ブラッド・フォール ─探究者たち─

天野 うずめ

序幕 この世界に取り残されて

この世界に取り残されて

 さらさらと風が頬を伝っていく。仄かな草の匂いが漂ってきて一層に清涼感が増す。草原はいかにも平和だった。


「はぁ」


 青い空と緑の大地以外には何も無い。心穏やかな景色の下に、一人の青年が立っていた。


「ピクニックとかで此所に来たのなら最高だったんだけどなぁ」


 背年はそう呟く。しかし現実は、一人広い広い草原に取り残されているという状況だ。


 仲間は皆死んだ。


 脅威は去ったのでもう危険は無い。が、無残にも死体やら装備やらが足下に転がっているのが、如何にその時の状況が悲惨だったかを物語っている。


「まさかドラゴンが出てくるとはねぇ」


 炎を吐いてはいなかった。それ故に草原の景観は保たれている。沼のように広がった血だまりを除けば、であるが。


 ドラゴンは恐ろしく力が強かった。鍛えられた鋼の剣をへし折り、精錬された最高の防具を引き裂き、何の手間をも感じていないかの様に易々と仲間を喰い千切っていった。


 ドラゴンが襲ってきたのはパーティが休憩している時分だった。


 青年は偶然その場に居なかった。水を汲むために川の方まで出ていたのだ。とはいえ、遠目に見える位置には居た。ドラゴンが現れた時、危険を察知して咄嗟に草むらに隠れた。だから助かった。ドラゴンが飛び去って安全を確認してからこの場所に戻ってきた。


 辺りは嘘のように平穏だった。


 それから立ち尽くしてどれくらいの時間が経っただろうか。救援の信号は出した。いずれは近くの街から助けが駆けつけてくれるはずだ。それに連れられていけば、自分は安全に街へ帰還することができるだろう。


 そう、自分は。

 自分だけが。


「……いやぁ、まぁ、こういう職業をしてれば、こんなこともあるよね」


 仕方ない、仕方ない、と心を宥め賺なだめすかしてみる。


「最初から覚悟していたことじゃないか……何も悔しがることはないさ。何も……」


 しかしどれだけ平気な振りをしようとも、どれだけ気にしてないような口調で呟いてみても、ざわついた心を落ち着かせることが出来なかった。


 どうして、どうしてこんな事になってしまった。


 あんなに準備してきたのに。


 何があっても一緒だと誓い合ったのに。


 どんな敵が現れても大丈夫だと笑い合ったのに。


 なぜ仲間達は喰われている。


 なぜ彼らの装備はぐちゃぐちゃに潰れている。


 なぜ彼らの肉片は地面に転がって動かない。


 自分はその時何をしていた。


 なぜ生き残った。


 自分が。


 自分だけが。


 なぜ今生きている。



「うわあああああああああああああああああああああああああああああ───」



 ぷっつりと声が途切れた。



 赤い液体が新たに地面に飛び散って草原を汚した。

 そこには首から上のない死体が一体、転がっているだけであった。

 空へと遠ざかっていく羽搏きの音を、その時聞いていたものは誰もいないだろう。





 ユグリウス歴九百三十二年、


 突如として世界に穴が空いた。


血に臨む陥落ブラッド・フォール』。


 地の底が砕かれ、その狭間からこの世ならざるものたちが地上に押し寄せた。


 地を這い火を吐き海を渡り人々の住む世界を侵略していく魔物により、世界は混沌に包まれた。


 後に人類は魔物が出現したその年を新たな紀元の始まりと宣言し、魔物と人間が住まう世界の歴史が始まったのだった。

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