理の外側

 プレゼントを贈り、レイラとアルマは上機嫌になった。


 そしてまたシロンもテンションが上がっていた。


 手にしているのは箒。

 もっともポピュラーな掃除道具の一つであるが、もう一つ想起させるモノがある。


 そう魔女が空を飛ぶときに使う物である。

 この世界には、空想の物語でも出て来ないが、前世の記憶を持つシロンの中では、ド定番な魔法の道具である。


 もちろん、今、手にしている箒は、跨がっても浮くはずもない、どこにでもあるモノだ。

 これから自らの手で空を飛べるように、改良していくのである。

 前世での趣味であったオートバイと、同じく前世の子ども時代に憧れた大空への夢を掛け合わせた、これ以上ない理想である。想像しただけで鼻息も荒くなってしまう。


 そんなシロンたちの浮かれっぷりを壊すかのように、轟音が鳴り響く。


「え、なにっ!?」

「敵襲?」

「バカ言わないで。ここは王都よ」


 狼狽えるシロンの前で、首を傾げるアルマに、レイラが呆れる。


 三大国に数えられる王国の中枢である王都に、どこのバカが攻め込むというのだ。

 王立騎士団のお膝元であり、衛兵が常時巡回しているこの都には、盗賊団も近寄らないことで有名である。


(なんだ? とても嫌な予感がする)


 断続的に響く轟音に周囲が動揺し始める中、少し冷静になるシロンは音の出所へ目を向ける。

 すると、


「アルマさまー!」


 アルマの横にメリッサが現われる。


「意外に遅かった?」

「そうなんですよ~! あのおばさん、衛兵のみなさんを全部メリッサに押しつけて……って、それどころじゃないんですぅ!」


 メリッサはアルマを左手一本で抱える。


「なにするの?」

「逃げます! ちょっとヤバイ雰囲気なんで」

「どういうこと?」


 レイラが訊くと、メリッサが顔だけ振り返る。


「レイラ様たちも逃げた方がいいですよ。多分、おばさんは向かったみたいですけど」

「はぁっ!? なんでエマがって、わたしが聞きたかったのは、そういうことじゃなくて!」

「ごめんなさーい! 一刻を争う事態なんで、メリッサたちはこれで」

「あ、ちょっと待ってください」


 この場から離れようとするメリッサを止め、シロンは彼女に抱えられたアルマに箒を差し出す。


「なに?」

「悪いけど、預かってて欲しいんだ。明日、僕の準備室に持ってきてもらえると嬉しい……それからメリッサさん」

「はいはーい」

「申し訳ないけど、レイラも一緒につれて行って欲しい」

「ちょ、あんた何言って――」

「わっかりましたー! んしょ」

「こら! なに荷物みたいに抱えてんのよ! 放しなさいよ!」


 アルマと同じように抱えられたレイラがぎゃーぎゃー騒ぐのをメリッサが「まぁまぁまぁ」と宥める

 それを余所にアルマが訊いてきた。 


「あなたはどうするの?」

「現場に向かうよ。そして対処してくる」

「いやいやいや、シロン様も逃げたほうがいいですってー。こういうのは騎士団とかの領分でしょー?」

「胸騒ぎがするんです。とても嫌な……二人のこと、お願いします」

「あ、待ちなさいよー!」


 背中に浴びせられたレイラの声に、シロンは手を振って応えながら、未だ鳴り止まぬ音の方へと向かった。




★★★




 音が近づくにつれ、人の流れも激しくなった。

 皆、とても慌てた様子で音の鳴る方から逃げてくる。

 何があったのか訊こうとしても「放せバカ!」「死んじまう!」「坊主も逃げろ!」などと、要領の得ない答えばかりが返ってくる。

 シロンは人の流れに逆らうように進む。


「シ、シロン様……」


 名前を呼ばれ、声の方に振り返ると、メイドの一人が路地の入口で血だるまになっていた。


「大丈夫ですかっ!? すぐに手当します!」


 逃げる人々を避けながら、駆け寄ったシロンは、横たわるメイドに回復魔法をかける。

 傷口は塞がり、拭き取ったかのように血も消えて、メイド服の破れ具合がちょっと扇情的に映る。シロンはなるべく露わになった肌を見ないようにした。


「ありがとうございます」


 血の流しすぎで青白かった顔に赤味が差したメイドが起き上がる。


「なにがあったんですか?」

「先ほどの物取りを追い詰めたのですが、その者が――」

「モリー。シロン様を連れて、レイラ様と合流し、お屋敷へ戻りなさい」


 モリーの説明を遮るようにエマが現われた。

 両手にロングソードを構え、臨戦態勢である。


「エマさん!」

「シロン様、ここはわたくしにお任せください」

「僕もいきます」

「なりません」

「でも――」

「レイラ様をお願い致します。それからお屋敷に戻られた際には、奥様にご報告してください。そのあとは奥様のご指示に従ってください」

「いやです!」

「お願いですから、わたくしの言うことを聞いてくださいまし!」

「聞けません!」


 シロンはランドルフから教わった縮地法で跳躍してエマの背後を取り、右手を伸ばす。


「っ!?」

「ごめんなさい」


 驚き振り返ろうとするエマの頭に手のひらで触れ、眠りの魔法をかけた。


「シ、ロン、様……」

「あっ!?」


 ぐらりと倒れるエマを慌ててモリーが支える。


「えっと、モリーさん。すいませんがエマさんのことよろしくお願いします」

「え、あ、あのっ」

 

 困惑しているモリーにそれ以上告げず、シロンは再び跳躍し、建物の屋根の上に出る。


「……あそこか」


 シロンから見て二時の方向、一キロメートル弱の距離で大きな土煙が巻き起こっている。

 急ごう。シロンは左腰に提げた短剣を抜き、逆手に持ち替えて屋根伝いに移動を開始した。


 近づくにつれ、音は大きくなり、土煙が巻き上げられる。

 まるで老朽化したビルをダイナマイトで爆破解体でもするように、激しさを増す。


 怯むことなく進んだシロンは、現場の惨状を目の当たりにし、息を飲んだ。


 建物は倒壊し、象っていた石や木が散乱し、所々、火の手が上がっている。

 巻き込まれてしまったのだろう、横たわる人も少なくなく、泣き叫ぶ子どもの声や悲鳴が重なる。


 それらをまったく無視して、破壊活動に勤しむモノがいた。

 体長三メートルほど、緑色の肌を晒し、頭部に二本の角を生やすそれは、鬼とよぶべき存在である。


 いや、この世界風にいえばオーガであるが、いずれにせよ物語などにしか出てこない空想上の化物である。

 それがこの王都に突如現われたのだ。人々がパニックになるのも無理もない。


 実際、オーガと目が合い、腰が抜けて動けなくなった女性がいる。

 恐怖に震える彼女目がけて、オーガはその大きな拳を振り下ろした。


「させないっ!」


 当たる直前で、シロンは女性を担ぎだし、事なきを得る。


「大丈夫ですか?」

「(コクコク)っ!!」


 怖くて声も出ない女性は一生懸命首を縦に振る。


「ここは危険です。早く逃げてください」


 言いながらシロンは回復と精神安定の魔法を施す。

 女性は「ありがとう」と礼を言い、脱兎のごとく逃げ出した。


「さて」


 シロンはオーガに向き直る。

 邪魔をされたことに腹を立てているのか、睨みつけておぞましい声で威嚇してくる。


 シロンは短剣を構えた。

 あり得ない化物と対峙しているが、恐怖はない。

 全身にまとわりつくような、嫌なプレッシャーを感じるが、少しだけ本気を出したときのランドルフに比べれば、たいしたことはない。


(魔法を撃つのは、やめといたほうがいいかな)


 放出系の魔法は控えるべきだろう。外さない自信はあるが、万が一外れた場合、被害を拡大してしまう可能性がある。

 身体強化や魔法剣など、強化系の魔法を用いて、接近戦で仕留めるのがベストである。


 方針が固まれば、あとは実行に移すだけだ。シロンはオーガに向かって駆け出す。

 低く、速く。

 縮地法で一気に間を詰めても良かったが、あえて狙われるように仕向けた。

 これ以上の破壊をさせないためだ。


 オーガはシロン目がけて拳を振り下ろす。

 シロンはいなすようにして錐揉みに回転しながら避け、オーガの股下を潜る。

 抜けると同時に一太刀浴びせるのも忘れない。

 オーガの左ふくらはぎの内側がパックリと裂け、紫色の血が吹き出る。

 痛みに悶え、そして怒るオーガは、裏拳のように右の拳を振る。


 シロンは体勢を立て直すも、避ける暇もなかったので防御の姿勢を取った。


「くっ」


 瞬時に肉体強化の魔法を施すも、全ての衝撃を吸収することは叶わず、吹き飛ばされた。

 体の向きを入れ替え、勢いを殺し、静かに着地する。


「え?」


 見据えたオーガの姿に唖然とした。

 斬りつけたはずの左ふくらはぎは、何事もなかったかのように傷が塞がっていたのだ。

 手応えはあった。浅くはなかったはずだ。


(自己再生が速い? いや、もう一度だ!)


 シロンは再びオーガに向かった。 

 

 

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