教え子の成長

 シロンは学院にいた。

 専用の準備室で、三人の生徒の相手をしていた。


「先生、大丈夫?」


 心配そうに覗き込んでくるのは、三年生のケイトだ。

 肩で切りそろえた栗色の髪がサラリと揺れる。


「うわっ! すっごいやつれてるっ!?」


 ケイトの隣に座る、四年生のレナが両手で口元を押さえた。

 後ろで緩く編み込んだ赤毛のおさげと、気にしているそばかすは、某児童文学の名作の主人公を彷彿とさせる。


「寝不足ですか? いけませんね。脳の働きも悪くなるし、お肌にもよくありません」


 さらに隣の、イーサンが中指で眼鏡の蔓を持ち上げる。

 二年生と思えない大人びた口調だが、声変わりはしておらず、やや舌っ足らずで聞いていると何だかほっこりする。 


「心配ないよ。ご飯も食べてるし、ちゃんと寝てるから」


 シロンは微苦笑を浮かべたが、それは空元気である。

 ここ最近の忙しさとストレスで、身も心も衰弱していた。


 三人は怪訝そうな眼差しを向けてくる。

 彼らは初日から授業を受けていた生徒たちである。

 学院の中では付き合いが古く、シロンにとっては気心の知れた人物たちであるがゆえ、心配をかけたくなかった。

 それぞれ一学年ずつ飛び級を決めたが、さらなる飛び級を目指しており、座学を見る約束をしていた。


「ちょっと休憩しましょ。ちょうど、おやつも持ってきたし」


 シロンを含め、この場にいる中で年長者であるレナがパチンと両手を打った。


「そうですね。根を詰めすぎてはいけませんし」

「私、お茶を汲んでくる」


 イーサンが分厚い本を畳むと、ケイトがこの準備室に備え付けられた簡易的な台所へと向かった。


「ごめんね。せっかくの勉強会なのに……」

「ううん、勉強よりも先生の体の方が心配だもの」

「先生にはまだまだ教わりたいことがあるんです。倒れられては困ります」


 微笑みかけてくるレナに、イーサンが頷いた。


「お待たせしました」 


 戻ってきたケイトが、それぞれの前に紅茶の注がれたティーカップを置いていく。

 シロンたちは「ありがとう」と笑顔で迎え、ケイトもにっこり笑って自分の席に着いた。


 ダニーもそうだったが、この三人も初めて会ったときは暗かった。時折、思い詰めていたような表情をしていた。

 しばらくして聞いた話になるが、成績の悪さからくる仲間はずれ。

 それがエスカレートしてイジメに発展したりしたそうだ。

 

 悔しくて。

 見返したくて。

 思いはそれぞれあったが、とにかく決意が凄かった。


 シロンも応えたくて真摯に向き合った。

 両者の努力が実り、彼らの成績は飛び級を決めるほど向上し、クラスメイトたちからも一目置かれるようになった。

 友人もできたし、レナとケイトは男子から告白されたり、ラブレターをもらったりした。

 収入も増え、彼女も出来、背も伸びた、といった怪しげな壺や石などの広告ではないが、事実だ。

 成績一つで人間関係もガラリと変えられる。

 そのお手伝いができたことに講師の仕事のやりがいを感じたし、何より、こうして笑い合える時間を過ごせることが嬉しい。

 シロンは、レナの持ってきてくれたクッキーと、ケイトの紅茶を味わいながら、彼らの成長を噛みしめる。


「そういえば先生。先生の方は何か進展あった?」

「そうだよ、図書館には行ったの?」


 レナとケイトが身を乗り出し、イーサンも興味深げな視線を送ってくる。

 いわゆる、精鋭エリートクラスの面々には、空を飛びたいという夢のことは話している。


「あー、それが忙しくて、なかなか……」

「それはいけませんね」


 イーサンが本を鞄にしまい始めた。


「この時間なら空いてるよね?」

「うん。ガラガラだと思うよ」


 レナも勉強道具をしまい、持ってきたクッキーの残りを頬張る。

 ケイトはティーカップを片付け始めた。


「え? 勉強会は?」


 飲みかけのティーカップを取り上げられたシロンが三人を見渡すと、彼らは口を揃えた


「「「中止」」」




★★★




 それからシロンたちは図書館へと向かった。

 バーナードらと出会った階段を越えるとすぐだった。

 世界遺産に登録されていそうな、古いヨーロッパ風の建物である。

 中に入ると落ち着いた雰囲気のエントランスが広がっており、アンティーク調のカウンターに受付と思われる女性がおり、こちらに向かって笑みを浮かべる。


「図書館のご利用ですか?」

「はい」

「では身分証のご提示をお願いします」

「え? いや、持ってないです」


 シロンが答えるとレナたちが驚いた。


「先生、なんで持ってないの?」

「なんでって、持ってないものは持ってないし……」

「うそっ!?」


 レナが目を丸くする横で、イーサンが嘆息した。 


「先生の冗談は面白くないのはわかっていましたが、さすがにこれは……」


 するとケイトが自分の胸元をおもむろにまさぐる。

 ちょ、何してんの、とシロンが止める前にケイトは入れた手を出した。

 その手には、兵士が首から提げているIDタグのような物がある。


「なに、それ?」

「なにって、これが身分証でしょ。洗礼の儀のときにもらわなかった?」

「あー」


 シロンは洗礼の儀を受けていない。

 大樹海出身者で王国民ではないからだ。

 ここで本当のことを言っても三人には信じてもらえないだろう。笑えない冗談だ、と呆れられてしまうかもしれない。

 せっかく築いた信頼関係を崩したくないシロンは、受付嬢に向き直る。


「……ちなみに身分証がないと入館できないんですか?」

「はい。できません」


 受付嬢は笑顔のまま即答した。


 これは出直すしかなさそうだ。

 シロンは三人に案内してくれた礼と時間を取らせてしまった謝罪をし、図書館を後にした。

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