説教と夢
オルグラント王国の西部。
豊かな自然に囲まれた土地柄から、農業や畜産業が盛んであるが、領主であるカークランド侯爵家の長年に渡る方策により、魔法兵器産業にも力を入れている地域である。
その領都フレイアードに次ぐ都市トルクエンは、夜の帳が下りても活気に満ちあふれていた。
中世ヨーロッパを彷彿とさせる街並みが広がり、その一角、
そんな酒場通りを過ぎると、一転して閑静な住宅街となる。
大商家や貴族たちの住まいだ。
その中心には、トルクエンを治める代官の邸宅がある。
質実剛健を
「これまで、毒味を済ませてない料理を召し上がってはならないと、重ね重ね申し上げてきましたが、今日という今日は、流石のわたくしも堪忍袋の緒が切れましたっ! だいたいなんですかっ!? 第一声が『とても美味しかった』とは、反省の色が微塵も感じられませんっ!! しかも、ほとんど召し上がったというではありませんかっ!? そこは、わたくしにも一切れ残しておくのが筋でございましょうっ!?」
賓客として迎え入れられたはずのレイラが床に正座し、それを仁王立ちのエマが見下ろす。
「あれは僕が勧めたのであって、レイラに非は――」
「シロン様は黙ってくださいっ! これはカークランド家の問題ですっ!」
安宿に泊まると固持するも、レイラの独断で従者の一人に仕立てられ、館に招き入れられたシロンが助け船を出そうとしても、エマは聞く耳を持たない。
「いいですか、お嬢様? お嬢様のそういった振る舞いが、建国より王家に仕えてきた、由緒正しきカークランド家の品位を
「決まらなくて結構よっ! わたしだって、ボンクラ貴族のボンボンの嫁になるのは、まっぴらごめんだわっ!」
「では、一生、お一人で過ごされるというのですかっ?」
「そ、それは……」
レイラはチラリとシロンを見る。
目が合ったシロンは「?」と首を傾げた。
二人のやりとりに気づいた様子のないエマが、さらにたたみ掛ける。
「無理でございますよねっ? お嬢様はカークランド家の一員でございます。その義務を全うする責任があります!」
「わ、わかってるわよっ!」
「本当におわかりなのですか? お嬢様も今年で十五、一人前の
「いやよっ! あんな気持ち悪い連中の相手をするのはっ!」
レイラは両腕をかき抱く。
生理的に無理なのか、剥き出しになった肌が粟立っている。
「ですから、そういった振る舞いを――」
「エマさん!」
見かねたシロンが、再度、口を挟む。
「その辺にしてあげてください。本当に、僕が勧めたのがいけなかっただけで、レイラは悪くありませんから」
エマは小さく嘆息した。
「……以後、気をつけてくださいまし」
そう言うと、エマはレイラに正座をやめていいとジェスチャーする。
レイラは足が痺れたようで、しばらく立てなかった。
★★★
それから遅い夕食をトルクエン領主とその家族とともに摂り、シロンはあてがわれた個室に戻った。
森の家の自室とあまり変わらない広さであったが、家具が少ないため、広く感じられる。
「貴族って大変なんだな……」
ベッドに横になって、窓から見える夜空をぼんやりと眺めながら、先ほどのやりとりを思い出す。
前世でも、この手の話は、物語などではよく描かれていたし、二百年前は実際に行われていたことである。
しかし、政略結婚を強要されるのを目の当たりにするのは、他人事でもあまり気分がよくない。
たとえ、お互いの家が繁栄するとしても、好きでもない相手との望まない結婚に、幸せがあるとは思えない。きっと冷え切った家庭が築かれ、毎日、満たされない思いで苦しむことになるのだろう。
そうでなくとも「結婚生活は忍耐だ」と言われているように、苦労しているのが大半である。
過ぎたことではあるが、リストラに遭わず、婚約者との縁談がまとまっていたら、どうなっていただろうか。シロンは思わずにはいられない。
すると、トントンと扉をノックする音が聞こえた。
「はい?」
シロンが返事をすると、名乗りもせずに扉が開かれ、入ってくる。
「レ、レイ――」
「静かにしなさい! 見つかったら、またエマに叱られちゃうでしょっ!」
人差し指を口元にあてがいながら、レイラが後ろ手で扉を閉めた。
シロンは上体を起こす。
「何の用?」
「用がないと使用人の部屋に入っちゃダメなの?」
「使用人にも
「そんなモノは、サンドイッチにして食べてしまうといいわ!」
鼻を鳴らしてドヤ顔を決めるレイラに、シロンは諸手を挙げる。
「わかったよ。僕の負けだ……どうぞ、そちらの椅子にお掛けください、お嬢様」
「あら? エスコートはしてくれないのね」
「ごめん、ごめん」
シロンは苦笑しながらベッドから下り、壁際の机の椅子をベッドに向けるように引いた。
「言われて動くようじゃ、まだまだね」
「申し訳ありません」
ツンと、すまし顔で座るレイラに、シロンは大仰に頭を下げる。
「ま、いいわ。あんたも座りなさいよ」
レイラはベッドを顎でしゃくり、シロンはそれに従う。
「それで? 未熟な使用人である僕をイジメに来たわけじゃないんだろう?」
「イジメじゃないわ。躾けよ、し・つ・け」
「これは失礼しました」
「ふ、ふん! まだまだだけど、す、素直に謝るところは、み、見所があるわね……ほ、ほんとうにウチの使用人になっちゃえば……?」
「それは魅力的な話だけど、遠慮しておくよ。だって、これから僕は魔法学院の生徒になるんだからね」
「それよ!」
レイラは立ち上がり、シロンを指さす。
「え? 何が?」
「あれだけの実力を持ちながら、なんで魔法学院に通わなきゃいけないのかってことよ! あんたも入学試験を受けたんなら、どの程度かわかるでしょっ!? はっきり言って、あんたの実力なら王宮魔法士にだって、即採用されるはずだわっ! それなのに、わざわざ学院に通うっていう意味がわかんないって言ってんのよ!」
「え? ちょっと待って!」
シロンは自分の能力が、そこまで逸脱しているものではないと思っていた。
だが、先ほどの暗殺者たちの襲撃でのレイラの驚きようから、普通ではないんだろうな、と自覚するに至った。
それはいい。この先、目立ってしまうのなら、力を抑えて誤魔化せばいいだけである。
今は、聞き捨てならないことを確認すべきだ。
「入学試験があるのっ?」
「当たり前でしょ! 受からなきゃ入れないじゃない!」
「……僕、受験してないんだけど……」
「はぁ?」
マジ何言ってんだコイツ、というレイラを余所に、シロンは枕元にあった肩下げ鞄を漁り、エリルの書いてくれた推薦状を取り出す。
「これがあれば入学できるんじゃないのっ?」
「推薦状? それは試験を受けるためのものでしょ?」
「……えっと、試験って、まだやってるよね?」
「とっくに終わってるわよ」
「……」
詰んだ。
シロンは崩れ落ちるようにベッドに突っ伏した。
「そ、そんなに落ち込まなくてもいいじゃない! ほ、ほら、また来年、受験すればいいだけの話よ! そ、それまで、ウチの使用人として、は、働いてみるのも、い、いいんじゃないかしら?」
レイラが励ましてくれるが、シロンは突っ伏したまま首を横に振り、ガバッと顔を上げた。
「いや、ダメ元で試験を受けさせてくれないか、直接、学院に頼んでみよう!」
諦めたら試合終了。
前世で読んだ漫画の台詞がシロンを奮い立たせる。
「だから、なんで魔法学院にこだわるのよ?」
「……夢があるんだ」
「どんな?」
「聞いたら絶対笑っちゃうから、言いたくない……」
「なによ、教えなさいよ! じゃないと、今夜は部屋に帰らないわよっ?」
「それはズルいなぁ」
「ズルくないわ! あんたが、素直に教えればいいだけでしょ!」
テコでも動くつもりはないとばかりに、レイラは椅子に座り直し、両手を後ろに回すようにして、背もたれを掴んだ。
「わかったよ……僕の夢っていうのは、空を飛ぶことなんだ」
漫画やアニメなどで描かれるファンタジーの世界に比べ、この世界の魔法は幅が狭い。
異世界モノの定番であるアイテムボックスもなく、鑑定といったスキルも存在しない。
戦闘に関するモノに特化した体系なのだ。
ゆえに、空を飛ぶ魔法もない。
勿論、過去に挑戦した者はいた。空を飛ぶことは、世界が異なっても人類の夢である。
しかし、そのどれも失敗に終わっている。
風属性の適性が高く、優れた魔法使いでさえ、一メートルほど浮くのがやっとだった。
原因は魔力量である。
学者たちの試算では、人ひとりが自由自在に空を飛ぶには、最低でも百万以上の魔力が必要であるとされている。
魔法使いや魔女の平均的な魔力量は一万から二万の間で、歴史に名を残す実力者であっても、せいぜい五万がいいところである。
魔法で空を飛ぶことは不可能。それが現在の魔法の常識であった。
しかし、シロンにはその常識を覆すアイデアがある。
より明確に形にするためには、エリルの所有する魔導書だけでは難しい。
そこで三大国の中でも随一の蔵書数を誇る、王立魔導図書館で詳しく調べたいと考えていた。
王立魔導図書館は、魔法学院の敷地内にあり、王族などの一部を除き、学院関係者以外は立ち入ることを禁じられているのである。
「……それは、また……」
「おかしいなら、笑ったらいいさ」
「笑わないわよ!」
レイラは再び立ち上がる。
「他の人はどうか知らないけれど、わたしは笑わないわ。だって、その夢が叶ったらとっても素敵じゃない!」
ワクワクが止まらない、とでも言わんばかりにレイラの表情が期待に満ちる。
「……そんな風に言ってもらえると、僕も嬉しいよ」
話してよかった。シロンは満面の笑みで応えた。
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