溜め息の夜

「……これは由々しき事態ではないわね」


 嘆息混じりにシロンを見るクローディアの目は鋭い。

 いや、彼女だけではない。傍に控えるエマも、隣に座っているレイラも不機嫌さを隠そうとしていない。


 どうしてこうなったのか。

 シロンは自らの行動を振り返った。


 あの日、図書館へ行くどころではなくなってしまった。

 受けられません、と投げつけられたバーナードの手袋を返したが、彼は意気揚々と帰って行った。

 アルマによって足を凍らされ、取り残されてしまったスケイルとカークを回復魔法で癒やし、解放してあげると、「お前、終わったぞ」と礼の一つも返してくれなかったことは、少し残念だった。

 そして、何故か腰か抜けて歩けなくなってしまったアルマを彼女の寮へと送り届けた。

 それから、その日の夜にクローディアから「話があるので週末は空けておいて」とお願いされ、週末の現在に至る。


 何も落ち度はないように見受けられる。

 シロンは、先ほど詳細を語り伝えたクローディアに尋ねた。


「どこがいけなかったんでしょうか?」

「決闘を受けてしまったことね」

「え? ちゃんと断りましたよ?」


 聞き返すシロンに、クローディアのみならずエマとレイラまでもが揃って溜め息を吐いた。


「あのね、シロン。それは断ってないの」

「手袋を拾い、本人に返した時点で受諾したと見なされるのです」

「ま、貴族の古い作法だから、あんたが知らなくても当然なんだけど」


 クローディア、エマ、レイラの三人は、また揃って嘆息する。


 ちなみにクローディアが〝さん〟付けから〝ちゃん〟呼びになったのは、この三ヶ月、カークランドの王都別邸に居候し続け、親密度が上がったからに他ならない。

 もちろん、シロンは一人暮らしをするつもりでいた。

 だが、教師の寮はいっぱいで、安い下宿を探そうにも、どこも空いていなかったのだ。

 シロンを手元に置いておきたいクローディアが裏から手を引いていたのは、言うまでもない。


「今からお断りすることはできないんですか?」

「相応のモノを譲渡すれば、辞退することはできるわね」

「相応のモノ、というのは?」

「金銭だったり、領地だったり、資産となるものか……過去には妻や娘、妾を渡した人もいるわね」

「そんな……」

「そう、当然、名声は地に落ちてしまうでしょうね」


 今度はシロンが嘆息した。

 何故、こうなったのか。

 バーナードに迷惑をかけたのか。

 いや、彼とは接点がなかった。

 だったら、平民の子どもが学院の講師をしているのが気に入らないのか。

 それはこちらとしても望んだものではない。本来は生徒として通うつもりだった。学院長のたっての希望で非常勤講師に落ち着いただけだ。

 考えても答えがでないシロンは、もう一度クローディアに向き直る。


「クローディアさん。お願いがあるんですが……」

「だめよ。聞けないわ」


 カークランド家の力を頼ろうとしたシロンの心を読んだかのように、クローディアが首を横に振る。


「他家ならともかく、ウィンドルフ家が相手となると、私達カークランドにはどうしようもできないわ」


 侯爵と公爵なら、王家の親類にあたる公爵家のほうが、当然、格が上である。

 さらに付け加えると、ウィンドルフ家は公爵の名にあぐらをかくことのない、やり手で知られる。

 現当主には正室の他に二人の側室がおり、十男十二女の子宝に恵まれている。

 その半数は成人し、後継者である長男を除き、有力貴族の婿や正室となっているし、そうでない者は王国の重要機関に勤めている。

 強力なパイプを作り、各機関にも顔が利く。

 その人脈力は王国外でも名を馳せている。

 ウィンドルフ家の本拠地である交易都市コネートは、海を隔てた島国――商業国家として名高いウディンガム連邦も一目置いているくらいだ。


カークランド家うちにはウィンドルフ家に縁のある人間はいないわ。それでもその影響力は及んでいるわ。ウィンドルフ家に逆らうと、王国の社交界では生きていけないの」


 だから、ごめんなさい、とクローディアは今一度溜め息を漏らす。


「そうですか……でも、僕には決闘を受ける理由がありません」

「「「はぁ」」」

「え? どうして皆さん呆れちゃうんですか?」

「だってねぇ」


 クローディアがエマを見る。

 エマは肩をすくめた。


「状況からすると、バーナード様はご自身の婚約者に抱きついた不届き者と、シロン様を判断されたのだと思います」

「でもあれはアルマさんを助けるためであって……」

「たとえそうだったとしても、バーナード様がそう判断された以上、決闘は決行されるかと」

「そんな……横暴だよ」


 身分という権力の不条理さを感じ、シロンは拳を握ってしまう。


「決闘自体は問題じゃないでしょ。だって、シロンならバーナードなんてこうだもの」


 レイラが〝赤子の手を捻る〟をでやってみせる。


「いや、なんとしても決闘は回避しないと。ほら、学院の規則でも禁止されてるじゃないか」

「それは学院内での話でしょ。わたしたち生徒だって、今日みたいな週末とかは、申請さえすれば学外に出られるんだから」

「ええ。決行するなら安息日でしょうね。でも、問題はそこじゃないのよ」


 レイラの言を肯定しつつもクローディアが頭を抱えた。


「どこが問題なんですか?」

「決闘で負ければ、学院内でのシロンちゃんの立場が悪くなるわ」


 シロンの受業に出るなと全校生徒に伝え、ほぼ守らせていたくらいだ。決闘で勝てば、その勢いは益々強くなるだろう。


「逆に勝ってしまうと、目立ってしまうわね。ウィンドルフ家が取り込もうと乗り出してくるかもしれないし、助けられたチェイシーにも恩を売ってしまう」

「ウィンドルフ家はともかく、チェイシー家が出しゃばってくるのはどうにかしませんとね」 


 クローディアとエマが頷き合う。

 同じ侯爵家としてのライバル心があるのだろう。チェイシーの名を出すのがとても辛そうだ。


「そもそもお嬢様がしっかりシロン様を補佐していなかったのが問題なのでは?」

「そのときは授業中だったのよっ! 無茶言わないで!」

「いえ、今回の一件だけではありません。シロン様と常に行動を共にするべきでした」

「つ、常にって、そ、そそそ、それこそ、無理難題じゃないのっ!! だ、だいたい、シロンの授業に出ている時点で、目を付けられているんだから、補佐のしようがないわっ!!」


 前半は取り乱したものの、後半は冷静さを取り戻したレイラ。

 彼女の言葉はシロンの胸に突き刺さる。


「すみません。僕のせいで皆さんにご迷惑をおかけしてしまって……」

「シロンちゃんが謝ることはないわ」

「そうよ! あんたは何も悪いことしてないでしょっ!」


 母娘が口を揃える。


「ありがとうございます……でも、どうしたら……?」


 シロンは項垂れる。

 決闘を回避することは叶わず、勝っても負けても面倒な事態に陥る。八方塞がりとはまさにこのことだ。


「……一つ、ご提案があるのですが」


 思いついたエマが、恭しくも挙手する様は、なんだか可笑しかった。

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