十四、いつまでも

クラウス「みんな、本当にお疲れさま! 今晩は存分に食べて祝いましょう! 勝利としゅの御降誕を祝して、乾杯!」

子供達「かんぱ~い! いただきま~す!」

 ニコライ養育園に帰還した一同は、帰り際に降誕祭市場ヴァイナハツマルクトで奮発して買い込んだ食品の数々を囲んで、いつになく豪勢に祝杯を挙げた。大人には林檎酒シードル、子供にはりんごジュースを振る舞い、乾杯する。

ドルジ「勝利の美酒は格別じゃのう」

 ご満悦な笑顔で林檎酒を飲むドルジ。

ノエル「こんなごちそう、生まれて初めてかも~!」

リサ「パンドラさんたちが初めて来てくれたときの手料理もおいしかったけどね♪」

アイシャ「いえ、あの時の料理は、あったものと少しばかりのお土産で作った間に合わせだったから……」

 目をきらきら輝かせてごちそうを頬張るノエル、リサの言葉に謙遜して少し照れ顔のアイシャ。

 カテナの降誕祭プレゼントである最高級の馬肉も、三割ほどカテナが食らいついたのち、残りは馬刺しとしてさばいて少しずつ皆に分ける。

ノエル「カテナくんの馬刺しもおいしいね~! 生のお肉がこんなにおいしいなんて、ノエル初めて! おすそ分けありがと~♪」

カテナ「んまいでしょ! いっぱいあるから、どんどんたべてほしーぞッ!」

 カテナはこれまでに散々食べているにもかかわらず、右手で摑んだ生肉を口に運びながら左手で摑み、それを口に運びながらまた右手で摑み……を、まるで機械のようにひたすら繰り返している。

 パンドラは馬刺しを上品にフォークとナイフで食べている。

パンドラ「ほんと美味しいねぇ。そうだノエルちゃん、今度サシミを食べに行こうか」

ノエル「サシミ?」

パンドラ「極東の島国の料理らしくて、生魚を食べるのよ。ワイルドで興味あるでしょ」

ノエル「生魚……」

 林檎酒に気分を良くしたパンドラは、困った顔のノエルを見て笑っていた。

カテナ「サシミはわかんないけど、そのままたべるサカナもおいしーよッ! なまにくもそーだけど、にげるエモノをつかまえたらそのまますぐガブっと……あっ、ニンゲンはおなかよわいんだっけ。なんでもかんでもってわけにはいかないのかなぁ……」

 カテナは少し残念そうに言った。


 宴もたけなわになった頃、

ドルジ「さて、そろそろまた始めるかの♪」

と食卓を立ち、リュートを取り出してパンドラとクルトに合図するドルジ。

クルト「ん! 盛り上げるよ!」

 クルトも木製横笛フォークフルートを取り出して構える。

ドルジ「パンドラ殿も、準備はよろしいかの? 今日はお疲れじゃろうから、無理せず軽く歌だけでも構わぬのじゃが」

 市庁での劇の終演後に楽屋でのパンドラの疲労を見たドルジは、少し心配そうにパンドラの顔色を窺った。

パンドラ「そうねぇ、私の本業は踊り子だからね。今夜は踊らせてもらおうかしら。私の真骨頂を見せてあげるわ」

 パンドラはドルジの気遣いにウインクで応えた。

 ドルジのリュートとクルトの横笛の奏でる愉快な音楽に合わせて、パンドラの躍動的な舞が始まった。パンドラとともにアイシャの歌が加わる。


 走れ橇よ 雪を分けて

 夜空を越え はるか高く

 心躍り 鈴は響く

 喜びの歌を ともに歌おう♪


 それにつられて、ノエル、リサや孤児院の子供達も手拍子を叩きながら歌い始める。


 ジングルベル ジングルベル 鈴の音よ

 野にも里にも 響き渡れ

 ジングルベル ジングルベル 鈴鳴らし

 光の訪れ みな祝え♪


 クルトは横笛を吹きながら、パンドラに並んで軽快に靴音を鳴らしてタップダンスを始める。

リサ「よっしゃ、あたしも踊ろっ!」

 子供達も一人また一人と立ち上がって踊り始める。

ノエル「カテナくん、ノエルたちも踊ろ~よ~♪」

 ノエルもすくっと立ち上がると、お気に入りのヴェールを被り、カテナに手を差し伸べる。

カテナ「ゔっ……オイラ、おどりは……」

 カテナは差し出されたノエルの手を見て、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。

カテナ「ほら、てもベッタベタだしね……? にくもまだたべたいし、オイラのことはきにしないでみんなとおどってきなよっ!」

ノエル「え~……それじゃ、手洗ってくるまでクルトちゃんと踊って待ってる! 来てねっ!」

 ノエルは残念そうにしたあと、それでもなお目を輝かせて食い下がる。

クルト「カテナ、ねっ!」

 それを見て、クルトも言葉少ないながらも目線で促した。

パンドラ「レディーの誘いを断るのは野暮ってもんだよ、浄配くん♪」

 パンドラもそれに気付いて、少し悪戯っぽい笑顔で言う。

カテナ「がぅっ!? な、なんでそこまでみんなしてッ……!」

 諦めないノエルや、煽りにも似たクルトとパンドラの促しに、カテナはたじろきながら冷や汗を流した。

リサ「おやおやぁ? カテナくんが応じないなら、おじさんがノエルの浄配ポジション取っちゃうぞ~♪」

 リサも悪戯っぽい笑顔でカテナの肩をつつく。

カテナ「だめッッ!!!!」

 リサの発言に間髪入れずカテナは叫んでいた。その表情は明白に憤りを露わにしている。

 若干言葉が分かりづらく、また深い意味まで理解したわけではないが、自分が今まで必死の思いで努力してきたヨセフの役を他人に奪われると解釈したカテナは、全身の体毛が逆立つような感覚を覚えると共に、思いがけず演奏を上回る声量で吼えていた。

カテナ「あっ……」

 カテナはすぐに我に返り、泣きそうな顔へと表情を変える。

カテナ「ごっ、ごめんリサっ! きゅーにどなっちゃって……! や…でも…あの……うん…そーだよね。オイラもずっとここにいるわけじゃないし、ほかのひとがジョーハイになるのは…その、あたりまえで……」

 話しながらカテナの発する声はどんどんか細くなっていき、ついに言葉は途切れ、一瞬無言になる。

リサ「いや、あたしこそ何かごめんね! ノエルの浄配はカテナくんしかないよ♪」

 リサはわたわたしつつ、申し訳なさと戯けの混じった苦笑で取り繕った。

 その後カテナはリサから目線を逸らし、絞り出すように言葉を続けた。

カテナ「……ちがうよね。すくなくともいまはそーゆーハナシじゃなくて……でも…お、おどり…おどり…ぐるぅ……や、やるしかないのかオイラ…ッ」

クラウス「はははは! これはもう覚悟を決めるしかないですね、カテナ君」

カテナ「~~~~!!」

 皆に促され、自分でも考え直し始め、あと一歩のところで踏ん切りがつかないでいたカテナだが――クラウスの声に背中を押され、苦しそうな表情を浮かべながらもようやく決心を固めた。

カテナ「ゔぅっ、わかったよぉ! やるよぉッ! オイラてぇあらってくるッ!!」

 慌てるようにカテナは走り出す。

カテナ「がぅわッッ!? ぶべッッ!!」

 余程混乱していたのか。二本足のまま走り続けようとしてしまい、足がもつれてバランスを崩し、受け身も取れずに顔面から突っ込んで、皆の面前で摩擦による文字通りの熱い口付けを床と交わす。直立・着地・歩行であったり、突進・回避・跳躍等の初動の踏み込みなら二本足状態でも問題ないが、それ以外となるとご覧の通りである。

 この世にブレイクダンスという概念が存在すれば、カテナは輝きを放っているであろうが、繊細な足運びが必要になる社交的な踊りともなれば、その才能は以ての外である。

カテナ「~~~ッッ」

 カテナは鼻を押さえながら起き上がり、そそくさと食堂を出て行った。今度はしっかりと、四つ足で。

 しばらくすると、カテナは食堂へと戻って来る。肉の脂まみれだったその両手は清潔になっていた。

クルト「……!」

パンドラ「おや?」

 しかし、皆が注視したのはそこではない。

アイシャ「まぁ……」

ドルジ「ほう」

 カテナは劇で使用したヨセフの衣装を全身に纏い、登場したのである。

 普段は必要以上に極力服を着たがらないカテナであったが、これは踊りに誘ってくれたノエルがヴェールを被ったためであり、どうせならとカテナは咄嗟の機転を利かせたのである。

 否、それだけではないのかもしれない。

 考えないように意識しつつも、ヴェールを被ったマリア姿のノエルに対し、その浄配ヨセフは他でもないノエルが指名してくれた自分なんだと、周りに、そして自分自身に見せたかったのかもしれない。

 カテナはいよいよ踊るんだとその顔を強ばらせながら、ゆっくりとノエルの前まで移動すると、勇気を出して辿々しく、今度は自分から手を差し出した。

カテナ「えっと…その……。よ、よろしく……?」

ノエル「はい、よろしくお願いいたします……♪」

 ノエルは何時になく上品でしおらしい仕草で、スカートの裾を両手の指でつまんで、軽く膝を折って会釈し、カテナの差し伸べた掌に自分の掌を重ねた。

ドルジ「この場面にふさわしい曲は、やはりあれじゃろう」

クルト「ん……♪」

 ドルジとクルトは示し合わせたように演奏を始める。愉快な降誕祭の曲から打って変わって、聖歌のようなしなやかな曲を奏でる。そしてアイシャの歌が彩りを添える。


 めでたしマリア、恵みに満ちた方Ave Maria, gratia plena,

 主はあなたとともにおられますDominus tecum,

 あなたは女たちのうちより祝福を受けbenedicta tu in mulieribus,

 胎内の御子イエスも祝福されましたet benedictus fructus ventris tui Jesus.


 それは、『ルカによる福音書』中の、大天使ガブリエルとマリアの親戚エリサベトが、身籠もった聖母マリアを祝福して唱えた台詞を歌にしたもの。

 ノエルは、曲に合わせてゆったりと、ヴェールが取れぬように、そしてカテナが躓いたりしないように、慎重に、そして上品に一歩一歩舞いを進める。

カテナ「ぐっ……がぅっ……」

 ノエルの気遣いを痛いほど感じ、カテナは何度も脚がもつれそうになりながらも、始終俯いて自分の足元を凝視し、必死に足を動かしている。

 余裕がなさすぎてノエルのような上品さは欠片もないが――いや、そもそも常日頃からカテナに上品さを求めること自体論外なのだが――それでも転ぶよりかはマシだと懸命になっていた。

ノエル「ね、カテナくんっ!」

 ノエルは、“こっちを見て”と言いたげに、小声でカテナに声を掛けた。

カテナ「がぅっ……?」

 反射的にカテナが顔を上げると、ノエルとぴたりと目が合った。その瞳は凛としてカテナの目を捉え、その表情は何時になく優しく少し大人びた微笑みを湛えて、紺碧のヴェールを被ったその佇まいは、本物の聖母マリアを思わせる高貴な輝きを帯びていた。

ノエル「恐れることはありません」

 ノエルはふわりと微笑んで囁き、数秒カテナの瞳を見つめたのち、

ノエル「……なんちゃって♪」

と、いつもの無邪気な笑顔になってにこりと笑い、繫いでいるカテナの掌をわずかにきゅっと握った。

カテナ「――ッッ」

 突然のノエルの言動に、カテナはその数秒の間目を丸くして息を呑んでいた。カテナにとっては十数秒にも感じ取れる中、ノエルの戯けた声と握り返された手の力を感じ、ようやく我に返ることができた。

カテナ「――そ、それッッ! オイラじゃなくてノエルがいわれるヤツ――がわぁっ!?」

 そうなってしまうのは必然と言って良いだろう。

 完全に足元がお留守になっていたカテナは期待を裏切ることなく足をもつれさせ、大きくバランスを崩した。

 悲しいかな、手を離し受け身を取ろうとしたカテナの行動は、元々ノエルがカテナを気遣ってしっかりと手を摑んでいたために繫がりを断てず、倒れながら全力でノエルを引き寄せる形となる。

カテナ「!!」

 咄嗟にノエルと床の間に自らの身体を入れ込んでノエルを庇い、カテナは後頭部と背中を打ち付けながら倒れ込んだ。

ノエル「わっ、わっ!?」

 カテナともつれ込んで倒れたノエルは、何が起きたのかと一瞬混乱して、目を丸くして静止した。

カテナ「いッッ……だ、だいじょーぶノエルっ!?」

 あたかもノエルに組み敷かれているような体勢になりつつ、カテナはノエルの無事を確認する。

ノエル「う、うん……大丈夫……カテナくんは大丈夫?」

 カテナの胸元から上体を起こして床にぺたんこ座りになり、ノエルはやっと状況を把握したという状態だが、背後を床に打ち付けたカテナを案じて心配そうに顔を覗き込んだ。

カテナ「だいじょーぶだいじょーぶ! こんぐらいオイラはぜんぜんへーき!」

 カテナは顔だけノエルの方に傾けて、掌をひらひらさせて無事であることを伝える。

カテナ「がうぅッ……もおおぉ! ころばないよーにすっごくきをつけてたのにッ!!……ぷっ、くくっ……あはははっ!」

 唐突に野生児は笑い出した。醜態を晒したというのに自分でも理由はよく分かっていないのだが、勝手に込み上げて来たのだから仕方がない。

パンドラ「あちゃー」

クラウス「ははははは!」

 左手で目を覆うパンドラの横で、カテナの笑い声につられるようにクラウスは声をあげて笑った。

ノエル「ふわぁ……」

 ノエルはまだしばらくきょとんとした顔で目をぱちくりさせていたが、

ノエル「あっ……あははははっ♪」

と、カテナにつられるようにぺたんこ座りのまま笑い始めた。

 腹筋がつるほどひとしきり笑ったあと、ノエルは息を整えて、床に転がったヴェールを拾って被り直し、すくっと立ち上がった。そして腰をかがめて、床に寝そべっているカテナに手を差し伸べ、

ノエル「それじゃー仕切り直して……踊りましょ、ヨセフさま♪」

と、まぶしいほど明るい笑顔で声を掛けた。

 それを見て、カテナは背筋のみを使ってバネのように跳ねると、両膝を抱え込むようにつま先で着地し、差し伸べられたノエルの手を取りながらゆっくりと立ち上がった。

カテナ「がう! もっかいよろしくっ、マリア!」

 幼い二人は再び手を取って踊りだした。転ばぬように足元を注視しつつ、時々目を合わせて微笑み合いながら、一歩一歩、ゆったりと丁寧に……。

パンドラ「若い世代が育っていくのを見ると嬉しく思うねぇ」

ドルジ「ほっほっ、何を言いますか。わしから見たらパンドラ殿も十分にお若い。まだまだ伸び盛りですぞ」

 ドルジは再びリュートの演奏を始めつつ言った。

パンドラ「ふふ、ありがとう。そうね、竜姫ドラゴンらしくもっと暴れないとね」

 パンドラはカテナたちを見ながら、右手の拳を力強く握った。

 再び踊りだしたカテナとノエルを見て、クルトはくすりと微笑み、すうっと息を吸って横笛を吹き始めた。

クルト(ブラウニーさん、ニコライさん、聖母マリアさま……ずっとずっと見守っていてください……この幸せがいつまでも続きますように)

 心の中の祈りを、笛の音に込めて――


 ああベツレヘムよ などかひとり

 星のみ匂いて 深く眠る

 知らずや今宵 暗き空に

 常世とこよの光の 照りわたるを


 宵は静かに更けてゆく。

 今宵も、明かりが点る木組みの家々の赤い屋根に、ガス灯の明かりが静かに連なる石畳の道に、金色の電飾に彩られた街路樹に、きらきらと銀の粉を散らすように粉雪が降る。

 漆黒の夜空に、彗星のような軌跡を描いて、金色の光の粉が飛んで散ってゆく。

 人気ひとけもない旧市街の静かな路地。どこからともなく、かすかに鈴の音が鳴り響いた。


 -結-


※引用歌詞『ジングルベル』和文詞:鳥位名久礼(作者の独自訳詞)

 クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際

 https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/deed.ja

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