十、カチコミ

 孤児院の児童達と共に朝食を摂ると、冒険者達は勇んで魔法屋に向かった。

 魔法屋は開店前なのか、ガラス戸は閉められ、カーテンがかかっていた。

 ドンドンドン!

 ドルジは扉を叩いて、

ドルジ「御免下され!」

と叫んだ。

 それを二、三度繰り返すと、店の奥から、

「へぇ~い……」

と気の抜けた声がして、カーテンと扉が開き、

店主「開店は十三時っすよ……」

と、初老の店主が心底懈怠そうに寝ぼけ眼をこすりながら出てきた。

 ドルジは鞄から、壊れた人形と紋章の描かれた呪符を取り出し、突きつけるように店主に見せ、

ドルジ「これに見覚えはありますかな?」

と言い、さらに懐からヨルズ神官の聖印を取り出して見せた。

 それを見た店主は、びくりとして、眠そうだった目をはっと見開き、

店主「やべっ……!!」

と小さく声を上げると、扉をばたんと閉じて内鍵をかけ、血相を変えて店の奥へと走り去って行った。

ドルジ「ビンゴ、じゃな。裏口から逃げるつもりじゃろうが……」

 ドルジは全て目算通りという顔で顎鬚を撫で、

ドルジ「パンドラ殿、アイシャ、裏口に逃げたぞ。頼む!」

と、予めクルトの“ウィンドボイス”の魔法でトランシーバー状態を構築してあったのを利用して伝えた。

 そして、表口は“アンロック”の魔法で解錠し、号令を発した。

ドルジ「カテナ、クルト、わしらは此方から突入じゃぞ! なるべく建物内を荒らさんようにの」

クルト「んっ!」

 クルトも勇んで杖を握りしめた。

カテナ「がうっ!」

 クルトが返事をすると同時に、カテナもまた力強く吠えた。

 表口の扉が開くと同時に、飛び込むように突入する。

カテナ「にげられるとおもわないでよね! あきらめてちゃんとあやまって!!」

 大声で叫びながらカテナは店内を疾った。

パンドラ「ここね、裏口は。さぁて、アイシャさん、お互いやりすぎないように手加減するわよ」

 アイシャと共に裏口に到着したパンドラは、足を肩幅より少し広く広げて立ち、両手の拳を合わせて臨戦態勢に入った。

店主「ヒイッ、ウヒィ……!」

 汚ならしい店内とその奥の居室の埃を撒き立てながら、魔法屋店主は一目散に奥へと逃げる。

 屋内にはぼろぼろの人形のパーツや、その他よく分からない道具が散乱しており、店主はそれらに躓き蹴散らしながら走って行く。一方カテナは、それらをものともせず軽快に走り、距離を縮めてゆく。

店主(フフ、裏口からずらかれば……!)

 バタンッ

店主「うっ……!?」

 店主が裏口の戸を開けると、待ってましたと言わんばかりに臨戦態勢十分なパンドラとアイシャが立ちはだかっていた。

 脂汗を流しつつ後ろを振り向くと、カテナ、クルト、ドルジの三人が立ちはだかる。

ドルジ「観念せい。なあに、話に応じてくれたなら、官憲に突き出したりなどはせぬ」

クルト「おとなしくお話してくれないと……う~ん、お店ごと消し飛ばしちゃおうかな♪」

店主「くっ……畜生!」

 店主はやけっぱちで、パンドラとアイシャの間を突破しようと走り込んでいった。

店主「邪魔だっ!」

と二人を突き飛ばして逃げようとする店主に対し、パンドラは「ほい」と足払いで転倒させた。

 店主は地面に勢いよく激突し、自分の体重も相まって余程痛かったのか、酷く転げ回った。

アイシャ「あ……取り押さえますね?」

パンドラ「何事も経験さね」

とアイシャに促すパンドラ。

 アイシャは店主の両腕と足を拘束すべくロープを手に迫る。

店主「いだっ、何をする小娘! 放せ!!」

 荒事には疎い店主であったが、がむしゃらに暴れる大の男を取り押さえるにはアイシャの体格では困難だった。

アイシャ「大人しくして下さい……大人しく……このっ」

 このっ、と魔導書の角で店主を叩くアイシャ。

店主「いだっ、やめろ! あ、お前、翻訳家のっ、いでっ、この! 商人相手にこんな事して、いたっ、仕事減るぞ!」

アイシャ「お黙りなさいっ」

 魔導書の角でゴン、と叩きながら、

アイシャ「あなたはっ」

 ゴン

アイシャ「黙秘権でも」

 ゴン

アイシャ「行使してなさい!」

 転倒と本のダメージでぐったりとなった店主をお縄にかけながら、アイシャは、ふぅ、と汗を拭う。

アイシャ「やりましたね、パンドラさん」

パンドラ「……おつかれ」

ドルジ「ほっほ、アイシャも逞しくなったの」

 ドルジは上機嫌でアイシャをねぎらい、

ドルジ「さて、お話し願いましょうか、店主殿」

と、ことさらに優しそうな口調で言った。

 店主は観念したようでぐったりと項垂れ、脂汗を流しつつ口を開いた。

店主「ご覧の通り、あっしは魔術士ソーサラーなんぞではなく、一“魔技士”に過ぎやせん……造った道具を動かすことだけが能で、道具が無きゃなんにもできやしませんだ……」

ドルジ「ほう、それで?」

店主「ここに来んさるってこたぁもうお察しでしょうが、ニコライ養育園の件は全て市庁の人の依頼事ですわ。いや、あっしも気が引けたんですがね、何分飯の種にも窮してる身の上でやんして……」

 そして、後ろ手に縛られたまま額を地面に擦り付けるほど前屈し、

店主「すんません! 本ッ当にすんません……!! どうか堪忍してやっておくんなせぇ!」

と平謝りした。

ドルジ「市庁の連中との契約書と領収書一式を……それと、今仰せになったことの供述書をお書き願えますかな? それでお手打ちとしましょうぞ」

 ドルジは優しげな声色を保ってそう告げた。

店主「へぇ! 仰せのままに……!」

 店主はしょぼくれた目に涙を浮かべながら即答した。

ドルジ「アイシャ、右手だけ解いてやってくれ。クルト、念のためにウィスプを」

アイシャ「分かりました」

クルト「んっ!」

 クルトは店主の頭の直上に光の精霊ウィル・オー・ウィスプを召喚した。

店主「ひぃぃ……て、抵抗なんぞこの期に及んでしやせんです!」

 店主は身震いしつつ言う通りに従った。

ドルジ「これで証拠は十分じゃな。さて、次は市庁にかちこむとするかの」

店主「あのぉ……このお縄は……」

 書類一式を受け取って満足げに言うドルジに向かって、恐る恐る訊ねる店主に、ドルジは軽く鼻笑いを浮かべつつ、

ドルジ「事が済んだらほどきに伺いましょう。それまで、子供達の不安をとくと自省しておいでなされ」

と、手を振りつつ告げて店を出ていった。

 店主の何か哀願する声を背にして……。

 ドルジが店を出て行くと、カテナは床に転がっている店主を見下すようにキッと睨んだ。

カテナ「……。ノエルやこじいんのみんなにしたことをおもうと、いますぐにでもかみつきたいぐらいだけど。いちおーあやまったし、これいじょうオイラはなにもしないよ。もしあやまったのがウソだったり、またノエルたちにメーワクかけるよーなことをしたら……。そのときはカクゴしてよね」

 ガルルル……と唸り声を漏らしてから視線を逸らし、先を行くドルジの背中を追った。

パンドラ「いくら生活のために必要なお金を稼ぐとはいえ、子供達を不幸にするような真似は許さない。もし次もこんなことがあるようなら――分かっているわよね?」

 真っ赤な髪から覗く妖艶なパンドラの瞳に映るのは、目にも止まらぬ速さで何度も上下を繰り返す店主の頭部。


 魔法屋をあとにして、冒険者達は勇んで市庁に向かった。

ドルジ「偵察組よ、例の二人の姓は確認しておるな?」

クルト「ん! 眼鏡のおじさんはシュルツェさん」

パンドラ「髭の男は確か……そうそう、シャウマンと云ったわね」

 ドルジの問いに、クルトは即答し、パンドラは懐からメモ帳を取り出して確認して答えた。

ドルジ「うむ。契約書に書かれておる名前と相違ない」

 ドルジは先程魔法屋から押収した契約書と照合して頷いた。

 話しているうちに、街の中心部に建つ市庁舎へとやってきた。時刻は九時半。ちょうど開庁時間のようで、守衛が門を開いていた。

ドルジ「御免下され。福祉課に用があるのじゃが」

守衛「おはようございます。福祉課は西棟の三階になります。あっ、武器の類はこちらでお預かりさせていただきます」

 守衛はいかめしいポールアックスを手にして、冒険者達の持ち物に目を遣った。

パンドラ「やれやれ、この舞踏剣もかい?」

ドルジ「老人から杖をも取りあげなさるか」

クルト「わたしの杖さん……」

 冒険者達は不承不承ながらそれに従った。残るはアイシャの魔導書のみ。

ドルジ「まあ良い。皆、憤りに打ち震えんばかりじゃろうが、くれぐれも乱闘沙汰にはならぬように……落ち着いて行くのじゃぞ」

 ドルジは廊下を歩きながら、仲間達に忠告した。

アイシャ「あくまで穏便に、しかし真綿で首を絞めるようにしたたかに――あちら様の弱みを突いて、有利な償いを引き出せるよう示談を――ということですね」

 アイシャも相槌を打って、

アイシャ「これは物の喩えの話だから、本当に首を絞めちゃ駄目よ、カテナ」

と、少し屈んで人差し指を口の前に立てて、カテナに忠告した。

カテナ「あぐッ……!! オイラそこしかわかんなかったのに、ダメなのかっ……」

 カテナは心を読まれたかのようにビクっとし、下を向いた。もう余計なことはせず何もしないでおこうと、カテナは心の中で決めた。


ドルジ「御免下され。福祉課はこちらですかな?」

職員「はい。こちらでございます」

 冒険者達が窓口に到着すると、若い男性の職員が応対した。

ドルジ「福祉課の課長殿と折入ってお話させていただきたく……」

職員「えっ、課長とですか? 一体、どのようなご用件でしょうか……?」

 怪訝そうな顔をする職員に対し、ドルジは極めて穏便な雰囲気で話したが、ここでやや声を低めて続けた。

ドルジ「実は、お宅の職員殿にまつわる“不祥事”を確認しましての……アイシャ、例の書類を」

アイシャ「はい、こちらです」

 アイシャは一歩進み出て、鞄から魔法屋で手に入れた書類一式を取り出し、職員に渡した。

職員「ふ、不祥事ですか!? あっ、拝見させていただきます……」

 職員は驚いた様子で書類を受け取り、目を通した――そして、次第に青ざめて手を震えさせつつ、恐る恐る小声で訊ねた。

職員「ええと……これはどういうことでしょう……?」

ドルジ「此方が詳しく教えていただきたい……兎も角、そのような重大案件ですので、課長殿を……」

職員「は、はいっ! かしこまりました……! あっ、ミュラーさん、会議室にお通ししてください!」

 ドルジがかすかに鼻笑い混じりでそう答えると、職員は冷や汗を流しつつ、同僚の女性職員に指示してから、一目散に局室の奥へと駆けていった。

 一同は別室に案内され、お茶を出されて、待つことしばし。

職員「お、お待たせいたしました!」

課長「ふ、福祉課課長でございます……」

 青ざめてうわずった声で窓口職員が入ってきて、その後ろから同様に青ざめて脂汗を流し震えつつ、中年の紳士が入ってきた。

課長「あのぉ……大変恐縮ながら、この書類は真実なのでしょうか……具体的には、どのようなことが……?」

 課長は席に着かず戸口に立ったまま、おどおどしつつ訊ねた。

ドルジ「開口一番それですか、随分なご挨拶じゃな……のう、パンドラ殿」

 ドルジは穏やかながらもいささか呆れた様子で溜め息混じりにそう言い、隣に座っているパンドラに流し目を投げて、

ドルジ「詳しく話して差し上げなされ(多少どやしても構わぬぞ)」

と、最後は小声でパンドラに話を振った。

パンドラ「あんたの所の部下、ええと……」

クルト「シュルツェさんとシャウマンさん」

パンドラ「そうそう。その二人が、胡散臭い魔技士に依頼して、ニコライ養育園に魔法人形を送り込んで、夜な夜な徘徊させたりして孤児院の子供達に恐怖を与えたってわけよ。動機は明白、ニコライ養育園を廃園に追い込むための嫌がらせね」

 そこまでパンドラは一見穏便な話し方をしたが、そこですうっと息を吸い、表情と語気を少し強くして、

パンドラ「そして挙げ句には、子供達の身と、探索に乗り出した私達の命をも脅かした――ってわけよ。これがどういう意味か、分かるわよね?」

と言い、課長を睨みつけた。

アイシャ「威力業務妨害罪、そして傷害罪、殺人未遂罪――といったところでしょうか」

 アイシャも、淡々と、しかし冷徹な語気で告げた。

課長「そ、それは……」

 課長は顔面蒼白で脂汗を流し身震いしつつ、やっと紡ぎ出したように呟いた。

パンドラ「ガラクタ人形は一つ残らず破壊したわ。でも魔法屋の旦那はとても穏便に話し合ったら白状してくれた。ニコライ養育園の件で貴方達とも穏便にお話しがしたいの。分かるわよね? 私たちに人形相手のように色々と行使させないでおくれよ」

 優しい言葉とは裏腹に、パンドラは“色々と行使しても構わないわよ”といった雰囲気を醸し出していた。

カテナ(なっ……なんではじめましてのあのニンゲンがみんなからイジメられてるんだっ!? アイツ、なにかわるいことしたのかっ??)

 皆が課長に睨みを利かせている中、カテナだけはぽかーんとしてやり取りの様子を見ていた。

カテナ(そーいえば……アイシャがしちょーのえらいひとにいったほーがいいっていってたけど……なんで?? あのニンゲンはえらいひとなの?)

 “課長=偉い人=責任を負う立場”及び“上司が部下の責任を負わなければならない理由”といった社会的機構が、無人島で育った野生児には全く理解できず、この時点で考えることをやめた。

カテナ(……きょーのおひるごはん、なにかなー?)

課長「と、ともかく当事者に事情聴取してみなくてはなりませんね……シュルツェ君、シャウマン君、入りたまえ!」

 課長はハンカチで汗を拭いつつ、戸口の方を振り向いて大声で呼んだ。

 数秒の沈黙ののち、戸口が鈍い音を立てて開き、顔面蒼白で俯いた男が二人、重い足取りで部屋に入ってきた。

カテナ「あーっ! オマエらは!!」

ドルジ「ようやく主役のお出ましじゃな」

 その二人は、ニコライ養育園のリハーサルの日に、いちゃもんをつけにやって来た男に違いなかった。

課長「この事案は事実に相違ないかね……?」

 課長がやや低い声で訊ねると、しばしの沈黙ののち、

二人「――はい……事実に相違ありません……」

と、ばつが悪そうな重たい口調で男の一人が答えた。

 課長はそれを聞いて、「はぁぁっ……」と深いため息をついて、後頭部の髪を掻きむしった。

課長「――ということですので……」

 課長は再び汗を拭いつつこちらに振り向き、深々とこうべを垂れて、

課長「誠に……誠に申し訳ございませんでした……!」

と、喉の奥から捻り出すように言った。

 それに続いて、男二人も垂れていた頭をさらに深く下げて、

二人「申し訳ございませんでした……!」

と震え声で言った。

ドルジ「御免で済んだら警察は要らんわい」

 ドルジはやれやれといった面持ちでため息をついて言い、

ドルジ「カテナ、パンドラ殿、少し説教かましてやってくれ。ニコライ養育園の皆の分までもの」

と、顔を左右に配らせて言った。

 パンドラはシュルツェとシャウマンに対して振り上げた拳を、直前で手前の机に叩きつけた。

シュルツェ「ひいぃぃ!!」

シャウマン「ひいぃぃ!!」

 部屋中に響くほどの破裂音を立てた机は、三秒ほど間をあけた後に真っ二つに割れた。

パンドラ「頭を下げるだけがあなた達の仕事ではないわよね? ニコライ養育園の件はどうするのかしら? 言っておくけど、これは脅迫でも強要でもないわよ。私は質問をしているだけ。あら? 机はごめんなさいね。ガタがきているようだから、新しいのを買った方がいいわよ」

 パンドラはポケットから数枚の紙幣を出して課長の手の上に乗せると、シュルツェたちの方へ鋭い視線を向けた。

 課長は、震える手でパンドラの差し出した紙幣を受け取ると、脂汗をだらだら流して全身を震わせ、がくりと膝を折ってその場にへたりこんだ。

カテナ「!」

 説教、つまり思いの丈をぶつけていいとカテナは解釈した。

カテナ「ひっかいていいってことだよね?」

 ガルルル……と唸りながら両手の爪を光らせ、じり……と前傾姿勢となる。

クルト「引っ掻いちゃダメ!」

 今にも跳びかかって行きそうなカテナの二の腕を、クルトは摑んで制止した。

 クルトの小さな手がカテナの腕を摑んだ瞬間、シュルツェ・シャウマンを睨みつけていた鋭い眼光が、そのまま素早くギロリとクルトに向けられた。

カテナ「……。なーんだ、ダメなのかっ」

 二秒ほどクルトと視線を合わせた後、はぁ……と溜息を漏らしながらカテナは目を伏せた。

アイシャ「ノエルちゃんとクラウスさん、リサちゃんや孤児院のみんなの思いの丈――そしてカテナ、あなたの思いの丈を、あの人達に心の底から訴えてあげて――言葉でね」

 その横から、アイシャは落ち着いた、しかしわずかに覇気のこもった口調でカテナに言った。

 アイシャの言葉に、カテナは俯いたまま静かに、そして唸るように言葉を漏らした。

カテナ「オイラつたえるの、ニガテだけど……。なんてゆーか……こう、むねのあたりがぐにゃっとしてて、オマエたちみてると、そのかおをいますぐにでもひっかきたくなる……」

 言いながら強く掌を握りしめ、その震える拳が自らの鋭い爪によって傷つき、滴り落ちる獣の血が床を汚してゆく。

カテナ「オイラたちがなにもしなかったら!!」

 突然声を張り、片足を一歩前へ踏み込みながら顔を上げ、シュルツェとシャウマンを睨みつける。

カテナ「なにもしなかったら、オマエたちはあのこじいんを! ノエルの! ノエルのおかーさんの! クラウスの! ブラウニーの! こどもたちの! みんなのいえを、かぞくを!! ぜんぶメチャクチャにして、なくしちゃうところだったんだよッ!?」

 睨みつける眼は鋭く、しかし意図せず勝手に込み上げてきた涙がその瞳を潤ませる。

カテナ「オイラも……オイラのいえもかぞくも、ニンゲンのせいでメチャクチャにされて……!! こんなおもい、オイラだけでいい! ぜったいノエルたちに、おなじおもい、させたくなかった!!」

 溢れそうな涙を腕で拭うと、カテナは ふううう、と深く息を吐き、落ち着きを取り戻そう試みた。そしてゆっくりとシュルツェに顔を向ける。

カテナ「ひげのひとのほうは わかんないけど……。メガネのおじさん。オイラ、おじさんがいえにかえるところ、みた。かぞく、いるんだよね。いいよね、かぞくがいるって。そのかぞくが……おじさんのかぞくが、だれかにこわされるところ、そーぞーしてみてよ。それですこしはわかってもらえると、うれしい」

 カテナは喉から絞り出すように言うと、改めてシュルツェとシャウマンの二人を交互に見た。

カテナ「いちおうあやまってくれたのは、オイラはいいことだとおもってる。それがウソじゃないなら、ひっかくのはガマンしてあげるよ」

 そこまで言って、カテナは再び込み上げた涙を一筋流しながら、くしゃっとした笑顔をアイシャに向けた。

カテナ「……ははっ、やっぱオイラ、つたえるのってニガテだ。いいたいことまだまだありすぎて、ぜんぜんつたえきれないや」

 パンドラの一喝におののいて顔を上げ、目を見開いて打ち震えていたシュルツェとシャウマン。続くカテナの語りにも刮目して瞳と手を震わせながら聞いていたが、それを聞き終わると、まずはシュルツェが、続いてシャウマンも、がっくりと膝を折って床にへたりこんだ。

シュルツェ「家族……そう、ですよね……」

 しばしの沈黙ののち、シュルツェが口を開き、かぼそい震える声で言った。

シュルツェ「私は……彼らの大切な家族と家を……」

 打ち震えながら、シュルツェは涙を流し、捻り出すように言葉を発した。

 隣のシャウマンも、それに連られるように涙を流した。

 しばしの間、シュルツェとシャウマンの涙を呑み込むかすかなうめき声ばかりが部屋に響いた。

シャウマン「経費削減の遂行と昇進願望という独善と利己心のあまりに……私達は……どうかしていました……」

 やっと呼吸を取り戻したシャウマンが、やはり捻り出すように言った。

シャウマン「誠に……」

シュルツェ「誠に……!」

二人「申し訳ありませんでした……!」

 二人は同時にそう言って、床に額と掌を着けて涙を流した。

アイシャ「――私達は告発ではなく、穏便な示談のために伺いました。謝罪は確かに頂戴しましたので、あとは当方の要求をお聞き願えますか?」

 少し冷ややかな目で二人を見下ろしていたアイシャが、課長の方に視線を移して、やや事務的な口調で言った。

課長「は、はいっ……! 何なりと仰ってください!」

 課長はびくりと飛び起きて立ち上がり、兵隊のように直立不動になって、うわずった声で答えた。

アイシャ「では、申し上げます」

 アイシャはすうっと一呼吸してから、事務的な口調を保ったまま続けた。

アイシャ「第一、ニコライ養育園の廃園決定を白紙撤回すること。第二、ニコライ養育園に対するあらゆる圧力を永久停止すること。第三、ニコライ養育園の十全な存続および建物修繕のために支出を惜しまぬこと。以上が当方の示談条件です」

 言い終えて、アイシャは少し気迫のこもった目で課長を見据えた。

クルト「はい! あとね……」

 アイシャの横にいたクルトが、手を挙げ少し背伸びをして言った。

クルト「第四っ、わたしたちに危害を加えたことに対する慰謝料をください! 五人合わせて金貨50枚くらいでいいです♪」

 挙げた右手を今度は胸の前に突き出して、五本指を広げて言い、にこっと微笑んだ。

アイシャ「クルトったら……」

ドルジ「ほっほ、抜け目がないのう」

 それを聞いて、アイシャは少し表情を崩してくすりと苦笑を漏らし、ドルジは髭を動かして微笑んだ。

課長「はいっ! 廃園は白紙撤回致します! 金銭面につきましては、小職の独断では誠ぉ~に恐縮ながら即答致しかねますが、小職、全・身・全・力!を尽くしまして予算委員会に掛け合わせ致します所存にございます!!」

 課長はやはり兵隊のような直立で、少し上を見上げ、うわずって変に力のこもった声で答えた。

アイシャ「つまり、孤児院は潰れないで済むことがほぼ決まった……ということと見なしていいのですね?」

 アイシャは、カテナにも分かる平易な言葉を選んで言い、

課長「確約ではございませんが、最大限の尽力をお約束致します!」

という課長の答えを聞いて、カテナにちらっと目線を送ってウインクした。

カテナ「!! じゃ、じゃあいままでどーりノエルたちはくらせるんだ!!」

 アイシャの分かりやすい言葉とウインクをみて、赤い目のまま明るい笑顔になるカテナ。

カテナ「あ、もしかして、これって『ぶんかざいしてー』? ってゆーのになったの?」

 きょとんとした顔に変えながら、ドルジやアイシャの顔を見る。

ドルジ「いや、文化財指定はまだまだ時間がかかるじゃろう」

 カテナの質問に、いささか申し訳なさそうに答えるドルジ。

アイシャ「それが叶えば一番のゴールね……」

 気が早いカテナにくすりと失笑を漏らしつつ、

アイシャ「課長様、ニコライ養育園の建物を文化財指定していただけないか、文教課に掛け合っていただくことはお願いできますか?」

と課長に訊ねた。

課長「は、はいっ! 最大限尽力致します!」

 課長は最敬礼で答えた。

カテナ「あとさ、クラウスやノエルたちにもちゃんとあやまって、なかよくしてね? おじさんたちはきまずいかもしれないけど、クラウスやノエルはやさしいから、たぶんそんなギクシャクしたかんけーイヤだとおもうんだ……」

 そこでカテナの頭上で、目に見えない電球が光った。

カテナ「あ、なんならキッカケとして、もーいっかいげきやろっか!? まえに『みんなのこのばしょをなくしたくないってきもち、そのがんばりをちゃんとみにきてよね』っていったのに、きてくれなかったし? おじさんたちのかぞくもいっしょにさ! ここ(市庁)もひといっぱいいてみんなにみてほしーから、ここでやってもいーし!」

 仲間、ゼバスやアンナ、孤児院の都合など考えもなしに、ただ思ったことだけを言うカテナ。もちろんその中には、本番での一瞬のアクシデント……つまりは、音楽に精通していないがためにカテナが知る由もない、パンドラの右手の異常も含まれている。

シュルツェ「ええっ……あなた方に対してあんなに酷いことをしてしまった私達を、また招いてくださるのですか……!?」

 シュルツェは床に着いた頭を持ち上げ、眼鏡を取って涙で真っ赤になった眼をこすりつつ、カテナを仰ぎ見て言い、驚いたように目をぱちくりさせた。

 シャウマンも同様に、はっとした様子で頭を上げ、涙目をまばたきさせた。

ドルジ「ほう、それも悪くないのう。課長殿、いかがですかな?」

課長「なるほど……当方としましては、市庁舎の議事堂をお貸出しすることは可能でございますよ!」

 ドルジが愉快そうに微笑みつつ訊ねると、課長もようやくカチコチの緊張を解いて、微笑んで答えた。

カテナ「がうっ、やった! もうオイラたちのおねがいはかなってるけど、げきをみてここのみんなにこじいんのことしってほしいって、クラウスもいってたんだっ!」

 願いは叶った。

 そう自分で言った後、夢に出てきたミクラーシュの顔が、ふとカテナの頭に浮かんだ。

カテナ(どーだミクラーシュじーちゃんッ! すくなくとも、めのまえのシアワセはオイラたちのてで てにいれたよっ!)

 カテナは心の中で言うと、小さくガッツポーズをした。

カテナ(……。よくかんがえたら、ノエルのいうとーり、ゆめのミクラーシュじーちゃんがノエルのじーちゃんだったんなら、こじいんってミクラーシュじーちゃんのかぞくのいえでもあったんじゃ……。ならやっぱりてつだってくれてもいーのに! やっぱりあのじーちゃんニガテだッ!!)

 カテナは心の中で言うと、小さく握り拳を振るわせた。

パンドラ「運命とは最も相応しい場所へと貴方の魂を運ぶものだ」

ドルジ「西の国の詩人の言葉ですな」

パンドラ「ええ、私たちのたどり着くところは結局は音楽の舞台ってところね。最後は歌で終わる。坊やに感謝しなきゃ。また皆の前で歌い踊れることを」

 パンドラは「ふぅ」と安堵の表情を浮かべて、近くの椅子に腰を下ろした。

ドルジ「ほっほっほ。そうとなれば、早速ゼバストゥス師に交渉じゃな」

 ドルジは上機嫌でそう言い、帰り支度を始めた。

シュルツェ「私達なんかのために……本当に……」

シャウマン「本当に……!」

二人「ありがとうございます!!」

 シュルツェとシャウマンは、涙の雫をまぶたに溜めながら、深く深く頭を下げて言った。

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