一、降誕祭市場
木組み白壁赤屋根の家が立ち並ぶ、閑静な旧市街。その一角に建つ、ひなびた一軒の喫茶店――正確には「私設魔法ギルドハウス」なのだが――その名は「賢者の館」(
その扉を、クルトは胸を高鳴らせつつ開いた。
カランカラン、と軽やかなドアベルが鳴り、温かい空気が頬を撫でる。
アイシャ「お帰りなさい」
店内の窓際の席に座り、紅茶を片手に本を読んでいた知的そうな娘――といっても、クルトよりだいぶん年上であるが――アイシャが、顔を上げて声をかける。
クルト「アイシャ姉、ただいま!――カテナとパンドラさんも来たの!」
アイシャ「えっ?」
クルトは嬉々とした笑顔を輝かせて、アイシャのもとへ駆け寄って言った。思いがけないその言葉に、驚いてがたっと席を立つアイシャ。
ドルジ「キルスクの街でばったり出会っての……一緒に戻ってきたのじゃよ」
ドルジに続いて、カテナとパンドラも店内に入ってきた。
カテナ「あーっ! アーイシャーーッ!!」
アイシャの姿を見つけるなり、カテナはすぐさま走り寄り、そのまま勢い良く飛び付いた。
カテナ「んがぅっ!?」
が、持っていた本できっちりガードされ、顔面を強打して真下へ滑り落ちてしまう。
アイシャ「まったくもう……良くも悪くも、相変わらずで何よりね」
アイシャはくすっと笑うと、両手で鼻を押さえているカテナに手を差し伸べた。
カテナ「へへっ。オイラ、ひとりでさみしくなったとき、“つき”みたよ! アイシャがいってくれたから! アイシャやみんなもみてるかもっておもったら、ほんとにげんきでてきたんだ! ありがとっ、アイシャ!」
アイシャ「どういたしまして。私も時々月を眺めて、カテナのことを思い出していたわ」
アイシャの手を取って立ち上がり、少年はにぱっとキバを見せて笑った。
パンドラ「薪とコーヒーの香り……またここに戻ってこれるとはね」
フードから見える透き通るような青色の目の女がゆっくりとフードを取ると、燃えるような紅い髪があらわになった。
フランツ「おお! パンドラさん!」
店の奥から、店主フランツ・ヴェルナー氏も現れた。
パンドラ「久しぶりね。フランツさん、アイシャちゃん。元気してたかい?」
カテナ「つかれてもどってきたわけじゃないけど、あま~いハチミツのこーちゃ、あとでいれてね!」
アイシャ「もちろん喜んで。お帰りなさい、カテナ」
アイシャはカテナの小さな体を抱きしめ、パンドラもまた二人を優しく抱きしめた。
フランツ「これはこれはまた一段とお美しくなりましたな、パンドラさん!」
パンドラ「女はワインと一緒さ。年月が経てば深みが増すのさ♪ ところでまたあのコーヒーが飲みたい気分なのだけど、ご用意いただけるかしら?」
笑顔を見せながら、パンドラはカウンターの席に座った。
フランツ「みんな、よく元気で帰ってきたね。お帰り、カテナくん、パンドラさん」
フランツ氏も、二人の様子を微笑ましげに眺めつつ、コーヒーを淹れた。
フランツ「パンドラ姐さんは、いつものアインシュペンナーですね」
トールグラスにエスプレッソとホイップクリームを二層に注ぎ、細長いマドラースプーンを付けて差し出す。
アイシャ「私も作るわ。ちょっと待ってね」
アイシャはティーポットとアップルティーの茶葉を用意して、マグカップに注ぐと、優しい香りのクローバー蜂蜜をたっぷり加えて混ぜた。
アイシャ「カテナ、どうぞ、お待たせ」
その間に、クルトにはカプチーノ、ドルジには深煎り炭火珈琲が差し出された。
フランツ「再会を祝して」
一同座談室のテーブルを囲み、コーヒーと紅茶で乾杯する。
一年前、彼らが旅立つ前の、和やかな店の空気が取り戻っていた。
パンドラ「ん~♪ この甘さと苦さのハーモニー。疲れがとれるわぁ」
アインシュペンナーを飲み干すと、パンドラは静かにグラスを置いた。
アイシャ「そうそう。ちょうど今日から、市庁前の大広場で
アイシャは自分にも注ぎ足したアップルティーを飲みつつ、ふと思い出したように言い、窓の外を見た。
アイシャ「ちょうど、雪も止んできたようね」
カテナ「がぅっ!? くいもんあるんだな!? いくゾぜったいいくゾいますぐいくゾ!!」
ガタッと席を立ち、目をキラキラ輝かせて叫ぶ。もし今しっぽが付いていたら、千切れんばかりに激しく振っていたであろう。
パンドラ「お祭りか、面白そうじゃないか。私も一緒に行こうかね」
パンドラは髪を結び、出かける準備を始めた。
アイシャ「長旅から帰ったばかりなのに、元気ね」
昔のとおり元気いっぱいなカテナの様子を見て、アイシャは安堵の色を浮かべてくすりと笑った。
アイシャ「それじゃ、楽しんで行ってらっしゃい」
見送ろうとするアイシャだが、
クルト「アイシャ姉も!」
袖をくいっと引っ張るクルト。
アイシャ「えっ、私は……」
人混みとか苦手だから――と言いかけて、そういえば一年以上ぶりなのね――と思い直し、
アイシャ「ふふ、わかったわ」
微笑んで席を立った。
広場には所狭しと屋台が立ち並び、大勢の人で賑わっていた。どれも赤・緑・金の装飾で彩られており、薄く積もった天然の雪の白がさらに彩りを添えている。
店の品揃えは様々だ。可愛らしいぬいぐるみや木のおもちゃ、もみの木やひいらぎ、松ぼっくりなどで作られたオーナメント、持ち帰り用のハムやチーズといった食材に、シュトーレンやブッシュドノエルといったホールケーキ。
そしてやはり、香ばしい煙を立てる
カテナ「がぅーっ!! すっごくいいにおいだぞ! な! な! じーちゃん! あのにくかって! あっ、あっちのケーキも!」
ぐいぐいとドルジの袖を引っぱるカテナの口からは、既に涎が垂れている。
ドルジ「ほっほ。ちょうど昼じゃし、食べつつ土産を買おうかの」
ドルジはカテナに手を引かれ、
ドルジ「持ち帰り一ポンドと、試食用を少々五人前ほど」
生ハムとシュトーレンを買い、試食用をみんなに配る。
ドルジ「
パンに挟んだ
ドルジ「やはり降誕祭といえば
ほっ、と白い息をつくドルジ。
ドルジ「む? しばし失礼」
クルト「ん?」
不意にドルジは、仮装用衣類を売っている一つの屋台に目を留め、ささっと去って行き、
ドルジ「ほっほ、待たせたの。どうじゃ、似合うかね?」
しばらくすると、赤地に白のファーで縁取られた上下服と、同じ色合いの三角帽子を身に着けて戻ってきた。
クルト「ニコライさん!」
カテナ「がうっ? なにそれ?」
嬉々とした表情のクルトと、ぽかーんとしているカテナ。
ドルジ「奇蹟者聖ニコラオス――古代アナトリアの聖人じゃ。その子、ニコラオス・オ・ネオテロスは、北方ノルゲの国に移住して、子供の守護者となったと云う」
カテナ「……なにいってるかぜんぜんわかんないよ」
頭から噴煙を上げているカテナに、アイシャが優しく説明した。
アイシャ「ニコライおじいさんは、降誕祭の夜に、トナカイの牽く空飛ぶ
カテナ「がぅ!? なんだそのじーちゃん! そんなヤツみたことないし、ねてるあいだになんかおいてってくれたことなんて、いままでいちどもないよ……! オイラ、いいこじゃないんだな……いろんなヤツたおしちゃってるからかな……」
しゅん、と悲しそうに俯くカテナ。
カテナ「もし……もしそのじーちゃんにいいこだっておもわれるよーになったら、そーだなぁ……やっぱりにくかなッ! いままでみたことないぐらいおっきくてやわらかい、とびっきりおいしーなまにく!」
一瞬見せてしまった暗い気持ちを誤魔化すように、少年はにぱっと笑いながら言った。
パンドラ「おや? 誰かと思ったけど似合っているじゃないか」
パンドラはドルジを見ながら、側にいたカテナに白ソーセージを手渡した。
ワインで温まったのか、パンドラの頬はほんのり赤みがかかっている。
カテナ「がうっ!? これもたべていーの!? がぅー! ありがとっ、パンドラ!」
差し出されたソーセージを受け取ったと思った次の瞬間には、もうカテナの口の中に放り込まれていた。
カテナ「へへっ! ニコなんとかっていうよくわかんないじーちゃんにわるいこっておもわれてたって、オイラにはにくとかケーキとかくれる、パンドラやじーちゃんがいるもんっ! だからへーきだもんねっ!」
もっきゅもっきゅと幸せそうにソーセージを食べ、カテナはご満悦であった。
アイシャ「そうね、カテナには本物のニコライさんがついているものね」
アイシャは屈託のないカテナを見てくすりと笑い、
アイシャ「今年の降誕祭には、きっとニコライさんが来てくれるわ」
カテナの髪を撫で、優しく微笑んだ。
ドルジたちが歩いていると……
少女「こんにちわ~! ニコライ養育園の学芸会で~す! よろしくお願いしま~す!」
カテナと同い年くらいの幼い少女が、赤と白の「ニコライさん」風のワンピースを着て、往来でチラシを配っている。
男「ノエル、風船を追加で持ってきておくれ」
少女「はーいパパ! よっと……」
風船の束を持ち、「ニコライさん」の衣装を着た、優しそうな風貌の中年の男が少女に声をかけると、少女は隅に溜めてある風船の束から風船をいくつか取って、男の元へと駆けてきた――が、
少女「うぷしゅ!」
少女は根雪の道で足を滑らせ、ドルジたちのそばで見事にすっ転んでしまう。
男「ノエル!?」
少女「あっ、風船が~……!」
少女の手から離れた風船は風に乗って飛ばされてゆき、一部は高い木に引っかかった。チラシもまた路地に散らばり、風に飛ばされてゆく。
転んだ痛みと飛ばされていく風船・チラシに、涙目になる少女。
クルト「迅き風の精、シルフィードさん!」
クルトが天に向かって手を挙げて詠唱すると、つむじ風のような風が巻き起こり、飛ばされた風船とチラシはその手元に舞い戻ってきた。しかし、木に引っかかった風船は取れない。
カテナ「がぅっ!」
カテナはまるで重力を無視するかのように四つ足でタタタッと木を駆け登り、風船の紐を摑むと、跳躍して宙返りをしながら少女の前に降り立った。
カテナ「はいっ、どーぞ!」
ニカっと笑って風船を差し出した。
少女「えうっ、あ、あり……がと……!」
クルトの魔法とカテナの華麗な身のこなしに驚いて、倒れたまま顔を上げて涙目をぱちくりさせる少女。
パンドラ「お嬢ちゃん、大丈夫かい? 少し怪我をしてるね。ドルジ翁」
ドルジ「はいな」
パンドラは少女を抱き起こし、ドルジに声をかける。ドルジが手をかざすと、少女のおでこと膝小僧の擦り傷は綺麗に癒された。
少女「わぁぁ、痛くない……!」
男「ありがとうございます。本当に、助かりました」
クルトからチラシと風船を受け取り、何度も頭を下げてお礼する男。丸眼鏡をかけて無精ひげが生え、少し気弱そうな、よく云えば物腰穏やかな男である。
男「お礼と言っては何なのですが……よろしければ、今晩食事にでもいらしてくださいませんか? 大したものはご馳走できませんが……」
男は、懐から名刺を取り出してパンドラに渡し、少し恐縮そうに腰を低くして名乗った。
男「申し遅れました。ニコライ養育園という孤児院の園長をしております、クラウス・ニールセンと申します。この子は娘の……」
少女「ノエルです! えへへっ♪」
少女も、元気を取り戻してぺこりとお辞儀した。
パンドラ(孤児院か、昔を思い出すねぇ)
パンドラはふと感慨に浸ったのち、
パンドラ「私の名前はパンドラ。ディナーへの招待感謝しますわクラウスさん、ノエルちゃん。私は構いませんが、ドルジ翁たちはどうするかい?」
ドルジ「わしももちろん、喜んで。カテナ、クルト、アイシャ、どうじゃね?」
振り向いて訊ねるドルジ。
クルト「ん!」
こくこくと頷くクルト。
アイシャ「なんだか却って悪いような気もしますが……折角ですので、それではお言葉に甘えて……」
アイシャも少し遠慮がちながら、首を縦に振った。
カテナ「がぅっ……」
知らない大人の家に行くなんて嫌だ!……なんて言える雰囲気ではなくなってしまい、言葉に詰まる。
カテナ「がうぅ……み、みんながそーいうなら……」
気は進まないが、上目遣いになって、こくんと頷いた。
ノエル「えへへっ、うれしい! 今日はみんなでごはんだ~!」
カテナの事情など全く知らない少女は、きゃっきゃと喜んでいる。
パンドラ「ただ招かれるってのもなんだから、私たちも美味しい食べ物やプレゼントを買って孤児院の子供たちと一緒にパーティを楽しもうじゃないか! ねっ、カテナくん♪ 同じ年頃のお友達いっぱいできるかもよ」
カテナ「と、ともだち! いっぱい!? がう! オイラいくぞ!」
友達と聞いて顔が明るくなる。
カテナ「オイラ、カテナ! よろしくねノエル! さっきおしえてもらったケーキのなまえといっしょだ!」
ブッシュドノエルケーキを思い出しつつ、挨拶がわりに頬をぺろっと舐めた。
ノエル「カテナくんね! あと、クルト、お姉ちゃん? おゆはん食べたらいっぱい遊ぼうね~!」
少女は屈託のないまぶしいほどの笑顔を二人に向ける。
ドルジ「そうじゃ、パンドラ殿。折角じゃし、“あれ”も用意して行こうかの♪」
ドルジは小声でパンドラに向かってリュートを弾くジェスチャーをする。
パンドラはドルジのジェスチャーを見てニコッと笑顔になる。
パンドラ「もちろん♪ 子供の笑顔は楽士冥利に尽きるってもんさ」
ドルジ「ではクラウス殿、一旦戻って支度をして向かいますでの」
クラウス「はい、お待ちしております」
ノエル「またね~!」
ドルジたちは別れて賢者の館に戻っていった。
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