京四郎

 僕が小学校高学年の時、『京四郎』という週間少年チャンピオンの漫画が流行っていた。


 僕は当時、漫画はコロコロコミックに載っている、玩具を題材にしたものやギャグ漫画しか読まなかったので、初めてそれを読んだ時は衝撃を受けたものだ。


 これまで僕は『正義』が一番良いものであり、正しくて、強くて、優しいものばかりが良いとされる価値観で生きてきた。

 

 だから僕は多分、馬鹿にしていたんだと思う。


 『正しい』が出来ない人を。


 『正しい』をやりたくない人を。


 京四郎に出てくるキャラクターは皆少しばかりの『闇』を抱えていた。


 敵から身を守るために必要以上に残酷になったり、ちょっとした気の迷いで悪いのことをしてしまったり、とにかく、彼らは常に『正しい』わけではなかった。


 当時そんな弱さを許容していなかった僕は、最初嫌悪感を感じた。


『憧れるはずの、正しいはずの漫画の主人公がこんなのは嫌だ』


 って。


 けれど読み進めるうちにその印象は変わっていった。


 悪いやつだと思っていたはずの彼らが、読んでいくうちに、楽しくて優しい奴らだってことに気づいた。


 そしてぼくは、『正しい』以外の人間的魅力を知っていった。


 主人公の京四郎がボンタン(太もものところが太い変形学生ズボン)を履いていることにイチャモンをつけられるところから物語は始まる。


 そして京四郎はボンタンを履くためにあの手この手(一人ずつ脅して寝返らせたり階段から落としたり)で敵を倒していった。


 漫画の主人公が世界平和や仲間を守るため以外で敵と戦うことや、勝つためには手段を選ばないというのは当時の僕にはとても新鮮だった。


 最初はそんな京四郎達の振る舞いに疑問を感じていたけど、読み進めるうちに彼らに段々と魅力を感じ、


『ああ、こういうのってアリなんだ? 自分のためにがむしゃらになれるって、こんなにもかっこいいんだ? 優しいんだ?』


 僕は生まれてはじめてそのことに気付かされた。


 正しいってだれかに言われなくても、世界中の人を大切になんて出来なくても、友達が大好きならばそれは嘘じゃない。


 たとえ誰かに迷惑をかけちゃってもそんな気持ちはなかった事にならない。


 正しいことも、当たり前の事も、優しいことも、人がいるだけそれぞれの形がある。


 京四郎は、そんは大切で当たり前の事を僕に教えてくれた。


 

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