四、学芸会前日

 それから練習の日を重ね、いよいよ学芸会の前日を迎えた。今日は栄えあるリハーサル。皆の衣装もでき、管弦楽も付いた。

 カテナも毎晩の練習の成果があって、見違えるほどに上達していた。


カテナ(ヨセフ)「わかりました! マリアをすてませんっ!」

カテナ(ヨセフ)「すみませ~ん! やどをかしていただけませんか~!」

カテナ(ヨセフ)「ありがとーございますっ!」


ノエル「やったぁ! ノエルもカテナくんも、一度も間違えずにセリフ言えたねっ!」

 ノエルは嬉しそうにカテナの両手を取り、ぶんぶんと振った。

カテナ「や、やった……! オイラできた! できたよノエルーっ!」

 カテナもノエルに合わせ、ぶんぶんと両腕を上下に振った。

カテナ「ふあ……っとと。あしたもこのちょーしでやろーねっ、ノエル!」

 出かけた欠伸あくびを堪えつつ、ノエルに笑顔を向けた。

ノエル「うんっ! この調子でがんばろ~!」

 ノエルも元気いっぱいで答えた。

 古びた孤児院も、赤・緑・金の装飾できれいに彩られ、見違えるほどきらびやかになった。中庭には屋台も設置され、上級生たちが焼きソーセージブラートヴルストや手芸品などの出店の準備にいそしんでいる。

少女「ノエル、カテナくんたち、よかったら試食してみて?」

 上級生の少女が、パンに挟んだ焼きソーセージブラートヴルストを持ってやってきた。

カテナ「がうっ!? いーのかっ!?」

 カテナはパンを受け取ると、躊躇いなく大きく開けた口の中へと運んだ。

カテナ「んー! んまいっ! いくらでもたべれちゃうよ! ノエルもたべてみてっ、んまいから!」

ノエル「ほんとだ~! おいしいねっ!」

 ノエルも嬉しそうにソーセージパンを頬張った。

クルト「これで明日も万全だね」

 クルトも一安心といった顔でソーセージパンを食べるが、

少女「あとは怪奇現象が起きないことを祈るばかりね~……」

 少し不安そうな表情の少女。

クルト「屋敷妖精さん、まだ騒いでるの?」

少女「屋敷妖精の仕業かどうかは分かんないけど、また“出た”のよ~……動く人形」

 少女は肩をすくませながら、小声で告げた。

ノエル「ノエルも見たことあるよ! 夜中に動くお人形さん……!」

 ノエルも恐る恐る言った。

パンドラ「動く人形ねぇ。メルヘンなんだかホラーなんだかわからないねぇ」

 パンドラはそう言いながら椅子に座ると、フォークでザウアークラウトを食べはじめた。

少女「メルヘンならいいんですけどね~……ふっと現れてふっと消えるとか、とにかく不気味なんですよ~」

 少女は苦笑を浮かべつつ話した。

カテナ「がぅ!? それってオイラたちがいないとき? またよなか?」

少女「うん、また夜中……最初は死ぬほど怖かったけど、最近はみんなちょっと慣れっこになりつつね……でも、不気味なことには変わりないのよね~」

 肩をすくませて話す少女。

クルト「屋敷妖精さんはそんなことしないと思う……何かの魔法かな……」

 クルトも真剣な表情で言った。

カテナ「がぅ? ふつーのじょーたいじゃない……それこそさいしょにはなしてたときにでてた、おこってるときとかでも、そーゆーことしないの?」

クルト「屋敷妖精さんには、お人形を歩くように動かすなんて力はないと思う……“家”にまつわることしかできないから……電球や窓とかを割ったり、お人形さんでいうと、倒したり元通りに戻したりできるくらいかな」

 クルトは考え込みつつ答えた。

カテナ「こじいんがなくなっちゃうよーなはなしすると、へんなことおこるんだよね? まりょくあるのかみてるときにそのはなしすれば、まほーかどーかわかりそーだけど……なんかおこしちゃうのはヤだなぁ……」

 と、カテナが“孤児院・無くなる”と言ったのに反応するように、開け放たれていた中庭と厨房との勝手口の扉が一人でにぱたんと閉まった。

ノエル「きゃ……!」

 一瞬びくっとするノエルと少女。本能でとっさに構えるカテナ。周囲を警戒するクルトとアイシャだが、やはり異様な魔力や精霊力の乱れは感知できなかった。

クルト「今のは屋敷妖精さんかも……」

カテナ「あっ……いまの、オイラのせーか! そっか、こじいんっていっちゃったからダメだったんだ……びっくりさせてごめんっ!」

 ペコリとカテナは頭を下げた。

クルト「だいじょぶ、いまは屋敷妖精さん怒ってるわけじゃないと思う。屋敷妖精さんも、ちょっぴりびっくりさせちゃってごめんなさい」

 閉まった扉のほうに手をかざして、お祈りするように一礼するクルト。

 ノエルはほっと一安心といった様子で胸を撫で下ろし、恐る恐る話を続けた。

ノエル「それでね、動くお人形さんは、別に“例の話”しなくても出るよ。リサ姉も昨夜お人形さん見る前、“例の話”とかしてないよね?」

少女「うん、あたしは特に何も……夜中におトイレに起きたときだったわ。足音がするから恐る恐る近付いてみたら、暗闇に古ぼけた人形が立ってて、あたしのほうに歩いてくるから部屋に駆け込んでドア閉めて……少ししたら足音がしなくなったから、恐る恐るドア開けてみたら、もう誰もいなかったの」

 リサと呼ばれた上級生の少女は、背伸びして小声で訊ねるノエルに、膝をかがめて同じく小声で答えた。

カテナ「がぅ……じゃあ、てき? はべつべつにいるってこと? あのはなしをしたとき、ヘンなことおこすのがやしきよーせーで、そのほかにも、にんぎょーをあるかせてるヤツがいる……?」

クルト「うん、たぶんそう……屋敷妖精さんとは別な何かが……」

アイシャ「そう、“パペットゴーレム”かも知れないわね。人形に何か魔法的な力を加えて、操り動かしている何者かが存在する……ってことかしら」

 アイシャやクルトが考え込んでいる間に、カテナはペタンっと尻餅をつくように中庭の地面に腰を下ろすと、分からないことだらけで、ゔーー……と唸っていた。


 だとしたらなんのために?

 おそおうとしてる?

 それともなにかをつたえたくて?

 なんでよなか?

 ほかのひとがうごかしてるなら、だれかがおきてくるかもわからないよなかにずっとまってるのもヘンだし……

 じゃあ…にんぎょーみたいなモンスターがいるとか……?

 アイシャがだす、ゴーレム…みたいな……?

 にんぎょーって…このいえにあるものなのか…ぜんぜんみおぼえないにんぎょーなのか…ってのも…ちょっと…きになるなー……

 あー…そーいえば…ほんのちょっと…まえに…しんだひと…にんぎょー…みたいに…あやつっ…て……たたかっ…てた…ヤツ……い…た…な……


 などと頭の中で色々想像しているうちに、寝不足なカテナの頭は、かくんっ、かくんっ、と、ししおどしのような運動をしていた。

 そのうちに、カテナは中庭の縁石に横たわって寝息を立て始めた。昨夜まで毎晩一人特訓を続けてきたのだから、無理もない。

アイシャ「すっかり眠っちゃったわ。たくさん頑張ったのね」

 アイシャはカテナの隣に座り、そっと彼の頭を持ち上げて自分の膝の上に寝かせた。

女児「……こわい」

 年少の女児が怯える表情を浮かべながら、椅子に座っているパンドラの服の袖をつかんで言った。

パンドラ「ふふ、心配ないさ。あそこにいるおじいちゃんやお姉ちゃんたちは凄腕の魔法使いさ。どんな悪い相手が来たってやっつけちゃうんだ。それに私やそこで寝ている坊やだって力持ちでね。悪いやつは投げ飛ばしてやっつけてあげるわ♪」

 女児に笑顔を向けながら頭を撫でると、女児はそのままパンドラに抱きついた。

パンドラ(さぁーて、鬼が出るか蛇が出るか、この子たちを危険な目に遭わせる相手には容赦しないよ)

 とその時、門の方からざわざわと不安そうな騒ぎ声が聞こえ、やがて黒いフロックコートにシルクハットを着けて身なりの整った、だが陰険そうな表情をあらわにした男が二人、中庭に踏み込んできた。

男1「おやおや、こんなに飾り立てて、また無駄遣いを……」

男2「どんなに飾りつけても、薄気味悪さは隠せませんな」

 男たちは、孤児院の様子をぎょろぎょろと見渡しつつ、眉をひそめてぶつぶつと毒づいた。

リサ「あのぉ、すいません~学芸会は明日なんですけど~……あっ!」

 少女は男たちに見覚えがあるようで、その顔を見定めると忌々しそうに眉をひそめた。

カテナ「ん…がうぅ~…ん……?」

 周りの空気の変化を感じ取り、重いまぶたを開け……慌てて飛び起きた。

カテナ「うがっ! ちがっ! ねてないよッ!? だってきのーのよるもオイラぐ~~っすりねれた…し……」

 いつの間にか側にいたアイシャに夜更かしを誤魔化そうとし始めた時、周囲の目が一箇所に集まっていることに気が付き、カテナも目を向ける。

カテナ「えっ…と……だれ」

 見知らぬ大人が増えていて、カテナは心底嫌そうな顔をした。

パンドラ「やれやれだわ」

 男たちの様子を見て、ため息を吐くと、残り少ないコーヒーを飲み干した。

男1「何ですか、この裸みたいな格好をした少年は……」

男2「我々はプラーク市庁福祉課の者です」

 男たちはカテナを訝しげにじろじろ見やりながら、名乗った。

クラウス「すみません、取り込んでおりまして……」

 ノエルに手を引かれて、クラウスが館内から出てきて、男たちにぺこぺこと頭を下げた。

男1「ニールセン氏。困りますよ、無駄遣いは……」

男2「どこのお金で成り立っているとお思いですか」

 男たちは、平身低頭のクラウスに容赦なく詰りを浴びせた。

カテナ「ねぇ、ちょっとやめなって! よくわかんないけど、クラウスあやまってるじゃんか!」

 カテナは背後から男二人の間に立ち、それぞれの右腕、左腕を片方ずつ摑んだ。

男1「む、何をするんだねキミ! 離したまえ!」

 男は手を振りほどこうともがくが、小さな体軀からは思いもよらないカテナの力で、しっかりとホールドされている。

クラウス「カテナくん、私は大丈夫です、仕方ないのです……」

 おろおろとしながら様子を伺うクラウス。

男2「こんな馬鹿騒ぎをしても税金の無駄遣いだと言っているのですよ。じきにこの孤児院は廃園になるのですからね!」

 男が言い放った直後、建物二階の窓が外れ、中庭に降り落ちてきた。けたたましい音が鳴り響き、ガラスの破片が飛び散った。

 カテナはとっさに落下箇所付近にいた子供を庇うべく、飛ぶように駆けつけていき、男たちの拘束は解けた。

 破裂音に一瞬びくっとした男たちだが、意外にもほとんど落ち着き払っている。

男1「全く、このぼろ屋敷は危険です、違法建築です!」

男2「しかも最近は、怪奇現象が起きるという話だそうではないですか。寮生の児童もさぞ不安でしょう。早急に取り壊しましょう」

 “取り壊し”という言葉に反応したかのように、もう一対の窓が外れて、再び落下して砕け散った。

ノエル「ちょっぴり怖いよ……でもでもっ! 廃園なんてやだっ! たくさんの思い出が詰まった場所なの! みんなみんな大好きな、大切な家族なの……っ!」

 ノエルは、戦慄する手を握りしめ、まぶたに涙をいっぱいに溜めて、男たちを力一杯睨んで叫んだ。

「そうだそうだ~!」

「ニコライ養護園はわたしたちの家!」

「廃園ぜったい反対~!!」

 寮生たちも口々に叫んだ。

 カテナは今にも泣き出しそうなノエルの元へと近づいてそっと寄り添い、その手を繫いだ。

 そしてノエルと同じように男二人を睨む。

カテナ「……ここにいるみんなは、このままですごしたいっていってるよ。わかったでしょ? わかったらもうきょうはかえって、あしたまたきてよ。そはれでさ、みんなのこのばしょをなくしたくないってきもち、そのがんばりを、ちゃんとみてよね!」

 無意識に、繫いだその手をキュッと軽く握っていた。

男1「……分かりました。一応、審議会にはかってみましょうか。いずれにせよ、早急に善処しなくてはなりませんね」

男2「どうぞくれぐれもお気をつけて」

 男たちは、やれやれ、といった感じで溜め息をつくと、捨て台詞のように嫌味たらしく言い、フロックコートの裾をひるがえし踵を返して去っていった。

ノエル「……はぁぁう」

 ノエルは、緊張の糸が切れたように、その場にぺたりと腰を下ろした。

カテナ「がんばったねノエル! ノエルがあいつらをおいかえすながれをつくったんだ! すごいよっ!」

ノエル「カテナくん、ありがと……明日、明日はぜったい成功させようね……!」

 そして、ほろりと涙を溢した。

カテナ「がぅ! あいつら、みかえしてやろー!」

パンドラ「行政の連中の態度は気に入らないけど、言っていることは一理あるわね。この建物での不可思議な現象、それに起因するのか建物の破損。いつ壊れるか分からない場所での生活は子供たちの命を脅かす危険性があるわ」

 カテナや子供たちには聞こえないように、パンドラはドルジに話しかけた。

ドルジ「そうじゃな、全面的修繕の必要があるじゃろうが……そんな資金は無さそうじゃし、行政としては建て直したほうが安上がりなのじゃろうな。そしてなお一層、統廃合してしまったほうが……」

 ドルジは少し残念そうに小声で答えた。

クルト「精霊さんが騒いでる……怒りと怯えの強い感情……ここが失われるのが嫌なんだね」

 クルトは呟くように言った。

クラウス「明日、市庁の方々も見に来てくださり、我々の気持ちを理解してくださるといいですが……ともあれ、窓を直しましょう」

 クラウスも、不安そうにうなだれながら、板と工具を持って館内に入っていった。

カテナ「ごめん、オイラちょっとトイレ!」

 カテナはそう言って、そそくさと中庭から出ていく。

カテナ「あいつら、へんなことたくらんでなきゃいーけど……」

 そのまま孤児院を出て、男二人の後を隠れながらこっそりつける。孤児院を出ていった男二人が、何かよからぬ事を話してないかなーと、盗み聞きする目的である。

 コーーン

 コーーン

 パンドラは剣の鞘で床を軽く二回叩いた。

パンドラ「ふふ、トイレに行くと言って、あの男たちを追いかけていったね」

ドルジ「一人で大丈夫ですかな」

パンドラ「坊やのことだから心配はないと思うけど。少し距離が離れすぎていて、坊やの心音までは分からないわ」

アイシャ「す、すごい! もしかして反響定位エコーロケーションですか!?」

パンドラ「へぇ、今のでそれが分かるとは、知識と観察力はさすがのものね。私は音の反響を利用して、見えないところにある物や人、そして人の心理状態を“視る”ことができるのさ」

アイシャ「コウモリみたい♪」

パンドラ「コウモリ……せめてイルカと言ってほしいわね」

 複雑な顔をしながら頭をかくパンドラであった。

クルト「わたしも行ってみる!」

 クルトはカテナのあとを追って駆けていった。

 ほどなく、孤児院の前の道でガス灯の柱に隠れて男たちを尾行するカテナを見つけた。

クルト「カテナ……!」

 クルトは、カテナを驚かせないようそっと小声でカテナに話しかけた。

 カテナは振り向き、その声の主を確認した。

カテナ「クルト……! がぅ……オイラのこーどー、バレちゃってたか。こじいんのみんながいるところでおいかけるっていったら、しんぱいさせちゃうかもっておもって……」

 苦笑いをしながら人差し指で自らの頬を掻き、小声で応えた。

カテナ「それで、えっと……どーしてここに? もしかして、オイラをよびもどしに……?」

 少しドキドキしながらクルトの返事を待った。

クルト「ううん、わたしも一緒につけてみる」

 クルトはそう言って、カテナとともにガス灯の柱の陰から男たちを注視した。

カテナ「そっか、よかった……! いまのところ、あやしーはなしやうごきはしてないけど……きをつけていこーねっ」

クルト「そだねっ……」

 クルトと共に尾行を続行する。

 男たちを尾行することしばらく。男たちは下町の外れにあるうらぶれた路地裏の一軒の店に入っていった。

クルト「“Magický Nástrojマギツキー・ナーストロイ”……魔法道具屋さんかな」

 ガラス越しの遠目でしか分からないが、なんとも胡散臭い店だ。男たちは店主らしき茶色の髭を蓄えた初老の男と話している。

 クルトとカテナに気付かれないように足音と気配を消して、後方から二人を見つめる男女がいた。

ドルジ「うーむ、なにか悪いことをしておる気分じゃのう」

パンドラ「気にしない気にしない。子どもたちの成長を見守るのも大人の役目さ♪」

 なにか楽しそうな雰囲気のパンドラが、カテナとクルトを物陰から見守っている。

 しばし、金銭のやりとりなどをしたのち、男たちは店から出てきた。

男1「それでは、明日も頼みましたよ」

 男は店主にそう言うと、店を出て、

男1「ではご機嫌よう」

男2「良い週末を」

 挨拶を交わすと、二人は別れて帰っていくようだ。

クルト「怪しいね……なんで市庁のお役人さんが魔法の店なんかに」

 クルトは怪訝そうな面持ちをしたのち、

クルト「わたしたちはどうしよ?」

 カテナに訊ねる。

カテナ「たしか、よなかにあるくにんぎょーって、まほーのちからかもってはなしだったよね……。なにかかっていったんなら、あのふたりのどっちかが、にんぎょーうごかしてるかもだよね。もしかしたら、あのみせのひとがたのまれてやってるってこともあるけど……。あのふたり、わかれてどっかいっちゃうみたいだし、まほーやはあとでいくとして、とりあえずあのふたりをてわけしておいかけてみるのはどーかな? でどころがわかれば、よなかにみはってればでかけたりするかもしれないし……。まほーやのほーがあやしーってなったらむだになっちゃうかもだけど、ねんのためね。よなかこじいんでみはっててもいーかもだけど、ハンニンがどこにかくれてるかみつけられないってこともあるかもだしさ」

クルト「たしかに、市庁の人たちか魔法屋さんか、どれかが怪しいよね……手分けして尾行してみようかな。魔法屋さんのほうは、頼もしい助っ人さんがいるみたいだし……♪」

 クルトはそう言って、振り向いてパンドラとドルジの潜んでいる曲がり角のほうを見て手を振った。

クルト「助っ人さーん!」

ドルジ「いやはや、クルトにはお見通しじゃったか……さすがじゃな」

 曲がり角の物陰から、ドルジとパンドラが姿を現した。

カテナ「じーちゃんとパンドラもきてたんだ! でもよかった、たすかったよ! いそがしくなりそーだったんだっ!」

 カテナはぱあっと明るい笑顔になって二人を招き入れた。

カテナ(……でもなんでオイラたちからかくれてたんだろ?)

パンドラ「さすがだね。私たちに気がついていながら心音はまるで変化がなかったわ。クルトちゃん、詐欺師の才能あるわよ♪」

 パンドラは妖しい笑みを浮かべながらクルトの肩を肘でつついた。

クルト「詐欺師……!」

 クルトは目を丸くしてくすりと苦笑したのち、

クルト「わたしは眼鏡の男の人(男1)を追いかけてみるから、カテナはお髭の男の人(男2)を追いかけてみて。どるじぃとパンドラさんはそこのお店を監視してて。市庁の人のおうちが分かったら、一旦ここに集合して、夜また見張りを続けるか考えてみよっ」

 クルトはてきぱきと役柄を提案した。

ドルジ「待て、子供一人では危険じゃろう。クルトとカテナは眼鏡の男、パンドラ殿は髭の男、そして魔法屋の監視には、わしと……もう一人、頼もしい賢者がおるのう」

アイシャ「……お気付きでしたか」

 さらに一本向こうの路地裏から、アイシャが現れた。

カテナ「がぅっ、アイシャまで!?…… あははっ、なーんだ! けっきょくみんなそろっちゃったね!」

 勢いで一人飛び出して来たはずだが、気づけば周りにはいつもの仲間達がいる。カテナは自分が一人ではないことを、強く感じるのであった。

カテナ(でもなんでじーちゃんたちからかくれてたんだろ?)

ドルジ「ほっほっほ。それで良ければ、尾行組は見失わぬうちに急ぐのじゃ。気をつけての」

クルト「ん! 頑張る!」

 クルトは手のひらを胸元でぐっと握ったのち、

クルト「それじゃ、行ってきます!」

 小さく手を振って駆け出した。

カテナ「がぅ! いってくるね!」

 対するカテナは大きく手を振って、クルトとともに駆け出した。


 クルト・カテナとパンドラによる男の尾行はうまくいって、それぞれ、自宅と思しき閑静な高級住宅街までやってきた。

 男は夕明かりの点る家に入っていった。家族がいるのだろう。

 しばし監視していても、特に動きは見られない。

クルト「住所は確認できたから、一旦魔法屋さんの前に戻ろっ」

 クルト・カテナとパンドラは、ドルジとアイシャの待つ魔法屋の前に戻った。

クルト「ただいま、どるじぃ、アイシャ姉。こっちは住居確認できたけど、特に不審な動きは無かったよ」

アイシャ「お帰りなさい」

 クルトは小声で報告した。

ドルジ「こちらも動きは無いのじゃが……魔法屋の店主、番台で突っ伏して寝入っとる」

アイシャ「眠気が溜まっているのかしら……夜中に起きるという怪奇現象と考え合わせると、少し不審ですね」

 遠目かつガラスの扉と窓越しで店内はよく見えないが、確かに店主は番台に突っ伏していて動かない。

クルト「一晩中見張っていたい気もするけど、明日は学芸会の本番。わたしたちも寝なきゃまずいよね……」

 クルトは少し残念そうに言った。

パンドラ「そうね、まずは明日の学芸会を成功させましょう」

 パンドラは笑顔でクルトの頭をポンと優しく叩いた。

クルト「ん?」

 いつもの優しく温かいパンドラの手。しかしクルトは違和感を覚えた。

 パンドラの手がかすかに震えていた。緊張? それとも別のなにか?

 気のせいともとれる小さくかすかな違和感を、クルトは感じた。

カテナ「ね、じーちゃん。オイラ、きょーはこじいんでねてもいーかな? もちろん、クラウスがいいっていってくれたらだけど……」

ドルジ「クラウス氏さえ良ければ、それもありじゃの」

 上目遣いで申し出るカテナに、ドルジは優しく答えた。

カテナ「よかった! じーちゃんありがとー!」

 カテナはがしっとドルジに抱きついて喜んだ。

クルト「わたしも! 精霊さんの状態が分かるし、魔術士ソーサラーの魔法も知識はあるから!」

 クルトも手を上げて名乗り出る。

ドルジ「そうじゃな。子供二人であれば、仮に外敵がおるとしても、孤児院の子と紛れて油断するやも知れん」

 ドルジも首肯した。

アイシャ「警戒も大事だけど、学芸会はもっと大事よ。気張りすぎないで、しっかり休むのよ」

クルト「んっ!」

カテナ「あゔっ! わ、わかってるよ! いってきますッッ!!」

 意識してまた出そうになった欠伸を押し殺しながら、慌てて背を向けた。


 ドルジ、パンドラ、アイシャは賢者の館に戻り、クルトとカテナは再びニコライ養護園へ行った。

クルト「そいうわけなんですが、泊めてもらってもいいですか?」

クラウス「ええ、もちろん! ありがとうございます。ノエルの部屋の床でもよろしければ……おーい、ノエル!」

ノエル「はーい! あっ、カテナくんとクルトお姉ちゃん!」

 クラウスはノエルに、二人が泊まるということだけを伝えた。

ノエル「わーい! 今夜はパジャマパーティーだねっ♪」

 ノエルは無邪気に喜んでいる。

カテナ「オイラはこのままだけど……」

 あはは……と申し訳なさそうに頭を掻いた。


ノエル「あーん、また大貧民になっちゃった~……クルトお姉ちゃんつよーい!」

クルト「えへへ♪」

リサ「クルトちゃん、なかなかに策士ね!」

 リサを交えた三人は夜更けまでゲームに興じたのち、リサは自室に戻り、クルトはノエルのベッドに仲良く添い寝して、各々眠りに就いた。

カテナ「ぐぅー…ぐー……」

 泊まりたいと名乗り出たくせに、ただでさえ睡眠不足なカテナは、床のカーペットに寝そべって、誰よりも早く即落ちしたのだった。

 

 闇夜が一層と月を輝かせる時間。賢者の館のカウンターでコーヒーを飲んでいるパンドラと、向かいに立つフランツの姿があった。

パンドラ「みんないい笑顔しているわ。この調子でいけば大成功間違いなしね」

フランツ「楽しみですなぁ」

 ガシャン!

パンドラ「!?」

フランツ「大丈夫ですかパンドラさん!?」

 パンドラは手に持っていたコーヒーカップをカウンターに落とすと、カップは二つに割れた。

パンドラ「すまない、弁償させてもらうよ」

 こぼれたコーヒーを拭きながら、割れたカップを集めた。

フランツ「いえ、そんなことよりも怪我は!? 片付けは私がするので!」

パンドラ「大丈夫、申し訳ないことをしたね。少し休ませてもらうわ」

 フランツに頭を下げると、パンドラは部屋へと戻っていった。

パンドラ「ドルジ爺に治してもらっているとはいえ、これまでの数多の戦いで体に受けた傷は完全には癒せないってことね」

 震える右手を抑えてパンドラはベッドに横たわった。

パンドラ「足手まといにはなりたくない。私の体、お願いだから本番では裏切らないでおくれよ」


 座り込むパンドラの前に三十代半ばの男が立っている。

 四肢は震え

 目はいくつかの色を失い

 舌は味を感じなくなっているだろう

 耳はまだ無事か?

 命の音がだいぶ小さくなってきているな

 お前はこれまでよくやった

 もう休んでも大丈夫だ

 おやすみ パンドラ


……………………


パンドラ「!?」

 まどろみの中、パンドラはベッドから起き上がる。

パンドラ「心配無用だよ、ホーク。私はまだ舞えるさ」

 胸に飾られたルビーのペンダントをぎゅっと握り、笑顔を見せる。

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