隠されている部分というものは唆られる
両手で頭を抱えた
「本当に大丈夫なの? 騙されてるのと違う?」と、心配そうな顔で見送ってくれた母の顔を思い出す。
「だーいじょうぶに決まってんじゃん。出版社のこと、ちゃんとネットで調べたし」と夏子は笑顔で返し、「お母さん、心配しすぎだって。ヤクザの事務所に殴り込みにいくわけじゃあるまいし」と呆れたように言って母を揶揄した。
「いやでも、ほら、あんた。見た目が派手だから、勘違いされたとか」
母の言う派手とは、シャンパンピンクに染めたゆる巻きの長い髪のことだけじゃなく、顔面の各所につけたピアスや身体に埋めたスタッドやシリコン、太腿や二の腕にまで入った数多くのタトゥーなどのことである。二十歳で大学を辞め、彫り師になってからの五年でいろいろ増えた。
「向こうは私の見た目なんて知らないよ。知ってるのは文章だけだって。じゃあ、飛行機に遅れるから、もう行くね」
振り切るように出てきてしまったが、あの引き止めるような母の態度は、単にいつもの心配性を発揮したということだけではなく、彼女なりに不吉な何かを感じ取っていたのかもしれない。
さっき部屋に流れた女性の悲鳴が耳にこびりついている。動画は途中から観ていない。モニターをチラ見したときに映っていたのは、震える女性とロボットアームが、ひと繋がりになっている引きの画だった。
だから、彼女の身に何が起きたのか、具体的にはわからない。が、モニターから顔を背ける直前に見た、あのシュレッダーのような機械から察するに、おそらく彼女の身体の部位のどこかが、ネットに落ちているグロ動画のような状態になったのだろう、と夏子は想像する。
ボディーピアスにタトゥー、それからインプラントと、そこそこの身体改造をしている夏子も、さすがにアンピュテーションまでしたいとは思わない。傷を負うのは構わないが、失うのはイヤだ。
「え? さっきの動画はなんだったのかって? おっと、これは失敬! わたくしとしたことが、大事なことを伝えるのを失念しておりました」
わざとらしい、鼻につく芝居がかった言い方だ。言われなくても大体わかる。見せしめ。つまりは、小説を書かせる強制力だ。
「何よりショーには、ハラハラドキドキするようなスリルが必要不可欠! それは何も視聴者の皆様にとってのことだけではございません。参加していただく小説家の皆さんにも、われわれと同等の熱量を、いや、それ以上の情熱を持って、最高傑作の創作に挑んでいただきたいのです!」
まるで古い映画に出てきそうな、サーカスや見世物小屋を率いる、胡散臭い興行師の演説のようである。それにそれは、こっちからしてみればスリルなんてものではなく、ただのリスクでしかない。
「先ほども申し上げました通り、ルールはシンプルかつフェアーな、たったの四つ!」
時間厳守、不正禁止、他言無用、そしてこれらのルールを破らないことの四つだ、と夏子は小部屋に通されるなり、わけもわからず観せられた動画を思い返す。
「なのですが、それとは別に『隠しルール』を設けさせていただきました。隠されている部分というものは、
隠してあるはずのルールが存在するなどと、わざわざ言う意図は限られる。あとから卑怯だと追及されるのを避けるため、それからショーに参加させられる者たちの恐怖を煽るためだろう。つまりこいつは地雷を埋めた、と宣言しているのだ。
「それから、ルールに従わなかったり、不運にも隠しルールに抵触してしまった場合ですが、その方には違反内容と程度に応じ、先ほど動画に映っていた女性のように、ただちに刑罰を受けていただくこととなりますので、くれぐれもご注意願います」
異常だ。ルールを破っただけで、あの動画の女性は身体を傷つけられたのか。モニターではおかめ面が「どうです? ハラハラドキドキしませんか?」などと言っている。サイコパスめ。警察へ通報してやる、とスマホへ手を伸ばしかけたところで、夏子はふと『他言無用』という言葉を思い浮かべて動きを止めた。
「あぁ、最も重要なことを忘れていました!」と、おかめの面が演技なのか本気なのかわからない調子で言う。
失念しただ忘れただと、政治家並みの記憶力しかないようだが、面の下は老人かと夏子は
「お近づきのしるしとして、各小説家の皆さんに、わたくしから素敵な執筆名を差し上げましょう!」おかめ面がそう言うと、夏子のモニターに『
ミステリーは得意でよく書くジャンルだ。でも、ミステリーで最高傑作を書けというのは、「遂行不可能な任務で殉ぜよ」と命じられているのと変わらないではないか。そんなものを書ける人間はいない。あらゆるミステリーを読ませてディープラーニングさせたAIでもない限り無理だ。
「配信をご覧になっている視聴者の皆様方には参加者が得意とするジャンルのみを、小説家の皆さんには
ということは、同ジャンルでの競合はいないことになる。ではそれならば、書かれた作品が最高傑作か否か、何を基準に、誰がどうやって判定を下すのか。まさか、書籍化作家が過去に生み出した、誰もが知るような名作を引き合いに出すとは考えにくい。それにしたって優劣はつけられないだろう。
「なお、視聴者の皆様方に参加者の執筆名を伏せさせていただくのは、小説家の皆さんが獲得するポイントに大きく関わってくることですので、ご理解のほどよろしくお願いいたします」
自分以外に七人のウェブ小説家が、このクソッタレなショーに参加させられているということだけで、他の参加者の情報は何も教えてくれないのか。
「小説家の皆さんには、このショーに参加していただいているあいだ、作品を発表する際には、必ず、そちらの名前をお使いいただきますよう。よろしいですね?」
なぜだ、と夏子は疑問に思ったものの、ポイントに関わるという言葉で
普段の執筆名を使ってしまうと、それが多くの読者を抱える有名なウェブ小説家であった場合、作品の評価ではなく作者でポイントが集まってしまうためだろう。明言してはいないが、隠しルールの一つなのかもしれない。それとも不正の一端になるのか。そもそも、ポイントとは何だ。説明はされていない。
「そうそう! すでにお察しかとは思われますが、最初の判定が行われるのは」とおかめ面が斜めに傾き、「こちらのタイマーがゼロとなる、およそ、二十三時間五十分後でございます」という機械音声が部屋に響く。
こんなイカレポンチになど付き合っていられるか。
「さて、最後に作品の判定方法ですが、それは、あえて伏せさせていただきます!」
制限時間があるのに、書かないなどという子供じみた理屈が通るとは思えない。それに隠しルールがある。となると、どのみち、作品を書かねば無事でいるのは難しいだろう。
「それでは、魂が震えるような素晴らしい作品を、小説家の皆さんが生み出さんことを祈って!
なぜ英語で言うのだ。参加者に外国人でもいるのか。キザったらしい、と夏子は心が
おかめ面が消えると、デジタル表示のカウンターが上昇をはじめ、どういう仕組みになっているのか、それはそのまま画面外へと這い出していき、天井とモニターのあいだあたりの壁に留まった。画面内にはセンスのない執筆名だけが鎮座している。
どうやって作品を書けばいいのか。いつも使っているノートパソコンはホテルにある。誰かを呼ぼうにも、部屋にインターホンのようなものは見当たらない。
夏子はオフィスチェアから立ち上がり、壁と天井の繋ぎ目あたりを見ながら「ちょっとー! パソコンないと書けないんだけどー!」と叫んだ。反応はない。
まさか『はじめから持ち込んでいないと使えない』なんて隠しルールはないでしょうね、と夏子が考えていると、モニター下の壁からトレース台のようなものが手前に向かってせり出してきた。台の上面が反転してキーボードが現れる。
こんなもんに金をかけるような奴はロクな人間じゃない、と夏子は盛大に溜め息をつき、正面の壁の上部にあるデジタル表示を一瞥する。「マジ、ふざけんなし」と呟きながら台の前へと近づいていくと、突如けたたましいブザー音が部屋に鳴り響いた。次から次へと、まったく落ち着かない部屋だ。
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