第33話 称呼

 朝弘は、体育館から飛び出すと校舎の本館に向かって歩いた。体育館から本館までには一度、校門から校舎へと続く大通りに合流しなければならない。そこは異世界にきてから間もない頃に、探索部隊の歓待を行うために、一般生徒たちが立ち並んだ通りである。通りは、レンガのタイルが敷き詰められており、朝弘はそこを足早に歩く。


 あたりは、追手の生徒たちで、騒然としている。先ほど、体育館の生徒が脱走したことを伝える放送があったばかりである。

 顔をあげると、校舎の靴箱から明かりがこぼれている。そこから次々と追手の生徒が飛び出してきていた。どの生徒も、慌てふためいているように見える。中には、所属を表すローブを羽織り切れておらず、手に持った状態で飛び出してくる生徒もいた。


 それと逆行するように、朝弘だけが、校舎へと向かっていた。しかし、彼は一度もとがめられることがなかった。おそらく、朝弘があまりにも堂々としていたため、誰も不審がらなかったのだろう。


 朝弘は、靴箱を土足で抜け、廊下を歩く。歩いて、すぐ近くにある階段を上った。いまだに、数人の見張りの生徒が、遅れて階段を下りてくる。


 朝弘は、一段一段と、階段を上るたびに緊張していく自分が分かった。敵は強大だ。自分は、今まで生きてきた中で一番、無謀なことをしようとしている。しかし、なんとしても、やり遂げなければならない。そうしなければ、クラスメイト達は、全員殺される。



**********



 木下は、暗い部屋の隅で丸まり、じっと扉のあたりをにらんでいた。扉が開けばまた死神が入ってくる。


 きのうから夜8時くらいになると、この部屋の生徒が一人一人と、消えていく。グレーのローブを着た、生徒に無理やり連れだされていくのだ。木下は知っている。そうして、さらわれていった生徒は、あの赤い部屋で殺されているのだ。

 抵抗しても無駄だ、暴れると、すぐにやつらの仲間が駆けつけてくる。黒く染まったローブ。その服装も相まって、木下には、彼らが死神に見える。


 木下の体は、小刻みに震えている。あたりは静寂であるが、ほかの収監者たちの息遣いがわずかに聞こえた。


 最後にやつらが来てから、もう2時間ほどたった。おそらく、今日の分は、終わったようである。そう思い、やっと少し肩の力が抜ける。大きく息を吸う。


 だが、安堵したのもつかの間、次の瞬間には、結局明日には死ぬのだという現実が、重くのしかかる。今日一日生き延びたところで、大した差異はないのである。


「かーちゃん」木下は、自らの膝を抱き、小さく独り言ちた。


 木下の家は、母子家庭だった。彼が5歳のころに離婚したのだ。

 原因は、父の浮気だ、それに母が愛想をつかした。どこにでもある話だ。


 木下は、3人兄弟だった。下に、中学2年生と、小学6年生の弟がいる。そのため、母は働きづめだった。しかし、よくテレビで紹介されるような、できた母ではなく、やはり自分の母なのだと感心している。


 いつも、母のおかずは、自分たちの2倍以上はある。自分たちのから揚げが2個ならば母は5個食べる。一度弟が、お母さんおかずの量にケチをつけた。たしか、コロッケだったと思う。自分たちのコロッケが1個だったのに、母はコロッケを3個も食べていたからだ。


「おかん、コロッケずるい」もちろん、ずるいことなどない。母が稼いだお金だ。弟たちもわかっていたが、その日、弟は、学校でプールがあったらしく、いつもより空腹だったのだ。


 すると母は、すました顔で「お母さん。コロッケ好きやねん」といった。それから、誰も母のおかずの量にケチをつけることはなくなった。


 母は、一切言い訳などしない、欲望のままに生きているのだ。だが、木下はそんな母が好きだった。そして、なんだかんだ言って、自分たちを、かわいがってくれているのも知っている。


 高校進学のときも、しきりに「高校いかんでいいやん」って言っていたが、結局は教科書などそろえてくれて、入れてくれた。――制服は貰い物である。教科書は、どうしてももらえなかったものだけ、いやそうに買ってくれた。 


 ふと、異世界に来る日の朝の、母との最後のやり取りを、思い出す。


「今日、ティッシュやすいからね。学校終わったら一緒に並んでもらうで」


 母は小さな机に、鏡を置いて、化粧をしていた。


 よく近くのスーパーで、安売りセールがある。おひとり様一点限りなので、母はことあるごとに自分たちに頼むのだ。


「そんなティッシュいっぱい、いらんやろ」


 木下は言った。家賃3万ほどの賃貸の廊下には、まだ使っていないティッシュが、所狭しと並んでいた。


「いるわ!」母は言った。


 これが母との最後の会話だ。母は、きっと自分が帰ってこないのに、文句を言いながら兄弟たちと並んだのだろう。「一個損したわ」とか言ってそうだ。


 今思えば、なんと幸せな日々だったのだろうか。木下は涙が止まらない。


 かーちゃん、心配してるかな……。ぼんやりと、そんなことを考えていた。と、その時だった。教室のスピーカーが鳴る。


「体育館収監中の生徒が、脱走しました。手の空いている生徒は、すぐに捕獲に向かってください」


 女子生徒が切迫した調子で、それを3度繰り返す。放送が切れるとすぐに、教室の外を生徒が駆けていく足音が聞こえた。


 脱走? 木下は考えた。もしかしたら、代々木が逃げたのかもしれない。あいつ一人なら、簡単に逃げれるはずだ。


 と、ふと、思い出す。そういえば、あいつ助けてくれなかったな。俺が連れていかれるときに、目すら合わせようとしなかった。まあ、無理もないかぁ。もともと仲が良かったわけじゃないし、てかそれどころか何度か友達と、からかったことがあった気がする。「あいつ絶対デバフかけてくるタイプだな」そんなことを言いながら友人と一緒に、朝弘のほうを見て笑っている自分を思い出す。はぁ、なんて馬鹿なことしたんだ。当然怒ってるよな。木下は溜息を吐いた。


 それからしばらくしてのことだった。突然、教室の、扉が開いた。廊下のまばゆい光が、室内に差し込む。同じ部屋に収監されている生徒の、小さな悲鳴が聞こえる。また、あの死神がやってきたのかと思い、木下は恐る恐る顔をあげた。


「木下はいるか?」


 出入り口に立っていたのは高樹である。彼の背の高い影が教室に倒れこんでいる。


 木下は、何が何やらわからなかったが、立ち上がった。


「おっ、いてる。こっち」


 しばらくしゃべっていなかったため、声がくぐもった。


「逃げるぞこっちにこい」


 高樹は、首で外に出るように指示する。木下は、深い安堵の溜息を吐くと彼のもとへ駆け出した。


「助かった。死ぬかとおもったぜぇ」


 木下は、高樹に抱き着こうとするが、高樹は、それを手で押し返す。


「いいから。あとパーナマもこの棟にいるらしい。手分けして探すぞ」


「えっパーナマちゃんが? でも、見張りの生徒がいるんじゃ」


「体育館のやつら追っかけるために、大体は、出払ってる。それに、見つかったら戦えばいい」


 高樹は、さやに納められた鉄剣を木下の胸元に押し付ける。


「でもよ。束になってかかられたら、殺されるかもしれねえよ」


 木下は、鉄剣を両手で持ち、反論する。正直、やっと助かるかもしれないのに、また危険な目に合うのが怖かった。


「パーナマ救うんだろ? お前がかっこよく戦ってるところ見せてやれ」


 ――そ、そうだ。パーナマちゃんを見捨てるわけにはいかない。


「おう。当然だろ! 俺に任せとけ」


 木下は、大きくうなずくと廊下を駆け出した。階段の前で、振り返ると上を指さす。


「俺は、5階から見てくる」


「おう。じゃあ俺は下から上がってく」高樹は、言った。


「パーナマちゃん。俺が助けるからな!!」


 木下は疲れも忘れ階段を全力で駆け上がった。


 おそらく、彼女は5階か4階にいるはずだ。1,2階は、俺らを隔離するために使われており、3階は執行室。それより上は用途がわからない。


 5階の廊下にでると、彼女の居場所がすぐに分かった。なぜならその教室の前にだけ、黒いローブを着た見張りが2人、立っていたからだ。木下は、一つ息を吐くと、彼らのもとへ駆け出した。


 すぐに男たちは、近づく木下に気づき、身構える。


「誰だ、お前。止まれよ」


 彼らの制止にひるむことなく、木下は無我夢中に走った。いつの間にか恐怖よりも、パーナマのことで頭がいっぱいになっていた。ある程度彼らに近づくと、剣の柄を両手で持ち、【物体伸縮】能力でその大きさを2倍にした。それを振り子のようにして勢いをつけ、さやごと、彼らに投げつけたのだ。


 剣は、下から上へ弧を描くようにして彼ら目掛け飛んでいく。


 男はそれから身を守るため、手で頭を覆った。その一瞬をついて木下は男に飛び掛かり、馬乗りになった。


 剣は、木下のすぐ隣に落ちて、けたたましい音を立てた。


「おまえーー。この死神め、怖かったんだからな」


 木下は、男子生徒に、何度もこぶしを振り下ろす。


「おい、お前、いいから離れろ」


 もう一人の生徒に、制服のシャツのうなじのあたりをつかまれ、引きはがされそうになる。


「うるさい!」


 だが木下は、先ほど投げた巨大な剣を拾うと、自分のシャツを引っ張る生徒に向かって、それを振った。さやの先端部分が男子生徒のこめかみにあたって男は、その場に倒れこんだ。体は伸びて失神しているようだ。


 続いて、木下は、自分の下敷きになっている男に視線を落とす。すると男は、奇妙な能力で、床の中に吸い込まれていく。まるで、沼の中に沈んでいくようである。やがてその姿は完全に床に埋まってしまった。


 おそらく、仲間を呼びに行ったのだろう。急がなければならない。


 木下は、立ち上がると、すぐに部屋の扉を開ける。中は音楽用具室のようだ。壁沿いに、ドラムやシンバルなどの楽器が並べて置かれていた。その中央に、ピアノがある。そしてその椅子にパーナマが座わっていた。彼女の両足と両手は革のベルトのようなもので縛られ、南京錠で固定されている。




 彼女は、大きな瞳で木下を見た。濁り一つない黒髪が、わずかに肩にかかり、揺れていた。その髪質は、いつか見たトリートメントのCMに出ていた女優さんのようである。


 彼女は、入ってきた木下を見るなり、何やら異世界後を話した。その声音には、とても愛らしい響きがあった。だが、木下は、異世界後を勉強し始めたばかりで、彼女が何を言っているかわからない。


「ごめん。ちょっと、ま、待っててね」


 木下は我に返ると、彼女を拘束する南京錠のカギを探すため、廊下に倒れている男子生徒のポケットをまさぐった。――あった。ポケットの中から、銀の輪っかにつながれた2つのカギが出てきた。大きさ的に、南京錠のカギで間違いないだろう。


 それをもって、部屋に戻る。パーナマにカギを振って見せた。


 すると、彼女は力強くうなずき。拘束された手をこちらに差し出した。彼は、彼女の前に膝まづくようにして、南京錠にカギを差し込む。木下は、どきどきと胸が高鳴っていた。これだけのことなのに、やけに緊張する。


 すると、彼女がまた、異世界後を話し始めた。だが、木下は、悲しくなった。何一つ言っていることがわからなかったからだ。自分の馬鹿さ加減にあきれる。


「ご、ごめん。わかんないんだよ」


 木下は、顔をあげて彼女の顔を見た。パーナマは、目を丸くしている。すこしして、ゆっくりとした口調でしゃべり始めた。


「ありがとうございます。木下様」


 それは、まぎれもなく日本語であった。


 木下の心臓は、止まりそうになった。


「あ、ありがとうございます」


 なぜか、無意識のうちに彼女が言ったことを、繰り返してしまった。


「なぜ木下様が、お礼を言われるのですか?」


 彼女は、驚いたように眉をあげている。


「いや、ごめん」


 木下は、うれしかった。はじめて彼女に自分の名前を呼んでもらったのだ。


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