7 センパンジー
ぷおーん!
さっきから馬鹿でっかいラッパの音が響いている。なんだこれ。エスちゃんは十円玉を挟めそうなしわを眉間に寄せて、キョロキョロと当たりを見渡した。
「なにこのラッパの音」エスちゃんはエヌくんに訊ねる。出どころが分からなかったからだ。
「おそらくセンパンジーの仕業だな」
「センパンジー? A級とかあるの? 靖くn」
「おっとそれ以上言うとセンシティブだからやめておこう。仙人のチンパンジー、だからセンパンジーだ」
「はあ。なんでラッパなんか吹いてるの? っていうかどこ?」
エヌくんはエスちゃんの手を引き、「センパンジーの森」と書かれた、ガラスで囲われた小さな森まで連れていった。そこで、ムキムキマッチョの体に長いひげの、人臭い見た目のチンパンジーが、ラッパを鳴らしていた。
「なにこれ」エスちゃんはシンプルにそう言った。いやセンパンジーなのは分かる。みるからに仙人だ。頭が長くないのが惜しい。
「こいつは仙人伝説のもとになった生き物で、中国のものすごい山奥に住んでいる。ラッパは朝を知らせるために吹いているんだ」
「朝っていうか昼じゃん」
「うん、センパンジーは飼育下では体内時計が狂うらしくて、一日中騒いでるそうだ」
「へえー。センパンジーはやっぱり野菜とかしか食べないの?」
「いや。結構なんでも食べるらしいぞ。桃は大好物だし、小動物をとらえて食べたり、あるいはほかの群れの子供をさらってきて食べたりする」
「うへぇ」文芸部だけあって宮部み●き調の悲鳴を上げるエスちゃん。エヌくんは、
「現実に存在してるチンパンジーだって、ほかのサルの子供をさらってきて食べるんだぞ? パ●君とかプ●ンちゃんに騙されちゃいかん。この手のサルは人の親戚だけあって野蛮なんだ」と、何故かドヤ顔で言う。
「あぁ……パ●君も人間に噛みついて番組降ろされたって聞いたことある……」
「人間の野蛮さをよく分からせてくれるのが戦国大河とチンパンジーだ。架空の生き物ながら、センパンジーもそういう生き物なんだ」
へえ。戦国大河が野蛮であるのはエスちゃんも大いに認めるところだ。エスちゃんは大河ドラマが大好きで、毎週日曜八時はテレビの前にいるのだが、久々に戦国時代が舞台だ、とワクワクしていたらしょっぱなから明智光秀が盗賊と戦っていて度肝を抜かれたのであった。
そんなこたぁどうだっていい。目の前のセンパンジーは目を血走らせてラッパを吹いている。耳が疲れてきた。それをエスちゃんはエヌくんに訴えた。
「じゃあいったんここから離れようか」
二人はセンパンジーの森の外周に沿って歩き始めた。さすがにガラスだけでは強度が心もとないゆえか、ところどころがちゃんとした塀になっていて、そこには「センパンジーたちの芸術作品」という掲示がある。
……ええと。
ただのぐちゃぐちゃした、蜜蝋クレヨンで書かれた線だ。これを芸術と呼ぶのは無理ではないか。エスちゃんは素直にそう思った。
「芸術に見えんと思っとるだろう」
「なにその口調」
「いや突っ込むところはそこじゃなくてな。芸術、というのは人間が生み出した概念だし、動物には結局理解できんのだよ。タイで象が絵を描いてる映像を見たことがあるが、あれだって象使いが仕込んだ絵だ。象本人は結局何を描いているのか分かってないと思うぞ」
「そういうものなの?」
「そういうものだ。結局、人類はいびつに進化した生き物だ、ということだよ」
「ふーん……あれ? あっちがなんだか人だかりになってるよ。行ってみようよ」
「お、おいおい移動が速い。俺をおいていくな」
二人は人だかりのほうに向かった。そこには、仙女がいた。
「あー、この動物園の人気者のカステラちゃんだ」エヌくんはそう言う。
か、カステラ。名前のセンスのなさにがっくりくる。センパンジーに服を着せたもののようだ。着ているのはひらひらの、昔の中国の絵に出てくる薄衣みたいなやつ。
「キーキーキーキーッ!」
カステラちゃんは仙女みたいな見た目とは裏腹に、その野性味あふれる声を発して、飼育員の背中によじ登った。たくさんの人が怖かったらしい。
見るとカステラちゃんは恐らくまだ子供だろう。プ●ンちゃんの後釜を狙っているのは確実だ。カステラちゃんもブルドッグと一緒におつかいにいったりするようになるんだろうか。
そういうことをエスちゃんは考えつつ、カステラちゃんを眺めた。カステラちゃんは明らかに機嫌を損ねているようで、すぐカステラちゃんは飼育員に連れられいなくなった。
「ねえエヌくん、」と、エスちゃんは考えたことを説明した。エヌくんはしみじみと聞くと、
「センパンジーにせよ、リアルのチンパンジーにせよ、擬人化して人間の思惑に従わせるのはいい趣味じゃないな」と答えた。
ふむ、これでようやくすっきりした。
ずっと違和感があったのだ。人間に近い生き物といったって、人間の服を着せるのはあまり見ていて気持ちのいいものではない。そうか、擬人化かぁ。
「ツイッターでフォローされたから見に行ったら不愉快で即ブロしたあのアカウントの不快感はそういう理由かあ」エスちゃんはしみじみと頷く。
「なんだそれ」
「なんかねー猫飼ってるひとのアカウントでね、『きょうのおやつはアタチのだいすちなちゅ●るでち』とかツイートしててね、ひたすらに気持ち悪くて即でブロックしたんだよね。何万もフォロワーのいるアカウントだったんだけど、無理だったわー」
「ち●ーるは塩分が強いからほいほい与えちゃいけないって常識だろ」
「そういうことじゃなくて。なんか、動物を擬人化して喋らせるのって、本当に趣味悪いんだなーって思って。そりゃ動物本人が手話とか使うなら別だけど」
「ゴリラでいたっけな、そういうの――動物の意志を尊重せず飼い主のエゴで喋らせるようなやつにろくなのはおらん」
おお、エヌくんカッコイイ。エスちゃんはエヌくんを見直した。
「センパンジーは脳内スライドないんだね」
「この動物園にいる個体は繫殖されて連れてこられたやつらだからな。原産地、中国のものすごい山奥でどんな暮らしをしているのかは分かってないんだ。謎多き生き物なんだよ」
「へえー。ウヒヒと違って人間の立ち入らないところで暮らしてるんだ。パンダみたい」
「うむ。パンダと同じく、和歌山の妄想動物園ではセンパンジーがバンバン繁殖されてるぞ」
そこまでパンダに寄せんでいい。エスちゃんはため息をついた。
もう一度、「センパンジーたちの芸術作品」に戻る。
そう思って改めて見ると、芸術、という人間の概念を押し付けられたセンパンジーたちは、自分が人間に擬人化されていることを把握したうえでこれを描いたのでは、と、エスちゃんは思った。決して人間にこびない反骨精神を感じる。
「ここってゴリラみたいなうんと大きい霊長類はいないの?」
「それは地図を見ればわかるだろ」そう言われて、エスちゃんは地図をごそごそ取り出す。どうやら霊長類はほかにもいるようだが、ルート的にぐるっと一周してくればちょうどよさそうだ。
「なんか別の動物見に行こうよ。サル二連発ちょっと疲れた」
「よしきた。じゃあ肉食獣のほう見に行ってみっか」
二人はてくてく歩きだした。エスちゃんは、エヌくんの言うことが、予想外に理路整然としているので、やはりこいつは理系なのだな、としみじみ思う。っていうかバレーボールの県大会の準優勝メンバーなんだから体育会系か。しかしエスちゃんはエヌくんの、モルモットのためにコツコツとクローバーをむしる姿に惚れたのであって、丸坊主にハチマキで体育館を跳ねまわっていても惚れはしなかったろうな、とぼんやり思った。
なぜなら、文芸部が部室に使っている図書室と、生物部の部室である第二理科室は、すぐ向かい合っているのだから。そして、図書室の窓から外を見ると、そこにはいちめんのクローバー畑が広がっているのだから。
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