触れた空は硬かった

 掃き出し窓の取っ手が動かず、鍵が掛かっているのかと錠へと手を伸ばしかけたところで、急にテレビの電源が入ったような音がして総一は背後を振り返った。


 スチールラックに収めてある、中古で買った二十インチの液晶テレビの画面が点いている。リモコンでも踏んだかと思ったが足元には何もない。真っ昼間から怪奇現象でもあるまい。多少の不具合は中古ということで説明がつく。


 電源を消そうとテレビへ近づきながら、画面に流れる映像へと目をやった。ドラマのワンシーンだろうか。目出し帽を被った全身黒ずくめの二人が、病院の通路のような場所を走っている姿が映っている。二人の手にはサブマシンガンらしき銃が握られているのも見える。


 こんな海外ドラマのような本格的な番組が昼間から流されているとは知らなかった。もともとテレビをあまり観ないせいで詳しくはないのだが。


 思わず映像に見入っていると、ある部屋に侵入した二人組が全身を炎に包まれて暴れ狂う様子が映り、やがて動かなくなると場面が変わって黒いスーツを着た四人の男性が画面に登場した。先頭に立つ男性の顔つきは凶悪で、ヤクザやギャングの幹部といった感じだ。


 集団はどこかの部屋へと入り、なかにいた派手な色の長い髪を縦に巻いた全身タトゥーだらけの女子を壁際へと追い詰め、暴れる彼女の手足を四人で担ぐとドアから出ていってしまった。ふと音声がないことに気づく。ミュートにしていたかと調べたが違う。この場合、映像に音声がついていないと考えるのではなく、テレビの故障を疑うのが筋か。


 どういったストーリーなのだろう、と総一は想像する。政治家か何かの娘を拉致しようとしたテロリストが、彼女が軟禁されている病院だか特別施設だかに侵入して失敗。しかし、完全に脅威が去ったわけではないと判断した家の者が、嫌がるお嬢様をより安全な場所へと無理やり連れていった、といったところか。


 すると、銃を持った黒服の二人組が再び画面に現れた。先ほど焼け死んだのではなかったかと思ったが、彼らは目出し帽を被っていない。最前の二人とは別人のようだ。そういえば、さっきから誰一人として知った俳優が映らないのは、昼間の番組のせいだろうか。それとも、ニュースかワイドショーの再現ドラマなのか。


 続いて、二人の男性は重厚そうな両開きの扉の前で何事かを行い、彼らがフレームアウトすると数秒のうちに大きな爆煙が画面いっぱいに広がった。何かが爆発したのだろうが、音がないせいで迫力もその威力もいまいち伝わってこない。


 煙幕が晴れたあとに現れた人物を見た途端、総一は何者かに喉元を鷲掴みにされて引っ張られたかのように前のめりとなり、スチールラックのポールに取りつくと腰の高さにあるテレビの画面へ顔面をぐいと近づけた。


 あのおかめ面だ。


 いや、そんなはずはない。ドラマの小道具だ。それが偶然おかめの面だっただけのこと。と考えた総一は、おかめ面の右側後方に立つ禿げた小柄な老人を目にし、それが瀧田川出版の入り口で自分を出迎えた人物と同一であることに気がついた。


「これ、え? なん」


 総一が漏らしかけた疑問は、画面内で始まった黒服の二人組による、おかめ面と老人へ向けた機銃掃射によって遮られた。次々と被弾しては肉片を飛び散らせつつ、奇妙なダンスのように身体をくねらせていたおかめ面たちが、銃撃がやんだと同時に床へと倒れ込んだ。


 この映像は一体何なのだ。参加者の誰かが彼らに復讐を果たし、その映像をわざわざ総一の部屋へ届けてくれただけでなく、こちらが目覚めるのに合わせて再生されるようにセットまでしていってくれたのか。だとしたら何のために? 意味がわからない。ともに苦しんだ恨みを連中の惨殺映像を観て晴らしてくれとでもいうのか。


 こうして自宅へ帰ってこられたのだから、そんなことはもうどうだっていいのだ、と総一はテレビを消すと、掃き出し窓のところへ戻って鍵を開け引き戸を右へとスライドさせた。


 冬前の乾いた冷たい空気が吹き込んでくるものと思っていた総一は、窓を開くや否やその異常さに気がついて動きを止めた。


 一切の音がしていないし、部屋の匂いも変だ。


 自然と呼吸が荒くなってきたのが自分でもわかる。その荒くなった己の湿った生温なまぬるい息が、ベランダへの窓が開いているにも関わらず、呼吸音とともに顔へと跳ね返ってきているのはなぜだ。


 震える右手をゆっくりと持ち上げ、窓の外へと突き出そうとした総一は、窓枠のサッシから数センチメートルも出さぬ前に、壁らしき硬質なものにブチ当たって目を見開いた。眼前のに左手でも触れてみる。


 これは、何だ。


 夢でないことはすでに確認した。では、何だというのか。外が消えた。いや、正確には自室から見える外の景色が、写真なのか絵なのかは知らないがリアルなパネルに置き換わった、だ。とても外せるような感じではなく、尋常ではない厚みでもあるのか、本物の壁を思わせる質感がある。


 ともかく、外の空気が吸いたい一心で玄関へと向かった総一は、靴も履かずに土間へと降りるなり、一刻も早く水中へと戻ろうとする魚のような慌てぶりで必死に重い扉を押し開けた。


「なん」


 出かかった言葉が詰まってくちびるを閉じ、喉に渇きを覚えて唾を飲み込む。玄関ドアを開けて見える景色は雑木林でなければならなかった。だが、雑木林なんてものはないし、それ以前に外ですらない。ここはどこなのだ。


 目の前の空間は白一色に染まった正三角柱のような天井の高い形になっており、ハの字型に向かい合った他の二辺の壁には、それぞれドアが一つずつ付いているのが見える。形のせいで広さがうまく把握できないが、ドアの幅を目安にすると、空間の一辺は六、七メートルほど。どちらかのドアが外へと続いているのだろうか。


 恐る恐る三角空間に足を踏み出すと、正面右側にある白いドアがこちらへ向かって開かれつつあるのが目に入った。総一が身構える暇もなく、栗色の髪をボブカットにした女性が、こわごわといった様子でドアの向こう側から顔を覗かせた。


 目が合うなり、女性が「あっ」と声を漏らしたのが聴こえ、総一が「あの」と話し掛けようとしたところで今度は正面左のドアが開き、ピンク色の長い髪を縦巻きにした全身タトゥーだらけの女性が姿を現した。


 こんな派手な見た目の知り合いはいないはずなのに、どこかしら既視感がある、と眉間に皺を寄せた総一は、それがさっき流れていたテレビドラマのなかで四人の男に拉致された女性だということに気がついた。


 総一が口を開こうとするよりも早く、タトゥー女子が目を見開いて「あんたたち」と声を発した直後、「正午になりました。お集まりの皆さん、ご機嫌いかがですか?」という聞き覚えのある忌々しい機械音声が空間に響き渡った。


 まさか、と口にしかけた総一の言葉は、「クソッタレがッ! 出てこい、クソおかめッ!」と怒鳴り声を上げたタトゥー女子に圧倒され、そのまま音にならずに頭のなかだけに響いて消えた。


「え? わたくしたちは大丈夫なのかと? これはこれは! 動画を観て心配してくださったんですねッ! なんとお優しい方たちに集まっていただけたことでしょう! 大丈夫、問題ありません! わたくしも執事もピンピンしておりますッ!」


 もうどこにも疑う余地はない。


「そろそろ本題の説明に入りたいと思います!」


 説明などしなくていい。聴きたくもない。


「さて今回、皆さんには初対面なだけでなく、得意なジャンルもバラバラの三人で一組のチームとなってもらいまして、全員で力を合わせて渾身の一作を書き上げていただきます! ジャンルは不問! どうです? ワクワクするでしょう! え、なぜ三人なのかと? ほら、三人寄れば文殊の知恵と言うではあーりませんかッ!」


 望みが叶っていない。これでは話が違うじゃないか。


「参加するのは合計九チーム、総勢二十七名のウェブ小説家の皆さんですッ!」


「えッ⁉︎」と総一が声を上げると、女性二人も個別に異議のを含んだ声を発し、さらにタトゥー女子のほうは「そういうことかよ」と苦々しげに呟いていた。何か思い当たるふしがあるのかもしれない。


 おかめ面の言う不正とは何だ。友人に金を払って小説サイトに自作のレビューを書いてもらったことだろうか。奴の言うことが本当だとすると、これまでに死んだ参加者たちも皆、何かしらの不正を行ったがために召集されたのだと考えられる。


「それから、今回の制限時間はより難易度を高めるためにも、リミットの二時間前に発表する形式とさせていただきます! つまり、タイムリミットが発表されたあと、皆さんが創作に使えるのは二時間だけという意味です! おわかりですね?」


 今ここで会ったばかりの見知らぬ三人で協力し、普通に合作を書き上げるだけでも十分に難しいというのに、制限時間もわからないままおかめ面の認める渾身の一作を仕上げるなど無理に決まっている。


「それではウェブ小説家の皆さん、想像力をフルに活用し、文字通り死ぬまで存分に競い合ってくださいッ!」


 栗色ボブカットがくずおれるように床へと膝をついて項垂うなだれ、タトゥー女子は狂犬のように食いしばった歯を剥き出しにして天井の一角を睨んでいる。対照的な二人の様子は格闘ゲームの決着後に流れる勝者と敗者の姿を総一に想起させた。


「これよりしばらくのあいだ、仮眠を取らせていただくわたくし瀧田川に代わりまして、多似町がショーの進行役を務めさせていただきます」


 ガサついた声質のどうでもいいアナウンスを聴きながら、総一は自室とそっくりに作られた背後の空間を振り返り、もうアパートのあの部屋には帰れないのかもしれないと、冷蔵庫をぼんやりと眺めては残してきた消費期限の近い食材のことを思い出していた。




                               了

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