理の外側②

 シロンは幾度となく立ち向かった。

 しかし、斬りつけても斬りつけても、オーガの肉体はすぐに再生してしまう。

 魔法剣も試してみたが結果は同じだった。

 そもそもの短剣の攻撃力が低すぎたのか。こんなことならランドルフからもっと破壊力のある武器をもらっておくべきだった。

 物理攻撃がダメならもう一つの手である魔法があるが、やはり外したときの被害を考えて撃てずにいた。


(どうすれば……?)


 オーガの肩口を斬りつけ、距離を取ったシロンは、深呼吸をして心を落ち着ける。

 やはり、オーガの傷はみるみる塞がっていく。

 オーガもオーガでシロンの攻撃は脅威ではないと判断したらしいが、いかんせん、攻撃が当たらないので、苛立ちを露わにしている。


(なにか良い手を考えないと)


 ここで倒しきらなければ被害は拡大するだろう。

 そのうち衛兵や王立騎士団などが駆けつけるはずだ。

 有史以来、魔物の存在が確認されていない王国で育ったのである。とても対処できるとは思えない。


(僕がなんとかしなくちゃいけないのに!)


 オーガの拳をいなし、反撃を繰り出すが、これまでと同じ結果に焦燥感を募らせる。


(こうなったら!)


 絶対に外さない間合い、ゼロ距離からの高威力魔法ならどうか。

 シロンは短剣に魔力を込めながら、オーガへと向かう。


 しかし、接近することはできなかった。

 シロンが懐に潜り込もうとする直前で、どこからともなく飛来した一本の矢が、オーガの左胸に深々と突き刺さった。

 オーガは苦しみだした。絶叫し、膝をついてうずくまる。


 一体、誰がやったのか?

 

「オーガごときに手こずるようでは、まだまだと言わざるを得ないな」


 背後から話しかけられた。

 まったく気配を感じられなかったシロンは、背筋を凍らせながら、振り返る。


 そこには一人の男が立っていた。

 長い金髪を後ろに流した長身痩躯の男で、手には一目で業物とわかる弓が握られている。

 顔立ちは整っており、その長い耳が嫌でも目を惹く。


「エ、エ……っ!?」

「エルフを見るのは初めてか? まぁ、我らは人族お前たちほど積極的に他者と交わろうとはしないが……」


 お目にかかれなかった亜人の代表格である生エルフにシロンは興奮する。


 そんなシロンの心境を察してか、エルフは苦笑した。

 そしてオーガに目を向ける。


 苦しんでいたオーガの動きが止まり、地面に伏した。

 同時に、体が崩れていく。風に吹かれてサラサラと消えていく灰のように。


「魔物は倒されれば死体も残らん。たとえ元は人だとしてもな」

「え? あのオーガって……!?」

「そうだ。人であったモノだ」


 エルフが右手を伸ばすと、何か小さなモノが吸い寄せられ、手のひらに収まる。


魔降ろしの紋イービル・サークルと呼ばれている。手にした者の後ろ暗い心につけ込み、魔を受肉させる。の、手駒を増やすときの常套手段だ」


 血に染まった羊皮紙の切れ端には、確かに怪しげな魔法陣のようなモノが描かれていた。


「被害が出る前に始末する手筈であったが、すまない。一足遅かった」

「い、いえ……」


 風魔法かなにかで切れ端を粉々にしたエルフが頭を下げてくるので、シロンは困惑する。

 謝るなら被害に遭った者たちへするべきだろう。


「だが、案ずるな。この程度であれば、どうにかなる。死者は……いないな。よし」


 エルフは辺りを見渡して安堵したかのように頷いた。


「おい、イーリス。いるんだろう?」

「はーい!」


 おもむろに呼びかけたエルフに応じ、もう一人のエルフが現われる。

 女性だ。

 長い金髪と顔立ちがエルフの男に似ている。

 スタイルも良く、身に纏うローブ越しでもうかがえるほどだ。


「魔降ろしの紋の持ち主は、ちゃんと仕留めたんだろうな?」

「もちろんよ。私を誰だと思ってるの?」

「その割には時間がかかったようだが?」

「そ、それは、あれよ! そ、そう! 逃げ足が速かったの!」

「本当か? ところで、口の端に食べカスが付いているが、それはなんだ?」

「えっ!? こ、これは、ち、ちがうのっ!! 美味しそうなにおいがするなと思って、買い食いしたわけじゃないからっ!!」


 イーリスは口をごしごしと拭う。

 ドモるところなどはレイラに似ているが、彼女よりも抜けているようだ。

 とても綺麗なのにドジッ娘か。ちょっと残念……いや、これはこれで需要があるかもしれない。

 心躍るはずの女性エルフをシロンは冷静に分析してしまった。


「あー! あなたがシロンね?」

「え? あ、はい……」


 視線に気づいたイーリスは、素早く近寄って、まじまじとシロンを見る。 


「ふーん、エリルに聞いていたよりも幼いのね」

「っ!? 母さんを知っているんですかっ!?」

「え? あ、あははは……」


 笑って誤魔化そうとするイーリスへ、エルフの男が拳骨を落とす。


「いったーい! なにするの、お兄ちゃん!」

「余計なことを言うからだ」

「でも、生シロンだよっ!? あの二人がデレッデレになって自慢してくるんだよっ!? そんなの目の前にしたら、口が滑っちゃうことだってあるでしょっ!?」

「お前の口の軽さをあの二人の所為にするな」

「いったーっ! 二度もぶつことないでしょっ!?」

「口で言ってもわからんお前が悪い」

「わかってるってばっ!! だいたいお兄ちゃんこそ、昨日は、シロンに会えるかもしれないってソワソワしてたじゃないのっ!! 明日の祭を楽しみにして眠れない子どもかって私は思ったよ、あいったーっ!?」


 三度拳骨を落とされたイーリスが頭を押さえるのに目もくれず、エルフの男がシロンの肩をがしっと掴む。


「いいか? あのバカが言ったことは忘れるんだ!」

「は、はい……」


 どうやら両親を知っているらしく、色々と聞きたかったシロンであったが、彼の必死さを前に口をつぐんだ。


 頷くシロンに安心したエルフの男は、辺りに目をやる。


面倒な者たち騎士団が来る前に、元に戻すぞ。イーリス」

「はいはい。あ、シロン、そこ危ないから、私の横に来て」

「え? あ、はい」


 言われるがままシロンはイーリスの傍まで行く。

 ちょうど二人の間に挟まれる形となった。


「準備は良いか?」

「いつでもどーぞ」


 祈るかのように、二人のエルフは両手を組み、目を閉じる。

 すると、瓦礫がひとりでに動き出し、宙を飛び交う。

 建物が、通りが、まるで巻き戻しの映像でも見せられているかのように、元通りの姿を取り戻していく。


「すごい……!?」


 魔法に関して、多少の覚えはあるシロンであったが、この規模の崩壊を復元することは不可能だ。

 前世の創作物などに出てくるとおり、エルフは魔法に長けた者たちなのだろうか。


「ふっふーん! 私の手にかかれば、この程度、朝ご飯前だから!」

「私達、だ」


 ぴしゃりと訂正したエルフの男は、今一度シロンを見る。


「怪我人も回復しておいた。傷跡一つ残してはいない」

「そうですか。よかった」

「ああ。だからお前も眠るといい。彼ら同様、目が覚めれば、我らのことは忘れている」

「え? あ……」


 たちまち睡魔に襲われるシロンを後ろからイーリスが抱きしめる。


「ごめんね。そういう決まりなの」

「我らは、いわば理の外側に身を置く者だ。関われば、お前も不幸になる」

「そ、んな、の……!」


 嫌だ。

 せっかく知り合えたエルフであるし、両親のことも教えてもらいたい。

 シロンは瞼がくっつきそうになるのを必死に堪えた。


「……ねえ、お兄ちゃん」

「なんだ?」

「ちゃんと掛けてる? シロン、まだ眠らないよ?」

「ああ、実は私も驚いている。まさか私の魔法を抵抗レジストするとは……! よっぽどエリルの教育がよかったのか」

「確かにエリルは優秀だけど、私達が本気を出したら勝てないでしょ?」

「そうだな。いくら守護者ガーディアンとはいえ、本来の種族の特性が出てしまう。であれば、シロンは……」


 イーリスはシロンをぎゅっと抱きしめる。


「私、シロンを連れて行きたい、ううん、連れて行くべきだと思う!」

「だめだ。それは二人も望んでいない」

「そこは説得すればいいんだって」

「やめておけ。そもそもシロンにその意志がないことは、お前も知っているだろう?」

「うっ、でもでも……」


 その整った眉をハの字にするイーリスに、エルフの男は苦笑する。


「正直に白状すれば、私もお前と同じ気持ちだ」


 エルフの男は魔法を解いた。


「ぐはぁ、はぁはぁ……」


 耐えきったシロンは荒い息を吐き、イーリスが「大丈夫?」と気に掛ける。


「だが、やはり連れては行けない。今は、な」


 エルフの男は、シロンと目線を合わせるように屈む。


「シロン。お前が両親と肩を並べることができるかどうか、今後、見極めさせてもらおう」

「……一つだけ、一つだけ教えてください」

「なんだ?」

「あなたの名前は?」

「ヨーランだ」


 名乗ったエルフの男は、シロンでも見とれてしまうほどの綺麗な笑みを浮かべた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る