第5話 夜の帝王の弱点

 俺は3本ある日焼け止めクリームを2本、身体に塗ったところで気づいてしまった。

 あまりにも筋肉がつきすぎて、背中に手が届かないことに。


 俺は日の出前に、サクラの家に避難する。

 家主は、焼豚のように包まれた布団の中で、昨日のことなど、幻だったと言わんばかりに、ぐっすり眠っていた。そんな彼女の寝顔を見てると、起こすのは少しばかり忍びない。などと思った。

 しばらくすると、窓から太陽の光が射した。


 俺は光から逃れようと物陰に屈んだが、光は徐々に延びてくる。これ以上は埒が明かない。そう思った俺は、大きくジャンプし、まるでゴキブリのように天井に張りついた。

 かかったことのない荷重が加わったせいか、天井の縁は大きくミシミシと音を立てる。

 サクラはその音で目が覚めたようだった。


 「んー。うるさいなぁ」


 顔を肩でこすり、目を開く。するとなんということだろう。上裸で裸足の格闘家が、家の天井で必死になってへばりついてるではありませんか。


 サクラは深く目を瞑ってから、もう一度天井を見る。

 すると、今度はその格闘家と目が合った。


 「……すまない。俺の背中に日焼け止めクリームを塗ってくれないか」


 あまりにも険しい顔をするその格闘家に、サクラは笑顔でこう、言い返すのだった。


 「いやー、それは良いんだけどね?この布団の縄を解いてくれないと、出れないんだよ?」


 俺は足を伸ばし、窓のカーテンをかけ、家を暗闇にしてからから、床に足をつけた。


 「紐は解いた。手錠と足枷の鍵もタンスの中から取ってきた。ほら頼む」


 俺は、サクラに、鍵と日焼け止めクリームを手渡し、背中を預ける。


 サクラは仕方ないといった雰囲気で俺の背中にクリームを塗りはじめる。


 「叔母さんが7時に帰ってくるから、その前には出てってもらうけど、今日、もし良かったら11時から遊ばない?ショウさん、この街に来たのばっかりみたいだし」


 「ああ、いいだろう。俺もサクラのことをよく知りたい」


 サクラは少しばかり、声のトーンが高くなる。


 「わ、私は、別に、そんなつもりで誘ったわけじゃないんだけど……それじゃあ11時ね!背中、塗り終わったよ」


 そう言って、サクラは俺の背中を叩く。


 「ああ、ありがとう。それじゃあ道着も貰っていく。じゃあな」


 俺は道着を取ると、カーテンと窓を開けて、外に出る。

 

 「あ、道着。使っちゃったから、洗って返そうと思ってたんだけど」


 窓から降りていく最中、俺はその独り言を聞き逃さなかった。


 「この道着……。そんなに臭うか?そろそろ洗うか」


 俺は道着を掴んで、匂いを嗅ぐ。すると、年頃の女の子の、いい香りがして、思わずにやけてしまう。


 「それ洗ったら、ショウは何を着てデートに行くのかな?あと、そのキモイ顔やめな?」

  

 振り返ると、愛梨が昨日の格好のまま、俺をまるで汚物を見るような目で見ていた。話を聞いてみると昨日の夜から、ずっといたようだ。


 「いるなら言えよ。びっくりしたじゃねえか」

 

 「何よ。私は家に"ケダモノ"が来ないか監視してただけよ。もし、塗ってもらうついでに、あの子を襲おうものなら八つ裂きにしてたわ」


 「俺はそんな卑怯なことはしない!」


 「あんた童貞だもんね」


 腕を組み、余裕の表情をみせる愛梨。

 俺は童貞であることを馬鹿にされて、腹はたったが、それよりも知りたい、大事なことがあった。


 「なあ、悪魔ってどうやれば」


 愛梨は、その話はやめろと言わんばかりに、俺の目の前で掌を見せる。


 「ショウ、11時からデートでしょ。来週のことを考えるより、今から4時間後のことを考えなさい?そのボロい道着や、くさい髪。ましてや裸足でデートするつもり?」


 愛梨は俺を睨む。


 「とは言っても、俺はこの服しかない。それに女と話すなんて、生前はあまりしてこなかったんだ。今更、洒落こんだところで」


 俺が反論すると、言い訳はいらない、と言わんばかりに、開いた掌をとじて、俺の眉間に人差し指を押し付けた。


 「ショウが、童貞の格闘家なことは仕方がないけど、可愛い妹が、コスプレ筋肉とデートすることは、姉として許せません。今から服と帽子と靴、買いにいくから着いてきなさい。これは命令よ」


 愛梨は俺の道着を掴むと、近くの駐車場に停めてあった黒のナナハンに俺を乗せた。

 そして、ヘルメットを差し出す。

 

 「ほら被りなさい。私達、事故っても死ぬことは無いけど、警察に捕まったら面倒よ」


 「だったらバイクを盗むのも良くねえだろ」


 口答えしつつも俺はヘルメットを被る。


 「バカね。死ぬ前はここが私の家よ。それにこの子はバイクじゃないわ。私の魂よ!振り落とされないよう捕まってなさい!」


 愛梨はヘルメットを被ると、法定速度ギリギリでバイクを飛ばす。

 耳元でチェーンのこすれる音と風を裂く音が共鳴して騒がしく。

 エンジンの振動と強い向かい風、そして、楽しそうに運転する、愛梨の背中が心地よかった。

 「楽しいかい?」


 「ああ、気持ちいいぜ!ところでどこへ行くんだ」


 「もう見えてるはずよ」

 

 アドバルーンに"フドーナノカドー"と書かれた無駄に大きな建物。愛梨はそのまま駐輪場へと向かう。


 「ここでアンタの服を全部買って、11時にはサクラの家の前に戻るわよ。でも、その前に、ご飯を食べましょう。私が生前好きだったラーメンを奢ってあげるわ」

 

 俺たちは、二階にある客で賑わうフードコートへと向かう。和洋中、様々な食欲をそそる香りがする中、ひとつだけ頭がズキズキと痛くなるような香りがあった。


 「なあ、このラーメン屋の前からやばい臭いしてんだけど……」


 「奇遇だな。私も頭が痛い。やはりヴァンパイアになったら、ニンニクは食えないか。ほれ、水」


 愛梨は手を滑らせて、俺の頭にコップをひっくり返した。すると、頭が燃えるように熱く、顔の皮膚が爛れるような感覚がした。

 

 「熱い、それに痛てぇ!なんだこれ!ほんとに水かよ!」


 「水もダメか。これならどうだ」


 愛梨はフードの下から銀イオンの入った消臭スプレーを俺に振りかける。


 「なんだこれ、感覚がなくなって……さっ、寒い」

 

 顔の痛みがだんだんと消えて、凍りついたかのように動かなくなる。愛梨は最後に俺に十字架を見せた。


 「どうだショウ。お前はこれを見てなにか感じないか」


 俺は、それを深く見つめるが、なんの感情は湧いてこない。むしろ、眉をひそめている愛梨の方が気になった。


 「な、何も感じない」


 俺がそう言うと、愛梨はマントの下に十字架を隠した。


 「そうか、私はこれを見ると、頭痛、吐き気、目眩がする。罪の意識や信仰心によっては、効果が左右されるというのは本当のようだな。ショウ、勝手に試して悪かった。お詫びに何か好きな物を食べるといい」


 まるで4次元かと思うほど、色んなものを出すマントから1万円札を出す愛梨。

 俺は腕で顔を擦る。


 「まったく酷い目に遭った。太陽の下で力出ないだけじゃなく、こんなに吸血鬼にデメリットがあるとはな。ほんとに悪いと思ってるなら?肉まん、腹一杯食わせろよ」


 「お前は安上がりで大好きだ」


 愛梨は優しく微笑んだ。


 




 

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