3 マンガジュー(アシコブラクダ)

 ふれあい農場にきた。


 穏やかな名前とは裏腹に、なにやらでっかい動物がウロウロしている。売店で「どうぶつのエサ」として百円で売られていたカップ入りのにんじんスティックをもって、エヌくんとエスちゃんはその木でできた、動物からの守備力ゼロの柵の前にたたずんでいる。


「ね、ねえ、ここほんとにふれあい農場? なんか変なのいろいろいるんだけど」

「間違いないよ。ここにいるのはぜんぶ家畜だ」

「えぇッ!」エスちゃんは素っ頓狂な声を上げる。一見して家畜に見えない生き物ばかりだからだ。どう見たって家畜には見えないヘンテコな、いやこれどこで飼うんじゃ、という感じの。


「え……じゃあこのマッチョでまつげの長い馬も家畜?」


 低い柵越しに、エスちゃんはにんじんを謎の家畜に食べさせた。その生き物は、一見すると馬であるが、脚が奇妙な形に膨れている。前足後ろ足すべて四本、ひざ上とひざ下に、ぽっこりと肉がついて盛り上がっているのである。


「こいつは『マンガジュー』だ。別名を『アシコブラクダ』ともいう」

「えっこいつラクダ? 背中にこぶないじゃん!」


 エスちゃんの手からにんじんをひったくってムシャムシャ食べているその「マンガジュー」であるが、意外と人懐こい生き物らしく、ニンジンをひとしきり食べると、広い額をエスちゃんの手にすりすりしてくる。


「こいつは食肉用の家畜だ」エヌくんは容赦なくそう言い、マンガジューににんじんを食べさせる。

「食肉用……ってことは屠殺するの? こんなに懐っこいのに?」

「人間に懐いてるとか懐いてないとかの問題じゃないだろう。和牛だって、毎日ブラシをかけて高級な飼料食べさせるだろ。それと同じだよ。肉はスーパーの容器のなかで生まれるわけじゃないんだ」

「ええ……いやそりゃ分かるけど……で、どういう味がするのこれ」


「漫画肉だ」


「漫画肉」


 エヌくんの斜め上の答えに、エスちゃんはポカンとする。漫画肉。それってモンスターを狩猟するゲームでスタミナ回復アイテムとして用いるあれか。あるいは、漫画の中の海賊がおいしそうに食べているあれか。


「漫画肉の元祖はギャー●ルズだ」と、エスちゃんの心を読んだようなエヌくんのセリフ。いやギャートルズって名前しか知らんがな。


「マンガジューの原産地はカリブ海の小島、ベスプッチョ島というところで、そこではいまでも家畜として飼育されている。つまり、解体して足を切ると、漫画肉のデザインになるわけだ。これは漫画肉のデザインありきで妄想された動物なんだよ」


「なるほど理解」エスちゃんはそう答えた。ベスプッチョのほうにはノータッチにした。


 しかしカリブ海という言葉はラクダというもののイメージとはかけ離れている。ラクダって中東の砂漠の生き物なのでは……? エスちゃんはそう考えた。そこから、文芸部員のいわゆる腐女子たちが興奮しながら回し読みしていた「アラブの王子様にサラリーマンが愛された結果」なるぼーいずらぶ小説を思い出して、なんだか言いだせなくなってしまった。


「どうした? タピオカ喉に詰まったか?」

「詰まってない。……ラクダってアラブにいるもんなんじゃないの?」

「うーん……説明するのが難しいんだが、収斂進化というやつで、こいつはラクダじゃないんだ。ラクダは背中にコブができたけど、こいつは足にコブができた。一見してラクダっぽいからラクダ呼ばわりされてるだけで、ラクダとは別の生き物だ」


 収斂進化。なんかカッコイイ。エスちゃんはそう思った。

「で、具体的に漫画肉ってどんな味なの?」

「いやそりゃ俺だって食べたことないから分からんよ……あっ、ここにも脳内スライドのボタンがある。ぽちっとな」


 どーん!


 二人の頭の中に、ホカホカの湯気を立てる漫画肉が現れた。


「うわ、ホントのホントに漫画肉だ……えっこれ食べられるの、どういう仕組み?」

「食べられるわけじゃない。味を脳内スライドと同じ理屈で味と歯ごたえを再現するんだ」


 なにそのサイバーパンクの世界……と、エスちゃんは思った。とにかくイメージのなかで、漫画肉から出ている骨を掴み、肉にかぶりつく。

 へにゃぁっ。

 間抜けな歯ごたえ。そこから染み出す脂の味。牛肉をもっと濃厚にしたような味だ。食いちぎろうとするととにかく伸びて噛み切れない。そこで脳内スライドは終わった。


「……いつかベスプッチョ島いかなきゃ」エスちゃんは固く決意したのであった。

「確か何年も前から渡航注意情報出てるぞ? 海賊が出るとか、マンモスが出るとか」


「いやマンモスは出ないでしょいくらなんでも……っていうか漫画肉ってマンモスの肉なんじゃないの? モン●ンでもマンモスみたいなやつからはぎ取れるじゃん」


「いやマンモスは物理的に漫画肉にはならんよ」


「それに南の島ってことはマンモスは毛だらけだからゆだっちゃうよ」

「うーむそうなんだがマンモスが出るのは確かなんだ」


 理解できない。エスちゃんはそう思った。エヌくんは眼鏡――言い忘れていたが、エヌくんは黒ぶち眼鏡をかけた眼鏡男子である――をくいと上げて、


「……海賊はともかく、マンモスってなんか実害あんのかな」

 と呟いた。マンモスが出るから渡航注意、というのもおかしい話である。


 飼育員が、「マンガジューのコブ、触ってみます?」と二人に声をかけた。


「エエッ触れるんですかッ」エヌくんが裏返った声で言った。エヌくんは生物部員で、学校では「せっせとモルモットに食べさせるクローバーを摘んでいる男子」というキャラクターである。とにかく動物が好きなのである。そのエヌくんに「動物に触っていい」という言葉がめちゃめちゃよく効くことを、エスちゃんは知っていた。エヌくんが恐る恐る手を伸ばして、マンガジューの左前脚の上のコブに触れた。エヌくんはのけぞり、


「うおお人をダメにする手触り!」と叫んだ。

「え、じゃ、じゃあわたしも――うわあ! 人をダメにする手触り!」


 その手触りは、完全に高級なクッションとか、ふわっふわの掛け布団のそれだった。


「ここの子は普通のエサだけなのでふわふわですけど、ベスプッチョ島ではビールを飲ませてマッサージしながら育てるのでもっちもちなんですよー」


 と、飼育員は笑顔で答えた。

「……やっぱりベスプッチョ島いかなきゃ。もっちもちのマンガジューのコブに触りたい」

「それはやめとけ。ベスプッチョ島のマンガジューは酔っぱらってるから危険だ」


「そーなの? へえ……」エスちゃんはふと、文芸部の腐女子たちがこぞって集めているアニメだかゲームだかのキャラクターのぬいぐるみの手触りを思い出して、やっぱりベスプッチョ島にいくのはやめておこうと思った。あのまんじゅう状のぬいぐるみみたいな手触りなのかなと思ったのだ。だったらべつにいいか、とも。


「……どうした? さっきからなんか表情がおかしいぞ?」

 腐女子軍団のことを思い出しました、と言っても通じないだろうし、エスちゃんは言葉を飲み込んだ。


「ははぁん。もしかして俺の博学ぶりに驚いてるな?」と、エヌくんはトンチキなことを言う。

「……エヌくんてホントおめでたいよね」


「喧嘩売ってんのかコラ。せっかく俺がこの素晴らしい妄想動物園を案内してるってのに」

「いや喧嘩は売ってないよ? でもエヌくん、自分で博学とかいうとイケメンが台無しだから、なるべく言わないほうがいいと思う」


「ハハッ」アメリカのネズミか。エスちゃんは心の中でそう毒づいた。でもイケメンなのは本当だし、生物部でせっせとモルモットの世話をする心優しい若者であることはよく知っているので、エスちゃんはため息を一発つくにとどめた。


「どうする? 動物園はまだまだいろいろいるぞ? だだっ広いからな、なんせ妄想のなかは土地代がタダだ……どこ行こうか?」


「もうちょっとここで家畜を見たいなあ。どうせ遠くの動物のエリアにも一瞬で移動できるんでしょ? 妄想の中なんだもん」


「そうだな……じゃあ、もうちょっとここ見てみるか」

 というわけで、二人はふれあい農場をうろつくことにした。

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