十三、奇蹟や魔法より
開幕を告げる鐘が鳴り終わると、しばしの沈黙ののち、オルガンの音色とともに議事堂壇上右脇の扉が開き、入場行進が始まった。
まずは白い翼を背に付け振り香炉を持った大天使ガブリエル役のアンナ。続いて十字架ポールを握り掲げた三賢者姿のドルジ、同様に
指揮者ゼバストゥスはというと、議事堂中央の速記者席に
オルガンに合わせておごそかに一歩一歩ゆっくり歩いて行き、途中から聖歌の合唱が始まる。
歌いつつ歩みを進めながら、圧倒的大勢の観客を見て、ノエルは少し怖じ気づいたのか、カテナの服の裾をきゅっと握る。
カテナはそれに気付くと、ノエルのその摑む手を片手でそっと包み込みながら、親指以外の指全体を使って“ぽんぽんっ”と安心させるように二回叩いた。
ノエルは前を見たまま、少し安心した表情になり、カテナの手をきゅっと繫いだ。
皆が舞台に並び終え、速記者席のゼバストゥスと向かい合う。そこでゼバストゥスは、
ゼバス(パンドラさん、大丈夫ですか?)
と、目線をパンドラに向け、声にならない声で訊いた。
パンドラ(大丈夫! 過去最高の劇にして見せるわ!)
と声には出さず、ゼバスに対して笑顔のアイコンタクトで応えた。
ミサのような荘重な開幕に、皆拍手も忘れて食い入るように目を注ぐ。そして、いよいよ劇が始まった。
アイシャ(福音史家)「『見なさい、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ』。その預言通り、天使ガブリエルが、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされました」
圧倒的な大舞台で、台詞も、アンスバッハ楽団のオーケストラとパンドラのヴィオラ、クルトのフルートも、リバーブがかかって、ニコライ養育園の時よりも何倍も美しく艶やかに響く。
アイシャ(福音史家)「一人のみどりごが私たちのために生まれた。一人の男の子が私たちに与えられた――」
(全員合唱)
もろびとこぞりて 迎えまつれ
久しく待ちにし 主は来ませり
主は来ませり 主は主は来ませり
劇は滞りなく進み、最後の全員合唱に至った。大勢の観客の輝く目が、舞台に一心に注がれた。
ゼバス(皆さん、とても良いですよ! ラストスパートです!)
オルガンを弾きながら指揮を摂るゼバストゥスは、舞台の皆に目線でエールを送った。
ヴィオラを奏でるパンドラの手に無数の血管が走る。
ゼバス(パンドラさん……)
ゼバストゥスが気付いたパンドラの苦しみ。パンドラの表情はもちろん明るい。手の痛みと己の意思とは無関係に動こうとする腕を、いわゆる気合いで制していた。
音楽への影響はない。滞りなく奏でられる力強く美しい音色。それは技術だけでなく、パンドラの精神性を現してるようであった。
ゼバス(パンドラさん、持ちこたえましたね……ありがとうございます!)
ゼバストゥスはパンドラの様子を見て、目線でねぎらいのエールを送った。
最後の全員合唱が終わって、ゼバストゥスが速記者席のオルガンから立ち上がり、舞台中央に登って一礼をすると、堰を切ったように大きな拍手が巻き起こった。
大歓声の中、ノエルを中心として全員が手を繫ぎ、深く一礼をする。歓声はさらに大きくなった。
そこで不意に、
「本日の主催者、ニコライ養育園園長のクラウス・ニールセン氏からご挨拶がございます」
とコールが流れ、舞台脇から一張羅のよれたフロックコートを着たクラウスが舞台中央に進み出て一礼をする。拍手ははたと鳴り止んだ。
クラウス「本日は私たちニコライ養育園とアンスバッハ楽団の降誕祭ページェントにご来場くださり、誠にありがとうございます」
クラウスはそう言って再び深く一礼した。
クラウス「さて。私たちニコライ養育園は、小さな孤児院です。建物も、旧館が築七十年、新館も築五十年を経て、大規模修繕の必要があります」
そこでクラウスは一呼吸を置き、少し言葉に力を込めて言った。
クラウス「当孤児院の存続には、市民の皆様の寄附と、市庁からの給付金が不可欠です。今は著しく老朽化しておりますが、このプラーガの街で七十年間もの間、大勢の子供達を育んでまいりました、文化的に価値ある遺産です。この先も末長く運営するためには、文化財指定をいただくことが望ましいのです」
クラウスはそこまで言うと、一歩下がってノエルの背中を軽く押した。こくりと頷いて、一歩前に出るノエル。
ノエル「ニコライ養育園は、わたしたちの大事な“家”、かけがえない“家族”です! これからも、いつまでも、わたしたちはこの温かい家で暮らしていきたいです! だから、皆さん、どうかわたしたちに力を貸してください……!」
ノエルは手のひらを固く握って、力強く呼び掛け、深く一礼した。
すると、会場一面の拍手と大歓声が沸き起こった。
出演した孤児院の下級生と、裏方を務めていた上級生も、ノエル達の後ろに一列に並んで、
寮生一同「よろしくお願いします!!」
と声を合わせて言い、深く一礼した。拍手と歓声は最高潮に大きくなる。
クラウス「最後に、この劇に無償でお力添えくださったゼバストゥス・アンスバッハ先生とアンスバッハ楽団の皆様、そしてパンドラさんを始めとする冒険者の皆様に、心から感謝を申し上げます」
ゼバストゥスはクラウスとパンドラに歩み寄って握手を交わすと、再び速記者席のオルガンに着き、退堂の演奏を始めた。
鳴り止まない拍手のうちに、舞台の皆は、再び振り香炉とトーチ、十字架ポールを持って、ゆっくりと荘重な足取りで舞台脇に退堂していった。
拍手と歓声は、全員が退堂してからも、しばらく鳴り止まなかった。
ゼバストゥスたちが退堂した後も鳴り響く拍手の中、ホークは杖を持ちゆっくりと立ち上がった。
ホーク「見事だ」
杖を椅子にかけて、ホークもまた大きな拍手を送った。
退堂の際も、ノエルはカテナの手をぎゅっと繫いで、かすかに震えながら、しかし表情は凛々しく前をしっかり見据えて歩んでいった。
ノエル「――ふぅぅ……最っ高に緊張した~……!」
楽屋に入るや否や、ノエルは緒が切れたように膝を折り、その場にぺたんと尻餅をついた。
ノエル「カテナくん、ノエルたち、できた……できたんだよね!?」
手を繫いだまま側に立つカテナに、ノエルは息を切らしながら、やっとのこと捻り出したように言った。
舞台で最後のノエルの呼び掛けを見てから始終笑顔のカテナは、ノエルの正面に回って床に両膝をつき、ノエルの背中で両腕を交差させ、そのまま肩を引き寄せるように、ぎゅーっと抱きしめた。
カテナ「もっちろんだよノエル!! オイラたちカンペキだったよッ!! まぁオイラもクチパクじゃなくてちゃんとうたえればもっとよかったかもなんだけど! それよりさいごのおはなしなにアレ!? オイラしらなかった! すごいねノエル! すごいすごいっ! ホントすごいっ!! なんでもできちゃうねっ!!」
大公衆の面前でのノエルの立ち振る舞いに興奮冷めやらぬといった様子で、カテナは笑顔のまま目を瞑り、早口で捲り立てた。
ノエル「そっか、よかったぁ! カンペキだったんだね~!!」
ノエルもカテナの胸元にしがみついて、嬉し涙を溢しつつ満面の笑顔で言い、
ノエル「えっへへ~! 最後のね、パパと練習したんだ! ノエルたちの思い、みんなに届いたかなぁ?」
と涙を拭って得意げに言った。
カテナ「ノエルがしゃべったあと、みんなのこえとはくしゅいっぱいだったもん! ぜーったいとどいてるよッ!!」
カテナは元気よく答えた。
退堂奏楽を終えると、ゼバストゥスも楽屋に戻ってきて、パンドラに声をかけた。
ゼバス「パンドラさん、大変お疲れ様でした。(手のお加減はいかがですか?)」
ゼバスは再びパンドラと握手を交わし、ねぎらいの言葉をかけて、最後は小声で訊ねた。
パンドラ「ゼバスさん……」
ゼバス「おや?」
パンドラ「はぁぁあ〜! 疲れたよぉ!」
パンドラは安堵とも疲労とも取れるような表情を浮かべて、右手で握手をしたまま左手でゼバスの肩に手をついて腰を落とした。
ノエル「あはは、パンドラさんでも緊張したんだね!」
ノエルはその様子を見て、自分も緊張の糸が切れたように笑って言った。
カテナ「ねー! オイラもこんなんなってるパンドラはじめてみたッ!」
カテナも笑って言った。
ゼバス(よく耐えましたね、パンドラさん)
言葉には出さず、笑顔でパンドラの気持ちを汲み取ったゼバストゥスは、痛みで震えるパンドラの右手を、皆に悟られぬように優しく握った。
そこに、不意にドアノックの音がして、
課長「失礼致します。いや~皆様素晴らしい舞台でした!」
と、福祉課課長が入ってきた。
課長「ほら、君たちも入りたまえ」
課長は戸口に立って後ろを振り向いて声を掛けた。それに促されて、シュルツェとシャウマンが少し神妙そうに入ってきた。
シュルツェ「この度はお招きに与り、誠に恐縮です。その……ご演劇、大変素晴らしく感動致しました」
シャウマン「え~、その……先の事案につきましては……」
二人は目線を宙に浮かべて、もじもじしつつ、言葉を喉につかえさせている。
課長「ほら、しっかりしたまえ!」
肩を叩く課長に促され、
シュルツェ「ニコライ養育園の皆様におかれましては、誠に……」
シャウマン「誠に……」
二人「申し訳ございませんでした……!!」
と、深く頭を垂れて謝罪した。
ノエル「えっ、えぇぇ??」
リサ「まじで……??」
面食らったような顔をするノエルとリサ達に対して、
クラウス「いえ、いえ。もう良いのですよ。それよりも、今日はご観覧ありがとうございます。今後ともどうぞ宜しくお願い致しますね」
と、クラウスは微笑んで声を掛けた。
シュルツェ「わ、私共をお赦しくださるのですか……?」
顔を上げて言うシュルツェに、クラウスは、
クラウス「過去のことは過去のことです。そうでしょう? みんな」
と、孤児院の皆の方を振り向いて言った。こくこくと頷く子供達。
シュルツェ「ありがとうございます……!」
シャウマン「ありがとうございます……!」
二人は感涙を目に滲ませつつ、何度も頭を垂れて礼を言った。
カテナ「わ……わぁう……。おもったよりもはやいなかなおりだったなぁ……」
このタイミングでは想定していなかったシュルツェとシャウマンの謝罪に、カテナは啞然とした表情をしながら、誰に言うでもなく呟いた。
カテナ「でも、オイラがあのとき『クラウスやノエルたちにもちゃんとあやまって』っていったことをまもってくれたところみれたのはよかったかな! ホントはさきに『アイツらみにきてくれてたよ』とか『すごくあやまってたからちょっとだけでもゆるしてあげて』ってみんなにいってまわって、すこしでもなかなおりしやすくできたらなっておもってたんだけど……そんなことするひつよーもなかったね! やっぱりオイラのともだちはいいヤツばっかだッ!」
独り言のように話しながら、改めて自分の友達の良さをその身に感じ、カテナは飛び跳ねたいほど喜び、嬉しく、そして自慢に思った。
と、その時再び楽屋のドアをノックする音が鳴り、
老紳士「失敬。上演まことにお疲れ様でした」
と、フロックコートを着た老紳士が入ってきて、シルクハットを取って会釈した。
カテナ「がゔっ……おまえだれだッ!!」
見ず知らずの、そして落ち着いた様子でありながらどことなく堂々とした威厳を纏う人間の登場に、カテナの本能は自身に警戒を発令し、身体が無意識にノエルを庇う。
課長「ち、知事……!」
驚いて飛び上がるように直立不動になる課長とシュルツェ、シャウマン。
老紳士「申し遅れました。わたくしプラーガ市知事、ヴィート・ヴァーツラヴェクと申します」
そう、彼こそプラーガ市知事その人であった。
カテナ「ちぢ……? あいつのなまえ……?」
震え上がるような、恐れ戦くような物腰の福祉課の三人を見て、自分は彼らのように弱気にならぬよう、カテナはより一層覇気を込めて初老の男を睨み、前傾姿勢を取った。
知事「素晴らしい劇をありがとうございました。そして、最後のお話も伺いましたよ。貴孤児院の修繕と文化財指定の件、是非とも推進致しましょう」
知事は穏やかな微笑みを浮かべて言った。
クラウス「ほ、本当ですか!?」
知事「ええ、本当ですとも。園長先生とお子様のお話を伺って、大変感銘を受けました。是非お力添え致したく」
クラウス「あ……ありがとうございます!!」
クラウスはわたわたしつつも頭を下げ、知事の差し出した手のひらを握って揺すった。
ノエル「え……これってノエルたちのお願いが叶ったってこと……!?」
アイシャ「そうよ、ほぼ確実にね」
きょろきょろと周りを見渡して訊ねるノエルに、アイシャは微笑んで答えた。
カテナ「がうっ!? かなったって……ゔわぅっ? いまのって、そーゆーはなしだったのっ??」
警戒していた人間とクラウスの、ほんの短いやり取りの間でいつの間にやらノエル達の願いが叶ったのかもという流れになっていて、カテナは本当なのか、トントン拍子過ぎて怪しくないか、と不信感を露わにしていた。しかし、次の信頼に足るアイシャの言葉により、その不信感はゾクリと寒気にも似た感動を経て幸福感へと変わることになる。
ノエル「や……やったぁ!! わ~いっ!!」
アイシャの返事を聞くや否や、ノエルはカテナに抱きついて、満面の笑顔に嬉し涙を浮かべて跳び跳ねた。
カテナ「がぅわぁッ! あ、あぶなッ……えへへっ、やった……! やったよノエル!! やったやったやったあぁぁ!!」
抱きついてきたノエルを受け止め、カテナは徐々に込み上げて来た喜びに叫びながら、ノエルと一体になって飛び跳ねていた。
パンドラ「やったね♪」
パンドラもノエルのような無邪気な笑顔を浮かべて、ドルジ、アイシャと三人でハイタッチをして喜んだ。
知事「こんなことを申し上げては笑い事かと存じますが……実は昨夜、“ニコライさん”と聖母マリアが夢におみえになりまして……今日の劇を観に行くように、そして彼らの願いを聞き届けるように――とお告げを受けたのです。それでより一層、これは天命なのではと思った次第です。ふふ、子供のおとぎ話のようなことですね」
知事は少し照れくさそうに微笑みつつ言った。
カテナ「!! あんのじーちゃん、どこのユメにでもでてくるね!? マリアははじめてでてきたなぁ。ほんとはどんなヒトなんだろ? じつはそのユメのマリアって、ノエルのおかーさんだったりして!」
ふとカテナは、孤児院の旧館でブラウニーと別れる際、鏡の光の中で見た揺り籠を揺らす女性の姿を思い出していた。
カテナ(それにしても……あのじーちゃん、オイラのもーいっこのおねがいもちゃんときーててつだってくれてるじゃんかっ! でもまだまだ、これからもずーっとなんだからね!!)
ほとんど皆が退場した観客席の後方部で、椅子に腰かけて手鏡を見つめる老人がいた。手鏡には楽屋の様子が映し出されている。服装は“ニコライさん”の衣装ではなく、地味な灰色のインバネスコート姿であるが、“ベーメンにおけるニコライ52世”ことミクラーシュ・ニールセンである。
ミクラーシュ「私に起こせる“奇蹟”など、この程度のものだ。否、これは奇蹟でも魔法でもなく、奇蹟や魔法よりもなお強い、君たち自らが精一杯奮闘して勝ち取った“勝利”だ。胸を張って誇って良い」
ミクラーシュは独り言でそう呟くと、手鏡を鞄にしまい、ハンチングキャップを被って会場を出て行った。
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