剣を振るうのは正義のためではなくて

 遺跡の入り口は相も変わらず闇をその奥に孕んでいた。レストは少し尻込みする。

 ここを幾人もの探究者たちが調査した?

 嘘だろと心の中で呟く。


「地獄へ降りていく階段みたいだ」


 声が壁や床に反響してくわんくわんと鳴る。それがより一層現実感を無くしていた。


「気を付け給えよ、暗いから」


 ノルトの厳格な声が後ろから聴こえる。その声もまた、階段の通路に反射して響く。


 頭に取り付けた電灯の明かりを頼りに、真っ暗な空間を下に下にと降りていく。

 階段を降り切ったとき、一気に開けた空間が出迎えた。


「広い……」


 床や壁に古代の遺跡の名残である装飾が残っていて、とこどころに崩れかけた石柱も見える。しかしその殆どは色褪せ、崩壊し、遺跡の体裁は微塵も残していなかった。


 大きな大きな洞窟が、腕を広げて待ち構えているのみである。


「この場所の何処かに、神器があるんだ」


 呟いた声は虚空に吸い込まれていった。


「オーク達も潜んでいる。慎重に進みた給えよ」

「そうですね」


 返事をしながら、レストは数刻前、遺跡に入る前に交わした会話を思い出していた。



 ●



「良いかね、我々の主な目的は三つだ。一つはオークに捕まった人々の救出。もう一つはオークの殲滅。そしてもう一つは神器の回収だ」


 遺跡の入り口。これまでこの遺跡に挑んできた探究者たちの探索の賜物である遺跡内部の地図を眺めながら、レストを含め十人からなる捜索隊は頭を突き合わせていた。


 ノルトがそれぞれの顔を確認しながら指示を出していく。


「中は巨大な空間になっている。そこから無数に通路が枝分かれしていて別々の部屋や空間へと繋がっているはずだ。オーク達の住処となっている場所もあるので留意するように」


 はい、と捜索隊の声が揃った。


「中へ突入したら三人一組の小隊に分かれて進む。それぞれ人々の救出を最優先に。遺跡の中でのオークとの戦闘は全員を救出し終わるまで極力避けろ。その他は各々の判断に任せる」


 了解しましたと再び声が揃ったのを確認すると、ノルトは振り向きレストに声をかけた。


「レスト殿は私の班に入ってもらう。救出を優先しつつ、神器入手の方法を探っていこうぞ」

「分かりました。ありがとうございます」



 ●



 各小隊がそれぞれに分かれて通路の闇の中へと消えていく。


「では我々も行こうか」

「はい」


 遺跡の中は暗かったが、全くの暗闇というわけでもなかった。

 それというのも、遺跡の壁の至る所にはとあるものが掛けられていたからだ。


「松明……ですよね。どう見ても」

「うむ、紛れもない松明だな」


 ぱちぱちと音を立てて爆ぜる松明が整然と洞窟の壁には掛けられている。レスト達が持ち込んだものではない。明らかに人為的に並べられたそれらを見て、浮かび上がってくる答えは一つしかなかった。


「オーク達の手によるものか……」

「彼奴等にこのようなことができる知性があるとは」

「彼らは本能により動いているわけではないということでありますか」


 小隊の一人が問う。


「少なくとも火を起こせるほどの知識とそれを活用するほどの文明力はあるということだ」


 何気なく発せられたのであろうノルトのその言葉が、レストに心の中で跳ね返って反響した。


 そう、文明。オーク達は紛れもなく独自の文明をもって暮らしている。それがどれ程恐ろしいことであろうか。


 レストが昨日、形にできなかった感情が徐々に輪郭を持ち始めてきていた。


 恐怖。

 それは被食者が捕食に対して抱くような恐怖ではない。自分たちよりも知性も能力も高い別の生命が、気が付いたら自分たちに代わり世界を支配していた──そんな恐怖だ。


 ブラッド・フォール以降、おそらく人類が何度も思い知らされたはずであろう恐怖。


 この世界において人類は弱肉強食の頂点ではない。そして文明における頂点でもないのかもしれないと。


 レストは背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。


 その時、何かが頬を撫でたような感触がした。同じタイミングで壁に掛けられている無数の松明の火が揺れる。ぱちぱちと木が燃える音が一瞬強くなった。


「風、でありますか?」


 小隊の誰かが呟いた。


 どこかに風の通り道があるらしい。元からあったのか、オーク達が空けたのか。


 その風に乗って何かが微かに聞こえてくるのをレストは聞き逃さなかった。


「何かが聞こえる」


 そう呟くと、レストの足は引き寄せられるように動き始める。


「ちょっと、どこに行かれるんですか!」

「待ち給え、レスト殿!」


 レストは風が漂ってきた通路に足を踏み入れる。松明による微かな明かりが奥まで続いている。慎重に足を進めるにつれて、音の正体がはっきりと聞き取れるようになってきた。


「助けて……助けて……」と、か細い声で繰り返し聞こえてくる。


 レストは足を速めた。



 そこは広い空間だった。一つの大きな部屋になっていて、人間の大人が何十人も入れる程広い。天井は遥か高く頭上にある。部屋の真ん中あたりを木組みの格子状の扉が空間を仕切っていて、その向こう側には人が数人倒れているのが見えた。皆息はしているようだが瞳に生気はない。


「ここは牢屋……か?」


 オークに捕らえられた人たちがこの場所に閉じ込められているらしい。

 その牢屋の中に大きな影が一つあるのに気が付いた。


「レスト殿!」

「どうされたんですか急に!」


 後から追いついてきたノルトと小隊のメンバーが声をかけてくるが、レストはそれに返事をしなかった。


 牢屋の中の光景から、目が離せなくなっていたからだ。


 そこにいたのは、一体のオーク。だが、その体躯は異常だった。

 昨日見た他のどのオークよりも高く、大きい。こちら側に背を向け壁の方を向いているが、それでも威圧感で押しつぶされそうだった。


 コイツはオークのボスだ。

 頭の中でそんな考えが浮かんで消えた。


 ふと、オークがその太い腕で何かを掴んでいるのが見えた。


 それは人間の首。

 それは女の子の首。

 壁に押し付け高々と持ち上げている。

 掴まれた女の子は苦悶の表情を浮かべている。


 女の子は動き易そうな軽装をしており、腰には小刀を納めるベルトを着けていた。ヒヨリが言っていた攫われたアルフの街の探究者とはこの子のことだろうか。


 苦しそうに呻きながら「助けて……」と今にも消え入りそうな声で繰り返している。


 オークは全く手を緩めない。表情こそ見えないが、ただその口元から楽しむような下卑た笑い声が漏れているのが聴こえてくる。


「これは」

「酷い……」


 レストが何に注視していたのかを悟った小隊の面々も各々に顔を青くしている。

 それに気が付いたのかオークがピクリと肩を揺らすと、ゆっくりとその首を回し、こちらに振り返る。その視線は、氷のように冷たかった。

 

「なんだぁ……?どっから逃げてきた?」


 地を這うような声だった。身体の芯まで響いて震えるような、そんな声。


「逃げてきたのではない。我々は貴様らを討伐しに来た者だ」


 ノルトが声を張り上げて言う。

 オークは一瞬、目を見開き、それからフンと鼻を鳴らした。

 その後だった。


「ギャハハハハハハハハハハハハハハ!!」


 地を揺らさんとするばかりの爆笑。


 未だオークの手で掴まれている女の子が、何かのトラウマを刺激されたかのようにびくりと身体を震わせる。


「な、なんだ!何故笑う!」

「俺たちを討伐するだとぉ……?」


 くつくつと笑いが収まらない様子でオークは肩を震わせていたが、ある一点でそれが唐突に止まる。


 「やってみろよぉぉぉぉぉぉぉぉぉやれるもんならあああああああああああ」


 激高。

 空気がびりびりと振動して、痛いくらいにレスト達の肌にぶつかってくる。

 思わず倒れてしまう小隊のメンバーもいた。


 叫び終わったオークが振りかぶりその腕を持ち上げる。女の子を掴んでいた方だ。抵抗のできない女の子の身体がぶらんぶらんと振り子のように揺れている。


「まさか……やめろ!」


 ノルトが叫ぶがその声は届かない。そのままオークは腕を振り下ろすと、掴んでいた探究者の女の子を力いっぱいに格子に投げつけた。

 鈍い音が響いて木組みの格子が砕け散り、女の子の身体は地面に叩きつけられる。


「かはっ」


 肺から息が全て出たような声が聞こえた。

 レストは急いで女の子に駆け寄る。死んではいない。だが危険な状態だ。レスト達が来るまでも、相当オークに嬲られていたのだろう。身体のあちこちに傷や痣が見受けられる。

 

 視界の端にどす黒い色が接近してくるのが見えた。


「くっ……!」


 急ぎ女の子を抱えて横に飛ぶ。


 ドゴォッ


 轟音。


 オークの腕が地面を抉る。一瞬前までレストが立っていた場所が、まるで脆い豆腐のように崩されていた。


「チィッ、うろちょろと!」


 レストは急いで体制を立て直し、女の子を腕に抱えたまま後ろに下がる。


「レスト殿、その子は!」

「まだ生きてます!でも、危険な状態です!」

「分かった!君はその子を連れて逃げるんだ。こいつは私たちが片づける!」

「いえ」


 そう言ってレストは女の子を小隊のメンバーの一人に預ける。


「この子をお願いします」

「は、はい!」


 メンバーの一人が女の子を連れて去っていくのを確認してレストはすぐさま前に向き直る。


「僕には確かめなきゃいけないことがある」


 オークは依然として暴れていた。

 腕を振るえば遺跡の壁を破壊し、足を踏み込めばいとも容易く床に穴が開く。

 このままでは捕らえられていた他の人たちの命も危険だ。


「僕がオークをひきつけます。その隙にノルトさんたちは救出を急いで!」

「しかしレスト殿、君はまだ──」

「お願いします!」


 勢いよくレストが言うと、ノルトは一瞬目を見開いて、それから頷いた。


「分かった」


 そう言ってノルトと残りの小隊メンバー一人で倒れている人たちの救出に走り出す。させまいとオークが手を伸ばすが、その手は何かに弾かれるようにバチンと仰け反った。


「お前の相手はこっちだ!」


 レストの抜いた剣が紅く光っている。オークの手を弾いたのは、レストが放った炎の弾だった。


「こしゃくなああああああああ」


 振り下ろされるオークの手。レストは再び横に飛んで攻撃を避ける。

 攻撃の一撃一撃が重く強い。一つでも被弾したら、その時点でアウトだろう。

 ごくりと唾を飲み込む。


「『フレアブリッツ』!!」


 炎の弾を打ち出しながら、オークを攪乱していく。弾幕を張り相手の注意を逸らし、懐に飛び込む。剣を握りしめ、最大限の力を込めてオークの皮膚に向かって振り下ろした。


 ガキンッ


 鈍い音が響く。

 ジンジンとした衝撃を手に感じながらレストは後ろに飛び退いた。


「硬い……!」

「ぐはははははは」


 オークは勝ち誇ったように笑っている。


「そんな攻撃で俺を倒そうなどと思っていたのか?」


 流暢な言葉でオークは嘲笑する。

 この世界の言語は、一つしかない。魔物も人間も分け隔てなく。

 それ以外はすべて失われたから。 

 これ以外は残らなかったから。

 あるいは地の底より齎された一つの言語に淘汰されてしまったのかもしれない。

 そのどれかだとしても、今認知すべきは相手は間違いなく知性を持った存在だということ。間違いなく対話が可能な存在だということ。

 だからレストは確かめなければならない。

 何故オークという存在は人を襲うのか。

 何故オークという存在は人から奪うのか。



「……君たちは強い」

「んん?」

「こんなに強いなら、何故人間を襲う必要があるんだ……?」

「何をぶつぶつ言っている?」

「何か理由があるのか?」

「理由、だとぉ?」

「人間を襲って、人間を連れ去って、そこに何かそうしなければいけない理由はあるのだろうか?」


 オークはレストを睨みつけている。煩い蠅を追い払う時のように、冷たい目をしていた。


「君たちは、仲間のために墓を作る。仲間の死を憂う心がある。ならば、人間たちも同じように死にゆく仲間たちに対しての憂いがあることを、君たちは想像しなかったのだろうか」


 レストは真っすぐにオークを見つめた。


「連れ去られた家族が悲しい思いをすることを想像しなかったのだろうか。蹂躙された苦しみを想像しなかったのだろうか。君たちはそれを想像することができるだけの知性があるはずだ。それなのになぜ、君たちは人間を襲うんだ!」


 一瞬の間があった。

 静寂が訪れた。


 気が付いたらノルトさんたちもいない。倒れている人たちもいない。どうやら全員助け出すことができたようだ。


 この場にはオークとレストだけ。お互いに対峙している。

 そしてオークが、笑い出した。


「ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」


 空気が震え、砕け散った岩々が振動でカタカタと動く。

 レストは表情を変えずにじっと立っている。

 長い笑いが終わり、再び静寂が訪れた。

 オークが視線をレストに戻した。


「そんなもの、楽しいからに決まっているだろう」

「…………」

「俺たちは強い!強さは正義だ!弱いものはな、強いものに蹂躙される運命さだめにあるんだよ。何故人間を襲うかだって?いいだろう、教えてやるよ」

「………………」

「俺たちの快楽のためだよ!!!!!!いいか、人間は俺たちの欲求を満たすために存在するんだ!!人間は良いよなぁ、特に。脆いからすぐにピーピーわめきやがる!!!それなのになぁ、ちょっと力を入れるとあっさり潰れてすぐに静かになる!これが面白くてたまんないだよ!!」


 オークが楽しそうに語る。その表情は恍惚に染まり、語る内容に嘘はないことが伺える。


「どうだ分かったかよぉニンゲンさんよぉ!何か高尚な理由があったかと思ったか?ギャハハハハ!!だったら御苦労な話だ!!」

「……そうか」

「それで、答えを聞いたお前はどうする?怒り狂って俺に立ち向かってくるか?それとも尻尾を巻いて逃げ出すか?どの道俺に潰されるだけだろうけどな!」


 レストは何も言わなかった。何も言わないで剣の構えを解く。その隙を見逃さず、オークは太い腕を振りかざす。


 グシャッ


 と酷い音がしてレストの身体が吹き飛ばされる。そのまま勢いよく壁にぶつかり、轟音を響かせながら岩が砕ける。レストは力なく地面に倒れこんだ。


「レスト!!」


 今までレストの懐に隠れていたリリィが慌てて飛び出した。必死にレストの肩を抱き呼びかける。


「バカあんた何やってるのよ!死んだらどうするの!」


 唐突に出現した精霊に、オークは目を光らせた。


「ほおぅ、妖精……いや、その上位種である精霊か。旧世代の幻想の住人よ」


 リリィはキッとオークを睨む。


「何よ、たかだか千年の歴史しかない種族のクセに!言っとくけどね、私とレストはアンタなんかに負けやしないんだからね!」

「くくく……できるものならやってみればいい。尤も、お前の大事な相棒は今にも死にそうだけどなぁ!」

「う……」

「それとなぁ精霊様よぉ、アンタは何か思い違いをしているぜ」

「思い違いですって……?」

「俺たちは確かにこの現世うつしよでは千年しか繁栄していないが──」


 オークの表情が一変する。今までは冷たい表情ながらもどこか余裕の笑みを孕んだものだったのに、その全てが一瞬にして険しいものへと変貌した。まるで何かに対する恨みを思い出しているかのような、過去の苦しみを噛み潰しているかのような、そんな表情だった。


「──幽世かくりよでは貴様らよりも長い年月を生きていたんだぜ」

「……現世?幽世?あなた、何を言っているの?」

「ギャハハハハハ!知らないだろなぁ!知らなくていいさ!何故なら……」


 オークが振りかぶる。その腕にはどす黒い恨みの魔力が込められていることを、リリィの目は判別することができた。


 全力の構えだ。この場一帯ごと吹き飛ばすつもりなのだ。


 リリィは動けない。動かない。レストがいるから。レストを守らなければならないから。


「お前たちはここで死ぬのだから!!」


 オークが叫ぶ。腕が振り下ろされる。

 リリィは目を閉じた。


 ガキンッ……


 鉄の塊が折れる音がして辺りに静寂が訪れた。


「……あぁ?」


 オークは首を傾げた。自身の攻撃が受け止められたからだ。今までこんなことはなかった。オークという種族のトップとして生きてきて、初めての出来事だった。

 渾身の力を込めた一撃が、確かに振るった自身の腕が、全くの手応えも無しに止められた。

 それを為したのは、先ほど自身が瀕死にしたはずの少年だった。


「レスト!」


 リリィが叫ぶ。レストは血まみれで彼女の前に立っている。剣は折れ、身に着けていた装備もボロボロに破壊されていた。それでもレストは立っている。

 レストがゴフッと咳を一つすると、続けてどろりと鮮血が口から溢れ出た。


「……殺させやしないさ。そして、死にもしない……!」

「レスト、大丈夫!?」

「リリィ、ごめん。危ない目に遭わせてしまって」

「そんなこと……」


 オークは一歩後ずさる。困惑の色を隠せない。この少年は何をした?どうやって自分の攻撃を防いだ?


「貴様……どうして……」

「……僕にも分からないさ。ただとっさに身体が動いただけだ」

「ぬかせ!」


 この時リリィは気が付いた。レストの周囲に光る障壁のようなものが張り付いていることに。


 オークが再び殴り掛かる。レストは折れた剣を振り上げる。


 ガキン!


 衝撃が周囲に響く。レストはその反動で後ろに転がった。しかし確実にオークの攻撃を捌いている。どうやら光る障壁が、オークの攻撃によるダメージを緩和してくれいるようだった。


「あの光は一体……?」

「何故だ、何故急に俺の攻撃が通らんんんん!!」

 オークは光に気が付いていないようだ。怒りで語気が強くなる。

「オークよ……」


 レストが語りかける。その口調は怒りでも悲しみでもなく、哀れみに近いものだった。


「君たちはきっと、人間を恨んでいるんだね。ずっと昔に何かがあって、それで人間を恨んでいるんだ。だから人を襲う」

「レスト、あなたまさかさっきの会話を……」


 レストは自分でも分からなかった。聞こえていたかもしれないし、聞こえていなかったかもしれない。ただリリィを通じて、オークの黒い憎しみが心に入ってきたのを感じていた。


 脳内に墓地の光景が蘇える。

 初めにオークの大群を見た時の違和感。リリィに連れられて墓地を発見した時の衝撃。


 レストの中で、何かが繋がったような気がした。


「きっと最初は仲間へ報いるだけのつもりだったかもしれない......。だけど時が経つにつれて目的を忘れてしまった。ただ人を襲うことを愉しむだけになってしまった」


 オークは耳を貸さない。ひたすらに、がむしゃらに、攻撃を繰り返している。レストはその攻撃を受け止めながら、なおも語りかける。


「この哀しき連鎖を終わりにしよう!オークの王よ!オーク達よ!」


 怒り狂うオークが猛進してくる。

 ひらりと身を翻し、レストは振り向きざまに斬撃を与える。が、刃が通らない。折れた剣では相手に傷を負わすことすらもできない。

 それでもレストは諦めない。

 オークが両腕を地面に叩きつける。レストは横に飛び退き、勢いを殺さずにそのまま壁を走りオークの上を取る。

 壁を蹴った。ひらりと空中で身を翻す。オークの背中に向けて一直線に落ちる、落ちる。


「らあああ!!」


 全体重をかけて剣を突き刺した。折れた剣の端がぐさりとオークの肩にめり込んだ。オークは咆哮をあげ滅茶苦茶に腕を振り回す。

 軽々と投げとばされたレストは地面に叩きつけられた。

 土が口の中に入ってうまく呼吸ができない。崩れた木の檻の破片が背中に突き刺さり悲鳴を上げている。

 でも死んでない。

 まだ、死んでない!

 すぐに立ち上がり駆けだす。

 何度も何度も。

 何度地面に跳ね飛ばされようと、レストは諦めずに立ち上がる。

 きっとここで自分が倒れたら、また哀しい連鎖が始まってしまうから。お互いがお互いを憎みあうしかない世界が終わらないから。

 そんなことは、絶対に嫌だから。


「人間共めがあああああああああああ」


 それはレストに向けた叫びだったのだろうか。大きく吼えたオークが今ままで一番激しく地面を踏み込んだ。


 大きな揺れ。

 レストはバランスを崩す。


「死ねえええええええええええ」

「くっ……」

「レスト!!」


 オークは腕を振り上げる。レストは起き上がれない。

 今度こそ、絶体絶命かと思われた。


 その時だった。


 シュン!


 風を切るような鋭い音が連続して鳴ったかと思うと、その刹那振り下ろされかけたオークの腕が空中で跳ね上がる。


 グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!


 耳をつんざくような叫び声が反響して洞窟全体を震わせる。


 見れば、オークの腕に無数の矢が突き刺さっていた。


「レスト殿!!リリィ殿!!」


 聞こえてきたのはノルトの声。手には大きな弓を携え、後ろに大勢の仲間を引き連れている。その中には、先ほどレストが助け出した探究者の女の子の姿も見えた。


「ノルトさん……?」

「遅くなってすまない!洞窟にいる全ての人々の救助とオークの討伐が完了した!残るはここだけだ!」

「これ、受け取って!!」


 探究者の女の子が抱えていた剣をレストに投げる。レストはそれをしっかりと受け取ると、剣を鞘から抜いた。ずっしりと重く、手に馴染むようだった。


「回復は任せるであります!」


 ノルトの捜索隊の一人がレストに向かって回復の魔法をかける。完治とまではいかなかったが、動けるまでにはなった。


「みなさん……」

「さぁ行け!若き探究者よ!貴様の信じる道を、その剣を以てして切り開け!」


 レストはしかと頷くとオークの方へ振り返る。


「がああああああああああああああああああああああああああああ」


 理性を失ったオークが暴れ狂う。地面を叩き、地団駄を踏み、暴虐の限りを尽くす。


 レストはそれを一つ一つ見極めて躱していく。身を翻しながら剣に魔力を込める。剣身は徐々に紅く紅く染まっていった。この技は、この炎は、自身が傷を負っていれば負っているほど力を発揮する炎だ。


 傷を、痛みを。

 憎しみを、悲しみを。

 怒りを、絶望を。

 そしてみんなが作ってくれた機会チャンスを。

 この一撃に、込める!

 オークが拳を振りかざす。レストは一度後ろに飛び退く。

 オークの拳が放たれるのと、レストが踏切を切るのは同時だった。


「『オーバードライブ』!!!!!」


 炎を纏った剣撃が、オークの肌を溶かし、身を切り裂き、命を絶った。炎の軌跡が洞窟を一瞬だけ昼のように明かるくする。


 それはまるで、オークに対する手向けのように。


 ズ、ズンと山が崩れるような大きな音がして、二つに切り裂かれたオークの身体が地面に倒れこむ。


 レストは勝利した。


 リリィが飛び寄ってくるのが見える。

 後ろで巻き上がる歓声を聞きながら、レストは自分の意識が薄れていくのを感じていた。


「レスト、レストやったね!」

「……うん」


 そう答えた記憶を最後に、意識が途切れた。



「それで、『海の遺跡』を根城にしていたオーク達は殲滅されたと?」


 どこかの場所。どこかの建物。

 荘厳な装飾が施された広い部屋はどこかの宮殿の一室を思わせる。

 部屋の真ん中には長方形の形をした大きなテーブルが置かれており、それを囲むように年齢や性別も様々な人間が九人、席についていた。それぞれの後ろには従者と思しき存在が二人ずつ待機している。

 先に発せられた質問に、別の声が答える。


「はい。たった今通達がありました。若き探究者とその相棒の精霊が、のオークキングを討ち果たしたようです」


 その言葉にざわめきが起きる。


「そいつは探究者になったばかりなんだろ?それなのにオークの親玉を退治しちまうなんて、一体どんな手品を使ったんだ?」

「面白いじゃないか。その子といつか手合わせしてみたいな」

「しかも精霊を連れてるときたもんだ。俺っちのところじゃ精霊なんてめったにお目にかかれる存在じゃないぞ」


 それぞれにそれぞれの感想を述べる。ひとしきり話し終えざわめきが収まると、最初の声が再び口を開いた。


「それで、その新人探究者クンと精霊ちゃんは何の目的でオークキングを倒す運びになったのかな?確かオークの件は極秘事項だったはずだけど。彼らはどうやってオーク達の情報を手に入れたのだろうかね」


 声の人物は視線を向ける人物を変えずにぼそりと呟く。


「ねえ、『槍姫やりひめ』ちゃん」

「それは私にもわかりかねます。『悟道ごどうつえ』さん」

「本当に?」

「ええ」

「ふーん。すましちゃってまあ」


 『悟道の杖』は軽く笑いながら視線を『槍姫』から外す。


「まぁ別にどこから情報が洩れようが構わないけどね。議題はそこではない」

「その新人さんにはどういう処置をとるんです?」

「功績っちゃ功績だが、何せ大々的には公表できねぇぜ」

「うん、まぁそこは槍姫ちゃんにお任せすればいいんじゃないかな。アルフの街は槍姫ちゃんの管轄だ」

「アタシもそれ賛成~」

「……わかりました。では彼らについては私が処置をとります」


 『悟道の杖』は頷く。


「今回の件といい、最近強力な魔物が活発になってきているね。目先の問題だったオークは片付いたけれど、考えるべき案件はまだ残っている」

「新しく見つかった遺跡のことですね」

「うん、しかも今回の遺跡は、今まで見つからなかったような過去の遺物がたくさん出土している。旧世紀の歴史を解き明かすことを主な行動理念とする僕たち探究者にとってこれは見過ごせない」

「しかし問題が発生した、と」

「遺跡から正体不明の化け物がいっぱい出てきちゃったんでしょ~?」

「そう。遺跡から大量に発生した未知なる魔物が、遺跡の調査を難航させている」

「彼らの目的は何なんっすかね?やっぱり俺たちの住処を荒らすなー、みたいな?」

「さぁな。だが出土した遺物の中にこんなものがあるぞ」


 低い声の誰かがそう言って、長机の上にばさりと資料を投げ置く。それには出土した遺物を写した絵が載っていて、それについての推察も添えられていた。全員の視線がそこに注目した。


「これは……護符?のようなものっすか?」

「そうだな。少なくとも何かへの信仰を掲げているものだ。魔物の守っていた石碑の中から出てきたらしい」

「あの……でもこれ……書かれている文字が読めますね……?」

「本当ですね。『アルファリカ』……?何かの名前でしょうか」

「俺っちも聞いたことないな」

「この遺跡を調べれば、ブラッド・フォールの謎にまた一歩近づくことができるかもしれませんね」

「うん、だから出土した遺跡や遺物の調査、及び新種の魔物の討伐を各国や各街に我々からの正式な依頼として登録したい。世界の謎を解くための最優先課題として掲げて欲しい」

「了解っす!」

「分かりました」

「了承した」

「は~い」

「わ……分かりました」

「オーケーだぜ」

「はい」

「ああ」


 各々に頷く。


「それじゃあ今日の議題は終了だ。皆気を付けて帰ってね」

 『悟道の杖』がそう言うと、皆ばらばらと立ち上がり退室する。

 『槍姫』と呼ばれた少女も立ち上がり、従者に声をかけ立ち去ろうとしたとき『悟道の杖』に呼び止められる。

「ちょっといいかな」

「なんでしょう?」

「オーク達と今回の遺跡の件に何か繋がりがないかを調べたいんだ。例の新人クンが帰ってきたら、よかったら話を聞いておいてくれないかな」


 ふふふと笑いながら、『槍姫』は返事をする。


「もとよりそのつもりですよ。甘いお菓子でも食べながらゆっくりとお話してみようかと思います」

「そうか、なら良いんだ。よろしく頼むよ」

「ええ」


 それじゃあと言って、『悟道の杖』も立ち去っていく。と、途中で足を止め、くるりと振り返った。


「僕も久しぶりに君のお菓子を食べたいな」

「いつでもお待ちしています」


 『槍姫』はにこりと微笑んだ。

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