十一、凱旋

 ゼバストゥスとアンナは、カテナの藪から棒な提案を快諾してくれた。降誕日前晩にオラトリオ晩祷と深夜ミサが、そして降誕日当日の午前には昼ミサがあるが、その後夕刻頃であれば構わないとのことだ。


 帰り際に魔法屋の縄を解いてやってから、冒険者達はニコライ養育園に帰還した。

クラウス「ほ、本当ですか!? 廃園は白紙撤回と!?」

 事の次第を報告すると、クラウスは興奮した様子でそう言った。

アイシャ「ええ、それは確かに誓約を取り付けました。建物修繕と文化財指定については、確約ではありませんが最大限尽力してくださるとのことです」

クラウス「なんと、なんと……! 皆さん、本当にありがとうございます!!」

 喜びに打ち震えて涙を浮かべながら何度も頭を下げるクラウス。

 その横で、ノエルは少し呆然として話を聞いていたが、次第に目に涙を浮かべ、胸元で両手を握って、

ノエル「ほん……となの? ノエルたち、これからもずっとここにいれるの……?」

と、カテナを見つめて言った。

カテナ「がうぅ~? ノエル、しんじてたんじゃなかったのぉ~?」

 にひひっ、と意地悪そうな顔をして言った後、

カテナ「へへっ、そーだよ! いままでどーり、ノエルたちはここでくらせるんだよ! ノエルがしんじたとーり、“ぜったいだいじょーぶだ!”ったね! これからもずーーっと、このニコライこじいんはつづいてくんだッ!!」

 カテナは拳をぐっとノエルに向けて突き出し、明るい笑顔へと表情を変えた。

カテナ「ブラウニーもきこえてるかーっ!? クルトもいってたけど、きえるなんてさせないよっ! まだまだがんばってもらうんだからね! ここのこじいんのこと、よろしくなーっ!」

 そこにいるかどうかも分からない屋敷妖精に向け、カテナは上空を見上げてブンブンと大きく両手を振った。

ノエル「ほんとにほんとに、“ぜったい大丈夫”なのねっ! わぁいっ、やったぁ~!! カテナくん、ありがと~!!」

 ノエルは満面の笑顔で嬉し涙を溢して、カテナに飛びついてその両手を握り、ぶんぶん振り回しながらくるくると回り踊った。

カテナ「がぅわっ!? きゅーにきたらあぶないよノエ……うがっ!? ちょっとまってノエルおちついてっ!? がううぅっ オイラおどりはわかんないんだってばぁ!」

 カテナは突然抱きついてきたノエルを受け止めた後、踊りだしたノエルに手を引かれるまま、ノエルを追いかけるようにドタドタと慌てた足音を鳴らしながら、辿々しく足を運んでいる。

 クルトはその様子を見つつ、カテナと同じように、

クルト「ブラウニーさん、これからもずっと、よろしくね……!」

と、天井を見上げて小さく手を振った。

ドルジ「それと、おまけの話なのじゃが……」

 ドルジは市庁議事堂での降誕祭劇再演の話をした。

クラウス「な、なんと大きな“おまけ”でしょう!」

 クラウスは興奮した様子で、

クラウス「降誕日当日といえば明後日ですね! すぐにでも宣伝をしなくては!」

と、早くも乗り気の様子だ。


 ガリ版刷りで作った即席のビラを、クラウス・ノエル・カテナと、ドルジ・クルト、そしてパンドラ・アイシャの三組で手分けして、

ノエル「25日の17時から、市庁議事堂で降誕祭ページェントを上演しま~す!」

と、またみんな「ニコライさん」の衣装――ノエル、クルト、アイシャはニコライさん風のワンピース、カテナは聖ヨセフの衣装――を着て、市庁舎前の降誕祭市場ヴァイナハツマルクトや中央駅前、聖堂前などで配って回った。


アイシャ「わ、私もワンピースですか……?」

 アイシャは少々恥ずかしそうに頬を赤らめている。

パンドラ「似合っているじゃない♪ ノエルちゃんやクルトちゃんにも負けてないわよ」

アイシャ「もうっ、からかわないでください……」

 照れて顔を真っ赤にして膨れっ面になるアイシャ。

アイシャ「……あの、どうしたらパンドラさんみたいに堂々と人前で芸を出来るのでしょう?」

 アイシャはややうつむき上目遣いで、おずおずと訊ねた。

パンドラ「踊りは私の魂の一部なのさ。今まで私を育ててくれたのも、家族(ホークたち)と世界を旅できたのも、そしてアイシャさんたちと出会えたのも、全部踊りのおかげ。私は日々感謝して踊っている。そんな踊りは私にとって自信でしかないのさ♪」

 パンドラは優しい笑顔でアイシャを見つめた。

アイシャ「なるほど、魂の一部……ですか」

 アイシャもパンドラの言葉を反芻し、ふふっと微笑んだ。


リサ「ノエル、カテナくん、お疲れちゃん! あたしたちも手伝うわ♪」

 不意にブレザー学生服姿の少女が、ノエルたちに気さくな声をかける。

ノエル「あっ、リサ姉~!」

カテナ「あ、ありがとリサ! オイラ、しらないニンゲンにこえかけるのニガテで……ッ! たすかるよー!」

 夕方には、学校から帰ってきたリサたち寮生の一部も加わって、盛大にビラ撒きを展開した。

老婦人「あら、かわいらしいわねぇ」

女学生「なにこれちょっと素敵じゃな~い♪」

勤め人「ほほう、家族を連れて行ってみるか!」

 人数が多いことと、先の孤児院での学芸会が好評を博したこともあり、人気は上々で、数百枚のビラは半日ですっかりはけた。


 街の郊外にある骨董品兼陶芸店、“スティングリー”。

 この店を営むホークは、店内でエスプレッソを飲んでいると、ふと窓の外に目を向けた。

ホーク「ん?」

 店の外に出たホークは、小走りに走り去っていく少女と、その横を四足歩行で跳びはねる少年を見た。

ホーク「あの子たちは確か……」

 店の郵便受けには一枚のビラが挟まれていた。ホークはそのビラを手に取り目を通した。

ホーク「……なるほど。さて、私は臨時休業の看板を用意しないとな」

 かすかに口角を上げて、ホークは店の中へと戻っていった。


 その日の晩は、ニコライ養育園で一同会して、ささやかながら祝杯を上げた。

クラウス「みんな、お疲れさま! 廃園撤回と大舞台での劇再演を祝して、そしてドルジさん達に感謝を込めて……乾杯!」

一同「かんぱ~い!!」

 孤児院の子供達には、昨夜とは打って変わって、満面の笑顔が取り戻っていた。

リサ「いや~びっくりしたよ~! 中学校から帰ろうとしたら、小学生の子たちが門のとこに来てて、廃園撤回になった、おまけに議事堂で劇やることになった……って言うんだもん!」

ノエル「えっへへ~♪ カテナくんたちの大勝利だよ! ノエルの夢のお告げも叶っちゃった!」

 夕食を食べながら、ノエルは嬉々として話す。

 「廃園」という言葉を口にしても、もう怪奇現象は起こらなくなった。

リサ「カテナくん、皆さん、ほんとにありがとね! パンドラさん、またパンドラさんのヴィオラと踊りが観れるなんて……明後日が待ち遠しいです!」

 リサや他の孤児院の子供達も、今までで最大級の笑顔と元気が満ちている。

カテナ「どーいたしまして! っていってもオイラ、にんぎょーやっつけるぐらいしかやくにたってないんだけど……。むずかしいことはわかんなかったから、ほとんどはオイラいがいのみんなのおかげだよ!」

 カテナは少し苦笑を浮かべつつ答えた。

ノエル「明後日は昨日よりもも~っとがんばろうね、カテナくんっ!」

カテナ「がぅっ!? そそ、そだねっ!?」

 人の目を盗んで夜中の練習までして、やっとの思いで昨日の本番の状態に至ったカテナ。明後日までに今以上頑張れる(質が上がる)ことがあるのか不安を抱きつつ、カテナは苦笑いを返した。


 その日の夜は、少し久しぶりに賢者の館に戻ってきて休んだ。

フランツ「それはそれは、なんと大冒険だ! 皆さん、お疲れ様、やりましたね!」

 フランツはこの濃密な二日間の話を聞いて、目を輝かせた。

フランツ「明後日はヴァルトベルク以来の大舞台ですね! ご健闘を期待してますよ!」

 冒険者たちをねぎらうべく、大人には温葡萄酒グリューヴァイン、子供にはホットココアを出してくれた。

フランツ「明日はリハーサルですかな?」

クルト「ううん、もう完璧だから」

 クルトは自信たっぷりの表情で言った。

ドルジ「明日は会場の設営じゃな。議事堂を降誕祭飾りで一杯にしようとの」

フランツ「なるほど。馬子にも衣裳、お堅い議事堂が愉快な劇の舞台になるのですね! それは私も見に行かなくては!」

 フランツは愉快そうに言い、温葡萄酒グリューヴァインを一口飲んだ。

 一方、始終渇いた笑顔をしているのは野生児カテナ。熱いホットココアを冷ますべく、両手で押さえたマグカップにふぅふぅ息を吹きかけていた行為が、クルトの「もう完璧だから」の言葉を聞いた時に一瞬止まる。

カテナ「…………」

 仲間の皆と違い、音楽、歌、劇などとは無縁の環境で育ってきた野生児。昨日の本番では上手くできたとそれなりに自信を持てていたが、苦手であることには変わりない。

 今回の市庁での再公演に関しても、ノエルたち――孤児院と、市庁の良好な関係を築くために提案したわけであり、友達のためでなければ自ら苦手な演技を再び披露、ましてや心を許してもいない人間達の前に出ることなんて真っ平御免被る話である。

 そんな苦手意識を持つ中、ノエルやクルトの何気ない些細な言葉を軽くあしらうほどカテナの精神は器用に構成されておらず、また、苦手であるが故に悪い方へ悪い方へと考えが至ってしまう。

 カテナは両手で添えたマグカップをそのまま持ち上げると席を立ち、素足と床の間でペチペチと湿り気のある軽い水音を奏でながら移動し、パンドラの隣へと腰を下ろす。

カテナ「ねぇパンドラ……。オイラ、ノエルから『もっとがんばろうね』っていわれてたよね? あれってどーゆーイミだったのかな……。オイラのはまだまだカンペキじゃないから、もっとがんばってカンペキにしてきてってことなのかってオイラおもってるんだけど……。でもオイラどーしたら……」

 今はあるはずもない狼耳と尻尾をしゅん……と垂れ下げながら、カテナはホットココアが立ち上げるゆらゆらと揺れ動く湯気を、半ば虚な目で見つめていた。

 パンドラは飲んでいた温葡萄酒グリューヴァインをテーブルに置き、カテナに笑みを向けた。

パンドラ「カテナ君はノエルちゃんにとても信頼されているのね。“頑張ろう!”って言葉は、一緒に頑張れると思った仲間にしか使わない言葉さ。ノエルちゃんはカテナ君と最高の思い出を作りたいのよ。とても素敵な関係……ふふ、少し妬いちゃうわ。ノエルちゃんや孤児院の子供たちのためにも、私たちが出来ることを精一杯やりましょ。自信をもちなさいな、私たちはあのヴァルトベルクで最高の演技をしたのよ。ねっ、相棒♪」

 パンドラは赤く火照った頬をカテナに押しつけて、頭をくしゃくしゃと撫でた。

カテナ「あいぼ……? わぷっ! やめっ、パンドラおさけくさいッ!!」

 近づけられた頬により、パンドラ自身の香りと強い葡萄酒の香りが、ただでさえ人一倍鼻の効くカテナを襲うが、押し退けようとはしなかった。

 頭を強引に撫でられる中、夢の中で同じようなことをしてきた、あまり思い出したくもないミクラーシュの顔と言葉を思い出す。

――まずは自分の、そして仲間たちの力を信じるのだぞ!

 ミクラーシュの“自分を信じる”、パンドラの“信頼されている”、“自信を持つ”。

 カテナは頭を揺らされつつ、全てに通ずる信という意味を受け入れながら、強い香りによってしかめていた顔を“ふふっ”と崩すと、パンドラの能力のことも忘れて極力声を抑え、

――ありがと。

と言った。

カテナ「パンドラはないの? じぶんのチカラがたりないとかおもったこと」

 頬が触れているほどすぐ横にあるパンドラの顔を見て、カテナは訊ねる。

パンドラ「あるさ、もちろん……私もね、ノエルちゃんたちと同じで孤児院で育ったの。母親に捨てられる直後に言われたのは、『この子は呪われた悪魔の子よ』だったかしらね。あの時の母親の恐怖に満ちた顔は、今でも忘れられないよ。誰も信じられない中、子供ながら何度も自ら命を絶とうと思っていた中、私を守ってくれたのが、ホークや孤児院の家族たちだった。それなのに、私のせいで大切な家族を失ってしまった。今でも夢で見るのさ。兄と慕う人が私を、家族を守るために命を落としてしまったあの夜を。ホークの体だってそうさ。私を守るために傷ついてしまった。私にもっと力があれば……皆を守る力があれば……何も失わずに済んだのに……ってね」

 パンドラの青い瞳から一粒の雫がこぼれ、頬を伝わりカテナの額に触れた。

パンドラ「だから、もっと私は強くなる! 心も体も! 目の前にいる仲間たちを守れるように! 弱音なんて吐いているヒマはないよ!――なんてね♪ はは、少し酔ったのかしらね、喋りすぎたわ」

 パンドラは目をこすり、満面の笑みをカテナに向けた。

 当のカテナとしては、何か乗り切る手助けとなるヒントを得られないかとあまり深く考えず質問していたため、それが意図せずパンドラに涙を流させる結果となってしまい、慌てざるを得なかった。

カテナ「がぅっ……! ごめんパンドラ! ごめんッ……! オイラ、そんなつもりじゃ……! せっかくみんなはたのしい1にちでおわれるはずだったのに……あぁもう! オイラのバカ!」

 いたたまれず、パンドラの首に両腕を回して引き寄せるカテナ。

カテナ「でもッ……その、こんなこというのもあわせてごめんなんだけど……パンドラのはなしきけて、パンドラのこともっとわかったよーなきがして、オイラ、その……うれしいの、かも……」

 カテナとパンドラの会話を少し遠巻きに見ていたクルト。

 自分は幼い頃から木製横笛フォークフルートを、誰に聴かせるでもなく一人でただ手慰みとして吹いていただけで、冒険者となってこのプラーガの街に来るまで、人前で演奏することは無かった。だから、カテナのような不安も、パンドラのような悲哀も、音楽に関しては経験が無かった。

クルト「わたしにとって、芸ってなんだろう……」

 鞄から愛器の横笛を取り出して、まじまじと見つめる。

 西の最果ての島国エーラの故郷から旅立って早三年。八歳の誕生日に祖父母から贈られた横笛も、もうじき早四年、使い込んですっかり年季が入っている。

 あらゆる旅路を共にしてきた横笛。クルトは感慨深くそれを眺めた。

 そして、横笛を持ったまますくっと立ち上がり、カテナとパンドラのもとに歩み寄り、

クルト「カテナ、大丈夫だよ! 明後日はぜったい最高の舞台になるよ! だって、みんないっぱいいっぱい練習してきたんだもん! ねっ、パンドラさん!」

と、横笛を握った右手を前に突き出して、元気よく言った。

カテナ「がぅッ!? クルト!?」

 突然の呼びかけに、カテナは素早くパンドラの首から両腕を離し、声の主たるクルトへと上体を向ける。

カテナ「クルトにもきこえちゃってたか……」

 ほぼ同年代のクルトに己の弱々しい所を見られていたと知り、カテナは少し恥ずかしそうに後頭部を掻いた。

パンドラ「クルトちゃんの言うとおり! 最高の舞台を楽しもう!」

カテナ「がぅ! わかった! オイラじぶんをしんじて、じしんもって、それでおもいっきりたのしむ!」

 自分の個性とも癖とも言える得意のポーズ――握り拳を前に突き出す仕草の真似をしてくれているクルト。普段は突きつける側だが、今は他でもないカテナ自身に向けられているクルトの右手に、カテナは席から立ち上がり、自らの拳をコツンと合わせた。

 しかし、それは真正面からではなく、若干横に移動して位置をずらしてからのもの。あたかも、丁度もう一人分の拳が添えられるように。

 パンドラはカテナの意図に気付き、その整った顔立ちに凛とした表情を見せると、これまでの苦難を物語るその右手を二人の幼い拳に合わせ、小さな、しかし見事な三角形の空間を作り上げた。

 パンドラは温葡萄酒グリューヴァインに口をつけてグラスをテーブルに置き、カテナとクルトを優しく抱きしめると、席を立ち上がった。

パンドラ「それでは、少し早いけど先に休ませてもらうよ。おやすみ、みんな♪」

 パンドラが結んでいた髪をほどくと、豊かな赤髪がふわりと甘い香りを放ちながら腰までゆっくりと落ちていった。

カテナ「おやすみパンドラ! ありがとなー!」

 柔らかい髪を左右に揺らしながら、パンドラは寝室に歩いていった。

フランツ「おやすみなさい、パンドラさん」

 フランツがパンドラの飲んでいたグラスを片付けようとすると、グラスに半分弱残されたワインを見た。

フランツ「おや? 珍しいですな……パンドラさんがお酒を残すとは」

 多少の違和感を覚えながらも、あまり気にすることもなく、フランツはグラスを片付けた。


 翌日は予定通り、朝から昼にかけてはニコライ養育園から市庁議事堂に降誕祭飾りを搬入し、ページェントの舞台とすべく設営した。普段は堅苦しい雰囲気の漂う議事堂が、見違えるように華やかな降誕祭劇の舞台と化した。


 晩には、ゼバストゥスとアンナの聖トーマス教会に行き、降誕祭オラトリオによる晩祷に参祷した。ノエルとクラウスも一緒だ。


 星影さやけきベツレヘムに

 光なる御子みこれませるを

 などか暗き世に心乱さん

 喜びの訪れよ

 すしき慰めの訪れよ


 ゼバストゥスの指揮・オルガン演奏する音楽は、相変わらず、否、以前にも増して素晴らしく、魂を揺さぶる響きがあった。

ドルジ「こうして教会で礼拝音楽を聴いておると、一年前のヴァルトベルク音楽祭を思い出すのう。しかし、教会音楽はやはり聖堂で実際の礼拝のうちに聴くのが何よりじゃな」

 ドルジは上機嫌で聖歌とオルガンの奏楽に耳を傾け、祈りを捧げた。

クラウス「これがアンスバッハ先生の本気ですか……!」

ノエル「ふわわぁ……なんかうまく言えないけど、なんかなんか胸の奥がじーんとくるね~!」

 ノエルとクラウスも感嘆に浸っている。

 パンドラは祈りを捧げるドルジの横で椅子に座りながら、ゼバストゥスたちの演奏を聴いていた。

パンドラ「お客さんの気分で聴いているのも最高ね。しかしまたこうして共に音楽を奏でられるなんて、まるで夢の中にいるような気分だわ。今でも信じられないよ。……さてと」

クラウス「おや? どうかしましたか?」

 その場から離れるパンドラに声をかけるクラウス。

パンドラ「化粧直しさ」

クラウス「おっと、失礼しました」

 化粧室の洗面台で、鏡に映る自分を見ながら、パンドラは小声で話し始めた。

パンドラ「踊りも歌も問題ない。心配なのは演奏ね。細かい指の動きが出来なくなってきている……足手まといにはなりたくない」

 パンドラは少しうつむいたあと、顔を両手でパチンと叩いた。

パンドラ「はは、私がなに弱気になっているのさ。らしくない! 自信しかない! 弱音なんて吐かない! ってアイシャさんやカテナくんに言ったばかりじゃないか。指の一本や二本、本番前に喝を入れておけば大丈夫さ。私に逆らうんじゃないよ♪」

 パンドラは鏡に向けてかざした自分の手を見つめて、笑みを浮かべた。


 晩祷の終了後、ゼバストゥスとアンナが会衆席にやってきた。

ゼバス「Frohe Weihnachten!フローエ・ヴァイナハテン――降誕祭おめでとうございます!」

アンナ「皆さん、ご参祷くださりありがとうございます!」

ドルジ「Frohe Weihnachten! 今日の奏楽も素晴らしかったですのう。一段と磨きがかかったのでは? ことにアンナ嬢、歌い手としても助祭ディーコンとしても、すっかり成長なされましたな」

アンナ「いえいえっ……まだまだ未熟者です!」

 ドルジの褒め言葉に赤面するアンナ。

 そして、ゼバストゥスはパンドラに、アンナはカテナに寄って行き、話しかけた。

ゼバス「パンドラさん、手のお加減はいかがですか……?」

 ゼバスは小声で耳打ちするように言った。

パンドラ「心配かけてすまないね。問題ないよ。最高のショーにしようじゃないか」

 パンドラはゼバスに満面の笑みで答えた。

ゼバス「そうですか、一安心しました。くれぐれもご無理をなさらぬよう、お大事に……」

 ゼバスはやや心配そうにしながらも、笑みを返して答えた。

アンナ「カテナくん、今日はちょっと緊張していましたか? 私たちの音楽を聴いて、少しでもリラックスしてくれたらいいのですが……」

 アンナも、腰をかがめてやや小声で言った。さすが見習いとはいえ仮にも聖職者、心の機微の読みは鋭い。

カテナ「がっ……う……。う、うん、よくわかったねアンナ? オイラノエルから、こじいんでやったときよりももっとがんばろうっていわれてて……。でももうだいじょーぶッ! しんぱいしてくれてありがとね、アンナ! しちょーでもまたよろしくねっ!」

 ノエルに聞こえないように注意しながら、カテナもアンナに合わせて小声で返した。

アンナ「ふふ、余計な心配だったですね。気負わずどーんと構えて演じましょうね♪」

 アンナもふわりと微笑んで答えた。

カテナ「がう! アンナもいそがしーのに、イキナリなおねがいきーてくれてありがとね!」

 腰をかがめてくれているアンナの頬を、感謝の気持ちを込めてぺろっと舐めた。


 晩祷が終わって帰路に着く頃。あの夢のような晩を思い出させるように、粉雪が舞い散り始めた。空は真っ暗だが、ガス灯と家々の灯り、そして窓枠や看板、街路樹を彩る金色の電飾が宵闇に輝き、雪に反射して彩りを増す。

ノエル「わぁ~! 雪だ~!」

 ノエルは上機嫌で、ポンポン付きのふわふわポンチョを羽織った両腕を広げてぱたぱたさせながら、舞い踊るようにスキップをして歩く。

カテナ「がぅがぅッ!」

 カテナもノエルの周りを円を描くように四つ足で走りながら楽しそうにしている。

ノエル「じゃあね~カテナくん、皆さん! また明日~!」

カテナ「またあしたねー! おやすみー!」

 カテナは右手を天高く掲げ、大きく左右に振った。


 ノエル達と別れて、冒険者達は賢者の館へと帰る。

 寝室の窓辺から、外の雪景色を眺めるクルト。

クルト「明日もいい日になりますように……」

 クルトは空を仰いで祈りを捧げ、床に就いた。

 どこからともなく、かすかに鈴の音が聴こえたような気がした。


 パンドラは賢者の館に戻る前に、ホークの店に立ち寄っていた。

パンドラ「うわ、やけに苦いお茶だね」

ホーク「東洋の薬草を煎じたものだ。寝る前に飲むと熟睡できる」

 パンドラは渋い顔をしてカップをテーブルに置いた。

ホーク「全身の骨に疲労の痕跡が見えるが、特に右手がひどいな」

パンドラ「さすが“脊髄信号”スパイナルシグナルの能力は健在ね」

ホーク「確かに私は一目で相手の骨の形を見分けることができるが、私は医者でもないし治癒魔法も持たない。明日までに治すのは無理だ」

パンドラ「ふふ、治してもらうためにきたわけじゃないさ。少し話し相手が欲しかったのよ。明日が楽しみで眠れなさそうだからね。ワクワクが抑えられないの♪」

ホーク「なるほどな、骨は見えても心までは見えなかった。赤き竜は気高きながらも荒ぶる姿が美しい。明鏡止水には程遠いが、お前らしくていい」

 パンドラとホークは時折笑いながら三十分ほど会話を楽しんだ。

 パンドラのカップからお茶がなくなると、ホークは奥の戸棚から小さな袋を持ってきた。

ホーク「茉莉花ジャスミンを使った薬草茶だ。どこまで役に立つか分からないが、本番前にお茶にして飲むといい。心が安らぐ。心が安らげば肉体への負担も減るはずだ。仲間たちの分もある。口に合うかわからないが、持っていけ」

パンドラ「ありがとうよホーク」

ホーク「さて、仲間たちが心配しているかも知れない。そろそろ宿に戻り休んだほうがいい」

パンドラ「うん! 明日楽しみにしていてね♪」

ホーク「あぁ、仲間たちと共に大いに楽しめ」

 二人は拳をコツンとぶつけあうと、パンドラは店を出て賢者の館へと向かって歩きだした。

 白い雪の降る街の中に消えていくパンドラの姿は、まるで真っ赤な炎が小さく弱くなって消えていくように見えた。


 その深夜も、カテナは街外れにて自分の演劇の最終確認をしていた。

 一日役を演じなかった程度ではそうそう演技は変わるはずもないが、カテナにとっては気が抜けない。市庁で失敗してしまったら、いくら孤児院で成功していても、後味が悪すぎて悔やんでも悔やみきれないだろう。念には念を入れておかなければ、落ち着いて眠ることもできなかった。

 正直、孤児院での劇よりも質を上げることは無理だとカテナは考えていた。そう結論付けてしまえば、同じ質を保てば良い。それだけで負荷はまるで無くなった。

 人知れずマリアの浄配ヨセフを一通り演じた後、ふぅ、と息を整えて夜空を見上げ、右へ左へと迷いながらプラーガの地を目指す粉雪たちに向かってカテナは話しかけた。

カテナ「いいだしっぺだし、しっぱいなんかしちゃったらカッコわるいよね! もっとうまくはなれなくても、そのかわりにきょうはもっともーっとたのしむよっ!」

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