共生を考える。改変改革よりも現状維持。そういう国だ。
今回の未踏遺跡の調査に対して積極的なのも、いち早く不安要素や未解明要素を無くして、自分たちのスタンスを決定したい──おそらくそういう考えなのだろう。
「なるほどな。山に囲まれてると外からの出入りもそうそうないだろうからなぁ。自然とそういう国民性になるのかもな」
レストの説明を受けて、筋肉の探究者は納得したように頷いている。
ガタンと馬車が揺れた。いよいよ山道に入る。
ここからしばらく山の中を進めば、ようやく国の入り口が見えてくる。
と、その時だった。
ギャアアアアアア
と叫び声が響いて、バリバリバリと木材と布とが破壊される音が響いた。それは前方の木々の中から聴こえてくる。姿は見えないが、そこにはレスト達に先行して進んでいた馬車がいたはずだ。それがもしかしたら魔物に襲われたのかもしれない。
次いでレスト達の馬車もガクンと大きく揺れて、それから動きを止めてその場に留まる。荷台を引っ張っていた馬たちの
叫び声は依然として聴こえていて、それは人間とも獣ともつかぬものだった。
「運転手さん!何があったんですか!?」
レストは急いで座席から飛びだし、今まで馬を操り馬車を進めてくれていた
「わ、分からねえ!叫び声が聞こえたと思ったら馬たちが急に怯えて動かなくなっちまった!」
馭者の男も何が起こったか分からないらしい。
「おじさん、とりあえずここから動かないで!何が起こったのか確認してきます。馬たちが急に動き出さないように見ていてあげてください」
「わ、わ、わ、分かった!」
こくこくと青い顔で頷く。それを認めるとレストは場所を降りた。
「坊主!」
後ろから声。見ると筋肉の探究者もレストを追って馬車から降りてくるところだった。
「俺もついていく!残りの二人には馬車の護衛を頼んでおいた!」
「ありがとうございます!えっと……」
「ゴウダンだ。俺にはここらの土地勘は無ぇ、先行は坊主に頼むが構わんか?」
「レストです。わかりました、急ぎましょう!」
互いに頷いて走り出す。
木々の間隙を縫い草葉をかき分けて進むと、すぐにその場所が見えてきた。
「ゴウダンさん!あれみてください!」
「あれは……!」
走りながら見えてきた光景を指さす。ゴウダンも驚いたように目を見張ったのが気配でわかった。
そこには血だまりが沼のように広がっていた。馬車は噛み砕かれたのか引き裂かれたのか既に元の形を残しておらず、その破片はいずれも血に塗れている。数刻前まで地面を踏みしめて進んでいたであろう馬がバラバラになっていて、景色に絶望的な彩を与えていた。馬車に乗っていた馭者や探究者たちも同様に、すでに肉片となり大地を舐めるかように転がっている。それが時折、生があった頃を思い出したかのように細かに動いており、それはまるで地獄の光景を模写してきたかのような景色だった。
むわっと広がる濃い鉄分の
「おいレスト!うずくまってる場合じゃないぞ!」
「は、はい……!」
吐き気をぐっとこらえる。まだ馬車を襲った存在が近くに潜んでいるかもしれない。ゴウダンと二人で慎重に身を隠しながら、辺りを見回す。
「このあたりに人を襲う魔物は生息しているのか?」
「いるにはいますが……」
この山に生息する魔物は幾らか種類がいるが、人にとって最も脅威に成りえる魔物は一種類しかいない。
「ガルフといって、狼の魔物です。鋭利な爪と強靭な牙を持ち、俊敏な動きで音もなく獲物を仕留める、山の狩人とも呼ばれる魔物です」
なるほどと低く呟いてゴウダンは目の前の悲惨な状況に視線を戻す。
「この惨状はそのガルフがやったのか?」
「……そうとも限りません」
「どういうことだ?」
「彼らは基本群れで行動します。それに、恐ろしく頭が良い。自分たちが挑んで勝てる相手かどうかをきっちりと判断して行動するんです」
「ふむ」
「自分より身体の大きな馬がいるうえに手練れの探究者が複数人乗っている馬車を……わざわざ襲うとも思わない」
がさりと茂みが鳴った。ゴウダンは背中に担いでいる大斧に手をかける。レストも腰の剣に手を当て、いつでも引き抜けるように準備をする。
「そして妙なのが……」言いながらレストは視線を動かした。ガサガサと絶え間なく茂みが揺れている。ざっと中にいる何かが動いて、別の茂みへと移動した。連続してあちらからこちらへ、こちらからあちらへと次々に移動する。
「殺された馬や人達が、一つも手を付けられていないってことです」
ガルフが人を襲う時は決まって食料として食すためだ。しかし眼前に転がる肉塊たちは、元の質量のまま少しも消費されることなく放置されている。これではただ意味もなく殺され、意味もなく腐っていくだけだ。
茂みの動きが早くなっていく。移動する感覚が狭くなっていく。
一歩一歩着実に、それはこちらへと向かってくる。レスト達の命を刈り取ろうと、死神がその鎌を振り上げ迫ってくる。
「だからきっとこの光景を作り上げたのはおそらく──っ!?」
突風が鳴る。風によって木々の葉が巻き上がる。小さなつむじ風がバサバサと辺りを襲い、その影に紛れて不可思議な気配の正体が飛びだしてくる。
「新種の魔物!」
そこに現れたのは見たこともない生物だった。
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