5 オトメノナミダネコ

 エヌくんとエスちゃんは、ふれあい農場エリアをウロウロしていた。エスちゃんはようやっとハシリオオトカゲに追いかけられるのから脱出して、落ち着いて動物を眺めている。


「ここにいる家畜は肉用とか乗り物用とかだけなの? もっとこう……犬とか猫とかみたいによしよしして可愛がるようなのはいないの?」

「犬とか猫とかが動物園、それも妄想動物園にいるわけないだろ。まあ、犬も猫も可愛いのは確かだ。……ほら、そこにいるのがお探しのコンパニオンアニマルだ」


 こんぱにおんあにまる。正直言ってなじみの薄い言葉だが、ペット、というより誠実な感じがするなあとエスちゃんは思った。看板には「オトメノナミダネコ」という文字が並んでいて、なんじゃそりゃと顔を上げてエスちゃんは派手に噎せた。


 なんだこれは。「くだん」か。


 人間の顔がついた猫という悪趣味極まりない動物が、退屈そうに尻尾を揺らしている。


「な、なにこれ。早●書房の百合怪奇SFに出てくるやつ?」

「なんだ『早●書房の百合怪奇SF』って」

「エヌくん、ちゃんと本読まなきゃだめだよ……読書しないと悪い大人になるよ」

「安心しろ。俺は動物を愛する優しい心の持ち主だ」


 いやそれ関係ないと思う。エスちゃんはそう思ったがこれ以上こじれるのは面倒なので言わなかった。エヌくんはその悪趣味な動物について説明を始めた。


「こいつはオトメノナミダネコっていう。顔が少女漫画だろ? あっちの縦ロールがメス。こっちのゆるふわヘアのほうがオスだ」

「へ、へえ……なんか……少女漫画っていってもウン十年前の耽美なやつっぽいね……竹宮●子とか池田●代子とか萩尾●都とかそのへんの……」


 エスちゃんは文芸部員で読書家なのだが、漫画も大好きでよく読んでいる。少女漫画雑誌より少年誌や青年誌のほうが好きではあるのだが、しかしそのへんのレジェンド少女漫画はサワリ程度抑えている。そういうわけで少女漫画家の名前の列挙に至ったわけだが、エヌくんはよく分からない顔をしている。具体例を挙げて損したとエスちゃんは思った。


「こっちがオ●カルでこっちがアン●レですー」

 飼育員さんがオトメノナミダネコの名前を教えてくれた。名前が伏せ字ってどういうことなの。エスちゃんはそう思ってもうちょっとよく見てみようと顔を寄せた。


 ……オ●カルの背中の模様、カケアミだ。昔の少女漫画によく出てくる技法で、いまの漫画家でもこれが上手いとカッコイイとエスちゃんは思っている。一方アン●レの背中の模様は点描だった。こだわりがすごい。


「カケアミと点描……少女漫画じゃん……」

「なんだ、カケアミって」

「漫画でさ、トーン貼る代わりにペンで網目模様を描くことだよ」

「トーン……?」


 そこから説明せなあかんのかーい。エスちゃんはため息をついた。

 エスちゃんはエヌくんにトーンとはなんぞやということを説明した。エヌくんは、はー、ととりあえず理解して、


「漫画って雑誌で追うと高くつくし単行本は発売のタイミングよくわかんないしなあ」

 と言ってきた。エスちゃんは「アプリで単行本の発売日とかわかるけど」と答えた。

「そうなのか……時代は進んだんだな」

 いつ時代人やねん。エスちゃんは心の中でそう呟いた。


 エサの時間らしく、飼育員さんはオ●カルとアン●レに猫缶を与えた。どうやらエサは猫のものでいいらしい。二匹は爪をナイフフォークの代わりにして、ぱっと見テリーヌのように見える猫缶を上品にぱくつきはじめた。


「……最初は気持ち悪いと思ってたけど、見てるうちに慣れるね」

「癖になるビジュアルだろ?」なぜかドヤ顔のエヌくん。

「これってどこで飼われてるの? あんまり可愛いと思えないけど」

「こいつらはものすごい珍獣で、世界で飼育されてるのはこの妄想動物園と原産地であるホラディベルグ公国の公爵家の館だけだ」


 出たぞ、またどこにあるのかさっぱり分からん地名。


「ホラディベルグ公国ってどの辺にあるの? ヨーロッパ?」

「そう。ヨーロッパのものすごい山奥に、ちょうど上野公園くらいの面積の国としてある」


 バチカン市国と変わらない広さだ。しみじみと納得する。


「エヌくんさ、地理の成績ボロボロなのに動物の原産地には詳しいよね」

「動物の原産地に詳しいんじゃない。妄想動物の原産地に詳しいんだ」

「……どゆこと?」エスちゃんはいぶかしむ。エヌくんは特大のドヤ顔で、

「俺は秋田県と岩手県どっちがどっちと言われたら悩む。だが妄想動物に関して言えば、適当なことを言ってもだいたい正解だから適当に言ってるんだ」


 ……訊かなきゃよかった。エスちゃんは後悔した。


「エヌくん、来週の日曜はテスト対策で勉強しようね……ってかうちの学校、割と偏差値高いとこじゃん。なんで入れたの」


「バレーボールのスポーツ推薦だ。中学は運動部しかなかったから仕方なくバレーボールをやりつつ教室のうしろでメダカとオオカナダモの世話をしてたんだが、そのバレーボールが意外と向いててな。県大会の準優勝メンバーだ」


「えっ。じゃあなんで生物部入ったの。怒られなかった?」

「別に? だいたいうちの学校の男子バレーボール部丸刈り強制だろ。んなかっこわりぃことできっかよ。バレーボールよりやりたいことがあるって言ったらあっさりOK出たぞ?」


 どういう学校やねん……。エスちゃんはあきれた。そういや某著名な漫画家さんの農業エッセイ漫画でも、バレーボールの推薦で入学して空手部に入ったエピソードがあったな……と、エスちゃんはぼんやり思い出していた。


 そんなことよりオトメノナミダネコである。改めてみると食事を終えて、丁寧に白いハンカチで口をぬぐっているところだった。猫本人がやるんだ……とエスちゃんは思った。昔家で飼っていた猫は、よく口の周りに獣くっさいヨダレをくっつけていて、それを人間が拭いていた。


「あ、脳内スライドがあるよ」エスちゃんはさっそくぽちっとボタンを押す。

 なぜかヴィヴァルディの「春」が流れ始めた。山奥にひっそりと建つ古城が映し出される。


 古城の暖炉の前には豪華なカウチが置かれ、そこに横ロールのカツラをかぶりレースとフリルをこれでもかとつけた装束の男性が横になっている。その足元で、オ●カルやアン●レとちょっと模様や尻尾の長さの違うオトメノナミダネコがあくびをしている。模様はナワカケである。カケアミの難しいやつだ。


『オトメノナミダネコは繁殖力が弱く、全世界でたった五頭しか生存していません。人間の庇護があるから生きてこられたのです』


 へえー。エスちゃんは納得する。さらに、

『ホラディベルグ公爵家は特殊な掛け合わせによって猫をオトメノナミダネコにすることに成功しましたが、その方法が動物愛護の精神に反する、という意見は古くからあり、オトメノナミダネコは自然に絶滅させる方向で飼育されています。顔の作りを人間のようにしたためネズミや鳥を狩ることができず、人間の保護下を離れればエサをとれず死んでしまいます』


 そう続いて、エスちゃんは少し考えてこうつぶやいた。

「……自然に絶滅させるって、なんだか可哀想だね」


「仕方あるまい、人間が自分の身勝手で生み出した生き物だ。デザイナーズドッグやスコティッシュフォールドのブリーダーが批判されるのと同じだよ。可哀想だがそれしか道はないんだ。そしてそれが許されるのが妄想動物だ」


 エヌくんは、妄想動物は妄想から生み出され、そして妄想の存在であるからゆえに滅びても生態系になんの影響もない、ということを説明した。エスちゃんは口をとがらせてそれを聞いて、それから、


「……なんか家畜コーナー見てたら人間のエゴがすごくてつらいから、普通の動物見よ」


 と、エヌくんに提案した。エヌくんはよしわかった、と頷き、二人は歩き出した。

「自販機で飲み物買おうよ。手指がつめたいよ」

「ここの自販機、コーンスープかお汁粉か甘酒しかないぞ? おっ、コンソメスープもあるじゃん。これにしよ」


 二人は自販機でコンソメスープを買って、ベンチにかけてそれを飲んだ。エスちゃんは、温かいスープの缶で指先が温まるのをうれしく味わった。

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