五、学芸会劇
その夜は特に何も起こらず、無事朝を迎えた。
ノエル「カテナく~ん、朝だよ~! 今日はがんばろ~ねっ!」
先に起きていたノエルとクルトが、カテナを起こす。
カテナ「が…ぅ…ゔ~~ん……おはよ、ノエル……クルト……」
ゆっくりと身を起こし、まだ重い瞼を擦る。
そして意識がハッキリし始め、
カテナ「!!よなかおきるつもりがあさになっちゃッ……あれっ!?」
バッとクルトを見て、口には出さず目で夜中の異常有無を知らないか問いかけた。
クルト「ん、だいじょぶ」
クルトはかすかに微笑んでこくりと頷いた。
カテナ「そ、そっか……。なにもなくてよかった……。よかったけど……。がぅ、いまかんがえてもしょーがないや! がんばろーねノエルっ!」
カテナは胸がざわつくような、嫌な予感を感じていた。
カツン、カツン
賢者の館に心地良いヒールの音が鳴り響く。
パンドラ「おはよう」
フランツ「……あ! おはようございますパンドラさん」
パンドラの柔らかい声と、赤い髪から香る異国の甘い香りがフランツの心を奪い、一瞬返事が遅れた。
フランツ「調子はどうですか?」
パンドラ「ええ、問題なしさ。昨夜の失態は皆には内緒にしておくれよ♪」
パンドラは口元に人差し指をあててフランツにウインクをする。
フランツ「え、ええ! もちろんです!」
少し顔を赤らめてフランツは応えた。
朝食が終わる頃、パンドラたちが孤児院にやってきた。
アイシャ「カテナ、クルト、お早う。良く眠れたかしら?」
カテナ「うん……よくねむれちゃった……」
しょんぼりしながら、少し俯いて応えた。
ドルジ「昨夜は何事も無かったようじゃの」
クルト「ん、特に何も起きなかったよ」
クルトの報告を聞いて安堵するドルジ。
しばらくすると、ゼバストゥス、アンナらアンスバッハ楽団の一行もやってきた。
ゼバス「今日は最高の降誕祭劇をご覧にいれましょう」
アンナ「カテナくんも、見違えるほど上手になりましたね! 昨日のリハーサルの調子で頑張りましょう!」
アンスバッハ楽団の士気は十二分だ。
カテナ「きょーのためにいっぱいいっぱいれんしゅーしたもん! オイラだけじゃない、みんなもだ! だからきょーはぜったいせーこーするよ!」
胸のざわつきを押し殺すように、アンナに、そして自分自身に言った。
クルト(屋敷妖精さん、それと魔法のお人形さん……今日はおとなしくしててね……)
クルトは館内を見回して、祈りを献げた。
古ぼけた孤児院も、降誕祭の飾り付けで見違えるほどきらびやかになった。中庭には
街頭でのビラ巻きが功を奏して、開場三十分ほど前ながら、既に門前には来客の列ができている。
クラウス「これで知名度と好印象が得られるといいのですが……」
なおも不安そうなクラウス。
カテナ「もー! クラウスッ! きてくれたひとにみんなのおもいがつたわるにきまってるじゃんかっ! ソーセージはすっごいんまかったし、シュゲーヒンってのもみんないっしょーけんめーつくったんだ! もちろん、げきだってみんなでがんばるよ! だからこじいんのみんなをしんじてあげてよ! クラウスがみんなのことしんじてあげなくてどーすんのさっ!」
クラウス「そ、そうですね……私が弱気ではいけませんね。精一杯頑張りましょう!」
カテナに背中をバシバシ叩かれて、クラウスは不安を吹き払うように手のひらを握った。
クラウス「では、いよいよ開場です。みなさん、頑張りましょう!」
寮生『おーっ!』
一同の威勢いい掛け声とともに、ニコライ養育園の学芸会は開幕した。
いつもは閑古鳥が鳴いている孤児院だが、今日は大人・子供、大勢の来客で賑わっている。
リサ「
ノエル「二時から大広間で降誕祭劇をやりま~す! 見に来てくださ~い!」
めいめい、活気に溢れて出店や触れ込みにいそしんでいる。
ドルジ「わしらの出番は午後じゃから、しばしお祭りを楽しませていただくとしようかの」
くつろごうとするドルジだが、「ニコライさん」の衣装を着てきたのが災いして、
子供「あっ、ニコライさんだ~!」
子供「ニコライさん、プレゼントちょーだーい!」
子供「おひげほんものだ~! さわらせて~!」
ドルジ「ふぉぉ、こりゃまいった」
瞬く間に子供たちの引っ張りだこになってしまった。
男「孤児院の学芸会か。懐かしいな」
杖をついた三十代半ばの男が、門前の列の横にあるベンチに腰をかけた。
定刻になり孤児院の門と扉が開くと、院内からフワッと優しい風が男の頬を撫でる。
その風に含まれたかすかな甘い香りに、男は気付いた。
男「この国のものとは違う香り……同じ匂い」
ベンチから立ち上がり、男は杖をつきながらゆっくりと孤児院の入口へ向かった。
そうしている間に時刻は一時半を迎え、一同は劇の準備に取りかかった。
パンドラは椅子に座り下を向きながら、拳を握ったり開いたりを何度か繰り返した。
パンドラ「ん、問題ない。大丈夫、そうさ、いつだって乗り越えてきたんだ。大丈夫さ」
床に向かってなびいていた赤い髪を結ぶと、髪で隠れていた凛としたパンドラの表情が表れた。
カテナ「なーんだ、てをじっとみてたから、もしかしてパンドラもきんちょーしてるのかなっておもってきたのに、おもったよりもだいじょーぶそーだねっ」
茶化すように、にひひっと意地悪そうな笑顔でパンドラに話しかけた。
パンドラ「あはは! 私を心配してくれるのかい! 男前になったねぇ!」
カテナの両方の頬を両手でプニプニとつまんで笑顔を見せるパンドラ。
カテナ「うひぇっ、にゃにひゅんのさっ!」
慌てて二・三歩後ろに飛び退く。
もぉーっ、とふてくされるように呟いた後、拳を真っ直ぐパンドラに向かって突き出した。
カテナ「きょーはぜったいせーこーさせよーねっ、パンドラ!」
そのまま踵を返し、肩越しに振り向きながらニッと笑い、ノエルがいる方へ向かって行った。
ノエル「あう~緊張する~……!」
胸元で両手をぎゅっと握って、祈るように目を強くつぶっている、聖母マリアの衣装を着たノエル。
カテナ「オイラもすっごいきんちょーしてるけど、みんなといっしょならだいじょーぶ! りっぱなじょーはいヨセフになるよーに、オイラがんばるよ! だからノエルも、これまでがんばってきたじぶんをしんじて! それがむずかしーなら、オイラがノエルをしんじてやる!」
ギュッと握られているノエルの手を自分の手で包み込み、まっすぐノエルの目を見て言った。
ノエル「うん……ありがと、カテナくん! わかった、信じてやってみるね!」
ノエルもカテナの手を握り返した。
クルト「市庁の人たち、来ないね……」
緞帳の脇から会場をちらっと見て、少し残念そうな「三賢者」衣装のクルト。
カテナ「がぅ……。そーなると、ほんばんちゅーにかくれたところからじゃましてきそーなきがする……。オイラ、まほーやふくめてアイツらしんよーできないよ……! ちょっとじかんギリギリまで、こじいんのまわりてーさつしてこよっかな……?」
クルト「確かに心配だけど……もうすぐ開演だから、今はやめとこ。今は劇を成功させることが大事だから……」
クルトは少し不安そうながら、きりっとした表情で、口の前に人差し指を立てて言った。
カテナ「がぅ……そーだね……。なにもおこらないことをねがうよ……」
ふと、子供達にもみくちゃにされているニコライ姿のドルジが目に入った。
カテナ「ねがう……かぁ。ニコライじーちゃん、オイラのところにきてくれたことなかったけど……これからさきもオイラにはなにもくれなくていーから……だからそのかわり、このさきずっとつづくシアワセを、こじいんのみんなにあげて……」
まだ見ぬニコライに向かい、カテナはそっと願いを口にした。
ヴィオラを手にとって立ち上がるパンドラ。
パンドラ「さぁ! スペクタクルをはじめよう!」
クルト「うん、祈りながら、行こっ!」
開演を告げるベルが鳴り、緞帳が開き、一同は舞台に出で立った。
アイシャ(福音史家)「預言者イザヤの預言――『見なさい、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ』。その預言通り、天使ガブリエルが、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされました」
アンナ(ガブリエル)「おめでとう、恵みに満ちた方。
ノエル(マリア)「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしはまだ結婚していませんのに」
アンナ(ガブリエル)「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包みます。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。あなたの親類のエリサベトも、年をとっていますが、男の子を身ごもっています。不妊の女と言われていたのに、もう六ヵ月になっています。神にできないことは何一つありません」
アイシャ(福音史家)「それを聞いて、マリアは言いました」
ノエル(マリア)「お言葉どおり、この身に成りますように」
アイシャ(福音史家)「いいなづけのヨセフはマリアが身籠ったことを知り、ひそかに縁を切ろうとしましたが、天使が夢に現れて言いました」
アンナ(ガブリエル)「ヨセフよ、恐れずマリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのです」
カテナ(ヨセフ)「わかりました! マリアをすてませんっ!」
アイシャ(福音史家)「マリアは出かけて、親類のエリサベトに挨拶しました。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子が踊りました」
パンドラ(エリサベト)「あなたは女たちのうちより祝福を受けた方、胎内のお子さまも祝福されています。主が仰ったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」
ノエル(マリア)「♪
アイシャ(福音史家)「ヨセフとマリアは、父祖の地ベツレヘムの村里にやってきました」
カテナ(ヨセフ)「すみませ~ん! やどをかしていただけませんか~!」
男児(村人)「あいにく、満員なのです……馬小屋で良ければ使ってください」
カテナ(ヨセフ)「ありがとーございますっ!」
アイシャ(福音史家)「そこでマリアは子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせました」
ダビデの村里 うまやのうちに
生まれしみどり子 やすらに眠る
み母はマリア み子はイェスきみ
アイシャ(福音史家)「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていました。すると、天使の群れが現れて言いました」
女児(荒野の天使)「今日ベツレヘムの村で、救い主がお生まれになりました」
アイシャ(福音史家)「天使たちは歌いました」
(いと高きところには神に栄光あれ)
男児(羊飼い)「さあ、ベツレヘムへ行こう!」
アイシャ(福音史家)「羊飼いたちは急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てました」
きよしこの夜 み告げ受けし
牧人たちは み子のみ前に
ぬかずきぬ かしこみて
アイシャ(福音史家)「その頃、占星術の博士たちが東の方からやってきました」
クルト(賢者1)「なんとたえなる星でしょう」
ドルジ(賢者3)「これは救い主がお生まれになった証に違いない」
アイシャ(福音史家)「東方で見たなんとも美しく輝く星が彼らに先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まりました」
星影
光なるみ子の
などか暗き夜に心乱さん
歓びの訪れよ
アイシャ(福音史家)「賢者たちが家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられました。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、
我らは東の
ああ 輝く星よ
我らの行く手を 照らし導け
クルト(賢者1)「我は
もの皆治むる 君にませば」
アイシャ(賢者2)「乳香献げ 伏して
祈りと
ドルジ(賢者3)「苦難を示す
世のため
ああ 輝く星よ
我らの行く手を 照らし導け
アイシャ(福音史家)「闇の中を歩む民は大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に光が輝いた。あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになり、人々はみ前に喜び祝った。一人のみどりごが私たちのために生まれた。一人の男の子が私たちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる」
(全員合唱)
もろびとこぞりて 迎えまつれ
久しく待ちにし 主は来ませり
主は来ませり 主は主は来ませり
合唱に合わせて、パンドラのヴィオラの音が館内に響く。
客A「なんと美しい人だ」
客B「その美しさに劣らずの音色!」
ゼバス(素晴らしい! 気品と情熱の調和! さぁパンドラさん! いきますよ!)
パンドラとゼバストゥスの奏でる音色が交わりフィナーレへと向かう。
しかし次の瞬間、
パンドラ(手が、動かない)
ゼバス「!?」
クルト(パンドラさん!?)
ヴィオラを奏でていたパンドラの手が止まる。
パンドラ(うごいて!)
パンドラ!!
パンドラ「!?」
力強く温かい声がパンドラの心に響き、止まったパンドラの手に活力が蘇った。
ヴィオラの音が戻り、舞台は最高潮に達する。
0コンマ一秒にも満たない一瞬。観客は気付いていないが、音楽に精通する者たちにはまるで走馬灯のように感じた長い時間であった。
ゼバス(パンドラさん! 大丈夫です!)
その刹那のリズムの遅れに合わせて演奏をするゼバストゥス。
パンドラ(ありがとう!)
仲間たちに心で呼びかけるパンドラ。
ゼバストゥスのオルガン後奏に合わせて、一同手を繫いでお辞儀し、緞帳が閉まりゆく。満場の観客からは溢れんばかりの拍手喝采が飛び交った。
パンドラは震える手を抑え、仲間たちと手をつなぎ、お辞儀をした。
ゼバス「皆さん、よく頑張りましたね。今日の舞台は完璧です!」
楽屋に戻ると、ゼバストゥスの温かい笑顔が一同を迎えた。
クラウス「本当に。ゼバストゥス先生のお陰様です!」
ゼバス「いえ、子供さんやパンドラさん、ドルジさん方の活躍の賜物ですよ」
平身低頭お礼を言うクラウスに対して、ゼバストゥスは楽屋一面を腕で指して言った。
クラウス「おっと、そうですね。皆さん、本当によく頑張ってくれました! 最高の舞台でしたよ!」
クラウスは出演者たちのほうに向き直り、優しい笑顔で労った。
ノエル「カテナくん、やったよー! すごく上手だった! ありがとうねっ!!」
ノエルはカテナに抱きついて喜びを分かち合った。
カテナ「がぅわっ!?」
抱きついてきたノエルを慌てて受け止める。
カテナ「あっははっ! やったねノエル! ノエルもすっごいすっごいカンペキだったゾ! オイラはノエルがえらんでくれたから、ここまでがんばれたんだっ! こっちこそありがとうだよっ!」
ノエルの喜びに応えるように、カテナもノエルを抱きしめ返すのだった。
ドルジ「要らん客も来なかったようじゃし、無事上演できて良かったの」
ドルジも安堵の表情を浮かべた。
カテナ「けっきょくアイツらとかまほーや、こなかったんだ……。 なんだよ、よけーなことしないなら、みんなのがんばりをみにきてくれてよかったのに」
カテナは不満そうに言った。
パンドラは、カテナとノエルが抱き合って喜ぶ姿や、クラウスの笑顔を見て、安堵の表情を浮かべ、ゼバストゥスの座る隣の椅子に腰をおろした。
パンドラ「すまないね、迷惑をかけた」
ゼバストゥスに悲しげな表情を向けながら声をかけた。
ゼバス「いえ、パンドラさん。良い舞台にハプニングは付きものです。ともあれ、ご無理が祟っておられるのでは? くれぐれも静養なさってくださいな」
ゼバストゥスはやや心配そうながら、パンドラを労った。
降誕祭劇は大好評を博し、出店の売り上げも上々だ。献金もいくらか集まり、中には定額寄附の約束をしてくれた客もいる。
クラウス「これでしばらくの間は、運営できそうです。もっとも、建物の大規模修繕にはまだ足りませんが……文化財指定でもしていただけるとありがたいのですが……」
クラウスは、まだ少し心配そうながら、一同を労って笑顔を浮かべた。
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