4 ハシリオオトカゲ

「今度はなに? なになになに? 速い! 速いよ!」


 エスちゃんは必死で走っている。その後ろを、すごい勢いで恐竜かよという大きさのトカゲが追いかけてくる。


 おかしい。ここはふれあい農場のはずだ。なぜそこでジュラ●ック・パーク案件が発生するのか。エスちゃんは運動部しかなかった小学校では陸上部員だったので、中高と文芸部ですっかり体が鈍っているとはいえ走るのは結構速い。そのエスちゃんを、その巨大なトカゲが追いかけてくる。


「はははー」エヌくんが呑気にスマホで動画を撮っている。助けろバカ、クローバー野郎め。エスちゃんは心の中で盛大に毒づいた。


 まあ、エヌくんがぼんやり見ているということは命にかかわりはなかろう。エスちゃんはさすがに走り疲れて走るのをやめた。でっかいトカゲはそこでストップする。


「ハシリオオトカゲは走ってる人間を追いかけがちだからなー」

 エヌくんはそう言ってエスちゃんに近寄ってきて、カバンから飲みかけのスポーツドリンクを取り出した。さすがに間接キスする度胸はなかったので、エスちゃんはそれを飲まずに押し返した。


「なにこれ、ジュ●シック・パークかと思った。なんでこんなのがふれあい農場にいるの」

「こいつはハシリオオトカゲといって、れっきとした家畜だよ」

「ええっ?」エスちゃんはきょう何度目か分からない驚きを口に出した。

「か、家畜ったってこんな恐竜食べてもおいしくないよっ。恐竜食べるなんて古代人かっ」

「あのなエス、恐竜が地球にいた時代、人間はまだ生まれてないぞ?」

「あ……ああ、そうだった。そうだそうだ。それにしたってこんな恐竜飼ってなんにするの」

「いちいち間違いを訂正すんのも面倒だが、こいつは恐竜じゃない。トカゲだ。恐竜は鳥の仲間だ」

「あっそれ本で読んだ。女子高生が歴史の書き換えと戦う奴だ」


「なんだそれ」エヌくんは文学に疎いのであった。こんどはエスちゃんが説明する側に回る。エスちゃんは最近お気に入りの小説についてとうとうと説明した。いかに面白いか熱心に語っているところで、エヌくんがスマホをいじっていることに気付いてやめた。


「……わたしの話、つまんなかった?」

「え? あ、いや、こいつが飼われている様子の動画探してた」


 エヌくんがスマホを見せる。画面には、馬小屋のようなところにのんびりとおさまり、サボテンをムシャムシャボリボリ食べているハシリオオトカゲが映っている。

 その、実際に実用として飼われているハシリオオトカゲは、角と牙に手綱を取り付けられていて、それを背中に鞍を置いた人が操って走るようだ。こいつ、走るぞ!


「えっ、これ人を載せて走るの? 道交法的にどうなの?」

「そりゃ妄想のなかに棲んでるんだから道交法もクソもないよ」


 その通りなのであった。見ると動物園にいるほうもご飯タイムらしく、サボテンをムシャムシャと食べている。


「こんなにでっかいのに、エサがサボテンでいいんだ」

「うむ、その代わり一日20キロサボテンを食べる」

「げっ」そんなにサボテンを食べたら、花屋が倒産してしまうではないか。いや待て、それを言うならタイやインドで飼われているゾウも、すごい量の葉っぱを食べるわけで、手間としては同じか。エスちゃんはすっかり納得して、ゆっくり近寄ってきたハシリオオトカゲの頭を撫でた。


「案外かわいいね」

「おいおい、『げっ』の続きはないのか。おおむねどこからそんなサボテンを集めるんだ、みたいなことを考えたと思うんだが」


「あのさエヌくん、エヌくんはわたしが動物について無知なの前提で話してくるけど、こう見えて定期考査の成績、文系だけならエヌくんよりずっと上なんだからね? 理系もエヌくんとあんまり変わらないんだからね? ちゃんと考えてるんだからね?」


「うぐっ」エヌくんはまるで槍で突かれたような悲鳴を上げた。それから反撃に転じる。


「で、でもだな。小学校の通知表、俺は六年間『生き物を大事にする優しい心があります』って書かれ続けたんだぞ? 六年間生き物係をこなし続けたんだぞ?このブレなさに勝てるか?」


「……なにを自慢してるの……」

 エスちゃんはため息をついた。


「と、とにかく。エスは俺にこの動物園を案内して欲しくて、その……初めての、デートをここに、したんだろ……?」


 エヌくんはひどく赤面している。エスちゃんも、火がついたように顔を赤くする。


「そう、だけど……えーと! こいつはどこで採れるの!」

「南アメリカのポルジャヤ砂漠! 先住民パヤ族の生き残りが飼ってる!」


 二人で勢いよくそう言い、互いに赤面した顔をみないようにそっぽを向いた。


「で、こいつ、サボテンだけで営業してるの? それで栄養足りるの?」

「こいつは省エネ設計なんだよ。仙人がなまぐさものを食べなくても生きていけるのと同じだ」

「あ、それアニメ化が爆死したあの漫画の」

「残念でした。大昔にちゃんと主要キャラが出てくるアニメやってる。てかなんで俺らがあの漫画知ってるんだよ。いまどきの高校生なのに」

「そりゃーあれだけアニメが盛大に爆死したら知ってるよ。ツイッターでフォロイーのお姉さん(三十代)に勧められて原作読んだけど、どのキャラ推してもだいたい死ぬっていう……」

「まああの漫画の話は置いといてだ。ここにも脳内スライドがあるぞ」


 ぽちっとな。ボタンを押すと、どこまでも続く広大な砂漠が二人の脳内に映し出された。

「うひゃー、だだっ広いねえ」


 その砂漠の、夕陽の沈む方角から、一頭のハシリオオトカゲが迫ってくる。ドドドドドドドと砂埃を立て、四本の足をすさまじい勢いでシャカシャカ動かしている。


 脳内スライドが切り替わり、「ホヤラ塩湖」の文字が出る。赤い刺繍の民族衣装を着た人々が、採掘された塩をハシリオオトカゲの背中にどんどん積んでいく。おいおいどこに乗るんだ。


 民族衣装の若者――エヌくんとあまり変わらない年頃に見える――が、詰んだ塩のさらにその上に乗ると、手綱を取ってハシリオオトカゲを走らせた。ハシリオオトカゲは若者と塩を載せて、ご機嫌でホヤラ塩湖の上を走っていく。


「やっぱり家畜として飼われてるやつは体がボロボロだね」

「ポルジャヤ砂漠は環境が厳しいからな。降水量はとてつもなく少ないんだ。サボテンの水分だけで生きてるようなもんだ。カロリーを消費しないように生殖活動がとても鈍くて、繁殖期は5年に1回とも10年に一回とも言われている」

「へえ……栄養が薄くても生きていけるんだ。科学的にどういう理屈なの?」

「そりゃ知らんよ、妄想の中の生き物だからな」


 エヌくんはときどきこういうふうに「妄想の中の生き物」というセリフを発するが、単純にごまかしているだけではあるまいか、とエスちゃんは思った。


 でもそこを追及したところで、この妄想動物園も、さらに言ってしまえば自分たちも妄想の産物であることを思うと、明確な答えなんておそらくないのだろうというところに思い至った。


「どうしたエス?」

「ううん、なんでもない。喉乾いたからちょっと飲み物買ってくる。自販機そこにあるよね」

「あー、その自販機はコーンスープとお汁粉しか売ってないぞ。あ、甘酒もあったっけか?」


 ……妄想の中の自販機は採算度外視なのか。呆れるエスちゃんに、エヌくんがまたスポーツドリンクを差し出す。


「……ありがと」エスちゃんはそれを受け取ると、口を付けないようにだーっと一気飲みした。


「あっひっでぇ俺のポカリ!」

「ごっそさーん」エスちゃんは空になったペットボトルをエヌくんに突き返して、

「ここモルモットっていないの?」とエヌくんに訊ねる。

「いるわけないだろ。ここは妄想動物園だぞ。モルモットは現実にいる動物だから、こういう妄想のなかの貴重な動物を置いている動物園のスペースをとるわけには……」


「わああああー!」エスちゃんは、ずっとよしよししていたハシリオオトカゲに、またしても追いかけられていた。エスちゃんが逃げ回る様子を見て、エヌくんは、「よく飽きないな……」と呟いた。まあ、ハシリオオトカゲも飽きずにサボテンを食べ続けるわけだし、いいか。エヌくんがそう結論したのも知らずに、エスちゃんは走って逃げ回っていた。

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