三、降誕祭劇大作戦
翌日。一行は懐かしい昔の馴染み、ゼバストゥス・アンスバッハが楽長を務める聖トーマス教会へ向かった。
時刻は正午前。ちょうどミサは終盤を迎えており、灰色の髪を肩まで伸ばした初老の男・ゼバストゥスの奏でるパイプオルガンと、その一人娘でブロンドの長い髪をなびかせて歌う助祭服姿の少女・アンナを筆頭とした少年少女聖歌隊の歌う聖歌が、荘厳に聖堂を満たしていた。
少女アンナは、パンドラたちの姿に気付いて一瞬はっと目を丸くしたのち、ふんわりとかすかに微笑んで、歌を続けた。
ミサが終わると、ゼバストゥスとアンナが会衆席にやってきて、パンドラたちを笑顔で出迎えた。
ゼバス「これはこれは、パンドラさん、皆さん、ようこそお越しくださいました!」
アンナ「お久しぶりですっ! またお会いできてとっても嬉しいです!」
カテナ「もういーかっ? いーんだなっ!? アンナーッッ!!」
カテナは、アンナの姿を見た時から飛び付きに行きたかったところを周りから止められてずっとうずうずしていたため、いざ解禁となった瞬間、今までの溜めを一気に解放するかのようにアンナに飛び付いた。
カテナ「ひさしぶりだねっ、アンナ! げんきだった!? まほーはいーかんじかっ!? またどっかからイヤなことされたりしてないかっ!?」
アンナ「はい……はいっ! カテナくんたちのお陰で、私、順調です!」
アンナは満面の笑顔でカテナを抱き締めて、こくこくと大きく頷いた。
パチパチパチパチ
笑顔のパンドラがゼバストゥスとアンナに拍手を送る。
パンドラ「相変わらず素晴らしい演奏と歌声ね。まるで出会ったことのない父親に抱きしめられるような温かさと力強さを感じたよ。ゼバストゥスさん、あなたはまるで“音楽の父”だわ」
ゼバス「ほっほっほ。勿体ないお言葉です! パンドラさんも、皆さんも、お元気そうで何よりです!」
ゼバストゥスも、パンドラの手を固く握って笑顔で言った。
ドルジ「時にゼバストゥス殿。今日は折り入ってお願いがあって参ったのじゃが」
ゼバス「そうですか。まぁ立ち話もなんですから、ご一緒に昼食にでも参りましょう」
ゼバストゥスの招きで、一行は教会の近くのレストランに入った。
ドルジは斯々然々、事の概要を話した。
ゼバス「なるほど、孤児院の学芸会でチャリティコンサートですか。面白そうです。私でよろしければ、ぜひご協力しましょう」
ゼバストゥスは二つ返事で快諾した。
ゼバス「では、早速その孤児院に伺ってみましょう」
一行は昼食を済ませると、勇んでニコライ養育園に向かった。
カテナ「またアンナといっしょにおんがくさい、できるんだね! へへっ、またナイショででてくるの?」
孤児院に向かう道中、以前本番にサプライズで参加したアンナをからかうカテナ。
アンナ「はうっ! は、恥ずかしいです……!」
ヴァルトベルク音楽祭でのサプライズ登場を思い出して、顔を真っ赤にして手で覆うアンナ。
アンナ「でも、カテナくんたちとまた音楽できるのは、本当に嬉しいです♪ 今度は正々堂々と歌わせていただきますよっ!」
手をぐっと握って意気込むアンナ。
そうしている間に、ニコライ養育園へと着いた。
クラウス「これはこれは……アンスバッハ先生にお越しいただけるなんて、夢のようです!」
クラウスはいつになく高揚して、ゼバストゥスを歓迎した。
ゼバス「学芸会でのチャリティコンサート、ぜひにご協力させてください」
クラウス「本当ですか!? 報酬もお支払いできる見込がありませんが……」
ゼバス「いえいえ。私もジリ貧教会の奉仕者ですので、ご事情は重々お察しします。パンドラさん方への深い恩義もありますし。無償でお力添えさせてください」
クラウス「恐縮ですが、本当にありがとうございます……!」
クラウスは感涙で目を潤わせて、ゼバストゥスに何度も頭を下げた。
ゼバス「ちょうど時期が時期ですので、母教会でも降誕祭オラトリオを練習しているところです。これをアレンジして、子供さんたちの降誕祭ページェントに仕立て上げるのはいかがでしょうか」
ノエル「すごーい! ノエルたちの劇にプロの音楽家さんがついてくれるんだ~!」
ノエルも目を輝かせて話を聞いた。
ゼバス「オルガンを失礼……リードオルガンですが、充分です。楽団の管弦楽隊も後日何人か連れてまいりましょう」
ゼバスは、ニコライ養育園の座談室の隅にあった古ぼけたオルガンに座ると、手早く調律を整えて、奏楽を弾き始めた。調子外れだった古いオルガンが、ゼバスの手によって生まれ変わったように心地よく神々しい響きを鳴らす。
アンナ「
アンナも歌い手として随分成長したようだ。優しいソプラノでオルガンに合わせて歌う。
その音色を聴いて、孤児院の子供たちが集まってきた。
ノエル「それじゃあ、降誕祭ページェントの配役を決めます! まずは肝心の聖母マリアさま役~!」
子供達・カテナ『ノエル~っ!!』
ノエルが取り仕切って黒板の前で配役を募ると、他の子供たちは一斉にそう叫んでノエルを指さした。ちゃっかりカテナも一緒になって叫んでいる。
ノエル「え? ほわぁ! ノエル!?」
笑顔でこくこくと頷く子供たち。
ノエル「わ、わかったよ……がんばるねっ!」
ノエルは目を丸くしてわたわたしたが、満場一致の賛成を見て、元気に拳を握った。
ノエル「そ、それじゃあ、夫ヨセフさま役はノエルが指名していい?」
子供達『異議な~し!』
ノエル「それじゃあ……カテナくんになってほしいな!」
ちょっと照れの混じった、しかし屈託のない笑顔で、ノエルはカテナの手を取った。
ノエル「だって、市場で助けてくれたとき、カテナくん王子さまみたいだったもん♪」
カテナ「…………………」
カテナ「…………………?」
カテナ「…………………!?」
ノエル(輝く瞳)
カテナ「えええええええええええッッ!?」
カテナ「やっ……! ちょっ……! ぅがッ……!! まっ、まって!? オイラっ! ここのこじゃないのにッ!? それにっ、おんがくとかっ、オイラよくわかんなッ!!」
急なご指名にしばし凍結したのち、狼狽してわたわたがうがうしているカテナ。
ノエル「だいじょーぶ! 歌ったり踊ったりじゃなくて、劇だけだから! ね、カテナくん、いいでしょ? やってほしいな~♪」
ノエルはカテナの両手を握って、まぶしいほどの笑顔で瞳を輝かせて迫った。
カテナ「がぅッ……」
音楽も踊りもない無人島で、父と二人きりで育ったカテナ。劇も島にはなかったよっ……! と、心の中で叫ぶしかなかった。この笑顔の前では。
カテナ「ほ、ほんとにオイラでいーの……? みんなも、そんなのダメってゆーひと、いないの……?」
一応、不満を持った子供がいないか確認するカテナ。
子供達『異議な~し!』
再び満場一致の拍手が起きた。
男児「だってカテナ、もうみんなのお友達だもん! ここの子じゃないとか関係ないよね!」
女児「関係な~い!」
カテナ「が…ぅ……ッがぁう!! わかった! ノエルだってがんばるんだもん、オイラもがんばるっ! えらんでくれてありがとっ、ノエル! よろしくね!!」
カテナは覚悟を決め、決意を伝えるかのようにノエルの手を握り返した。
ノエル「やったぁ! カテナくん、ありがとっ! よろしくね♪」
ノエルは満面の笑顔でぴょんぴょん跳びはねながら、結ばれたカテナの両手を揺さぶって喜んだ。
聖母マリア:ノエル
マリアの浄配ヨセフ:カテナ
大天使ガブリエル:アンナ
マリアの親類エリサベト:パンドラ
ベツレヘムの村人/羊飼い:孤児院の男児
荒野の天使:孤児院の女児
東方の三賢者:クルト、アイシャ、ドルジ
福音史家(語り部):アイシャ
新約聖書『ルカによる福音書』と『マタイによる福音書』を題材にした、降誕祭の物語。
ノエルたちは張り切って練習を始めた。上級生の少女たちは観劇しつつ、衣装作りに取り掛かった。
アイシャ(福音史家)「いいなづけのヨセフはマリアが身籠ったことを知り、ひそかに縁を切ろうとしましたが、天使が夢に現れて言いました」
アンナ(ガブリエル)「ヨセフよ、恐れずマリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのです」
カテナ(ヨセフ)「わ、わかっ……わかりましたッッ! ノエ……じゃなくて……ま、マリアをすてな……すてません……ッッ!!」
アイシャ(福音史家)「マリアは出かけて、親類のエリサベトに挨拶しました。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子が踊りました」
パンドラ(エリサベト)「あなたは女たちのうちより祝福を受けた方、胎内のお子さまも祝福されています。
ノエル(マリア)「♪
幼くたどたどしい歌だが、ノエルはゼバストゥスのオルガンに乗って一生懸命歌った。
アイシャ(福音史家)「ヨセフとマリアは、父祖の地ベツレヘムの村里にやってきました」
カテナ(ヨセフ)「す、すみませ~ん! やどをかして……いただけませんか~!」
男児(村人)「あいにく、満員なのです……馬小屋で良ければ使ってください」
カテナ(ヨセフ)「あ、ありがと……ございますッ!」
アイシャ(福音史家)「そこでマリアは子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせました」
……………………
クラウス「ブラーヴォ!!」
眺めていたクラウスと上級生から盛大な拍手が鳴り、演じていた子供たちからは笑顔がこぼれた。
クラウス「いや~素晴らしい! 初合わせでこれだけできるとは……さすがヴァルトベルクの名楽士です! これで本番はさらに管弦楽と衣装・舞台装置も付くのですよね。これは好評間違いありません!」
ゼバス「ほっほっほ。子供さんが頑張ったお陰ですよ。私も安心しました。この調子なら大丈夫です。最高の劇に仕上げてご覧に入れますよ」
クラウス「本当にありがとうございます! 私もふつふつと希望が湧いてきました!」
クラウスとゼバストゥスが口々に喜びを述べた。
パンドラ「観衆が一万だろうと一人であろうと、私の持てる力は全部出させてもらうよ」
ドルジ「ほっほっほ。協調性も大事ですぞパンドラ殿。我々を置いてけぼりにしてくださるなですぞ」
パンドラ「あははは! もちろんさ♪」
ドルジの背中をバシバシ叩いて笑うパンドラ。
カテナ(がぅ……クラウスはあーいってるけど……オイラだけぜんぜんダメだった! みんなすごい……! オイラ、もっともっとれんしゅーしないと……!)
カテナはギュッと拳を握っていた。クラウスとゼバストゥスが喜び合い、パンドラとドルジの笑い合う姿を見ながら、カテナは顔では笑っているものの、心では険しい表情(想い)をしていた。
そんなカテナの心を知ってか否か、ノエルが笑顔でカテナの手を取って言った。
ノエル「カテナくん、ほんとにありがとっ! ノエルうれしかった! 練習がんばろうね!」
パンドラ「いやぁーノエルちゃん! 初めてとは思えないくらいの女優っぷりだね。才能あるわよ♪ 坊やも動きのキレが音楽祭の頃よりも良いじゃないか! 二人の足を引っ張らないように私ももっと頑張らないとね」
パンドラは満面の笑みを浮かべてノエルとカテナの頭を撫でる。
ノエル「えへへ~ノエル上手だった? 上手だった?」
パンドラに頭を撫でられて、やっぱり子供、素直に嬉しい。ノエルも満面の笑みを浮かべた。
カテナ(ノエルうれしそう! パンドラになでられるとこーなっちゃうの、わかるなぁ)
カテナも初めてパンドラに頭を撫でられた時のことを思い出していた。
カテナ「がぅ! ありがと、ノエル、パンドラ! オイラ、ノエルのりっぱなジョーハイになれるよーにがんばるっ!」
ゼバス「初日でこれだけ上手に演じられるのは素晴らしいです。あとは、少しずつで構いませんので、台本を見ないでできるようになることですね」
ゼバストゥスも安堵の色と優しい笑顔を浮かべた。
アンナ「私たち楽士も、頑張らなきゃですね!」
アンナもいつになく楽しそうで張り切っている。根っからの不安性も、この一年ほどでだいぶん克服したようだ。
ゼバストゥスとパンドラたちは、練習を終えて食卓を囲み、夜に帰って行った。
クラウス「パンドラさんたちのお陰で、毎晩パーティーのようです。感謝します」
ノエル「カテナくん、また明日ね~!」
カテナ「がぅ! またあしたっ!」
ノエルとクラウスに、振り向きながら大きく手を振って帰路に着く。
皆が寝静まった頃、カテナは寝床から出て、賢者の館から離れて行った。
人気を避け、町外れの奥へとやって来る。
そして……
カテナ「えーっと……。アイシャがしゃべってるときに……たしかここらへんまであるいてきて……あーっ、あ~っ。えーと……わきゃりっ……! いきなりいえなかったよ!?」
一人で自分にツッコミを入れているカテナ。
カテナ「わ・か・り・ま・し・た。わ・か・り・ま・し・た。……よしっ。わかりました、ノエ……ルじゃないんだってばもーーぉ!!」
目を瞑り、頭を抱えながら天を仰ぐ。
夜な夜な一人、劇の練習をするカテナ。
昼間の自分の出来の悪さに痛感し、少しでも早く皆に追いつこうと必死だった。
パンドラ「ふぅ、なるほどね」
カテナの不穏な動きを心配してバレないように後をつけてきたパンドラとフランツ。
フランツ「おー! カテナくん! 夜中に練習とは感心感心♪」
パンドラは、笑顔で意気揚々と曲がり角からカテナの前に飛び出そうとするフランツの口を抑えて、角に引き戻した。
パンドラ「坊やのプライドを傷つけるんじゃないよ! 男には誰にも知られずに努力する美学ってのがあるだろ?」
フランツ「たしかに、そうですねパンドラさん」
パンドラ「さ、私たちは館に戻るわよ。心配しなくても大丈夫。カテナくんは天才よ。私がいうのだから間違いないさ」
カテナに悟られない距離を保ち、少しその様子を見た後、パンドラとフランツは賢者の館に戻った。
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