第8話
急ぎ足で裏山への道を進んだ。
ざわめきが、払ってもとれない煤のように追いかけてくる気がして、ぼくらは焦りを感じていた。
月と星のあかり以外に、照らすものはない。ぼくらは何度か、草の蔓や落ちた木の枝に足をとられそうになりながら、裏山の中腹まで進んだ。
「タカハシくん、もう大丈夫じゃない?」
少し息を弾ませながらシラカワが言う。確かに、何の気配もない。ぼくはほっとして、そして急に疲れを感じた。
「ごめん、海行けないな」
「いいよ、もう」
また時計を見る。22時15分。
二人とも、手にペットボトルを持ったままだ。その場で開けて、少し飲んだ。
「上に行こ、タカハシくん」
「え?」
「ここの上さ、結構見晴らしがいいよ。知ってた?」
ぼくは首を横に振った。
「わたし、割と好きな場所。近すぎて気づかない穴場かも」
「へえ」
意外に思った。裏山は裏山。それ以上でもそれ以下でもない、単なる風景の一部としか思っていなくて、登ってみるなんてこれまで思いつきもしなかった。
他に案もないので、シラカワの勧めに従って上へと進む。二十分くらい、歩いた。黙っているのももったいない気がして、好きな映画とかTV番組とかスポーツとか、そういった話をした。映画は、結構好みが似ている事が判った。二人とも、時代劇とファンタジーが好きなのだ。
「わたし、恋愛ものって苦手なのよね。現実的なストーリーは嫌い。自分のしょってる現実で手一杯なのに、なんでお金払って映画見て、他人の現実に気持ちを振り回されないといけないのよ、って感じ。映画は、現実からう~んと離れた世界に気持ちを飛ばして、平凡な個人なんてちっぽけで、悩みもとるに足りないものだなあ、って感じさせるのがいいと思う。世界の大きな流れに、観てる間、ひたすら浸れるようなのがいいな」
漠然と感じていた思いを、シラカワは的確に言葉にした。ぼくは軽い感動を覚える。こんな事、友達とも真面目に論議した事もなかったけれど、ぼくは自分の感性は変なのかも知れない、と思っていた。時の話題作にいつも興味が持てなくて、流行の恋愛映画を観たがるナミカに、仕方なく何度か付き合ったっけ。
今となっては、映画の評価なんて、どうでもいい事だとわかっているけれど。どんな貴重な名作も、もうすぐ灰になって、観る者も記憶する者もなくなるのだから。でも、いま隣にいる女の子が、ひとつの価値観を共有している事は、ぼくには素直に嬉しく感じられた。
―――
林の中の狭い登り道が、急に開けた。
「おっ」
ぼくは思わず声をあげた。いきなり、教室くらいの広さの平地が目の前に現れたのだ。
「ねえ、意外でしょう?」
シラカワは、ぼくの反応に満足げな表情を浮かべる。進むと、先端から切り取ったような比較的急な斜面がまったく手入れされないままに、下へ向かっている。ぐるりと回ったらしく、眼下には燃えている学校がある。その先には、住宅街は広がっている。ずうっと先には、港があり、海が見えた。
「眺め、いいでしょ?」
「うん」
確かに、自分の住んでいる街が一望に見渡せるスポットが、こんな近くにあるとは、まったく知らなかった。だが今は、燃えている学校に目を奪われた。ほんの四半日前まで授業を受けていた母校が、校舎の半分ほどが炎に包まれ、黒煙をあげている。
もし、ぼくたちに明日があり、また当然そこで授業を受けるつもりであったなら、その衝撃は相当なものであったろう。だが、ぼくたちはその明日がない事を知っていた。燃えている学校を見ても、感じるのは、過去の象徴の消失への追悼だけだ。それでも、その喪失感はそれなりに大きかった。ヒライはどうなっただろう? 考えるのが怖かった。ぼくたちは暫し無言で、その光景を見つめていた。
昨日の今頃は、自分が24時間後に、自分の学校が焼けていくのを見下ろしているなんて、想像もしていなかった。呑気な事に、明後日に行われる筈だった物理のテスト勉強をしていたんだ。まったく、地上の人間のいったい誰に、今日がこんな終わり方をするなんて予想できたろう。
「昨日にもどりたいよ」
思わずぼくはそう呟いた。
「本当に、もう戻れないんだね」
シラカワが言った。ぼくへの返答なのか独り言なのか、判別しかねる口調だった。
「何かの間違いだったらいいのにって、まだどこかで期待していたみたいだけど、確かに燃えてるね、わたしたちが毎日いた、あの場所が」
まるで他人事みたいに静かな声だった。
「わたしたちも、もうすぐ燃えるんだね」
シラカワは、静かに泣いていた。でもぼくはただ、
「うん……」
としか、言ってやれなかった。シラカワが、ぼくの肩に頭をもたせかけてきた。無力さのせめての埋め合わせにと、ぼくは彼女の肩を軽く抱いた。
―――
それからぼくと彼女は、並んで地面に座った。斜面の上に、踏みならされて座りやすくなっている場所が、木々の合間合間に何箇所かあったのだ。
「ここって、結構カップルが来てたのよ。でもわたしはいつもひとり。泣きたくなった時、ひとりでここによく来てたの」
「泣きたくなった時?」
「そ。タカハシくんとナミちゃんがシアワセそうにみえた日なんかね」
シラカワは悪戯っぽく笑ってみせたが、半分無理をしているようにもみえた。
「勿論、それだけじゃないよ。何もかもうまくいかなくて凹んだ日とか、ママが何日も帰ってこない日とか、色々ね」
「そっか」
「男の子と来てるクラスの子とすれ違ったりすると、ますます気分が荒れるんだけど、そのあとひとしきり泣くと、なんだかすっきりするのよね。おなかがすいたりして」
「なんだか単純なようにも聞こえるな」
「そうだね、人間って単純な生き物なのよ。幸せか不幸せかどっちとも感じないか、そのどれかだもん」
「そりゃそうだ」
「ねえ、今何時?」
ぼくは時計をみた。みたくない気持ちが強かったが、そうとは言えなかった。
「11時26分」
「そうかあ……」
シラカワは大きく溜息をついた。
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