第7話

「シラカワ、本当にありがとう」


 ぼくは、少し離れたところに立っている彼女に向かって言った。


「タカハシくんたら、さっきから、ありがとう、ばっかりね」


 シラカワは少しくすんだ笑顔で言った。


「だってさあ、もう、カンシャでいっぱいなんだよ!!」


 ぼくは思い切り叫んだ。


「ありがとう、ありがとう、ありがとう! 今までありがとう!」



 何十回も、ありがとうと叫び続けた。


 ぼくのありがとうの波がひくまで、シラカワは黙って待ってくれた。

 そう、これも途中からは、やけくその発作なんだ。


 最初は純粋に、ありがとうと思っていたけど、でも、やっぱり、死ぬ事は怖い。


「ありがとう! ありがとう! ああ! ちくしょう……ちくしょう……なんでだよ」


 喉が痛くなってきて、叫ぶのを止める。


「なんでだよ……ちくしょう。おれたち、まだ17年しか生きてないんだぜ。なんで。なんで死ななきゃなんないだよ?!」


 黙って立っているシラカワを見た。彼女の目も潤んでいる。


「世界が壊れちゃうんだもん……」


 ぼくの問いへの答えなのか、ひとりごとなのか、曖昧な目線でシラカワは呟いた。


「死ぬのって、痛いかな。苦しいかな。わたしだって怖いよ」


 涙の球が盛り上がり、はじけて零れ落ちた。


「小さい頃、予防注射が怖かった。済んでしまえば一瞬のことなのに。あれと同じかな。ねえ、そうかな?」

「……」

「そうだ、って言って。ねえ、言ってよ」

「たぶん、そうだ」


 掠れた声で、ぼくは彼女の願う通りに言った。たぶん、という言葉は頼りないかも知れないが、たぶん、以外の言葉を付ければ嫌でも胡散臭くなる。だって、今生きている誰にも、絶対、なんて言えないだろう? 彼女の頬をまた幾筋も涙が伝って落ちた。


 ぼくは、腕時計を見た。21時14分。胃の中がぐっと苦くなった。あと、3時間もない。


 誰だって、怖いんだ。熱と炎と光にのまれ、跡形もなく消え去る事。それが、避けられない運命だという事。


 あの発表が、嘘だったと、間違いだったと、そうなってくれたらどんなにいいか。


 でも、マザーは間違えない。間違えても、誰も正せない。その事は、生まれた日から嫌という程、身に沁まされてきた。これが、ぼくたちの世界なのだ。過去のいつかどこかで、たぶん誰かがなにかを間違えて、そのせいで静かに狂ったこの世界。少しずつ少しずつ、歪みや何かが降り積もり、いつそれが点火されて爆発し、すべて壊されても、おかしくはない状態だったのかも知れない。


「人は必ずいつか死ぬんだ。それがいつなのか、正確に予告されただけのことだ」


 抑揚なくぼくは言った。


「助かる道はないの?」


 わかりきった事を彼女は尋ねた。


「ない」


―――


「ここにいても仕方ない。行かないか?」

「行くって、どこに?」


 シラカワは赤い目と鼻をハンカチで拭いながら、驚いたようにぼくを見た。

 どちらかが混乱すれば、どちらかが冷静になる。こういう時には大事なことだな、と、半ば他人事のように思う。


「海を見に行かないか? 穴場を知ってるんだ。ナミカともまだ行った事ない」

「本当? それって、すごい」


 シラカワに、微かに笑顔が戻った。


 唐突な思いつきだった。でも、悪くない。ひとりじゃ寂しすぎるが、誰かと一緒なら、大丈夫な気がする。


「一旦、家にバイクをとりに帰ろう」


 ぼくらは、購買前の自動販売機で飲み物を買った。


―――


 正門の方から、怒鳴り声が聞こえだした。複数の声、切れ切れに届く声。


「え、うそ……」


 シラカワは息を呑んだ。ぼくも驚いた。


 燃えている。塀に沿って並ぶ樹々のその向こうに、たしかに赤いものがゆらゆらと見える。微かに、風が焦げた煙を運び始めた。


「だれか、火をつけやがったんだ」


 家にとどまっている事に今更耐えられなくなった者たちが、やって来て暴れているのだろう。


 学校に、色んな思いや恨みを持ったやつらなのか、そうでないのか。どっちでもぼくらには変わらない。


「危ない。見つかったら、何されるかわかんないぞ」

「う、うん」


 あんな連中が街中に現れて、機械兵士も最早迅速に対応できない状態だろう。


 ぼくはシラカワの腕を引っ張り、裏門の方へ走った。


 同じ学校の生徒かも知れないのに、逃げ隠れしないといけないなんて、胸苦しい。


 同時に、こうも思った。


 もし、シラカワと会っていなかったら?


 もしかしたら、ぼくもあの中にいたかも知れない。


 生に絶望し、ナミカを恨んだまま。

 恐怖のあまり理性をうしなった、獣のような暴徒……そんなものに、ぼくがなっていなかったと、断言はできなかった。


―――


 風のある日だったので、火の回りは早いだろう。

 酔い潰れたヒライは、炎に包まれるまで、その目を醒まさないだろうか。でもそれも、遅いか早いかの違いに過ぎない。……そして、味わう苦痛の大小の違い。

 だけど、ぼくはヒライを助けに戻る事はできない。シラカワを守らなければ。


 裏門の内側から、閂をあけて外に出た。


「そういえば、おまえって、どっから学校に入ったの?」


 ふと、門は閉まっていた事に気づいて尋ねた。


「乗り越えたの」


 照れくさそうにシラカワは応える。スカートなのに。


「へえ~。意外」


 どちらかというとおとなしいイメージだったシラカワが、スカートをからげて鉄の門によじ登る姿は、どうにも想像しにくかった。

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