提案

 筆記と実技の試験を終えたシロンは、学院長室に呼ばれた。

 個人的に話がしたいということらしいので、面接か、と身構えてしまったシロンは一安心した。


 学院長室は殺風景であった。

 得体の知れない何かが詰められた瓶や、分厚い本が並ぶ棚、よくわからないモノを煮詰めた釜などもない。

 調度品の材質やデザインの違いはあれど、前世で通った中学や高校の校長室と代わり映えしなかった。


「わざわざ来てもらってすまんのう」

「いえ」


 ソファに座って差し向かうシロンたち。

 間には小さな四角いテーブルがあり、先ほど学院長の秘書らしき女性が入れてくれた紅茶が、湯気をくゆらせている。


「試験の結果が気になるじゃろうが、その前に少し話をさせておくれ。ささ、冷めぬうちに」


 勧められ、シロンが紅茶を一口飲むと、学院長も紅茶を一啜りする。


「ワシもこの学院の卒業生でな。自分で言うのもなんじゃが、十年に一人の天才ともてはやされたものじゃ。じゃが、その鼻っ柱を見事にへし折ってくれた者がおってな……」


 唐突に始まった学院長の自分語りに、シロンは一瞬戸惑うも、続きを促す。


「誰なんです?」

「お前さんの母親、エリルじゃよ」

「えっ!?」

「確か、二年生の夏じゃったかな。実技の担当教師が病に倒れてな。他の教師たちも手が回らんほど授業を受け持っておったから、急遽、臨時で雇われた、と言っておったのう。学院を卒業したてほどの若い女教師に生徒は皆、浮き足だっておったが、その授業は凄まじかった。一言で言ったら地獄じゃった」


 確かにエリルはスパルタなところがある。自分もそうだったな、と少し懐かしくなるシロンだったが、ちょっと待て、と首を捻る。


「話の腰を折って悪いんですが、ひとつ訊いてもいいですか?」

「なんじゃ?」

「失礼ですが、学院長っておいくつですか?」

「淑女に歳を尋ねるのは、マナー違反じゃと習わんじゃったか?」

「そうなんですけど、計算が合わなくて……」

「ワシも彼女が生きているとは思わなんだ。じゃが、受け取った推薦状は、確かに彼女の筆跡じゃったし、あの桁外れな力の持ち主なら、その身に何が起こっていても不思議はないじゃろう」

「まぁ、そういうところはあるかもしれませんが……」


 納得しかねるシロンに、学院長は笑いかける。


「考えても詮無きことじゃよ。知らなければならないことなら、時が来れば、おのずと知ることになるもんじゃ。それでも気になるのであれば、直接本人に訊いてみるのがよかろうて」

「そうですね」

「さて、どこまで話したかのう……? そうじゃ、エリルが臨時教師として雇われたのは、十日ほどじゃったが、ワシはあの日々を忘れはせん。彼女の教えがなければ、この場にいなかったじゃろう」


 懐かしむように学院長は目を細める。


「その大恩ある人物から『息子を頼む』と言われたら、断ることはできん。もし断れば、ワシの首が飛ぶ。物理的にのう」

「流石に母もそこまではしないと思いますが……」

「いや、彼女ならやりかねん……じゃが、一つ問題があるのじゃ」

「問題ですか?」

「うむ。お前さんの試験の結果が、良すぎるんじゃ。学院の生徒としては逸脱しすぎて、おそらくお前さんが学べることなど何一つないじゃろう。正直、入学する意味はない」

「それじゃあ、僕は……」


 不合格なのか。シロンは肩を落とし、俯いた。


「話は最後まで聞くもんじゃ。ワシもここでお前さんを帰すほど阿呆ではない。ちゃんと考えてある」

「え?」


 シロンが顔を上げると学院長はニンマリと微笑む。

 あ、これはろくでもないことを考えている顔だ。シロンは母が同じ顔をしているのを見た経験から、危険を察知する。

 しかし、それはシロンの予想外のモノであった。 


「お前さんには、教師として、この学院に来てもらいたい」

「へ?」

「創立五百年の歴史を振り返っても、十二歳で教師となった者はおらん。じゃが、お前さんには、その能力がある。筆記試験を二回行ったと思うが、二回目のものは教師の採用試験用じゃ。それを満点とは、恐れ入ったものじゃ」


 難易度が上がった二回目の筆記試験。

 だが、それすらもシロンは難なく解いてしまった。


「加えて実技試験も申し分ない。あの辛口で有名な〝鉄壁の魔女〟――グレース・ギビンズも『最優良』と太鼓判を押しておる。どうじゃ? 引き受けてはくれんか? 無論、待遇については、こちらも出来るだけ希望に沿うようにするつもりじゃ」


 学院長は身を乗り出してくる。

 是が非でも、教師として迎え入れたいという気持ちがヒシヒシと伝わってくる。


「……少しだけ考えさせてください」


 シロンは即答は避けた。

 悪い話ではないだろうが、人に教える自身がなかった。


「そ、そうか……そうじゃな。じっくり考えておくれ」


 学院長は少々落胆した様子であったが、その瞳は、諦めの色は浮かんでいなかった。

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