一章 アンブロシア

出会い、精霊の森の中で

「あちゃあ、少し遅かったかね」


 淡々とした声が沈黙を破った。大きな甲冑を付けた男だった。腰には剣がぶら下がっている。


 彼の目の前には、無残に引き裂かれた肉の塊がいくらか転がっていた。すぐ近くには首から上のない死体が横たわっている。


「こっちの方は、まだ死んでからそう時間がたってないよ」


 別の声が返答する。弓を携えた女性だった。


「どうやらこの死体の子が救援を要請した子だったみたいね」


 弓の女性はごそごそと死体の服をあさりながら、何かを探しているようだった。少しして「あった」と小さくつぶやくと、死体の胸のあたりからカードのようなものを取り出した。


「うん、間違いない。要請者の名前と探究者証明書ギルドカードに書かれている名前が一致してる」

「大きな音でも立てたのだろう、可哀そうに。息をひそめていれば俺たちの到着まで持ちこたえられたかもしれなかった」

「今更ごたごた言っても仕方ないわね。こういう世界なんだから、この子も覚悟してたでしょ」

「そうだな」


 黙々と作業を進めていく二人の人物に対して、もう一人うずくまって動かない影があった。小刻みにプルプルと震えていて、今にも倒れこんでしまいそうである。


「で、初の仕事の感想はどうよ、レスト」


 うずくまっていた背年──レストと呼ばれた青年はゆっくりと視線を男のほうに移した。


「無っ無理です」

「あぁ?」

「まさかこんな悲惨な状況になってるなんて予想してませんでした!救援任務だっていうからついてきたのに肉……肉片が、転がっているのを見ることになるなんて──うぉえ……」


 勢いよくまくしたてる途中でレストは口を押えて再びうずくまってしまった。あまりの状況の生々しさに、もう我慢の限界といった様子だ。


「気持ちは分かるがな。救援に駆け付けたらみんな既に死んでましたなんてザラにあることだ。これが俺たちの日常だ。慣れるしかねぇ」

「理解しているつもりでしたが……うっぷ……すみません……なんの役にも立てずに」


 男はやれやれと首を振る。


「まぁ新人のお前に期待はあんまりしてねえよ。最初の任務がこんな死体処理になっちまったのは同情するがな」

「はい……恐縮です」

「しかしあれだね、あんたも大変だね。『探究者』になったばかりだってのに、この街に来るなんてね。本来ここはあんたのような坊やが来るような場所じゃないのにさ」


 弓の女性が荷物をまとめながら言う。必要な事柄はすべて終えたのだろう。それから彼女は死体たちに手を合わせて数秒沈黙した。


 レストと男もそれにならい手を合わせる。



「……アルフの街。原初のブラッド・フォールが起きた場所に最も近く、最も危険な人類の希望を乗せた開拓地」



 黙祷を解きながら呟くように男が言った。


 その言葉を、レストは胸の中で反芻する。


 人類はようやくここまで取り戻したのだ。長い長い奮闘の歴史が、ようやく人類をここまで連れてきた。人類の繁栄を衰退させた『血に臨む陥落ブラッド・フォール』。その謎を解き明かすカギはこの場所にある。一番最初にブラッド・フォールが発生したこの場所に。


 だから僕は来たのだ。

 だから僕は『探究者』になったのだ。



「さて、任務の達成を確認したことだし、そろそろ帰るとしようか」

「そうね、こんなところに長居は無用だわ。何が襲ってくるかもわかったもんじゃないし」


 と、その時だった。


 視界が一瞬のうちに真っ暗になる。

 正確には、のだ。


 ドンと胸に衝撃を感じた。直後レストは自分が後方へ吹き飛ばされたことを悟る。男がレストを力いっぱい押し飛ばしたのだ。


 その瞬間レストの眼に影の正体が映る。


 大きな翼。凶悪な牙。すべてを切り裂く爪。眼光は閃光となり射抜いてくるかのようだ。


 それは紛れもないドラゴンだった。


「伏せろ!!」


 ドスのきいた声が響いて、ハッとしたレストはその場に伏せる。その上を、強烈な熱波と共に轟音の炎が通り抜けていった。背中が溶けそうな程の灼熱。


「くぅっ」


 何故ドラゴンがここに?


 そう心の中で問いかけてから、レストは思いつく。脳裏に先ほどの死体が浮かび上がってくる。そうか、彼らはコイツに殺されたんだ。


 此処はドラゴンの餌場なんだ!


 なんとか体制を整え顔を上げると、男は腰に差していた剣を抜き、女は弓に矢をつがえ、レストを守るようにしてドラゴンの前に立ちはだかっている。


「大丈夫かよ、坊主」

「怪我はない!?」


 芯の通った二人の声。その目はまっすぐとドラゴンと対峙している。


「二人とも、逃げましょう!ドラゴン相手に敵いっこありません!」


 レストは叫んだ。


 馬鹿言え、と男が返事をする。


「これは元々救援任務だったんだぜ。つまり俺たちははなからあいつを倒す予定だったってことじゃねーか。そんなら引く必要はねぇな!?」

「で、でも!」

「死んでいった仲間たちの仇が取れるなんてこうラッキーなことは無いわ」


 弓の女も続く。


「よく見てなさい、坊や。これが、ここからが『探究者』の本業よ!」


 ドラゴンが首をひく。燐光が舞う。口に気のようなものが集まっているのが見える。


 すかさず男は袋をと取り出し、それをそのままドラゴンの口の中に投げつけた。袋がドラゴンの口の中に入った瞬間、それは大量の音と黒い煙を生みながら爆発した。


 火薬袋だ。


 グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ


 この世の物とは思えない叫び声をあげながら、ドラゴンがよろめく。すかさず女が弓の弦を引き絞り矢を発射した。それを幾度と繰り返しまるで嵐のように矢を浴びせ続ける。


 グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ


 再びドラゴンが嘶いて身体を捩らせながら、煩わしい蠅を落とすかのように暴れまわる。その間に男がドラゴンの背後に回り込むのがレストには見えた。


「最初の火薬で頭を持っていけないのはさすがの耐久といったところか!」

「でも次で終わりよ!」


 女が渾身の矢をドラゴンの足元に放つ。それがドラゴンの足の健を抉り取り、ドラゴンは体勢を崩し地面へと倒れこんだ。ズ、ズンと山が崩れ落ちるような音が鳴る。


 ドラゴンが地面に伏した瞬間、男が剣を両手で構え飛びあがった。狙いはドラゴンの首只一つ。


「おらあああああああああああ!!!!!」


 キン、と鋭い音がして、男が着地した。


 一瞬の静寂。それから少し遅れてドラゴンの首がズル、と胴体から離れ落ちた。


 彼らは戦闘に勝利した。



「す、すごい……」


 レストの口から感嘆の声が漏れる。

 敵わないと思っていた。あんな大きな相手に太刀打ちできるはずがないと。

 しかしどうだろう。彼らは見事に彼の強敵を討ち果たしてしまった。

 これが、真の『探究者』の実力。

 自分は何もできなかった。

 自分はただ見ていることしかできなかった。

 本当になれるのか。

 こんな大きな相手を倒すことができるほどの探究者に。

 自分はなれるのか。


「よし!これで本当に任務完了だな。ドラゴンから素材を採取してから、街に戻るとするかね」


 剣の男はそう言ってドラゴンの死体に向かって歩を進めた。



 『地に臨む陥落ブラッド・フォール』によって世界の半分以上は闇に覆われた。活動範囲の縮小を余儀なくされた人類はしかし、それでもなお魔物の脅威に抗い、頑強な都市を築き、生活体系を確保してきた。


 魔物の脅威を討ち払い、未踏の闇の地を開拓し、この世界の謎を探究する。


 闇を払う能力ちからのある唯一のその存在たちを、人は『探究者』と呼んだ。





「ほれ、お前にもやるよ」


 そう言って男がレストに投げてよこしたのは大きな鱗だった。


 依頼を終え、彼らが戻ってきたのはアルフの街にある『探究者連合』──通称ギルド──そのシステムを担う建物だ。すべての探究者がギルドに籍を置き、此処を通して依頼や報酬等のやり取りをする。言うなれば探究者達の本拠地である。


 ギルドの本部は別にあり、各地には支部が点在していて、アルフの街のギルドもそれらのうちの一つだ。


 レスト達はそこで救援依頼の達成報告をし、報酬を受け取っていた。


「えっ、いいんですか」


 男がレストに渡してきたものは、紛れもなく先ほど倒したドラゴンから入手したものだった。ドラゴン及び竜種はその強大な力故に倒すのが困難とされ、その素材は様々な武器や防具、装飾品などへの利用価値も高く、高値で取引される。鱗一枚でも相当な金額になるだろう。


 先ほどの戦闘で自分は全くの役立たずだったために、パーティ参加の基本報酬は別としても、敵討伐における報酬をもらうには値しないと考えていたレストは、男が何の躊躇もなくドラゴンの素材を分けてくれたのに相当驚いた。


 そうでなくても貴重なものなのだ、本来ならば自分のような新人には勿体ない代物だと思われても仕方ないのである。


「まぁ、初めての依頼でドラゴンと遭遇して生きて帰れたのは相当ラッキーなことだからな。その祝いにだ」

「でもそれはお二方がいたからで……僕なんて何をしてすらもいなかったし」

「初めは誰だってそんなものよ。これからの君の伸びしろへの投資ってことでありがたく受け取って頂戴な」


 弓の女もレストが鱗を受け取るのは当然だと思っているような口調で言う。

 二人の人の好さに感謝しながらレストは頷いた。


「それじゃ、その、お言葉に甘えて。ありがとうございます」

「おう、売って稼ぎにするもよし。素材を使って装備の強化をするもよし。使い方は好きに考えな」

「じゃあ私たちはそろそろいくから。頑張ってね、坊や」


 ひらひらと手を振りながらギルドを後にする二人に向かって、レストはお辞儀を繰り返した。


「なんて良い人たちなんだろう……今回のパーティだって自分が無理にお願いして入れてもらったようなものなのに」


 故郷からこの街にやってきて数週間。念願の探究者になれたのは良いものの、未だレストには知り合いという知り合いもなく、報酬の良い高難度の依頼を受けるには自分一人ではどうにも心細かった。


 今回の依頼はたまたま見かけた二人組に頼み込んで了承をもらい、ようやく付いていくことができたのだ。


「さて、このドラゴンの鱗、どうしようかな」


 自分の両の掌を並べてようやくその大きさに届く鱗は、触るとすべすべとしていて、不思議な光沢で輝いていた。鱗なのにぼんやりと温かく無機質な感じがしない。まるでそれ自体が生きているかのようだった。


 売れば大金になるのは間違いないが、なんとなく手放すのも惜しいような気もする。かといって、今の武器や装備は折角のドラゴンの鱗で強化するほど上等の物でもない。


 しばらく考え込んでいたレストは、意を決したようにギルドを後にした。



 翌朝、ギルドには再びレストの姿があった。


 掲示板に貼りだされた依頼を眺めながら今日の仕事を探している。その首からは、昨日は無かったものがぶら下がっていた。


 ペンダント。不思議な光沢をしていて、見ようによっては緑にも碧にも紫にも赤にも様々に輝いて見える。ほのかに温かく、レストに生命力を分け与えてくれるかのようだった。


 レストはドラゴンの鱗を装飾品へと加工することを決めたのだ。


 昨日さくじつギルドを出た後、レストはアルフの街の鍛冶屋に訪れ、鱗の加工を依頼した。装飾品にすれば肌身離さず持っていることができるし、そうすることで自身の成長を願ってくれたあの二人の探究者達のようになるという目標を、忘れないでいられるだろうと思ったのだ。


 とはいえ、コツコツと経験と実績を積んでいかなければ強くはなれない。


「なにか手頃な依頼はないものか……」


 そう呟いている間にも、報酬の良いものは手練れの探究者たちが次々と受注していってしまう。残っているものは既に当たり障りのないものばかりになっていた。


 どれも今晩の宿代くらいにはなるだろうがそれだけでは生活は厳しい。かといってむやみに難易度の高い物を受けるのは危険だということは昨日のドラゴンで身に染みて理解していた。


「最初は着実に一歩ずつかぁ……仕方ない、受付で何か見繕ってもらうか」


 そう言いながらレストはギルドの受付へと歩みを進める。依頼は掲示板に貼りだされたもの以外にも、直接係員に紹介してもらうことも可能なのである。今の自分にあった難易度の中から、割の良い依頼を薦めてもらったりもできるので、仲良くなっておくと何かとお得だ。


「あらレストさん、今日も早いですね」

「おはようございます、セリアさん」


 セリアと呼ばれた受付の女性は、レストがこの街に来た頃から懇意にしてもらっているお姉さんだ。


 故郷の国からここに来て数週間、何も分からず狼狽えていたレストにずっと付き添いギルドや街のことを丁寧に教えてくれた。レストがこの街で唯一知っていると言える人だろう。


 今ではお互いすっかり顔馴染みになっている。


「結局あの鱗はペンダントにしたんですね」

「はい。まぁ報酬は加工の代金でほとんどなくなってしまいましたけど」

「でも無事に戻ってきてくれて何よりでしたよ。まさか初めての依頼で救援に付いていくって言ったときはびっくりしたんですから」

「いやぁ。初仕事で舞い上がっちゃってて」

「探究者になるために張り切って準備していましたもんね。でも今後は無茶は禁物ですよ、命あっての物種ですから」

「肝に銘じておきます」

「うふふ、では今日もレストさんにぴったりのお仕事を紹介しますね」

「はい、お願いします」





「ええっと、森の中のよく日の当たる場所に生えている……これかな」


 森の中でもぽっかりとひらけて平らになっている場所に、レストは腰を屈めて立っていた。セリアから受注した依頼は森の中に生えている草花の採取だった。


 アルフの街は森を切り開いて作られている。『精霊の森』というのがこの場所の正式な名称だが、レストは精霊にあったことは一度もない。最近はめっきりと姿が減った、と他の探究者たちが呟いているのを聞いたことがあるが、内心本当にいるのか怪しいとも思っている。


 そもそもここが『精霊の森』と呼ばれるようになったのも、精霊が住んでいそうなほど綺麗であったからという理由に過ぎない。


 しかし綺麗であることにはきちんと意味がある。綺麗で美しいというのはそれだけ自然が豊かに育まれているということだ。つまりここら一帯は生命を支える力が強いということになる。


 生命を支える力──マナと呼ばれる代物だ。


 『血に臨む陥落ブラッド・フォール』がもたらしたものは二つ。魔物と、そしてマナ。


 地の底からあふれ出た正体不明の未知なるエネルギーは世界に循環した。木々を育み、生物を進化させ、新たな物質を生み出し、マナは世界を育む根幹となった。


 人類はこのエネルギーを解析し、魔物への対抗の礎となる新たな力を獲得した。


 それが魔法である。


 マナの力が強ければ強いほど、その土地は豊かになり、またマナが枯渇すればするほどその土地も枯れる。今や世界はこの正体不明のエネルギーによって成り立っているといっても過言ではない。


 そのマナの力を利用し、己の役に立つように扱う技術。それに長けている存在こそが探究者達なのである。


 魔物が出現したからマナが出現したのか、マナから魔物が生み出されたのか、それは未だに解明されていない。どちらにせよ、ブラッド・フォールが脅威を齎した一方で、恩恵をも齎したのはある種の皮肉である。


 もしくは、果たして、それは本当に恩恵であったのかという議論もあるのだが。


 陽光に照らされて淡く反射している白い花を丁寧に積み上げると、つんとさわやかな匂いが鼻を抜けていった。ハーブの一種で、薬にも使われるものだ。


 摘み上げた花を手下げのバスケットに入れる。バスケットの中には瑞々しい植物たちが沢山積まれていた。


「よーし、これを後少し採れば依頼達成だ」


 薬草や食材となる植物は医療や料理の観点からの需要も高い。探究者たちの必需品である傷薬等もこれらの植物から作られるため、採取依頼は頻繁に募集されている。地味ではあるが、大事な仕事なのだ。


 植物以外にも食料となる動物であったり、綺麗な水であったりと、マナの豊富な森から得られる恩恵は大きい。アルフの街の生活は森に根ざしている。


 あらかた採り終わったので、そろそろ終いにするかと顔を上げた瞬間だった。


 ピィーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 何かが高く鳴る音。


 それは鳥の鳴き声のようでもあったし、誰かの悲鳴のようでもあった。


「なんだ……?」


 危険な地域とはいえ、この森が広がる範囲は比較的に安全な場所だったはずだ。そこまで強い魔物がいるということは考えにくい。が、しかし、ここも未開の地の一端であることに変わりはない。突然今まで観測にもされていなかった出来事だって十分に起こり得る。


 レストは腰の剣を抜いて慎重に辺りを見回した。

 声の聴こえてきた方に向かってみるべきだろうか。

 向かったところで駆け出しの探究者である自分に何かできるだろうか。

 もし何か、大変なことが起こっていたとして、自分はそれに対処できるのか?大人しく戻ってギルドに報告した方が良いのではないだろうか?


 考えを頭で巡らせる。


 剣の構えを保ちながら、ゆっくりと街の方へと向かおうとした時、


 ピィーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 再び音が響いた。


 先程と違うのは、その音が耳に聴こえたのと同時に、レストの頭の中にとある言葉が反響したことだった。


 ──助けて!


 瞬間、レストは走り出していた。

 危険だとか、実力だとか、そんなことは既に頭から消え去っていた。

 ただ純粋に助けを求める声の方に向かって走る。

 声は森の奥から聴こえた。

 草木をかき分けて、細かい枝が擦っていくのも厭わずにレストは前に進んだ。


 突然視界が開ける。


 森の深部。そこは高低差がなにもない、大きな広場だった。


 周りに生える木が、まるで結界のようにその広場を取り囲む。爽やかな森の入り口とは打って変わって鬱屈とした暗い空気が漂っている。木々の葉はより碧く、幹はより黒い。音をすべて飲み込んでしまったかのようにしんとしていた。


 光の粒がゆっくりと降り注いでくる。幾つかがレストの頭や肩に当たって弾けて消えた。


 目の前に何かが群れているのが見えた。


「……人?」


 最初は背の高い人が複数人いるのかと思った。同じように助けを聞いて駆けつけた探究者達だと。しかしそれらは人型ではあったが、異様に背が高く姿勢が真っすぐで、その身体は植物の蔦が絡み合ってできていた。レストの気配に気が付いたのだろうか、ぐるりとこちらを向いた顔には三角形をひっくり返したような位置関係で三つの穴が空いていた。そのうちの目と思われる二つは赤く爛々と光っている。


「魔物っ!」


 叫んだ瞬間彼らは細かく振動し始めた。怒り狂ったように身体を震わせレストを見つめてくる。その隙間から、彼らが何に群れていたのか、その正体がちらりと見えた。


 地面に蹲って身体を丸めている。

 金色の髪は長く、シルクで編んだような美しいドレスを着ている。

 ぼんやりと淡く光っているが、弱っているのかその光は点滅して消えそうだ。

 女性だろうか。はっきりとは分からない。

 だけど助けを求めていたのはきっとあの人だ。


 何とかして助けないと!


 木の魔物が腕を振り上げレストに突進してくる。それを横に飛んで避け、剣を持ち直した。


 眼の端に動く何かが映った。


 とっさに対背を低くすると頭の上を蔓がうなりをあげて通過していった。魔物の腕は触手のように伸びるらしい。


 体勢を立て直すや否や、別の木の魔物が襲い来る。猛烈な勢いで腕を振り下ろしてきたのをなんとか剣で受け止める。が、そのおかげで後ろに回り込んでいたもう一体の魔物の気配に気が付かなった。


 ゴッ


 という音がして脇腹に衝撃が走った。レストは吹き飛ばされる。ゴロゴロと転がり木の幹に衝突して身体を強かに打ち付けた。


「カハッ」


 肺から空気がすべて抜けた。思わず意識が飛んでいきそうになる。


 強い。


 何よりも数が多い。わらわらと蠢く木の魔物は三体。とても一人では相手しきれそうにない。


 レストはゼーハーと息をしながら剣を杖の代わりにしてよろよろと立ちあがる。

 何とかしなければ。

 今はあのドラゴンの時みたいに助けてくれる人もいない。

 自分で何とかするんだ。


「考えろ、考えろ!落ち着いて、観察するんだ。敵は三体、木の魔物、身体は植物。試せることは、何でも試せ!」


 三体の魔物は一斉にこちらへと向かってきている。


「何でも試して、敵を探れ!」


 レストは地面の草が生えていない部分の土を思いっきり掴んだ。魔物たちが十分に近づいてきたタイミングでそれを彼らの顔めがけて投げつける。砂が舞った。


 一瞬魔物の動きが止まったように見えたが、砂ぼこりの間からすぐさまに触手が伸びてきた。レストは横に飛んでそれを躱す。


「くそっ、目つぶしは効かないのか!」


 ではあの眼は何のための眼なのだろうか。赤く光る眼。爛々と輝く穴。何を見ている。何を感知している。眼に頼っていないのなら、あいつらはどうやって敵を認知しているんだ?


 再び触手が襲い掛かってくる。レストは咄嗟に後ろに下がり距離をとる。


 剣が得意なレストはなるべく敵の懐に潜り込みたい。しかし相手の触手がある以上、それは難しい。


 今自分が打てる遠距離攻撃があるとするならば、方法は一つ。幸いにも、この森はマナの純度が高い。レストは剣を構えた。


「『フレアブリッツ!』」


 レストの掲げた剣身が紅く光る。その光は高熱を帯び、メラメラと揺れ動いている。それが一つの塊になった時、勢いよく剣から放たれた。


 赤い筋を描いて炎は空を飛び木の魔物に命中する。炎は一気に膨れ上がり魔物を焼き尽くした、かと思われた。


 勢いがあったのは最初だけで、それもすぐに収まりあっという間に消えてしまった。魔物も一瞬よろめきはしたものの、その身体には幾分もダメージを負っていないかのように見える。


「効かない!?」


 植物の魔物に対して炎は有効だと思ったのだが、違ったのだろうか。


「もう一回っ……!」


 再び魔物の触手。


 魔法の準備をしていたレストは慌てて避けようとし、バランスを崩してしまった。無理な体制で放った炎の弾はあらぬ方向へと飛んでいく。触手がレストを捕らえるのは必至かと思われた。


 その時だった。


 レストに向かって真っすぐに伸びてきた触手は、一斉に方向転換をして炎の弾を追いかける。勢いよく炎にぶつかり、ぱっと明かりが点く様に一瞬だけ明るくなった。


 衝撃音が響く。


 だがやはり、蔓でできた触手を燃やすには至っていない。


「そうか……あいつらは枯木じゃない。だから燃えないんだ!」


 木に炎が有効であるイメージを抱いてしまったのは、おそらく焚火などの所為せいだ。あれは通常、火種を起こした後それを火口で包み、そこから枯れ木などを組んで炎を燃え上がらせていく。あの魔物達が蔓でできた腕を自由に伸び縮みさせることができるということは、奴らの身体はカラカラに乾いた植物ではないということだ。つまりまだ水分を有しているのだ。簡単に着火できないはずである。


 これで有効打が無いことが確定した。絶望的な状況ではあるが、しかしレストの表情は先ほどよりも光に満ちていた。


「今ので分かった……これなら、できる!」


 レストは勢いよく走りだした。走りながら、炎の魔法を次々に唱えていく。


「いくぞ!フレアブリッツ、連射ぁ!」


 ボボボボと次々に炎の弾が繰り出され周囲も断続的に明るくなる。それらの弾は空に向かって乱雑に、様々な方向へと打ち放たれていた。


 木の魔物達の眼はその炎をしっかりと捉えていた。次々と空へと打ち出される炎の明かりが、魔物達の爛々と赤く光る眼を煌々と照らしていた。


 三体の魔物は激しく身体を震わせる。空洞の口からうめき声のようなものをあげ、あちこちに放たれた炎に困惑したように頭を振る。


 一斉に、その触手が伸ばされた。


 炎の弾を撃ち落とさんと、一つ叩いてはまた一つへと、狂ったように触手を伸ばし続ける。


 それが、隙。


 待ちわびたようにレストは剣を握り直した。


「今だあああああああああああああああああああ」


 突撃。


 近くにいた木の魔物に向かい一直線に駆けていく。剣を振り上げ、右から左へ、斜めに切りつけ魔物を一刀両断する。すぐに踏切を切り直し、もう一体、そして最後の一体も同じように切りつけた。ぱっくりと割れた植物の身体からは、血のようなものは一切出てこなかった。


 無防備になっていた木の魔物はあっけないくらい簡単に、その命の灯を消した。


 魔物達の眼から赤い光が消えていく。


 レストはしばらく声が出なかった。直ぐには警戒を解かずに周囲を見回していたが、どうやら安全だということが分かると剣を仕舞い空を仰いだ。


 喘ぐように息をしながら安堵の気持ちに包まれる。


「……勝っ……た」


 たっぷりと時間をかけてその一言を呟いた。


「良かった……予想が合ってて……」


 確かに魔物達に炎は効かなかった。


 しかし魔物達は炎に動いた。単に炎に食いついたのではない。


 問題はあの炎が魔法の炎だったという点だ。


 木の魔物は植物だ。なればその活動エネルギーの根源はマナである。つまりあの魔物達はマナによって作り出された炎の魔力に、本能的に反応していたのだ。より多くのマナを有した生き物を見分け、襲い、そしてマナを奪う。あの眼はそれを見るための眼だったのだろう。


 少なくとも、それがレストの出した予想だった。レストは魔力のこもった炎を囮にしたのだ。


「そうだ、あの女の人は」


 大分落ち着いてきた呼吸を整えながらあたりを見回すと、女性はまだ同じ場所に倒れている。レストは急いで駆け付ける。


「大丈夫ですか」


 うつ伏せで倒れていた女性をゆっくりと仰向けにすると、その顔があらわになる。


 美しかった。


 まるで物語の中から飛び出してきたのではないだろうかと思えるほどに、精巧で整った容姿。髪は絹糸のように柔らかく繊細で、手足はすらりと伸び、名の売れた造形師が手掛けた人形のようだった。


「しっかり、聞こえますか?」


 声をかけながら、それにしてもとレストは思う。


 この女性が相も変わらず仄かに光を放っているのは、一体どういう原理なのだろうか。その光は微かに温かく、豊潤なマナの存在を感じる。木の魔物に襲われたのもきっとこれが原因なのだろう。


「ん……」


 ぴくりと女性の瞼が動いた。


「ここは……私……確か魔物に襲われて……」

「大丈夫です、魔物は追い払いました。もう安全ですよ」

「そう……」


 女性は言うと、上半身を起こす。


「あなたが助けてくれたのね。ありがとう」

「いえ……」

「あなたの名前は?」

「レストといいます」

「そう、レストね。素敵な名前だわ」

「え、あ、その、どうも」


 女性は立ちあがる。静かな動作でレストに向き直る。背筋がしゃんと伸びていてしっかりとした印象を受けるのに、穏やかで柔和なその表情が、硬い雰囲気を少しも感じさせない。


「改めてお礼を言います。レスト、魔物に襲われていた私を救ってくれてありがとう」

「はい。それであの……あなたは」

「そうね。自己紹介がまだだったわね」


 女性は恭しく瞳を閉じると、しばらく呼吸を繰り返した。レストはじっとその胸が上下するのを眺めている。


 そして数秒立った後、女性はゆっくりと瞼を開きレストを見つめて、続きの言葉を発した。


「私の名はリリアナ。この精霊の森を守護する女神です」

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