第一章 旅立ち

少年の朝

 目が覚めると見慣れた天井が視界に映る。


 板がきっちりと敷き詰められた平面ではなく、不格好な三角錐を内側から見ているようだ。


 巨大な木の幹をくり抜いて作られたと聞かされていたが、もう少し綺麗に整えてもよかったのではないかと思う。

 おかげで部屋の造りもいびつで、それに合わせて家具も左右の高さや幅が微妙に違っている。

 しかしながら、使い勝手が悪いということはない。要は慣れだ。


「……夢?」


 物心つく前からこの部屋で過ごしてきたシロンはベッドの上で体を起こした。

 寝汗をかいていたらしく、張り付いた黒い前髪を右手で掻き上げる。


「いや、今のは……」


 前世の記憶だ。

 平和な日本で暮らしていたことが酷く懐かしく思えた。

 なぜなら、今、シロンが生きている世界は、剣と魔法のファンタジーな異世界だからだ。


 といっても、シロンはあまりよく知らない。

 知っているのは、両親と暮らすこの家と、その周囲――半径五キロにも満たない、僅かな範囲だけである。


「……どうして前世のことなんか思い出したんだろう?」


 輪廻転生があるとして、前世の記憶を持ったまま転生してしまうと、赤ん坊の体や頭脳に多大なる負荷を与えてしまうため、記憶を消去しているのだ、と前世のインターネットのオカルト記事を読んだことがある。


「それが思い出されることってあるのかな?」


 シロンは今年で十二歳になる。確かに、ある程度ならば、物事の分別はつく年頃である。負荷がかかることはない。


「…………ま、いっか」


 考えてもしょうがないことは考えない。

 むしろ、。前向きになったシロンは、ベッドから下り、カーテン代わりの木の戸板を開く。


 窓の外は、これまた見慣れた森が広がっているが、朝を告げる木漏れ日が幾重にも折り重なり、幻想的な光景を作り出していた。


「さ、今日も一日がんばりますか!」


 背伸びをし、部屋を出た。


 シロンの部屋は二階部分にある。

 階下には、リビングとダイニング、キッチンが一緒になった、シロンたちの主な生活スペースが広がっている。

 やはり妙な形をしているが、木の香りに包まれた暖かな空間は、とても居心地が良い。


「あら、今日は早いのね? いつも寝ぼすけさんなのに」


 キッチンで母リエルが朝食であろうスープをかき混ぜながら、目を丸くしてこちらを見上げてきた。

 湯気とともに、食欲をそそる匂いが立ちのぼってくる。


「僕だってたまには早起きぐらいするさ」


 ぐぅ、と鳴り出しそうな腹を軽く押さえながら、シロンは階下に繋がっている梯子を下りる。


「私としては毎日早く起きてほしいけどね」

「う、努力はするよ」

「ぜひ、そうしてちょうだい」


 ポニーテールにした金髪を揺らしながら、振り返るリエルが片目を瞑ってくる。

 シロンは肩をすくめながら、顔を洗うべく、リエルの後ろを通り、勝手口へと向かう。


 外は森だが、家である巨大な木を中心に半径三十メートルは、木がない。

 家庭菜園と呼ぶには少しだけ本格的な畑と、体を動かすためのちょっとした庭がある。


 その庭の片隅に井戸がある。

 先客がいた。

 父ランドルフだ。


 公園の休憩スペースのような、木造の屋根が付いており、石を円形に積み上げて作られた井戸から、引き上げたロープ付きの木桶を頭上で逆さまにし、くみ上げた水を被っている。


「お、今日は早いな」


 鍛え上げられた体を見せつけるように、下着一枚のランドルフが、リエル同様、ちょっとだけ驚いた様子でこちらに向き直る。

 濡れた赤い髪が顔を覆い、海藻の親玉みたいになっている。


「まあね」

「これは槍でも降ってくるな……よし、その前に稽古を――」

「もうすぐご飯ができるって母さんが言ってたから」


 木桶を放り、頭を振って髪を後ろに流したランドルフが構えるのを、嘘を吐いて止めるシロン。


 ランドルフは加減を知らないのだ。力的にも、時間的にも。

 あらかじめ、予定に組まれているのであれば問題ないが、突発的に始まってしまうと、いつまで経っても片付かないでしょ、とエリルが呼びに来る。


 これが厄介だ。

 エリルはランドルフ以上に手加減をしない。

 家族に向かってフリではなく、本気で大陸破壊規模の魔法を放ってくるのだ。


「な、なら、仕方ないな……」


 その威力の凄まじさを身をもって知るランドルフは、顔を青くして構えを解いた。


「早く着替えてきたほうがいいよ」

「ああ」


 シロンは慌てて家に戻るランドルフを見送り、地面に転がる木桶を手に取った。


 瞬間、風が吹いた。


 森の木々が葉音を立てて揺れ、千切れた葉っぱが舞う。

 そして、一羽の鳥が舞い降りてきた。

 鮮やかな青い羽毛が煌びやかで、小鳥にしては大きく、鷹や鷲ほどはない。

 足首には小さな羊皮紙がくくりつけられている。


「今回はだいぶ間があいたな」


 シロンは木桶を井戸の縁に置き、鳥の足首から羊皮紙を取り、庭の隅に置いてある木箱から餌を一掴みし、鳥に与えた。

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