ばかものと猫
津尻裕之介
ばかものと猫
小さな郵便屋さんがいる。
大学の講義の間の時間。
駅前の小さなコーヒーショップに私はいた。
集中力の欠片も無い私は、強がって大量の砂糖を混ぜたブラックコーヒーを飲みながら駅前特有の喧騒をBGMに、読書に勤しんでいた。が、やはり集中力の無い私は、悲しいことにその鳴き声に反応してしまった。
「にゃー」
小さくも丸々と太った猫の郵便屋さんが、咥えていた封筒を差し出してきたので受け取ってみる。
中には一枚の手紙が入っていた。
『—拝啓— 十年前の私へ』
あまりの馬鹿馬鹿しさに手紙を封筒に戻そうとした。が、郵便屋さんはどうやらそれを許さないらしい。
「みゃー」
足に爪を立ててきたので、仕方なくもう一度読み始めた。
『十年前の私は今頃、駅前のコーヒーショップでその欠片も無い集中力を何とかしようと雑音の中で読書にでも勤しんでいる頃かな?』
今現在の自分の状況をそのまま言い当てられて少しばかり驚いたが、そういうこともあるだろうと思うことにした。
馬鹿にされているような気がするのが引っかかるが。
「みゃーぉ」
足元でお昼寝を始めた郵便屋さんを後目に、私は手紙を読むのを止めなかった。
『飲んでる物も当ててやろうか?強がってブラックを飲んでるけど実は砂糖は多めだろう?』
また言い当てられた。ここまで当てられると、本当に未来からの手紙が届いたと信じてしまいそうになる。
まあまだ半信半疑ではあるが。
「にゃぁむ…」
郵便屋さんはまだ眠っている。
陽の光が風になびくカーテンを通過して柔らかい光になって入ってくる。
とても気持ちよさそうだ。
『さて、どうせ私のことだ。まだ半信半疑なんだろう?だからこれから起こる事を言い当ててみようじゃないか。』
さすがに無理だろうと思った。
今までの内容のことが誰かに当てはまる可能性は、とてつもなく薄くだがあるように思えた。
だが未来のことを予測するのはワケが違う。
それでも、十年後から届いた手紙ならあるいは……。
「にゃ?」
語尾に疑問符が感じ取れる鳴き声を出した郵便屋さんを、一人の少女が撫でていた。
「かわいいですね。名前、なんて言うんですか?」
高校生くらいだろうか。
丸く大きな目に小さな口。顎の辺りで切られた黒くて艶のある髪が、窓から入ってくる風になびいている。
顔立ちだけでなく体格も小柄で小さく、男女両方から好まれそうな良い印象を受けた。が、一つだけ思ったことがある。
「まる…」
口に出ているなんて思わなかったが、彼女の全体的な印象を受け、そう思わずにはいられなかった。
口に出てしまったものは仕方がないのだが、彼女は違うように受け取ったようだ。
「まるっていうんですか?そのままじゃないですか!」
どうやら彼女は、猫の名前と勘違いしてしまったらしい。不幸中の幸いだが、この猫の本当の名前ではないので誤魔化しておく。
「あ、あぁ、本当の名前は知らないんだけどね?だけどまん丸だからね。まるって呼ばせてもらってるんだよ」
まあ嘘なのだが。
これからそう呼ぶことにするから良しとしよう。
「うーるるるる…」
まるは撫でられて喉を鳴らしている。
もっと撫でて欲しそうだが、どうやらそれも終わりのようだ。
「あっ!待ち合わせの時間忘れてた!もう行かなきゃ!まる、またね。お兄さんもまた!」
そう言うと彼女は、小走りでレジに向かっていった。
そんなに慌てなくても、と思いながら、手元の手紙の存在を思い出し、続きの箇所を探し読み直した。
そして私は、衝撃のあまり目を丸くした。
『君は今、一人の女の子に出会っただろう。その子はどうやら、友達との待ち合わせに遅れそうなのか、とても慌てている様子だね』
こんなことがあっていい筈がない。
とは言わないが、夢でも見ているような気になったので、甘々のブラックコーヒーに口をつけた。
「……」
まるはいつの間にかいなくなっていた。
少し辺りを見回したがいなくなっていた困るものでもないのでそのままにして手紙に目をやった。
『彼女の慌てっぷりには目を見張るものがあるね。そのうちお釣りでもばらまくんじゃないか?』
まさかと思い目をレジの方へ向ける。
———チャランチャラン———
全てを受け入れ信じることにした。
この後にどんなことが書かれていたとしても全て受け入れよう。
「みゃー」
まるはいつの間にか戻ってきていた。
それも、便箋を咥えて。
私は不思議に思いながらもそれを受け取ると手紙に目を戻した。
『まあ、こんな感じで信じてもらえたところでなんだけど、特になにか伝えることがある訳でもないんだ。こんな不思議なこともあるもんだと思ってくれたら良い。未来のことをを知ってもつまらないだろう?まあこれからも頑張ってくれよ。 —敬具—』
がっかりしたが安心もした。
未来からの手紙だったのだ、なにか衝撃的な事実が書かれてあっておかしくはなかった。
事故か病気か、あるいは人類の危機を救えなどという無茶な要求すら覚悟してはいたが、何も無いとわかって安心した。
「にゃむ…」
まるはまた、いつの間にか眠っていた。
手紙をそっと便箋にしまい込み、本に挟んで鞄の中に突っ込むと、まるを起こさないように静かに席を立った。
会計を済ませる間、このことは自分一人の秘密にしておこうと思った。
少し楽しかったし、誰かに行ったところで信じてもらえるような事でもないからそれでいい。
店から出る時、まるを起こさないようにと、そっとドアを閉めた。
店を出ると、さっきの少女が立っていた。
友達との約束はいいのだろうか。
彼女がこっちを向いた。どうやら私に気付いたようだ。
そして腰に手を当て、店の上の方に指をさしてこう言った。
「あっ、お兄さん。どうでしたか、私たちのお店は?」
指をさされた方を見上げた。その先には店の看板があり、こう描かれてある。
【Cafe.FOOL’S】
「はぁ、そういう事か。」
思わず溜め息が漏れた。
それと同時に一人、不思議な現象との遭遇と勘違いして秘密に浸っていた自分が恥ずかしくなった。
「君は演技が上手なんだね」
自分の店の猫を知らないふりをしたり、レジでお釣りをばらまいたり、中々の演技力だ。
きっといつもやっているのだろう。
「ちょっとお店に忘れ物したから取りに行ってくるよ」
私はそう言って自分の座っていた席に戻り、テーブルの上に置かれた便箋を一枚切り取り、ペンを走らせた。
『—拝啓— 十年前の私へ———』
手紙を書き終えた私は、ぐっすりと寝ている小さくも丸い郵便屋さんの目の前にそっと手紙を置き、今度こそ店を後にした。
ばかものと猫 津尻裕之介 @Ryuhi
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