出発

「ハンカチは持った? 下着はあるわよね? 足りなかったら買い足しなさいね? あと、お弁当は持ったかしら? 食費を浮かそうとかケチなことは考えずに、残さず食べなきゃだめよ? それからお手洗いは済ませた? どうしても我慢できないときは、草むらに隠れてシなさいね? あ~、あとは……そうよ! 知らない人にはついていっちゃダメよ? シロンは可愛いから心配だわ~! やっぱり私も行――」


「大丈夫だよ、母さん」


 もう何度目になるか、数えるのも面倒くさくなったやりとりにシロンは嘆息する。


 善は急げということで、その日のうちに家を発つことにした。

 昼前に旅支度を済ませ、昼食を摂り、現在、玄関先で両親に見送られているのだが、一向に旅立てずにいる。 


「でも、心配なのよ」

「大丈夫だって。前世の記憶もあるし、変なことはしないって。それに、荷物の準備をしてくれたのは、母さんでしょ。忘れ物もないよ」


 いつも使っている大きめの枕以上に膨れあがった革の肩下げ鞄をポンポンと叩くシロン。


 自分でできる、と再三に渡って抗議したが、エリルに「私に任せておきなさい」と突っぱねられた。

 仕方がないのでシロンは、エリルに見つからないよう、荷造りを終えた肩下げ鞄をひっくり返し、持っていく物と置いていく物を選別しなおしたのである。


「父さんも、余計なことはしなくていいからね?」

「しかしだな……」


 エリルの後ろには、武蔵坊弁慶よろしく、剣や槍などを山ほど背負い、銀甲冑を両手で抱えている。


「備えあれば憂いなし、と言うだろ?」

いくさに行くわけじゃないんだから、甲冑も着ないし、そんな大量の武器もいらないよ」


 白いシャツに革のベスト、砂色のズボンに茶色のブーツという、シロンの出で立ちに不安を覚えるランドルフは、しょんぼりとする。


 しかし、彼からもきちんと餞別せんべつをもらっている。


「これで十分だから、気持ちだけもらっておくよ」


 シロンは左腰に提げた短剣を、左手で逆手に途中まで鞘から抜いて見せた。

 素朴な作りの柄に似つかわしくないほど、刃が青白く輝く。


 当初、武器や防具の収拾癖があるランドルフから、絶対に必要になる場面に出会すから武器や防具をできるだけ持っていくように言われたが、断っていた。

 それでもランドルフが退かなかったので「かさばらず、扱いやすい物を一つだけ」と要望したところ、この短剣を渡されたのである。


 魔法使いが杖を使うように、この短剣には、魔法の威力や効果を高める触媒としての役割を果たすことができるのだ。

 刀身は希少なアダマンダイトから作られているため、強度は抜群で、普通に武器として使うにしても心強い。


「じゃあ、そろそろ……」


 短剣を戻し、行こうとするシロンを、エリルとランドルフが寂しいオーラ全開で見つめてくる。

 シロンはしょうがないなと両手を広げ、二人にハグを求めた。


「シローン!」


 先に飛びついてきたエリンが、我慢しきれなかったのか、滂沱ぼうだの涙を流し始める。


「体には気をつけてね」

「シロンもね」


 ひとしきり抱き合い、シロンから体を離す。

 名残惜しそうなエリルの手が宙を泳いだ。

 シロンはエリルに笑いかけ、ランドルフに向き直る。

 ランドルフは大事なコレクションの一つであるはずの甲冑を落とし、駆け込むようにシロンに抱きつく。


「うぅ、シロン……!」

「と、父さん、痛いよ」

「我慢しろ! 父さんだって痛いんだ! 心が!」


 ランドルフは力を緩めることなく、しばらく抱きしめてくる。

 されるがままのシロンであったが、我慢するのもそろそろ限界で、ポンポンとランドルフの肩甲骨辺りをタップする。

 ランドルフはあっさり離れた。

 寝技の稽古での取り決めが、体に染みついてしまっている。「こんなときにまで俺は……」と自分を責め始めた。


「ふぅ……じゃ、今度こそ行くよ。二人とも、元気でね」


 痛みが治まったシロンは、大きく手を振って、森へと向かう。


「シロンも元気でねー!」

「頑張れよー!」


 背中から両親の声が聞こえてくる。

 シロンは振り返らず、掲げるように右の親指を立てた。


 そうして、森の中へと入る。

 薄暗く、少しひんやりとした空気に包まれた。


「この森ともしばらくお別れか……ん?」


 感傷に浸るシロンの目の前に一匹の獣が現われた。

 体長二メートルはある狼。

 銀色の毛並みが艶やかで、立ち姿も風格がある。


「やぁ、ビリー。キミも見送ってくれるの?」


 この森の主であるビリーとは幼い頃からの友達だ。

 ビリーという名もシロンが付けてやった。


「クゥーン」


 ビリーは寂しげに一鳴きすると、シロンに背を向けて伏せた。

 乗れと言っているらしい。


「ありがとう」


 礼を言って、シロンはビリーの背に跨がった。


 ビリーは立ち上がり、遠吠えする。

 すると、どこからともなく群れの仲間たちが集まってきた。

 彼らも一緒に来てくれるようだ。


「みんな……ありがとう」


 シロンの言葉に応えるように、狼たちが遠吠えを重ねる。


「アオーン」


 最後にビリーが鳴くと、それが合図と言わんばかりに、狼たちが走り出した。

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