かくして青年は物語を紡ぐ

 きらきらと輝く光の粒子が、心地の良い五月の小雨みたいに降り注いでくる。それが地面に当たると微かに輝きを増し、先ほどの戦闘で抉れた大地が蘇っていく。


「森の……女神……」


 レストは何が何だか分からなかった。

 精霊の噂を聞いてはいたものの、まさか女神と出会うとは思ってもいなかった。


「実は今、この森は大変な危機に瀕しているのです。そのせいで私の力が急激に衰えてしまい、あのような魔物達ですら追い払えないほど弱ってしまいました。もうだめだと思った時、貴方が来てくれて……本当に良かった……」


 安堵するように胸を撫で下ろす女神。レストは彼女が呟いた言葉を聴き逃さずにはいられなかった。


「森の危機ですって?」


 森は今までと変わらずに豊かだ。周囲のマナも豊富だし、衰えているようにも見えない。その森を守護する女神が、魔物を追い払えない程に弱っているのならば、目に見えた変化が起きていても良いはずだ。


「いつだって衰退は叙々に起こるものですよ」


 その言葉はレストの考えを読んだかのようだった。


「どんなものでも、いずれは死ぬものです。物事は絶えず緩やかに変化していっているのですよ。いずれその予兆も見えるようになりましょう」


 尤も、それが自然の流れによるものであるならば何の問題もないのですが、と女神は呟いた。


「今回は少し事情が違うのです」

「どういうことですか?」

「先程の魔物。あれは正確には魔物ではありません」

「魔物ではない?」

「魔物によるものであるのは間違いないのですが、正しく言うなれば、あれは魔物の根にすぎません」

「魔物の根、ですか?」


 今一全体が掴めない。


 あんなに強かったものが魔物ではないだって?それに、魔物の根というのは一体どういうことなのだろうか。


「そのままの意味ですよ」


 またもや女神はレストの思考を読む。


「順を追って説明しますね。この森は今、凶悪な魔物に乗っ取られようとしています」

「凶悪な魔物?」

「『血に臨む陥落ブラッド・フォール』は知っていますね?」

「はい」

「この森はブラッド・フォールが起こる以前から存在していました」


 女神は粛々と語り出し、レストはその言葉をしかと聴きとめる。


 曰く、この森に住まう女神と精霊たちは魔物とは全く関係の無い種族である。

 魔物という存在が出現する前から、女神と精霊は森を護り、その恵みを人間たちと分かち合い、平和に暮らしてきた。当時は彼女たちの事を“視る”ことができる人間は稀ではあったが、互いに認知し手を取り共存してきたのだ。


 大きな転換となったのはブラッド・フォールが発現した時だ。大量に出現したマナと魔物。世界に満ちたマナの効果で、全ての人間が精霊や女神といった“幻想の住人たち”を視認できるようになったのだ。


 一方で魔物たちは蹂躙を繰り返し世界は闇に浸食される。当然この森も例外ではなく、その脅威はいとも簡単に森へと足を踏み入れる。女神はその力を振るいなんとか魔物たちを退けていたが、ただ一つ厄介であったのが、多量に湧いてきた他の魔物とは明らかに格質が異なる『凶悪な魔物』に森を乗っ取られそうになったことだった。


 女神とこの土地に住んでいた人間たちは力を合わせ凶悪な魔物に立ち向かい、数多の犠牲を払いながら、なんとかその魔物を森の奥に封印したという。


 以来、女神はその封印を護る者として精霊たちと共に密かにこの森で暮らし続けてきたのだ。


「そんな……森の奥に魔物を封印だって?それをずっと護って来た?そんなはるか昔から……?」

「そうです」

「だって、ブラッド・フォールが起こったのはの事なんですよ?」

「うふふ、割と早いものですよ。千年というのも」

「まさか……」

「レスト。この森では今、凶悪な魔物を閉じ込めたその封印が解かれようとしています」


 何がきっかけでそうなったのかも分からない。女神が怠ったというわけでもない。しかし今、封印の結び目は綻び、その隙間から凶悪な魔物が復活を果たさんとこの森を蝕み始めている。ゆっくりと、されど着実に。


「もう残された時間はあまり多くはありません。わずかにではありますが、既に前兆は出始めています」

「前兆……そうか、あの木の魔物……やつらはその凶悪な魔物の眷属だったってことですね」

「そうです。マナの潤沢な生物を襲い、その栄養を主である封印の魔物へと送り届ける。さればこそ“根”なのです」


 レストはごくりと唾を呑んだ。


「レスト。お願いがあります」


 女神は意を決したように呟く。


 レストはその先に出てくる言葉を何となく予想していた。その願いを言うために女神はレストに話したのだ。この森に迫る、危機のことを。全ては、この先の言葉を言うために。


 それを聴くのがレストであったのは、偶然か、必然か。


 女神の瑞々しく潤った唇が開かれる。


「森の魔物の名は『アンブロシア』。の者の封印を、貴方にお願いしたいのです」


 風が吹いた。ざわざわと木々が揺れ、光の粉がそれに煽られ乱雑に舞う。鬱蒼とした森の雰囲気がいくらか和らいだように思われる。


 レストは考えていた。

 封印。かつて森を乗っ取らんとした凶悪な魔物。

 自分に務まるのだろうか。

 眷属を倒すのにも苦労した自分が?

 そんなことが、本当にできるのか。

 方法も分からないのに。


「何故自分なのですか」


 この森を訪れる探究者は少ないわけじゃない。自分よりも強い探究者などいくらでもいる。そういう人たちに頼む機会だって、いくらでもあっただろう。それこそ昨日の今日で探究者を始めた自分なんかに頼るよりも確実なはずだ。


 なのにどうして自分が選ばれたのか。


「貴方にはその力があるからです」


 女神は何の曇りもなくそう言い切った。


「まさか。どうしてそんなことが言えるんですか、僕には力なんか──」


 レストの言葉を制すかのように女神が手を持ち上げる。その指先は、ただ一点を指し示す。

 レストの胸元にある、竜の鱗のブローチだった。


「貴方がそれを着けていたからですよ」


 レストは狼狽える。


 もしかして女神は自分がドラゴンを倒したと思っているのではないだろうか。ドラゴンを倒すほどの実力を兼ね備えていると、そう思っているのではないだろうか。だとしたら女神は大変な誤解をしている。何故ならドラゴンを倒したのは自分ではないのだから。


「女神様──」

「大丈夫ですよ」


 慌てて言葉を紡ぎだそうとするレストを再び遮って、女神は優しく微笑んだ。


「大丈夫です。その鱗の主である竜を倒したのが貴方ではないことを、私は知っています」

「──では、何故」

「重要なのは竜をしたか否かではありません。そのブローチに込められた“想い”が視えたから、私は貴方に頼んだのです」

「想い......?」

「はい。貴方の、真っ直ぐで、素直な想いです。立派な探究者になるとそのブローチに誓いを立てた、貴方のその強い想いにこそ、私はひかれたのです」


 女神は再びにこりと微笑する。それは春の柔らかな陽射しに全身を包まれるかのような、優しい抱擁のような、そんな微笑みだった。


「何より、貴方の優しさがアンブロシアに対抗する大きな力となります」

「優しさ......ですか」

「助けを求める私の声に対して、貴方は一切の躊躇もなく駆け付けてくれました。敵うかも分からない相手がいる可能性もあるのに、です」

「そ、それは、探究者として当たり前のことで」


 言いながら、レストはなんだか気恥ずかしくなって思わず目をそらしてしまう。


「うふふ、そうですね。だけどその当たり前のことを実行するのは、思いの他難しく、また勇気のいることです」


 女神はすっとレストの両手を取り、真っ直ぐにその顔を見つめる。レストは余計にしどろもどろになってしまって女神の顔を直視することができない。


「その優しさの伴った勇気こそが、私たちの最も好むもので、アンブロシアの最も嫌うものなのです」


 女神はレストから手を離し、ついと元の位置に戻った。それでレストも何とか女神を見ることができるようになる。


「どうか、どうかお願いです。一方的で途方もない頼みだということは理解しています。ですがどうかレスト、アンブロシアを封印して私たちを、この森を救ってくださいませんか。どうか……」


 女神は本気で言っている。その言葉には、話には、一切嘘がない。


 レストは再び考える。


 自分は敵うだろうか。アンブロシアという魔物に打ち勝ち、再び封印を施すことが、自分にはできるだろうか。


 空を仰ぐ。

 森の木々の隙間から見える蒼は、すっかり暗く深くなっていた。

 もう夜だ。

 随分と長い時間森から戻らないので、セリアさんも心配しているかもしれない。

 アンブロシアが復活したら、この森に根付くアルフの街も、一緒になくなってしまうだろうか。


 それは、嫌だ。

 自分には目標がある。

 叶えたい志がある。

 それらがなくなってしまうのは、嫌だ。


 アンブロシアに勝てるか勝てないか。そんな話は今することじゃない。

 今思うべきは、自分がどうしたいかだ。


 自分が目指す探究者。自分がなりたい探究者。

 このブローチに想い描いた自分の姿は、どんな姿だ?

 レストは、ゆっくりと女神に向き直った。


 その顔は決意に満ちていた。


「やります。アンブロシアを封印して、この森を守る」

「本当ですか!」


 女神の表情がぱっと明るくなる。それから安堵したように胸を撫でおろした。


「ありがとうございます。あぁ、貴方ならそう言ってくれると信じていました!」

「いえ、その、上手くいくかは分かりませんが……」

「大丈夫です!レスト、貴方ならきっと成し遂げてくれます」


 確信したように女神が言って、応えるようにレストは頷く。


「それで、封印とは一体どのように行ったら良いのでしょうか」

「はい、封印には勿論アンブロシアを弱らせる事が重要ですが、それ以外にも必要なものがあります」


 三つの神器です、と女神は言った。


「神器の力を用いることによって邪悪な存在の力を奪う事ができるのです」

「なるほど。その神器を自分が使えばアンブロシアを封印できるんですね?」

「それはそうなのですが、その」

「では早速神器の扱い方を教えて欲しいです。いざ封印をするときに使い方が分かっていないとどうにもなりませんからね」

「待ってください、そうしたいのは山々なんですが、ちょっと事情がありまして……」

「どうしたんですか?何か都合が悪いことでも……?」

「いえ、そういうわけじゃ、えっと、その」

 なんとなく女神の歯切れが悪い。


 先程までとは打って変わって、俯いてもじもじしているというか、何か言葉が歯に引っかかっているというか。


 しばらくそうしていたが、やがて意を決したように女神は声を発した。


 その言葉にレストは大層驚いた。


「神器はここにはない!?」

「そうなのです」

「ではどこにあるのですか?」

「三つの神器はこの世界の各地にある聖域に散らばっています。ですから、アンブロシアを封印するためにはまず神器を全て集めなければなりません」

「それは……どうしてそのように?」


 てっきりレストは神器は全て女神が持っているものだと思っていた。


「神器はその力を用いて対象に封印を施すことができますが、反対に封印を解き放つこともできるのです」


 申し訳なさそうな声色で発せられたその言葉で、レストも大体の事情を察することができた。


「そうか、つまり同じ場所に置いておいたら間違って封印が解かれてしまう危険があるってことですね」

「そうなのです。神器は三つ揃ってその効力を発揮します。またそれは使用者の心によって左右される。正しき心を持つものが使えば正しき力に、悪しきものが使えば悪しき力に。一つ所に留めておけば、それだけ悪用される危険も増してしまうのです」


 すみませんと言う女神にレストは慌てて手を振った。


「ですが、それだと間に合わないのではないのですか?女神様は先程残された時間はあまり長くないと......」

「それは心配ありません。時間が少ないと言っても、それは世界の全体を見た時の感覚での話です。人間の感覚で見ればいくらか猶予があります。神器を集めてくるだけの時間はあるでしょう」

「そうだったのですね。良かった」

「ですが急ぐに越したことはありません。レスト、三つの神器を集めてきてくださいますね?」

「はい、勿論」

「感謝します。神器は世界の各地に散らばり眠っています。いずれも聖域と呼ばれる場所にあり、一筋縄ではいかないでしょうが、私を助けてくれた貴方ならきっと大丈夫です」

「はい」


 女神はふふふ、と笑う。それにあわせて金色の髪がさらさらと揺れる。心惹かれるほどに美しい。


「それと、この子を案内につけましょう。──おいで」


 女神が虚空に呼びかけると、空中を漂う光の粒子の間から、さっと何かが飛び出してきたように見えた。その小さな影はひらひらと漂いながら、差し出された女神の手のひらに降り立つ。


 小さくて羽の生えた少女がそこに立っていた。


「リリィよ。よろしくね」


 軽やかに笑うその少女の声は、鈴を転がしたように可憐な響きだった。


「私の加護を受けた精霊です。きっと貴方を導いてくれるでしょう」

「精霊……初めて見た」

「彼女たちの存在こそが、この森が精霊の森と呼ばれる所以です。アンブロシアの復活に伴い数を減らしてしまったのですが……」


 最近、めっきりと精霊を見かけなくなったと街の人々が言っていたのはそういうことだったのだ。


「だからアンブロシアを封印してくれるのは私たちにとっても願ってもないことなの。しっかりサポートするから頑張ろうね、レスト」


 そう言ってリリィと呼ばれる妖精は小さな腕をぐいと伸ばしてきた。握手を、ということらしい。


「あ、うん、こちらこそよろしく」


 そう言って手を伸ばした瞬間、指先にちくりと針が刺さったような刺激が走る。


「痛っ!?」

「あは!引っかかった!」


 いつの間に取り出したのか、リリィの手には植物の棘が握られていた。


「ちょっと!何するのさ!」

「あははは!」


 女神の手をすいっと離れて飛び立ち、ひらひらと楽しそうに空中を舞った後、リリィはそのままレストの頭の上に乗っかった。


「もう、降りてよ!」

「いやだよーだ」

「早速仲良くなれそうで何よりです」


 うふふと笑う女神にレストは溜息をつかざるを得なかった。


「それでは、二人とも。期待していますよ。困ったときはいつでもこの場所を訪れてくださいね」

「はい」

「はーい」

「では、二人の旅路に森の加護があらんことを!」


 夜の森に女神の声がこだまする。

 夜の闇は深かったが、月と星が、森全体を導くように照らしていた。





 頬に温かな感触。


 まだぼんやりとした意識の中、窓の隙間から差し込んでくる陽光を感じている。起きなければという意識と、まだ淡い夢の中に浸っていたいという感情がせめぎあって、ゴロゴロと寝具の上で身体を転がす。


 そういえば昨日は、なんだか大変なことがたくさんあったような気がする。自分は何をしていただろうか。植物採取の依頼を受けて森に入って、そこで──


 ゴスッ


「うぉあ!?」


 わき腹のあたりに衝撃が響いて、思わず飛び起きる。何が起こったと辺りを確認すると、視界の端に、小さく飛び回る影がうつった。


「おはよう、ねぼすけさん!いつまでも寝てたら日が暮れちゃうよ!」


 空中に漂うリリィを見た瞬間、昨日の出来事が一気に思い出される。


「そっか......昨日、女神様に会ったんだった......」

「なぁに、忘れちゃったの?」

「ううん、そういうわけじゃないけど、夢じゃなかったんだなと思って」

「いやだなぁ、当たり前じゃない。貴方は確かにリリアナ様に出会って、アンブロシアを封印する決意をしたのよ」


 そうは言われてもやはりまだ夢心地だ。あまりに壮大な話に、自分自身まだふわふわと実感を掴みきれていないのかもしれない。


 ともあれ、やるべき事は変わらない。一刻も早く凶悪な魔物──アンブロシアを封印しなければならない。


 そのためには、まず神器だ。


「それで、具体的には神器のある場所ってどこなの?」


 レストは朝の支度を済ましながら、ひらひらと飛び回るリリィに尋ねる。すると彼女も困ったような顔をして肩を持ち上げた。


「それがね、正直私にも分からないのよ」

「ええ!?どういうこと?」

「そのままの意味よ。神器は聖域に祀られている。だけどその聖域がどこにあるのか、私は知らないの。それと、多分、リリアナ様も知らないわ」

「女神様も?封印の守護を任せられていたのに?」

「おそらく任せられていたから、ね。封印の守護をする者が神器を揃えて悪用しないように」

「女神様はそんな事するような人じゃないと思うけど」

「そんなの私が一番分かってるわよ!でも万が一ってあるじゃない?当時の人たちは念には念を押したのね。そしてリリアナ様はそれを了承した。ほら、あの方って人が良いから」

「それはなんとなくわかるけど……つまり女神様の眷属であるリリィも当然」

「その場所を知らないってことになるわね」

「そうなるよね……」


 レストはガックリと項垂れる。


 てっきり聖域の場所はハッキリと分かっているものだと思っていた。しかしそう簡単にはいかないようだ。出端を挫かれたような気がして、もどかしさが込み上げる。


「それならどうやってその場所を見つければ良いんだろう」

「とりあえず地道に情報を収集していくしかないわね。この街にそういうのに詳しい人はいないの?」

「僕もこの街に長いこと居るわけじゃないからなぁ。とりあえずギルドに行って相談してみようか」

「それが良いわね」


 言いながらリリィはレストの頭に座ろうとする。それをレストが嗜めてといったやりとりをしながら、二人は宿を後にした。





「おはようございます」


 カランカランとドアに括りつけられたベルを鳴らしながらギルドに入ってきたレストたちの姿を認めると、セリアはいつもの通りに声をかけた。


「まったく昨日は本当に心配したんですからね」

「あはは……すみません」

「でもまさか森で女神様に出会うなんて、不思議なこともあるものですよね」

「自分でもびっくりですよ」


 昨日、あまりにもレストの帰りが遅いのでセリアは相当に心配していた。明らかに採取依頼にかかって良いような時間ではなかったので、何かあったに違いないと捜索届けを出すほどであった。


 捜索隊が組まれていざ出発となったその矢先に、ボロボロになったレストが帰って来たのでちょっとした騒ぎになった。その時レストはセリアに問い詰められ、何があったのか事情をくまなく説明させられたのだった。


「それで、今日も依頼をお探しですか?本当はまだ安静にしていてもらいたいのですけど」

「いやぁ、生活費がかかっているもので……。それに、今日は依頼というよりかは少し相談がありまして」

「相談、ですか?」


 レストは神器のありかについて何か知っていることは無いかを尋ねた。セリンはむーんと首を傾げる。


「昨日おっしゃられていた件ですよね。『魔物を封印するためには三つの神器が必要』、ですか。大変興味深い話ではありますが……うーん……すみません、正直、そんな話を耳にしたことすらなくって……」


 それも納得のいくことである。レストだって昨日初めて知ったのだ。


「ギルドで保管している書類や資料などでもそのような記述があった覚えはありませんね。お役に立てず、すみません......」

「いえ、気にしないでください。そもそもが雲をつかむような話ですし」


 そうですねと相槌を打つと、セリンはそのまましばらく黙って頭の中で考えを巡らせているように見えた。


 何秒かしてから、彼女は遠慮がちに口を開く。


「あの、よろしければギルドの権限を使って、全国の支部に要請をかけましょうか?依頼として処理すれば手を貸してくれる探究者たちを募ることもできますし。こんなこと、一人で抱え込まないほうが良いと思うんです」


 セリンはギルドの受付として大変優秀な才を持つ人物だ。


 それぞれの探究者にあわせた適格な依頼を紹介し、またそれが巡って探究者自身、ひいてはその街の糧となるように調整して依頼を回すことすらできる。その能力を評価され、王都からこの最前線のアルフの街のギルド役員として抜擢ばってきされたのだ。


 今、これまで培ってきたセリンの受付役としての勘が、女神と森の魔物の件は到底人が一人で解決できるようなものではないと告げていた。これは絶対に大勢の助けが必要な案件だ。


 しかしレストはわずかに首を振る。


「ありがとうございます。でもきっと、これはあまり大勢の人に伝えない方が良い」

「それは……そうかもしれませんけど」


 セリンはレストが渋る理由もきちんと理解している。


 豊かな恵み以外に何もないと思われてきたこの森には、とんでもない爆弾が抱えられていたということになるのだ。その真実が世間に知られてしまえば、純粋に手を貸してくれる人だけではなく、悪用しようと企む輩も少なからず出てくるだろう。それはレストに聞いた女神様とやらの一番恐れていたことだ。そもそも神器の在り処が各地に散らばっているのもその理由によってである。だからこそ女神は信じられると思った人間に、魔物の脅威が迫っている事実を打ち明け、助けを求めたのだ。


 分かってはいるが、それでも、単純に、セリンはレストの身が心配だったのだ。


「セリンさんの気持ちはとてもうれしいです。こうやって自分のことを考えてくれる人がいる。それだけで十分です」

「そうよセリンさん。リリアナ様が認めたんだもの、レストなら大丈夫。この私もついているんだしね」


 今まで大人しく話を聴いていたリリィが、レストの頭の上で自慢げに胸を張る。二人の顔を見比べて、セリンはふぅとため息をついた。


「そうですか……わかりました。でも、無茶だけはしないでくださいね」

「あはは、分かりました」

「それと、他のことで何か困ったことがあれば全力でサポートしますので、いつでもおっしゃって下さい」

「ええ、助かります」

「だけどさー、セリンさんでも知らないとなると、これは情報収集も大変だよきっと。神器の事を知ってる人なんているのかなー」


 腕を組んだリリィがふわふわと空中を漂っている。むむむ、と顔をしかめている姿がなんとも愛らしい。


「そうだよね。今のところ何の手がかりもないもんなぁ、どうしたものか」

「あ、レストさん。そのことなんですけど」


 セリンが思い出したように呟く。


「一人、協力を仰げる人がいるかもしれません」

「それって、ほんと?」


 リリィが聞くと、セリンはにこやかな様子で頷く。


「はい。この街唯一の甘味処のオーナーさんなんですけど、人が沢山訪れるので様々な情報を持っていると思うんです」

「甘味処か。確かに人の集まりやすい場所ではあるな」

「優しくて信頼できる方なので、詳しく事情を打ち明けても大丈夫だと思います。それに、この街にいる以上あの人とは一度会ってみた方が良いかと思いますし......」


 意味ありげに話すセリンの言葉に、レストとリリィの二人は首を傾げるのみだ。


「どういうことですか?」

「あ、いえ、いずれ分かるかと思いますのでお気になさらず」

「そうですか?まぁ、とりあえず話を聞きに行ってみようと思います」

「はい。いってらっしゃいませ」

「ありがとねー、セリンさん!」


 セリンに礼を告げてから、レスト達はギルドを後にした。





 アルフの街の入り口にほど近い場所に、その店はあった。


 店、というよりかは樹と言った方が見た目的には正しい。樹齢はどのくらいなのだろうか、幹の太さは大人が数人で手をつないでもぐるりと囲むには足りないほどで、その頂上は遥か頭上で目視することができない。間違いなく、この森で一番の大樹であろう。


 『いちごへび』──その店名にぴったりとリンクして、まるでイチゴの蔓のように、そして蛇の身体のように、幹とツタが絡み合って成長し上へ上へと伸びている。


 迫力あるこの樹の洞を利用して造られた店こそがこの街で唯一の甘味処であり、探究者たちの交流する場ともなっている。樹の麓に設けられた大きなテラスの飲食スペースには、パラソルの咲いた可愛いテーブル席が並べられていて、それらに筋骨隆々の探究者たちがたくさん座っている光景は何となくシュールな雰囲気だ。


 樹の幹の中にある階段を上って入る店内は、様々な菓子類がショーケースの中に並べられ、彩と華やかさに溢れていた。


「あまり来たことはなかったけど、やっぱりすごい人気だなあ」

「レスト!すっごいよ!ここにあるもの、全部きらきらしてる!これって全部食べ物なの?宝石みたいなのもあるのに!」


 リリィは目を輝かせて大興奮で店内を飛び回っている。


「本当だね、この辺境の地にこんなレベルのお店があるなんてすごいよ。故郷の国にだってこんな店、そうそう無いと思うよ。スイーツを食べながら重要な話をしてる探究者たちを想像するとなんか笑っちゃうけどね」

「───甘味は心を綻ばせ、瞬く間に両者の壁を取り払ってくれます」

「なるほど、お菓子にそんな効果が……って」

「「誰!?」」


 リリィとレストの間に、あまりに自然にもう一つの声が入ってきたので、二人は驚いてパッと後ろを振り向いた。


「ようこそ『いちごへび』へ。ご注文はお決まりになられましたか?」


 そこにいたのはフリフリのエプロンを恭しく両手で持ち上げる小さな女の子。


 くりくりとした瞳に長いまつ毛、幼い顔立ちにはあどけなさが残り、栗色の髪の毛は綺麗に撫でつけられストンと肩の高さまで落ちている。頬はほんのりと桃色に染まっており、唇は薄いなれども瑞々しく潤っていた。


 女の子は真っすぐにレストとリリィを見上げて、それからニコリと微笑する。


「き、君は?」

「あ、初めてのお客様ですね。申し遅れました、私、ここのオーナーを務めさせていただいております、ヒヨリと申します」

「ああそうなんですね。丁度良かった、僕たちもこのお店のオーナーさんに話があってきたんです……って」

「て?」

「えええええええええええ!?」

「えぇっ?どうしましたか急に!?」

「オーナーさんですか!?あなたが!?」

「えぇっ!?は、はいっ!まだまだ未熟ですが、一応!」

「でもだってまだ子供じゃないですか!」

「こっ───」

「……こ?」

「子供じゃないですぅ!!」

「えええええええええ??」

「えええじゃないですよ!!これでもこの世に生まれてから十九年は経ってるんですから!!」

「えええええええええ!?」

「やかましいっ!」

「いだっ!!」


 騒ぎ立てるレストにリリィがごつんときつく拳を入れて、その場はひとまず静かになった。




「すみませんでした」


 項垂れるように謝罪するレストに、ヒヨリと名乗った女の子は戸惑うように顔の前で手を振っている。汗が飛ぶ様子がはっきりと目に見えるようだ。


「い、いえ、子供に見られるのはいつものことですしっ。ちょっとびっくりしましたけど」

「レストは大げさに騒ぎすぎなのよ、まったく。失礼なことこのうえないわ」

「ほんとに驚いたもので……面目ない」

「あはは……」


 ヒヨリは困ったように笑うしかない。

 それから彼女は空気を変えるように咳ばらいを一つして、背筋をしゃんと伸ばしなおした。


「それで、私にお話しをということでしたけど、何か御用でしたか?」

「そうでした、実は───」


 レスト達はこれまでの経緯を話す。森でのこと、女神と出会ったこと、封印されていた魔物のこと。ヒヨリは途中で横やりを入れることなく最後まで真剣に聴いてくれた。


 話を聞き終わると、ヒヨリはふぅとため息を一つ吐いた。


「なるほど、それでセリアさんに私のことを伺ったわけですね」

「はい。神器を集めないと封印を施すことができないんです」

「まだ時間はあるけど、あんまりのんびりもできないのよねー」

「もし神器や聖域について、何か知ってることがあったら、ぜひ教えて欲しいんです」

「そうですか……」


 そう一言だけつぶやくと、ヒヨリは首をひねってしばらく考え込んでいた。


 そして「うん」と頷くと再びレスト達に視線を向ける。その曇りのない瞳は真っすぐに、こちらの心の中まで見抜いてくるようだった。


「知ってますよ、聖域」


 ヒヨリは言った。

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