其れは春も呉れ方の穏やかな時分のことで

韮崎旭

其れは春も呉れ方の穏やかな自分のことで

 其れは春も呉れ方の穏やかな時分のことで、私はすることもないのででは市でも見てみようかと佐治河岸のだれそれからきいた市に出向いたものですが、あいにくとその日は特に見るという気も起きずにキャラメルだけ買って帰ってきました。最近自分には外出が苦痛です。いえ、あらゆることが苦痛と言えばいいのかもしれません、なにかこう、風呂に入るとか、食事をとるとか、そういった人間社会の当たり前にされていることが、ひどく煩わしく、また、なまなましく獣性を帯びてきたように感じられ、そうして、不潔で、耐え難いことに感じ、実際にはより一層の不潔を背負い込むという、こういう具合なのでした。時には何かしてみようとしても、疲労がひどく、加えて意志薄弱、いつだってそうでした……何も、始めたからと言って完了まで行かずに投げ出してしまうので悲惨な気分だけが高まって、手を付けるにも劣等感にさいなまれ、劣等感だけが私の友達だと、酒もたばこも喫しない人間としては特に劣等感のやり場もなく、ごまかすこともできず、ただただ畳か、布団の上でもっとましな体力があればいいのにと考えるばかりで、日は暮れ、またしても今日も何もできなかったと考え、劣等感、これと向き合わされて、さあどうしたものか、胃の腑に重いものが溜まってゆくばかりで、一層具合は悪くなり、私は何の文体練習をしているのだろうかと考える次第です。

 

 太宰治を読んでいたものだから丁寧語で書いてみるのも良いかもしれないとは考えてもののの、ではなぜ断定口調で書いていたのか考えても、それ以前に呼んだ木下古栗以外にこれと言った根拠もなく、つまりは直近の読まれたものに依存するようです。窓の外には常に鉛色の気が塞ぐような空が広がっていてほしいと思います。夜なら、あるいは晴れた空というのもいいのかもしれませんが、昼間の晴れは、あれはよくありません、全くダメ、人間を破壊します、遮光カーテンがなくては生きていけないのに、その場に遮光カーテンが必ずあるとは限らないので、ええ、風情も何も、あったものではないと、田舎者の自分にすら思われますから、いえ、眩しすぎる、こんな人間には、こんな劣等的な人間には、日向はまぶしすぎて、罪悪を感じるので、耐えられないといった方が正直なところか。ともかくも、日向と人間、これらのために、自分は日常的な衛星の維持すら困難な始末でした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

其れは春も呉れ方の穏やかな時分のことで 韮崎旭 @nakaimaizumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る