あれは体験するものじゃなく書くものだ
白い小部屋に心臓の鼓動が鳴り響く。目視できないが、各所にスピーカーが内蔵されているらしい。壁の一面を覆う、大きなモニターの黒い画面に、『生か死か!』という白い文字が浮かび上がる。
鼓動に何者かの荒い呼吸音が重なり、モニターに『すべては腕次第!』という文字が現れた。鼓動と呼吸音とが、徐々に速さと激しさを増していくなか、そこへアスファルトを早足で歩くような硬い靴音が加わり、不安を煽り立てるようなチェロの音まで鳴りだした。
やがて、安っぽいサスペンスドラマで耳にしそうな「キャー!」という女性の叫び声とともに音が消え、『ぷりんちゃん/童話』という文字がモニターに浮かんだ。
画面が暗くなり、サスペンス調から一転してポップな音楽へと変わり、ぷりんちゃんのウェブ小説家としての経歴がモニターに流れてきたところで、俺は一体何を観せられているのだ、と
自作を『書籍化するにあたり相談したい』という話で来てみれば、この殺風景な白い部屋に通され、馬鹿げた動画を観せられただけで、茶のひとつすら出てこないし、ドアが開かないので用を足しにも行けない。それでまた違う動画を観ろという。担当の編集者は挨拶にも来ないのか、と良昭は相手の自分を見下したような待遇に腹が立っていた。
モニターをぼうっと眺めていた良昭は、『本名
良昭は「みちるッ! みちるーッ!」とモニターへ向かって叫び、おかめが見ているであろうカメラを探して視線を周囲に巡らせ、小さなレンズを見つけて「オイッ、みちるに何しやがったッ!」と、もともと吊り目気味の目尻をさらに吊り上げて怒鳴った。
妻が姿を消したのは三週間ほど前。とはいえ、正確なことはわからない。同居はしているが、それぞれが持つ仕事のせいで生活時間が異なるし、取材などで数日帰らないこともざらだったため、彼女がいなくなったことに気づかなかった。
おかしいと思ったのは、ウェブ上で童話作家として連載していた妻の作品が、三日以上も更新されなかったからだ。それで少し心配になり、彼女の携帯へ何度も連絡を入れたのだが、いくら電話をかけようがメールを送ろうが繋がらない。妻の職場へ連絡すると、「辞めた」という素っ気ない言葉を返されただけだった。
近所の交番にも行って話した。妻が帰らない。何らかの事故に遭ったか、もしくは事件か犯罪に巻き込まれたのかもしれない。心配だから彼女の行方を捜索してほしい、と。
ところが、信じがたいことに警官は「よくある事件ですが、奥さんのご実家へ電話すれば解決しますよ」などと言って笑っただけで、良昭の話をまともに取り合ってはくれなかった。それどころか「ところであなた、ご職業は何をなさっているんですか?」と職務質問まがいのことを始めたので、腹立たしくなって結局、妻の捜索願いは出さずに家へと帰った。
モニターにはダイジェストのように、みちるの姿を様々な角度から捉えた映像や、彼女が書いたのであろう作品の画像などが、フラッシュバックや透過などの無駄に凝った編集で次々と流れてきている。聴こえないとはわかっていても、久しぶりに目にした妻の姿が愛おしく思え、良昭は「みちるーッ! みちるーッ!」と彼女の名を呼ばずにはいられなかった。
突如として映像が乱れ、妻の顔が霧散し、良昭が「みち」と言葉を切る。画面内で茶色いヘドロ状の物体が湧き上がり、少しずつ色が薄まるのと同時に、直線的な形へと変わってゆく。
ヘドロが白いロボットアームへと変態し、各部位が順にクローズアップされて画面に映る。これでみちるを殴ろうってのか? やってみろ。そんなことをしたら、ただじゃおかない、と怒りが込み上げてきた良昭は、錆びたシュレッダーのようなものが画面いっぱいに映り、それが何か不吉なことの暗喩のように思えて唾を飲み込んだ。
「いやああぁぁ!」
叫び声とともに、恐怖に引き
「やめろッ!」
良昭は怒りに震えながら、「今すぐやめさせろッ! みちるが何したって言うんだ!」と叫び、「どっかで聞いてんだろ、この面野郎!」とモニター脇の壁を思いきり叩いた。
「やめ、やめ」
動画に首を振って懇願するみちるの顔と、甲高い唸りを上げて回転するブレードの映像がズームしつつ、フラッシュのようにオーバーラップをはじめる。
「ごめッ!」という言葉を最後に、みちるは良昭が聴いたこともない太い声で悲鳴を上げつつ、電気ショックでも食らったかのように全身を小刻みに震わせていた。
「やめろーッ! あ”あ”あ”ぁ! みちるの手がぁぁ!」
モニターではロボットアームの先端がアップになり、蜂の巣のように整然と並んだ多くの穴から、骨ごとミンチにされたみちるの指がひり出てきては、まるで動物が立ったまま排泄しているかのような音とともに、重力に従って床へ落下する様子が映し出されている。
何なのだ、これは。作り物やCGと呼ぶには、あまりにも生々しい。今やソフトや技術の向上にともない、個人で創れるものの全体的なクオリティーも格段に上がった。プロ顔負けの作品に仕上げる素人も少なくない。
しかし、もしこれがフェイクだとすると、みちるが連中に協力して演技をする意味がわからない。かといって、これが本物だと言われても、何か釈然としない気がする。落ち着け。同姓同名の、他人の空似だったかもしれないじゃないか。
自分が見たのは右手がミンチになった妻の映像であって、右手がミンチになった妻自身ではない、などという屁理屈のような解釈で、良昭はどうにか精神の均衡を保とうと試みた。
みちるの映像が消え、「動画はお楽しみいただけましたでしょうか?」という
「テメェ!」と良昭がモニターのおかめに迫る。「何ですって? 楽しめなかった?」
「ご安心くださいませ。あれは余興と呼ぶのもおこがましい。いわば、わたくしどものショーを知っていただくためのサンプル、実験体、
「ふざけるな!」と良昭が叫ぶ。サンプルや実験などという理由で、作家の生命ともいえる利き手を潰されてたまるか。みちるはどうなった。なぜあんな目に遭わされなければならなかったのだ。
「それでは皆様にショーを楽しんでいただくためにも、いくつか補足の説明をすることにいたしましょう」
おかめがさっきからショーがどうとか言っているが、また別な動画でも流すのだろうか。意味がわからない。これは明らかに書籍化の話ではない。さっき流れたルールを守れとかいう動画と、そのショーとやらが関連があるようなことを言っていた気もする。
そうだ。それに、妻の手をミンチにした動画を、ショーのためのサンプルなどと
「八人のウェブ小説家の方々でございます!」
良昭は聴こえてきた耳障りな機械音声の言葉に反応し、意識をモニターへと戻した。「あなたたちへの要求はただひとつ!」と音声が途切れ、一呼吸置いて「それぞれの得意とするジャンルで、未だかつて誰も読んだことのない、面白い物語を書いていただきたい!」という機械音声が部屋に響いた。
軟禁状態、ルール、ショー、八人のウェブ小説家、右手をミンチにされた妻。それから今、おかめが言った『面白い物語を書け』というもの。これらが結びつくとどうなる。と、口元に左手を当て、鬼の形相でおかめを睨んでいた良昭は、面の背後にある数字が減っていっているのに気づいた。
これではまるで、ウェブ小説でよくあるデスゲームのようではないか。「冗談じゃねぇぞ」と、良昭は己が導きだした答えに対し、声に出して自ら異を唱えた。あれは体験するものじゃなく書くものだ。
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